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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
華佗編
325/389

二、派閥争い


 広大な宮廷内にはいくつか医務室がある。その中で一番忙しいのが武官の修練場近くだ。


「おーい、頭ぱっくりいっちまった。縫ってくれ!」

「肩が外れた。つけ直してくれよ」

「新人がぶっ倒れた。気付け薬くれや」


 こんなことは日常茶飯事だ。


 基本、新人医官を叩き上げるために送り込まれることが多い。猫猫マオマオたちはたまに手伝いに行かされるものの、基本避けて配属されることはない場所だった。荒っぽい連中が多い上、変人軍師が入りびたるのを防ぐ意味合いもあっただろう。


「そろそろおまえにもいい経験だろう」


 そう言って、リュウ医官は猫猫を連れてきた。


「何かあれば、医官に言うといい」


 荒っぽい部署に女が配属されるとなったら色々問題が起こる。李医官は、猫猫が西都に行く際、堂々と反対してきた人物だが、その根底には猫猫への気遣いが見えた。李医官なら荒っぽい場所でも、猫猫を保護してくれると思ってのことだろう。


(いい人なんだよな、李医官は)


 最近、目指すものの方向性がずれているだけだ。なお、医官服を着ていても筋肉の隆起が見えるようになったので、だんだん医官なのか武官なのかわからなくなってきた。


「まあ、別に助けを求めなくても、おまえにちょっかいだそうなんて奴はいないだろうがな」


 誰かによると、猫猫の背後には片眼鏡をつけた亡霊が見えるらしい。


「ともかく仕事は多いが、へこたれずにやれ。あと、薬棚の当番のときはちゃんと帰ってくるように」


 劉医官が説明を終えて帰る。


 代わりに元々配属されていた上級医官が猫猫たちの前に現れる。ほんわりした老年の医官で、もさっとした髭をたくわえている。


「じゃあ、よろしく頼む。他の医官たちは買い出しやら昼出勤やらでまだ来ていない。あと、武官の宿舎のほうで、怪我人を見回ることも多い。ここは二十人ほど医官が配属されているが、医務室にいるのは多くて半分ほどしかいない。朝方は比較的患者は少ないと思うが気を抜かないでくれ」

「わかりました」


 猫猫は荷物を棚に入れていると、早速急患がやってきた。


「おーい。腹に木剣突き刺さった。どうにかしてくれ」


 どこをどうやったら突き刺さるのかはともかく治療が必要だ。


「うううっ、ううう」


 怪我をしているのはまだ弱冠に満たない若い武官だ。脂汗をかき、うめいている。


「状況の説明をお願いします」


 とても話せる状態ではないので、怪我人を連れて来た武官に聞く。


「見ての通りだ。訓練中に怪我をした、それ以外にあるか」


 怪我人を連れて来た武官二人はさっさと医務室を出てしまった。


「なんだ、あいつら」


 李医官はむすっとしながらも、今は怪我人の手当が先だと切り替える。


「折れた木剣が突き刺さっているようですね」


 猫猫が言っているのは当たり前のようなことだが、意味がある。木剣が突き刺さっておれたのではなく、元々折れた木剣が突き刺さった。


 李医官も他の医官も、猫猫の言いたいことがわかるらしく、頷いている。


 なぜ訓練中に折れた木剣が突き刺さるのか、説明が不十分すぎる。偶然、折れた木剣の上に倒れたのだろうか。いや、どちらかと言えば突き刺したように見えた。


「外科手術の準備をする。道具の場所がまだわからないだろう。二人は怪我人の傷を綺麗にしていてくれ」


 髭の老医官は大きな棚から器具を取り出す。


 李医官と猫猫は怪我人を寝台の上にのせる。上着をひんむき、傷口をむき出しにした。


「とりあえず、木片を排除します」


 猫猫は大きな木片を手で抜いていく。木片は血が滲んでぬるぬるして引き抜きにくい。毛抜きを使って丁寧に抜いていく。


「出血が多いな。一度、血を止める」


 李医官はさらしを何重にも重ねて腹部をおさえる。圧迫するのが止血の基本だ。


「こうも皮膚がずたずただと治りにくいです」


 まだ綺麗に切断されたほうがましだった。


「余分な皮膚を切除したあと、つなぎ合わせる。さて、どうつなぎ合わせるかだ」


 そのまま皮膚をつなぎ合わせると、長さが足りず突っ張ってしまう。皮膚の切り口を工夫して、無理がないようにつなぎ合わせないといけない。そのために必要ないと思われる切り口も作らねばならない。


「内臓は無事なのか?」


 外科器具をそろえて老医官が戻ってくる。 


「出血の割に傷は深くありません」


 李医官が説明しつつ、もう一度さらしを押し当てる。


「縫合は儂と李医官でやる。おまえさんは血止め、化膿止め他必要な薬を取って来てくれ。隣の部屋に薬棚がある」

「わかりました」


 薬棚の薬剤の配置は、他の医務室と共通にしている。猫猫でも即座にわかるから頼んだのだろう。


(麻酔なしでやるのか)


 猫猫は憐れみつつも、武官相手なら珍しくもない光景だった。場合によっては戦場にでることもある者たちは、痛みに慣れておかねばならないと、麻酔の類を使わないことが多い。


(ええっと止血作用がある生薬は?)


 杉菜すぎなよもぎ蒲黄ほおう、他に動物由来で阿膠あきょう、つまり驢馬ロバにかわなどがある。


(今の季節、豊富にあるな)


 物によっては季節柄手に入りにくい生薬も多い。春先から夏にかけて、比較的豊富にある。


 隣の部屋では、別の医官が帰って来ており、縫合する老医官たちの手伝いに入っていた。麻酔も無しに切り縫いするので、暴れられることもある。そのため寝台には手足をくくりつけられるようにしている。


 舌を噛まぬよう猿ぐつわも噛ませているようで、くぐもった叫びが聞こえてきた。


 しばらく猫猫が配属になるが、その後はヤオ燕燕エンエンも来るだろう。


(燕燕なら平気そうだけど)


 姚もなんだかんだで根性があるから、耐えられるだろうか。


 しかし、新人官女二人はどうなのだろう。あまりきつい仕事をやらせて辞められると勿体ないし、だからといって甘やかすのも何か違う。


(すっげー扱いにくいだろうなあ)


 猫猫は頷きつつ、薬を持っていく。


 縫合自体はすぐに終わったようだ。血まみれのさらしが床に散乱し、腹を縫われた若い武官は可哀そうに失禁していた。別に珍しくもないので、医務室には替えの下着と裤子ずぼんが置いてある。


「薬はこんなものでよろしいでしょうか?」


 とりあえず止血と化膿止めの他に、痛み止めと解熱剤を持ってきた。


「ああ、上出来だ」


 老医官は止血剤を縫合した傷痕に塗って、さらしを巻く。


「李医官は化膿止め、痛み止め、解熱剤を調合してくれ。ええっと、あんたは」

「猫猫と申します」

「例の娘か」


(例の娘?)


 猫猫は聞かなかったことにした。


「猫猫はさらしや器具の片付けをしておくれ」

「かしこまりました」


 李医官より猫猫のほうが、調合が得意だが、ここでは李医官を立てるのが筋だ。猫猫は籠に血で汚れたさらしを投げ込んでいく。


「井戸は医務室のすぐ近くにある。竈もだよ。煮沸消毒の仕方はわかるかい?」

「はい」


 老医官は丁寧な人のようだ。ちゃんと的確に指示を出してくれるのでありがたい。世の中には、自分で考えて行動しろとか言うくせに、勝手なことをするなと怒る人間もたくさんいる。


(悪く無さそうな場所だな)


 変人軍師の近くにいることをのぞけば――。






 異動初日だったが、怪我人はそのあとも続いた。


太陽が傾き始めて、ようやく猫猫は休憩を貰えた。皮肉なことに背後の片眼鏡の変人の姿が視界のすみっこにちらちらし始めたおかげだった。


「なあ、猫猫……」


 李医官が猫猫と変人軍師を交互に見る。


「言わないでください、李医官」


 猫猫は茶の準備をする。老医官もようやく休憩なのか、温かい茶を飲んでほっと一息ついていた。


「初日から大変だったね」

「いえ、あらかじめ聞いていたことですので」


 大豆の粉と山羊の乳で育まれた李医官の肉体は、まだまだ元気が有り余っているようで、休憩なしでもいけそうだ。だが、老医官と二人きりで休憩だと居心地が悪いので、李医官の茶もしっかり用意する。


「でも、おまえさんらはちょっと変だと思わなかったかい?」

「変というと、故意の怪我が多いことでしょうか?」


 猫猫はどうしようかと思いつつ、口を開く。李医官も頷く。


「わかるかい?」

「ええ。まあ。最初の折れた木剣が突き刺さった怪我は、わざと突き刺していたようにしか見えませんでした」


 李医官が猫猫の言いたいことを言ってくれた。


「陰湿ないじめでも横行しているのでしょうか?」


 怪我人を連れてきた武官たちが特に説明もなく帰って行ったのも怪しかった。


「いじめというかねえ。派閥争いだよ」

『派閥争い?』


 李医官と猫猫は首を傾げた後、背後をうろうろする不審者を見る。


「なんだい、猫猫や?」


 変人軍師がにかっと笑う。


 猫猫は無視して、老医官を見る。


「自然では大きな捕食者が頂点に立つことで、その下にいる被食者の力関係が調整されていることがある」

「はい」


 猫猫と李医官は、またちらっと背後の不審者を見る。


「ここ一年、その捕食者がいなくなって、被食者が餌場を奪い合っている」

「はい」


 老医官は具体的な名前を出さずにすごくわかりやすい説明をしてくれる。


「被食者も同じようでいて種類が違う。捕食者がいない間に、力をつけた被食者が他の被食者を食らう側に来ている」

「そして、その食らう側に入った者たちが、こうして好き勝手にしているというわけですね」

「その通り」

「困ったものですが、そのうちおさまるのではありませんか?」

「そう思いたいがねえ」


 捕食者こと変人軍師が帰ってきたなら、また元の生態系に戻るのではと思う。老医官は引っかかるような言い方をする。


「何か気になることがあるのですか?」


 李医官は、老医官が聞いてもらいたそうなのを察していた。


「どうせ耳にするだろうから、あらかじめ教えておくよ。今、軍部を大きく二分する派閥は――、皇太后さまのご実家と、皇后さまのご実家なんだよ」

「ひぇ」


 猫猫は思わず変な声が出た。


「それはまたまた」

「困った話だろ。というわけで、儂がおまえさんに何が言いたいかわかるかい?」


 老医官は猫猫をじっと見る。


「捕食者を上手い具合に扱って、今の混乱を少しでもおさめておくれ」

「……」


 猫猫は、思わず滅茶苦茶嫌な顔をしてしまった。



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― 新着の感想 ―
猫猫が父や兄たちといる場面が増えていることがうれしい。しかも、協力し合えていることもある。少しずつ歩み寄れたらいいと思う。いい線言っていると思えるのは気のせいか? 
[一言] 嘘泣きで抱きついて『パパ、無意味な仕事を増やさないで』 って言うだけだろ。 皇帝の息子の寝室入って未遂で帰ってこれるんだし、そんくらい頑張れよ、糞ヒロイン。
[気になる点] 外科医は長時間の立ち手術の為に身体を鍛えてますね。 六十過ぎてフルマラソンを記録重視で完走する方も居ます。 後は縫い針で如何に早く綺麗に縫合するかの練習もなさってます。 まぁ下手な人も…
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