表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
日常編
316/391

四、執務室の首つり死体 中編

遺体の描写などあります。


 一年以上ぶりにまともに顔を合わせた義妹は不機嫌な顔をしていた。


「やあ、妹よ」

「消えろ、算盤眼鏡」


 猫猫マオマオ羅半ラハンに対して、開口一番暴言を吐く。


「猫猫やー」


 猫猫の傍には、羅漢ラカンがいる。羅漢は、猫猫に抱きつきたい。だが、猫猫が箒の柄で羅漢の頬を突き刺し、これ以上近づくなと牽制していた。


「猫猫、もう少し手心を加えてはどうだい?」

「なら代わるか?」

「絶対いや」


 羅半は拒絶すると、あと二人の人物を見る。


 一人はリュウ医官、宮廷の医療従事者の長官だ。羅半の大叔父である羅門ルォメンとは同期で、気難しいと評判の男だ。


 もう一人は、まだ若い男だ。中肉中背で軽薄そうな顔をしている。


「死体はどこですかー?」


 妙にきらきらした目をしていたが、その直後に劉医官にげんこつを食らっていた。


天祐ティンユウ、静かにしろ」


 名前を天祐と言うらしい。野郎の名前など、どうでもいい情報だ。


 羅半は、面倒くさいのもついてきたようだと思ったが、本命が釣れたので良しとする。羅漢が面倒くさいことをし始めたら、猫猫に押し付けよう。同時に向こうも同じことを考えているに違いない。


「私も暇ではないので、早く遺体を見せてくれないか? 昼から月の君による報告があるのだろう。もたもたしている時間はない」


 劉医官がこめかみに青筋を立てながら言った。


 西都遠征組の報告は、羅漢にも関係がある。さっさと済ませたいのは、羅半も同じだ。


「こちらです」


 音操オンソウが案内する。俊杰ジュンジェ少年は刺激が強すぎるということで、別部屋で待機してもらった。真面目な子で、なにかできることはないか聞いてきたので、羅漢が使っている別部屋の掃除を頼んだ。


「……失礼だが、羅の者は身内に対して、甘すぎるところがあるようだな」


 劉医官は、羅漢、猫猫、そして羅半を見る。


「娘に甘くて何が悪いんだ?」


 ごく普通に答える羅漢。この男に、空気を読めと言っても意味がない。


 劉医官も莫迦ではないので、羅漢に何を言っても意味がないことを理解している。何食わぬ顔で執務室に入る。


「こやつですか?」


 天井の梁にはまだ『香車』がぶら下がっている。羅半がまだ下ろすなと指示したからだ。


「このままでは何もできないのだが?」


 劉医官は目を細める。


「おー、死んでる死んでる」


 天祐とかいう男がはしゃぐ。


「変死体って言っておいて、首つり死体じゃないか……」


 猫猫は独り言のつもりがよく口に出ている。だから『変死体』というように伝えた。『変死体』は死因不明の遺体であり、毒殺も考えられる。


 本当は羅漢の執務室など来る気はないはずだ。だから、来るべき理由をやる必要があった。


「こうして首を吊っている時点で自殺じゃないの?」


 天祐の頭に劉医官のげんこつが落とされる。


「何かしら自殺ではないという根拠があるのですね。こうして現場を維持しているということは」


 劉医官は死体を見る。


「そうです」


 羅漢に代わって説明するのは音操だ。羅半が話を進めるより、彼のほうが適役だと打ち合わせを済ませている。


「自殺だと、矛盾があります」

「どういう矛盾かな?」


 音操は紐を取り出す。


「この紐は遺体の男、王芳ワンファンの首から下の身長に切り取ってあります。首つり紐の角度と王芳の身長、椅子の位置を考えて首つりは可能でしょうか?」


 羅半の目には世界が数であふれているように見える。首つりをするにあたって、椅子の位置があと一尺近づかないと、いくら背伸びをしても首つり縄に首をかけることは不可能だ。


「椅子から飛び降りたときに蹴り倒したのなら、移動してしまわないかな?」


 天祐が意見する。


「背もたれの位置を考えると、どれだけ勢いよく蹴ったのでしょうか?」


 羅半は音操に代わって答える。


 天祐という男がうるさいせいか、猫猫は静かだ。菓子を差し出す羅漢と距離を取りつつ、怪訝な顔で鼻をひくつかせている。


「ふむ。遺体を下ろさなかったのは、これを私に確認させたかったということか?」

「その通りです」

「椅子の位置もかわってないと言えるのか?」

「野次馬を証人として呼びましょうか?」


 劉医官は物事をはっきりさせたがる人間のようだ。疑うべきところは疑う。


「それにしてもわざわざ劉医官が来られるとは」

「見習いをよこせという言い方が気になってな。監督官は必要だろう?」


 つまり偽装ができないようにとの配慮だ。


「では遺体を下ろしてもらおう」

「かしこまりました」


 音操は武官を呼んで死体を下ろさせる。


「皆さま、椅子に座ってお待ちください」

「はい」


 天祐がさっと長椅子に座る。


「私は別にいい」

「私も」


 劉医官と猫猫は立ったままだ。


 首つり紐を途中で切って下ろすが、なかなか苦労する。『香車』こと王芳は、武官らしい体つきをしていた。


 報告書によると、羅漢に見いだされたのは二年前。直感が良く動きが早いので、登用した。実戦向きの性格で、羅漢が試験がわりによこした仕事は失敗無くこなしている。向上心はあるが同時に欲が深い。だが、監督をしっかりすれば問題ないとあるが――。


 羅漢が不在の間に崩れてしまったのだろう。


「やっと下ろせたな」


 布の上に下ろした遺体は、正直目をそらしたくなるほど美しくなかった。


「天祐」

「はーい」


 劉医官は天祐にまず見ろと言っている。猫猫も天祐の後ろから遺体をのぞき込む。


「どう思う?」

「爪のあとが首に残っていますね。苦しくて縄をどけようと足掻いた形跡です」


 天祐は意外にも真剣な目をしている。猫猫も頷きつつ、見ている。


「苦しんでいますね」

「苦しんでるねえ」

「首つりは苦しむものじゃないのですか?」


 音操が不思議そうに聞いた。


「首つりは勢いをつけてぶら下がると、首の関節が脱臼して意識を失う。その場合、暴れることはないはずだ」


 劉医官が説明する。


「つまり楽に死ねると」

「楽に死ぬ方法はない。失敗したら苦しむので、おすすめはしない」


 劉医官の言葉に、音操は苦笑いを浮かべる。


「服を脱がせるぞ」

「はい」


 天祐が遺体の服を脱がせ始める。猫猫も手伝おうとした。


「おや? 手伝うのか?」


 羅半の記憶によれば、猫猫は死体に触れるなとずっと羅門に言われていたはずだ。


「仕事だからな」


 猫猫は臆する様子もなく遺体の服を脱がせていく。遺体とはいえ男の体を真っ裸にひんむくのに慣れているのは、どうかなと羅半は思う。


「猫猫や。そんなばっちーもの触ったらだめだよ」


 そういう羅漢はぼろぼろ菓子をこぼしていた。よく死体の前で食事ができるなと感心してしまう。


「足の死斑の色からかなり時間が経っているね。どのくらいだと思う? 娘娘?」

「半日以上は確実に経っているように見えますね。下半身の赤みがかなり濃い」

「うん、肉の硬さからすると、八時じゅうろくじかん以上前ではないと思うね」


 天祐は遺体をつまむ。


 劉医官が何も言わないことから、間違いではないのだろう。


「誤差があるとしても夕方から夜ですね」


 羅半は眼鏡に触れる。とうに仕事の時間が終わった頃に何をしていたというのだろうか。


「死因は首つりで間違いないね」

「ええ」


 これも劉医官は何も言わない。


「自殺か他殺かはっきり断言できますか?」

「そこまではわからないですね。さっき言った椅子の位置を考えると他殺って方向で考えたいんでしょうけど」


 音操の質問に、天祐は首を横に振る。劉医官も頷く。


 猫猫は目を細めて、天井の梁を見る。


「どうしたんだい? 妹よ?」

「……」


 猫猫は無言で羅半の爪先を踏んだが、生憎、はきものの先には詰め物がされていて衝撃は緩和された。


「どうしたんだい?」


 羅半は猫猫にもう一度聞く。


「投げ縄のように梁に縄がくくりつけてあるなと思っただけ。あれなら梯子を使う必要はないから」

「投げ縄?」

「見せたほうが早い」


 猫猫はちらっと劉医官を見る。


「じゃあ見せてください」


 音操が言った。猫猫は羅半の言うことは聞かないが、音操の話は比較的素直に聞く。


「では失礼します」


 猫猫は縄を持つと先に重石をつけ振り回す。梁と天井の間に向けて投げる。


「これをどうやって柱に結び付けるんだ?」

「梁についている縄の結び目を見ればすぐわかる。こうして」


 猫猫は縄の先を軽く結んで、反対側の縄の先を通す。


「こうしてこの縄を引っ張れば」


 縄はきゅっと梁に結び付けられる。


 羅半はそれを見て、「ああ」と頷いた。


「そういうことか」

「何がそういうことなんだ?」

「いや、他殺ならどうやって殺したのかって考えていたんだ」


 相手はがたいの良い武官だ。そう簡単に首を絞められるわけがない。


「義父上が示した犯人は、どう見たって武官を殺害できるようには見えなかったからね」

「犯人って、あのおっさん、わかるってのか?」


 猫猫が半眼になる。


「うん、爸爸パパすぐわかったよ」


 羅漢がすぐ横に現れて、猫猫が即座に離れる。


「犯人がわかろうとも、義父上には犯行動機とか殺害方法とか証拠とかわからないから。まあ、殺害方法はわかったからあとは動機かな?」

「動機ねえ」


 猫猫はちらっと長椅子の方を見る。


「わかるのか?」

「大体」

「教えてくれ、妹よ」


 もし羅漢の部下の手配でやったのなら、色々問題がある。できるだけ穏便に行きたいところだ。


「あんまり言いたくない」

「言わないと、月の君の報告に遅れるんだけど」


 猫猫は嫌な顔をしながら、口を開く。


「別に深く考えるような動機じゃない。どうせ犯人は『女』なんだろう?」

「よくわかったな」


 羅半は感心する。羅漢は『白い碁石』と言った。『白い碁石』は女、『黒い碁石』は男を示す。


 猫猫は鼻をすんとさせる。


「そういうことなのか?」

「そういうこと」


 猫猫は呆れたかのように、真っ裸にされた死体を見た。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
絶対に爸爸と呼ばずおっさん呼びする猫猫と、爸爸と呼んで欲しい羅漢。
法医学まで進化しているとは、 神的存在に思える
[一言] どういうことなんだ? (゜-゜)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ