三十四、成長
吹きすさぶ風が冷たいを通り越して痛い。
時間が過ぎるのは早い。西都に戻ってきてから特に何もなかったかのように日常が過ぎ去った。
気がつけば年が明け、猫猫は二十一歳になった。
猫猫の西都の生活は変わらず、医務室でやぶ医者と薬を作ったり、温室で生薬を育てたり、たまに壬氏のところへ往診に行ったりするくらいだ。
少し、変わったことと言えば。
「父上! 遊んでー」
「こら、父ちゃんは今から仕事なんだ。あとでな、玉隼」
鴟梟がいた。
鏢師の格好ではなくちゃんとした服を着たら、本当に玉鶯によく似ていた。これだけよく似ていたら、今まで玉鶯についていた民衆も鴟梟を支持するかもしれない。世の中、中身より外側のほうが判断しやすい。
(一体、どういう心変わりなのか?)
猫猫はただの薬屋なのでよくわからない。ただ、壬氏たちの間で色んな話し合いが行われたのだろう。
「あー、すみませーん。そこの棒取っていただけませんかぁ。ちょいと背中がかゆくてー」
医務室には一つ、大きな長椅子が運び込まれていた。話によると猫猫がいない間、ちょくちょく変人軍師が医務室に来ていたらしい。その際、持ってきた物がそのまま残っている。
(どう説得したんだか)
猫猫不在の間、やぶ医者がずっと相手をしていたのだろう。やぶ医者の対人関係能力は、実は茘で最高峰にあるのではないだろうか。変人軍師を言いくるめられる人間など、猫猫としてはおやじしか思いつかない。
長椅子に横たわるのは雀だ。固定していた胴体は自由になり、右手の包帯もとれている。ただ、肘は今までの半分ほどしか曲げることができず、手も小指がかすかに動く程度だ。
雀の怪我はひどかった。しばらく仕事はできず、機能回復訓練として医務室に来ていたが――。
(住みつかれてる!)
「はいはい、これでいいかい? 背中かゆいのなら、かゆみ止めの軟膏いるかい?」
やぶ医者はちょうどいい棒を雀に渡す。
「あー、いただけますかねぇ。ついでにそろそろ点心の時間かとおもいますけどねぇ?」
「そうだねえ。今日は甘藷を蒸して蜂蜜と混ぜて焼きなおしたものだよ。隠し味に山羊の乳を入れてまろやかな口当たりにしたんだけどどうかねえ」
やぶ医者は無駄に料理技術があがってしまった。雀が入りびたる理由の一つになっている。
「やぶさん、腕をあげましたねぇ! これは茘の芋料理界に革命を起こしちゃったりしますよぅ!」
むしゃむしゃと皿の上の芋点心を平らげていく雀。
「雀さん、残しておいてください。皆さん呼んできますから」
「ふはーい」
点心を頬張る雀が信じられないので、猫猫は皿にのった菓子を別の皿に移しておく。やぶが茶を用意しているが、香りが強い。中央から来た茶葉だろう。散々、蒲公英の根っこを炒って飲んだりしていたので、しばらくぶりのまともな茶だ。
「だいぶ安定してきましたね」
医務室の薬も余裕が出てきた。まだ、食糧問題として不安要素もあるが、多少の目途はついたらしい。
「あっ、そういえばもうすぐ中央に帰れますよぅ」
「えっ?」
「言い忘れてましたぁ。てへっ、旦那さまから猫猫さんたちに伝えるように言われてましたのにぃ」
雀がこつんと左拳で額を叩く。片目を閉じて舌を出しているが、妙に腹が立つ仕草だ。
「壬氏さまも帰るんですか?」
「勿論。いやあ、さすがにこれ以上いるのは難しいでしょうし、だいぶ引継ぎは終わりましたからねぇ。形態としては鴟梟さんを中心に、周りを徹底的に固める模様ですぅ」
「できるんですか?」
正直、不安だ。確かに美味しい所をかっさらっていくし、武生めいたところは大きい。次男や三男に比べると、魅力性は高いだろうが、何年も放蕩息子をやっていた。鏢師という独自の情報網と武力があるのは強みかもしれないが、それでも足りないところが大きい。
「できなければ困りますよぅ。鴟梟さんにはそれこそ西都の武生になってもらわないといけませんから」
(武生ねえ)
今思うと、玉鶯が息子たちの中で鴟梟にのみ帝王学を学ばせていたのは、玉鶯の理想の武生の姿を見たのかもしれない。
「頭は悪くないですよぅ。元々、西の長になるために教育を受けていましたし、鏢局の経営もある意味人を使う訓練になってますよぅ」
「でも、どこか抜けているというか甘いというか」
鴟梟という名前とは裏腹な性格をしている。いくら悪ぶっていても、どこか甘いところがある。
「そうですねぇ。そこのところは周りを固める予定ですよぅ」
「周りが信用ならないのでは?」
猫猫の問に雀はにこにこして茶をすする。
「次男の飛龍さんはお兄さんを支えるのは問題ないようですし、陸孫さんもいますよぅ。あと、意外かもしれませんが鴟梟さんは叔父さんたちには人気ですから」
「叔父さんたち? 同い年の叔父と喧嘩したんじゃなかったんですか?」
「喧嘩するほど仲がいいんですよぅ。たぶん、次男、三男が跡目を継ごうものなら、何も言わずに下剋上を狙って来るような野心家なんですねぇ。幼達叔父さんは」
面倒くさそうな男同士の関係性だ。
「あと、しばらく後処理として、魯侍郎も残るそうですよぅ」
「たしか礼部の人でしたっけ? 祭事の人が残っても何になるんです?」
「魯侍郎はいろんな部署をたらいまわしになった人なので、いい意味で器用。悪い意味で器用貧乏。なんでもできるので、上手く立ち回ってくれることでしょう」
「まるで羅半兄のような人材ですね」
しかし、何はともあれようやくほっとできると猫猫は思う。
「中央に帰れるのか」
下手すればこのまま西の大地に骨を埋めねばならないのでは、と思ったことさえあった。猫猫は大きく安堵の息を吐く。
「李白さんは知っていると思いますぅ。羅半兄は知らないでしょうねぇ。色々、準備ありますし教えてあげてください」
「わかりました」
羅半兄は、本邸の庭を潰して作った畑にいる。以前、蝗害から命からがら持ち帰ってきた麦を植えているのだ。
猫猫は医務室から出て羅半兄を探す。
羅半兄は畑で蟹歩きをしていた。どうやら麦踏をしている。
「らはんあ……」
声をかけようとしたところで猫猫は視界の端に子どもが映ったのに気が付いた。
誰かと思えば、玉隼と小紅だ。
(また虐めているのか?)
猫猫はずいぶん小紅の肩を持つようになった。なので、生意気ないじめっ子にげんこつを落としてやろうかと思ったが。
なんだか様子がおかしい。
玉隼がなにやら威張り散らしている中、小紅は半眼で呆れた顔をしていた。どこかで見たことがあるような表情をしている。
「おい、聞いているのか?」
玉隼が小紅の衿を掴む。しかし――。
ばしっと小気味いい音が響いた。
何かと思えば、小紅の平手が玉隼の頬に炸裂した。
「な、なに、する。おまえ、おれがこわくないのか?」
驚いた玉隼は尻もちをついて叩かれた頬に触れている。
「こわくない」
小紅は表情を変えずに、玉隼を見下ろす。
「おまえ、わかってんのか! おれの父上は西都の長になるんだぞ!」
「しきょうおじさんがおさになっても、べつになに? おじさんはそれくらいいいつけたところで、わたしをおいだしたりしないよ?」
「父上の次はおれが長になる。おまえなんておいだしてやるからな!」
「ふふっ」
無表情だった小紅が笑う。
「何がおかしい!」
「だって、あんたくらいがおさになるなら。わたしはちゅうおうにでもいって、さらに上をめざせるかなっておもっただけ」
小紅は何事もなかったかのように、玉隼の前を立ち去る。
玉隼は年下の娘に泣かされ、鼻水をたらしながら地面でじたばたしていた。
(視線を感じる)
猫猫がそっと後ろを見ると、羅半兄が見ていた。
「おまえ、あの子に何を教えたんだよ?」
疑いの眼差しで羅半兄が見る。
「いや、私は何も」
「何もじゃねえよ。あんな表情、おまえそっくりじゃねえか! もっと気弱そうな可愛い子だったはずだぞ!」
「誤解です!」
猫猫がいくら弁明しても羅半兄は信じてくれなかった。