三、厄介ごと尽きぬ
老医官の無茶苦茶なお願いから数日、猫猫は特に何もせず、仕事をこなしていた。
(何しろっちゅうねん)
相変わらず怪我人は多い。一日四、五件ほど大怪我があり、その中の一つ二つが訓練中の怪我とは言い難いものがまじっている。大体、怪我をした詳細を聞こうとすると口を濁すので、よくわかる。
捕食者が戻ってくればすぐ元に戻るかと思いきや、その捕食者と言えば――。
「いやだー、仕事戻らなーい」
「駄目です、羅漢さま! 戻りますよ!」
柱に張り付いて離れない変人軍師を、副官の音操が引っ張っている。
猫猫は心の中で音操に声援を送りつつ、軟膏を作る。傷薬、湿布はよく出るので在庫を切らさないようにしないといけない。しかし、医官の施術の助手もしないといけないので、なかなか作り置きができない。
蝉のように柱にはりついていたおっさんがいなくなった頃、李医官が汗だくで戻ってきた。隣には、先日腹に木剣が突き刺さってきた若い武官がいる。
「今日は非番では?」
「非番なので、修練場で訓練をしていた」
武官でもないのに何をやっているのだろうか、という疑問は口に出さない。
「では、お隣のかたは?」
「修練場にいたから連れてきた。腹の具合を見るので毎日来てくれと言っていたのに、来ていなかったからな」
「そうですね」
猫猫と李医官は若い武官を見る。
「傷を縫ってもらったからもう大丈夫だ。気にしなくていい」
「そうですか?」
「そうかな?」
李医官が若い武官を羽交い絞めにした。猫猫は若い武官の帯を解き、腹のさらしを確認する。
「く、臭い!」
「なんだと!」
「これはさらしを交換するどころか、風呂にすら入っていない匂いです」
「これだから若い男は! 無駄に代謝が良くて体臭がきついんだぞ! 体くらい水拭きで拭け!」
「い、いきなりなんなんだ! 羽交い絞めにするわ、ひんむくわ」
若い武官が暴れるが、無駄に鍛えた李医官のほうが強い。
「猫猫、他の医官を連れてきてくれ。さっさとさらしを交換するぞ」
「わかりました!」
猫猫は隣の部屋にいた医官を引っ張ってくる。
血を止めるためにきつめに巻いていたさらしだが、取るとむわんと嫌な匂いがした。
「少し化膿してますね。激しい運動をしましたか? 糸が切れてます」
「ちゃんと化膿止めは飲んだのか?」
「やめて欲しいなあ、これで傷が治らないと俺らのせいにされるんだけどさ。さて、縫い直すか」
応援で呼んできた医官がぼやく。無精髭が生えた三十代くらいの医官だ。
後宮と違い、外廷の医官たちは基本優秀だ。その上、修練場近くの医務室では日々大勢の患者を診ているだけあって、効率重視で働く。
「傷口の消毒終わりました。針はこちらです」
猫猫は道具を用意し、医官二人が傷口を縫う。
若い武官はさらしを噛まされていた。体のあちこちにはあざがあり、訓練なのか別の傷なのかわからない。
縫い直しは一か所だけなのですぐに終わる。
「ちゃんとさらしを交換しないといつまでたっても傷が治らないぞ」
「薬もちゃんと飲んで欲しいな。そのためにあるんだから」
「先日貸した下衣と下着を返してください」
猫猫の言葉に傷ついたのか、若い武官はきゅっと顔を真っ赤にする。
「さて、縫い直したところで悪いが、誰にやられたか教えてくれるか? この間はいつの間にかいなくなっていて慌てたぞ」
李医官が武官に詰め寄る。
「訓練中の事故だ。誰が相手とか関係ない」
「いやいや、どう見たって殺意あるだろう! 折れた木剣を腹に刺されているんだぞ。内臓に損傷がなかっただけ、御の字だぞ」
李医官の言葉に、猫猫も無精髭の医官も頷く。
「訛りからして戌西州出身だな」
「……」
若い武官は黙る。
約一年、西都に滞在していた李医官にとって、訛りから出身地を知るのはたやすい。
「となると、相手は中央出身の武官だな」
無精髭の医官が顎を撫でながら確認する。
「ったく、代理戦争なら他所でやってくれ。おめーさんもやられっぱなしで腹が立つんじゃないか? しっかり上に報告しろよ」
「報告しようにも握りつぶされるのが落ちだ」
若い武官が吐き捨てるように言った。
「武官は弱いほうが悪い。強くなればそれでいい」
言っていることもわかるが、猫猫としてはそれで大怪我をするなら、きちんと解決して欲しい。武官たちだけの問題ではなく、医官の仕事が増えるのだ。
若い武官は意外と頑固そうなので、せめてさらしの交換と薬をしっかり飲むようにだけは伝えなくてはいけない。手間がかからないのはいいが、それで悪化させては困る。
(手間がかかると言えば)
猫猫は、壬氏のことを思い出しつつ、しばらく呼ばれることはないだろうなと思ってしまう。
(何か重要なことがあれば呼ばれるだろう)
そう思いつつ、武官に渡す化膿止めを用意した。
猫猫は噂話が好きというわけではないが、嫌いでもない。武官たちのいざこざをちらちら聞くうち話を統合していく。
元々、軍の力関係はわかりやすかった。頂点は皇太后派、次席の変人軍師は中立だった。
詳しい内容について猫猫はよく知らない。別に知ろうとも思わないが、ご丁寧に説明してくれる人物がいる。
「ええっとですねえ。今まで皇太后派一強だった軍部なんですけど、ここ数年、覚えめでたき玉葉后の出現のため、戌西州出身の人間が大きくでるようになったわけですよ」
猫猫がさらしを巻きなおす中、ぺらぺら喋るのは雀だ。猫猫が異動したこともあってか、猫猫がいる医務室に来るようになった。雀の性別から、医官たちは猫猫に治療を任せている。人妻の肌を見ないようにするためか、二人きりで治療をするので大変駄弁りやすい。
「とはいえ、皇太后派も黙っちゃいない。羅漢さまがいる間は、中立派が止め役となって、大きな問題が起きなかった。しかーし、羅漢さま不在の間にその均衡が崩れたというわけですよぅ」
「あー、そーなんですねえ」
猫猫は雀の右腕を持ち上げたり触ったりする。指先は震えるようにしか動かない。
「羅漢さま陣営も大変なんですねぇ。恐ろしいことに、皇太后派、皇后派に移った人たちもいるようですよぅ」
「そのことなんですけど」
猫猫は雀の腕を按摩する。
「気になるんですよね。皇太后派とか皇后派って呼び方」
「猫猫さんはお二方と顔見知りですからねえ」
「ええ。お二人とも、積極的に誰かを攻撃する性格ではないでしょう?」
皇太后は奴隷解放を行ったり、行き場の無い女官たちのために後宮内に診療所を作るような人だ。皇后、玉葉后もやられたら大人しくしている性格ではないが、だからといって好戦的ではない。
「正しく言えば皇太后派は、皇太后さまのご実家および現在の大将軍を含めた派閥ですねぇ」
「大将軍ですか?」
「ええ。現在の軍部の頂点ですよぅ。羅漢さまの方が目立っていますが、実際は次席ですもの。大将軍は元々、皇太后さまの護衛であった人ですよぅ。皇太后さまは、主上を妊娠した当時、色々狙われていたそうですからねぇ。その時、同時に名をはせたのは伝説の侍女とも乳母とも言われた水蓮さまですねぇ」
「なんか聞いたことあるような、ないような」
猫猫は水蓮なら逸話の一つ二つあってもおかしくないなと納得する。
「皇太后さまのご実家はけっこう欲深いところでして、幼い皇太后さまが後宮に入れられたことから、そこのところは察することができましょうねぇ」
「怖い怖い」
猫猫は雀の手のつぼを押しつつ、針治療は効果がないか考えている。その傍ら、前回と比べてどの程度雀の腕の動きが変わったか、記録を取る。
「それで玉葉后のほうは、玉袁さまの派閥ですか?」
「まーそーなりますけど、地方出身者が集まっていますかねぇ。出世するのはどうしても中央に縁故がある人達ですから、地方出身でなおかつ実力主義者の玉袁さまは期待の星なんですよぅ」
「ですが、玉袁さまはご高齢で、なおかつ後継者問題も色々大変なのでは?」
長男の玉鶯が死んでも、西都に戻らなかったのは年齢と基盤づくりに苦労しているからだと聞いたような気がする。
「ええ、だからそれを狙って、皇后派に殴りかかっているのが今の状況なんですよぅ」
「はあ、なるほどー」
「下の人たちが喧嘩しても何の意味もないんですけどねぇ」
猫猫はくだらねえと思いつつ、雀の手を放す。
「ううう、古傷がいたむー」
雀はもう少し按摩を受けたかったようだ。わざとらしく手をさする。
「他に仕事があるもので、今日はここまでですよ」
「いけずー」
猫猫が部屋を出ると、長身の官女が籠を抱えていた。
(ええっと、確か)
名前が短いほうの新人官女だ。肌の露出を避けるためか、ずいぶん着込んでいる。
「あの、頼まれた生薬を届けに来ました」
「ああ」
籠には生薬がある。もう一人の長紗もだが、新人のうちは色んな部署に使い走りにされる。
「ええっと、ちょっと待ってください」
猫猫は注文していた生薬かどうか帳面と照らし合わせる。
「大黄、川骨、桂皮っと」
打ち身の薬を作る材料だ。
「揃ってますね。問題ありません」
猫猫は籠を受け取り、そのまま薬棚に片付けようとした。しかし、新人官女は帰ろうとしない。
「猫猫さん猫猫さん、なにか言いたげにあなたを見ておりますぞ」
雀が猫猫を突く。
「なにか他に用でも?」
「姚さんたちから聞いたのですが、市井で薬屋をやっていたのですか?」
真剣な顔で新人官女が猫猫を見る。
「そうですけど」
「では、同業者について知りませんか? ここ数年で薬屋を始めた男性です」
「薬屋を始めた男? まあ、いるのはいるけど」
猫猫の弟子に一人いる。
「い、いるんですか!」
「うん、左膳とかいう男で、花街で薬屋をやっています」
「左膳……、花街……。もしかして、偽名でしょうか? いかにも訳ありの姿をしていますよね!?」
「……」
猫猫は口を閉じる。なんだか様子がおかしい。下手に話したりしたのは失敗だったろうか。
(そういや、あいつ、子の一族の乱から逃げ出したんだよな)
乱に加担したことがばれると色々面倒くさい。悪い奴ではないし、何よりせっかく育ってきたのに、次の薬屋を探すのが億劫だ。
「お願いします! その左膳という人に会わせてください!」
猫猫の衿を掴み、ぶんぶん振ってくる。
「いや、でも」
「会わせてくれないのなら、自分で探します! 花街の薬屋ですね!」
(余計なことを言ってしまった)
花街で薬屋となれば、そう数はいない。すぐに左膳に行きつくだろう。
「猫猫さん猫猫さん、大人しく案内したらどうです?」
「雀さん雀さん、他人事ですね」
「ふふふ。雀さんも同行しますからねぇ」
雀は楽しそうに笑う。
猫猫は新人官女に衿をつかまれたまま、どうしようかと唸った。