八、医官手伝いの休日
医官の休日は基本、十日に一度。繫忙期かそうでないかによって前後することがある。
医官見習いも基本同じだ。
ここで問題がある。燕燕にとって由々しき問題だ。
何かといえば――。
「なんで、お嬢様だけが出勤なのですか」
「それは当番制だから」
「私なら喜んで出勤するのに」
「楊医官に止められたのならあきらめてください」
「猫猫は誰の味方ですか?」
「燕燕は姚さんに対するところだけは他と熱が違うから。っというか、なんで私は休日なのに燕燕に呼ばれているんでしょうか? 愚痴のためですか?」
猫猫は怪訝な顔をしている。今、燕燕と猫猫がいる場所は羅漢邸の離れだ。姚と燕燕が借りている部屋である。
猫猫と休日がかぶったため、こうして部屋に呼び出した。というか早朝より宿舎から連れてきた。
「あんまりこの家にはいたくないんですけど」
「ご安心を。羅漢さまの今日の日程に昼過ぎに外せない会議が入っております。副官の方たちが頑張って会議に連れていくので、お戻りは夕刻になるでしょう」
「なんで燕燕が変人の日程を知っているんですか?」
「この家の使用人の方々とはそれなりに良好な関係を築いておりますから」
でなければ、早々に屋敷から追い出されているだろう。
猫猫は面倒くさそうに茶請けの煎餅をかじっている。燕燕は猫猫が甘いものよりしょっぱいものが好みで、さくっとした食感を好むことを知っている。茶も高級茶葉より、雑味の多い庶民的なものが好きだ。
「それで、私を呼んだのはどういう理由があってのことですか?」
椅子に踏ん反りかえり、足を組む猫猫。姚の前でやるなら注意するところだが、今日はいないので好きな体勢でいてもらう。
「勘の良い猫猫ならなんとなく想像がつくと思うんですけど」
「姚さんがいないところを狙ったということは、姚さんがらみで。なおかつ、宿舎を引き払って変人宅に住むというのも関連していますね」
「よくわかっていらっしゃる」
燕燕は茶を一口飲む。値段の割に風味が良い茶葉で、軽く焙じているので香ばしい。
「お嬢様を羅半さまの魔の手から救ってください!」
「……」
猫猫は半目になりぽかんと間抜けに口を開けていた。
「なんです、その顔?」
「なんでもありませんよ……」
「ともかく、お嬢さまはまだお若い。何かしら羅半さまにたぶらかされているに違いありません」
「ああ……。うん」
「なんで遠い目をしているんです?」
「そんなことないですよ」
「ならいいんですけど」
猫猫はあまり興味がないことかもしれないが、羅半の義妹として責任を取っていただきたい。
燕燕は後悔していた。羅半は年上の未亡人しか好まないと思っていた。見た目はくせ毛で狐目、不細工ではないが美形とはいいがたい。何より姚よりも身長が低いというのに。
「どうしてお嬢様はあんな男のことを!」
「……つまり姚さんの要望で何かにつけてこの屋敷にとどまっている。燕燕としてはさっさと出て行って羅半とは距離を置きたいけど、肝心の姚さんには逆らえない。だから、私にどうにかしろと」
「その通りです!」
猫猫は面倒くさそうな顔をした。
「お嬢さまはまだお若い。何か気の迷いがあるようです」
「ですよね」
「でなければ、あんなちびで、くせ毛で、狐目の男など」
燕燕はぎゅっと拳を握る。猫猫は何やら考えているようだ。
「なんですか、何か言いたいことでも?」
「いえ、気の迷いであるなら仕方ありませんが、姚さんは見た目にはこだわらない人ということがわかりました」
「ええ、お嬢さまですもの! 人を外面で判断するような浅はかな真似は致しません!」
「……」
「なんですか、そのじとっとした視線は?」
「いえ、なんでもありません。となると、羅半の内面を見て姚さんの気の迷いが起きているとなるのですが」
確かにその通りになる。
「羅半は正直、内面はかなりくずだと思いますけど」
「そうですよね。お嬢さまが気に入る要因などわかりません。第一、未婚の女性だからこの屋敷に住むのはよくないと、冷たく追い出そうとしているひどいかたなんですよ」
「……」
「猫猫。なんですか、その視線は?」
「いえ、燕燕はお嬢さまに関しては、あらゆる矛盾さえ気にしなくなるなあと思っただけです」
「お嬢さまを中心に世界はあるのだから仕方ありません。空の星が、七つ星を中心に回るように、世の人々は、お嬢さまを中心に回るのです」
「燕燕、宮廷では不敬罪に処されるので、その発言は控えてくださいね」
猫猫はもう一枚煎餅を食べだす。
「それにしても羅半の中身なんてねえ」
猫猫は煎餅をぱりぱり食べつつ、考えている。
「あいつは数字のことばかり考えているからなあ。相手が誰であろうと良い数字が出せればいい。でも、そこに至る経緯が綺麗か汚いかでえり好みするところはあるかな」
「そうですね。相手が誰であるかというより、結果を選びますね。そういう面では、羅漢さまに似ているのかもしれません」
「あんまり変人の名前出さないでくれます? とはいえ、実力主義であるのは確かですね。そこにお偉いさんの関係者だとか、年功序列とか男女差は考えないから……」
猫猫は微妙な顔をする。
「ある意味、姚さんの理想の考えに近いのかもしれないですね」
「そ、そんなことありません!」
燕燕が大きく否定する。
「お嬢さまにはもっとふさわしい殿方がいらっしゃって、それがよりによって羅半さまということは――」
「一応、嫁に出す気はあるんですね」
「婿を取ってもらいます。私の眼鏡にかなうのなら」
「一生、無理ですね」
「そんなことはありません!」
猫猫に理想の姚の婿像を説明しようとしたら、戸を叩く音がした。
「すみません、失礼します」
入ってきたのは四番だった。羅漢邸で働く子どもで、とても目端が利く。羅半が家賃を受け取らないので、四番に金を渡している。猫ばばをするのが愚かなことだとわかっているので、横領することはない。
「なんでしょうか? 客人が来ているのですが」
「それもわかっております。ただ、姚さまがいない今がちょうどいいかと思って話しかけました」
「お嬢さまがいない今がちょうどいい? どういうことですか?」
「燕燕さまに三番が会いたがっております」
「……わかりました」
燕燕はごくんと唾液を飲み込んだ。
猫猫はもう一枚煎餅を手にして、ちょうどいいと帰ろうとしていた。燕燕は手首をぎゅっと握る。
「燕燕と猫猫、二人とも伺いますと伝えてください」
燕燕はにっこり笑い、猫猫は面倒くさそうに歯茎を見せていた。