五、執務室の首つり死体 後編
羅半は動機がわかっている義妹を見て、ちょっともやっとしていた。猫猫の育ての親である羅門は曖昧な推理を嫌う。猫猫にも推測で気軽に話さないように躾けている。
「さて、僕が猫猫に代わって、話をつけようか?」
猫猫が言いたいことは、犯人が女であることで大体予想がついた。
「……いや、私から話す」
「おや?」
どうしたものかと、羅半は思った。以前なら、自分からでしゃばることはなく誰かにやらせているだろうに。
「猫猫の気持ちになにか変化があったのはわかったけど、やめておこう。僕から話したほうがいい。説明してくれるかい?」
「……わかった。ただ、確認したいことがある」
「どんな?」
「犯人はどんな女だった?」
「どんな女だと言われても」
羅半は野次馬の中にいた女性たちを思い出す。
「三人いて、どれかまではわからない」
「三人ねえ」
猫猫は天井の梁を見る。
「羅半なら、女があの武官を首つり自殺に偽装するのが、不可能なことはわかるだろ?」
「まあね」
「じゃあ、どうしたら不可能じゃなくなるのか。そこにさっき想像した動機を入れればおのずと出てくるはずだけど。女一人では無理なら、どうすればいい?」
「女一人じゃなければ……。ああ、そういうことか」
羅半はなるほどと手を打った。至極簡単なことだった。
猫猫はそれ以上言わず、羅半に背中を向けた。上司の劉医官がじっと見ているからかもしれない。劉医官は劉医官で素っ裸になった遺体に興味津々な天祐を止めるので必死なようだ。
なお、さっきから羅漢が静かだと思ったら、長椅子に横たわって昼寝をしていた。
羅半は、少し複雑な目で羅漢を見る。
「音操殿」
羅半は羅漢の副官を呼ぶ。
「先ほど野次馬にいた三人の女性を呼ぶことはできますか?」
「すぐ呼びましょう」
「よろしくお願いします」
太陽の位置を確認すると、昼までにはなんとか間に合いそうだ。
羅半は目を細めつつ、少し重い気持ちになった。
集められた三人の女性は、今年試験を受けて合格した新人の官女たちだった。家柄はそこそこ、二人は官僚の娘で残り一人は商人の娘だった。
一応、刑部の役人にも来てもらっている。羅漢が所属する兵部とはさほど仲が良くないが、だからといって喧嘩を売るような真似はしない。あらかじめ終始見ているように伝えている。
「あ、あの、私たちはなぜ呼び出されたのでしょうか?」
官女壱が眉を一分下げた。地方官僚の娘で今は親戚の家に世話になっているらしいと簡易報告書にある。美しい黒髪の美人だ。
「ただでさえ恐ろしいことがあった部屋に呼ぶだなんて。まさか、遺体を片づけなければなりませんの?」
官女弐が震えながら言った。都育ちの豪商の娘で、同じく美しい黒髪の美人だ。
「は、早く帰りたいです」
官女参は目を伏せて、震えている。官僚の末娘で、これまた黒髪美人だった。
顔の作りは違うものの、後ろ姿はとてもよく似ている。
「これでは、死亡推定時刻に目撃者を探し出したとしても、判別しづらいですね」
音操は腕を組む。
なんだかんだで劉医官を含む医療関係者三人も残っている。
「この中の誰が犯人だというのですか?」
音操は羅漢を見るが、羅漢はまだ昼寝をしていた。たとえ、羅漢が言ったところで、ちゃんとした動機と殺害方法がわからなければ立件しにくい。無理な証拠を作り出して立件することは、羅半にとって美しくない話だ。
「お三方は、容疑者として呼び出されたことに不服なようですね」
羅半としては美しい女性たちに対して、丁寧でありたい。同時に、中身も外見に伴う美しさであって欲しいと考える。
「ええ、そうよ。 これは自殺なんでしょう? なぜ、私たちが殺したというの?」
官女壱が主張する。
「殺すだなんて。あんな大きな人を?」
官女参が主張する。
「何よりいつ亡くなったのでしょうか? 昨日なら、私が家にいたことを証明しましょうか?」
官女弐が主張する。
「みなさん、もっともな意見に思えますが」
羅半は笑みを絶やさず、三人を見る。
「自殺というには不明な点がいくつもあります。それは現場の状況および、遺体の損傷などからわかりました。あと家族や親しい人によってなされた現場不在証明につきましては、証明とならないとお伝えしておきます」
三人の官女は顔を引きつらせる。
「何より、あなたたちにはこの男を殺す動機があるのではないでしょうか?」
羅半は布をかけた『香車』の死体を指す。
「この男は、向上心が高く同時に欲深く、好みの女性に対して口説かずにはいられなかったそうですね。お三方が、この男、王芳に話しかけられていたところを、何人もの官が目撃しておりました」
「……確かに口説かれたことは一回や二回ではありませんよ」
ふうっと息を吐きつつ、官女弐が答える。
「でも、他の殿方にも声をかけられたことがあります。恥ずかしながら官女というのは、ある意味花嫁修業の場として利用されることも多いのはわかってらっしゃるでしょう」
官女弐は商人の娘というだけあって、強かな性格をしている。羅半としては嫌いではない女性だ。
「ええ。ですが、さすがに留守の上官の部屋を逢引の場所に選ぶのは、好ましくないのですがね」
羅半の言葉に三人官女は顔をそれぞれ赤らめる。つまりそういうことだ。
「何を言ってらっしゃるのかしら?」
「僕の身内にはそれこそ猫のように鼻が利く者がいまして。この執務室の主人の愛用の長椅子にしみついた独特の匂いに気付いたんですよ」
羅半にはよくわからないが、鼻の利く者にはすぐわかったらしい。特に猫猫は娼館育ちなので、敏感なのだろう。
つまり、今羅漢が寝ている長椅子は、逢引のまぐわいに使われていたということだ。長椅子にはこだわりがある羅漢なだけに、寝心地もよかったのだろう。
「この執務室は、最低限の掃除がされていたようですけど、どうにも長椅子周りだけは綺麗になっていたはずですね。証拠を残さぬよう綺麗にしたつもりが、獣のような鼻の持ち主がいたためにすぐにばれてしまって」
猫猫が睨んでいる。その隣では、天祐が「あー、座っちゃったよー」などと言っている。羅漢は起きない。
「……か、仮に逢引の場所として使われたとしても、私たちとは限らないのではないでしょうか?」
恐る恐る官女壱が言った。
「そうですね……といいたいところだけど」
羅半に代わり、音操が前に出る。
「ここは羅漢さまの執務室です。羅漢さまが西都へ発つ前は、官女は誰一人近づきませんでした。それこそ、羅漢さまのことをよく知っているからです」
羅漢という男は突拍子もないことをする。なので他の官たちは元より、官女たちも近づかない。勿論、何をしでかすかわからないというのもある。だが一番大きな理由は、羅漢に敵対した官たちは誰一人宮廷に残っていない。軍部の狐には手を出すな、それ以前に近づくな、という不文律があるからだ。
「けれど、一年前から羅漢さまは不在だった。羅漢さまを知らない官女だからこそ、逢引の場所を変に思わなかったのではないでしょうかね?」
音操の言う通りだ。この三人はどれも一年以内に官女になった者たちで、羅漢のことを知らない。そして、羅漢に近づくな、という不文律を知らない。でなければ、羅漢の執務室に野次馬で集まろうとは思わない。この三人以外に、官女は誰もいなかった。
「では痴情のもつれで殺したというのが、見解というわけですね。でも、私を含めた三人、そのどの細腕で、どうやって自殺に見せかけてこの男を殺せるのでしょうか?」
官女弐の発言に、そうだそうだと官女壱と参も頷く。
「はい。その実況見分を行おうと思います」
羅半は猫猫を見て手招きをする。猫猫は心底嫌そうな顔をした。羅半は仕方なく猫猫の前に近づく。
「ちょっと手伝ってくれないかな?」
「私の仕事はあくまで医官さまたちの補佐でございます。なんの手伝いをしろというのでしょうか?」
猫猫は、わざとらしい棒読みだ。
「一応、女の細腕と言うから、おまえがやってくれると信憑性があっていいんだよ」
「何をおっしゃいますか。羅半さまのまるで日に当たっていない白い肌と、筆より重いものが持てそうにないたおやかな腕があるではないですか?」
猫猫と羅半はにらみ合う。
「娘娘、協力してあげなよー」
「早くしないと終わらない。手伝ってやれ」
猫猫は、天祐に言われると腹が立つようだが、劉医官に言われたら話を聞くしかないらしい。
「わかりました」
猫猫は仕方ないと諦めたようだ。
「どうするんだ?」
「とりあえずさっきやったみたいに、縄を天井の梁に括り付けてくれ」
「へいへい」
猫猫は縄を投げて梁からぶら下げるようにくくりつけた。先には首を引っかける輪っかを作る。
「それでどうするんでしょうか? ここに、あの大きな殿方をぶら下げると?」
官女弐はふうっと息を吐く。
「はい。でも、ここにもう一本縄があります」
羅半は縄を猫猫に渡す。猫猫は何をすればいいのか理解しているらしく、また同じように縄を梁に通すように投げた。
そして――。
「もう一本の縄の先にも輪を作り、殺したい相手の首にかけるのです、って猫猫! 義父上の首に引っかけないの、かけないの!」
猫猫は寝ている羅漢の首に首つり縄をかけようとしていた。父親を嫌っているのは仕方ないが殺害までは至らないで欲しい。
「娘娘、ちょうどいいのがここにあるよ!」
今度は天祐が布で隠した遺体を引っ張りだそうとする。これは劉医官がげんこつを落として止めてくれた。
「これをお使いください」
音操は砂袋を持ってきた。くびれがついており、そこに縄を引っかける。
天井の梁は丸太をそのまま利用している。おかげで滑車のように縄を引っ張ることができる。
だが――。
「全然、動かないようですね?」
官女弐は笑う。
義妹の猫猫は非力だ。砂袋は殺害された官の重さに合わせており、猫猫の体重の二倍はある。もし、動滑車であれば重さが二分の一になり、猫猫でも砂袋を吊り上げることができただろう。しかし、固定された梁では定滑車の役割しか果たせないので、持ち上げる重さは変わらない。
猫猫は頑張って縄を手繰り寄せるが逆に体が浮いていた。
「そうですね。では僕も手伝いますね」
羅半は猫猫と共に縄を引っ張る。砂袋は徐々に浮き上がった。
十数秒ぶら下げたところで、二人は力尽き、砂袋はどすんと落ちる。
はあはあと羅半と猫猫は呼吸する。本来力仕事はやりたくないが、この中で一番説得力がある人選は羅半なので仕方ない。
「い、遺体の首には手で縄を取ろうと引っ掻いたあとがありました。椅子から飛び降りて一瞬で首を絞めたらこうなることはないそうです」
羅半の説明に三人の官女の顔は強張る。
「一人では無理でも、二人なら可能ですよね?」
羅漢は『白い碁石』を指した。どの『白い碁石』か言わなかった。
つまり『白い碁石』は一つだと限らないのだ。
「それでは、そこからどうやって首を吊らせるというのですか?」
顔をこわばらせつつも反論する官女弐だ。
「その通りですね。二人でぎりぎり持ち上げられるくらいなので、首つりに偽装するのは難しいですね。それこそ、三人目がいないと――」
官女たちの表情が完全にかたまった。
羅半は猫猫をどうにかなだめながら、もう一度砂袋を持ち上げる。あらかじめ設置しておいた首つり縄の輪の部分の上に高さが来たところで、音操が椅子に乗って砂袋に輪っかをかける。
もう一つの輪っかを切ることで、砂袋が梁からぶら下がる。
「この通り。僕は一度も犯人は一人だとはいっておりません。三人とも共犯なんですね」
羅半の言葉に、三人官女はそれぞれ、放心し、泣き始め、八つ当たりするように床を蹴った。
彼女らは大人しく容疑を認めた。
三人は今年一緒に配属されたことで仲が良くなった。先輩官女たちと反りが合わなかったためか、仲間意識が強く同じ整髪料を使うほど気が合ったのだ。三人とも黒髪が美しいのはそのためなのかもしれない。
三人とも、実家から良い嫁ぎ先を見つけてくるようにと言われており、その際出会ったのが王芳だった。
王芳は三人それぞれに近づいた。
あとは想像がつこう。
王芳は上手くやっていたつもりだろうが、女の勘は鋭い。三股をかけていたのがばれてしまった。
浮気がばれた場合、女の憎しみは女に向くという。だが、すでに面識がある三人に手を出したことから、憎しみは王芳一人に向かう。
こうして、三人が共謀して殺害計画を立てた。羅漢が帰ってくるのを見越して、登庁の前日に誘い出したのだ。
「女性はやはり恐ろしいね」
羅半は大きく息を吐く。もっと上手くやればよいのに。もっと割り切った遊びができる大人の女性を選べばいいのに。
執務室にはまだ昼寝を続ける羅漢と羅半、音操しかいない。
医官組は帰り、官女たちは刑部の役人たちが連れて行った。まだ、死体が部屋の隅に転がっているので、俊杰少年にはそのまま待機してもらうことにした。
「しかし、王芳が殺された理由が痴情のもつれとは。もっと他に理由があるかと思っていたのに」
ふうっと息を吐く音操は羅漢の着替えを用意していた。しっかり火熨斗を当てた服で、主上に会う前に着替えさせるのだろう。
「いや、そうでもないかもしれませんよ」
羅半は、三人の官女の経歴書を眺める。羅半の頭の中には彼女たちの経歴に何かしら一致する数字が見えていた。
「なにかあるとでも?」
「あっては困るので調べてみますとも」
羅半は自分で言いつつ後悔した。これでは丸一日が潰れてしまう。だが、それもまた想定の範囲内なので仕方なかった。