31 蜂蜜その参
「壬氏さまも、つい悪戯が過ぎただけなので、許してあげてはいかがでしょう?」
里樹妃の住まう金剛宮を案内するのは、高順である。彼の主は、さきほどの件について、翡翠宮にて玉葉妃たちにこってり絞られているはずだ。
「わかりました。今後は、高順さまが舐れば問題ないかと」
「ね、舐る……」
「わかればいいんです」
猫猫は口を尖らせたまま、つかつかと歩いていく。
まったくもって変態である。顔がよいだけにたちが悪い。
ああやって何人も誑し込んでいるに違いない。
破廉恥極まりない。
お偉方でなければ、股間でも蹴ってやるのに、と思ったが、ないものは蹴ってもしかたないなという結論に落ち着く。
そうこうしているうちに、南天の植えられた真新しい宮に到着した。
里樹妃は、桜色の衣を着、柔らかい髪を花簪でまとめている。
園遊会のときの豪奢な衣装よりも、このような可憐な衣装のほうがよく似合うと猫猫は思った。
玉葉妃がのりこんできた後、猫猫は気になることを明らかにするために、里樹妃との面会を頼んだのだ。
里樹妃は、壬氏がいないことに気付くと明らかに落胆の色を見せる。
見かけだけはよいのだから、仕方ない。
「私に聞きたいことって、なにかしら」
扇子で口元を覆い、長椅子にゆったりと座っているが、そこに他の妃にあるような威厳はない。どこかおどおどした、まだ幼い妃である。
美姫と謳われるだけの美しさはあるが、女の色香はまだ纏っていない。
背後にはお付の侍女がふたり、やる気なさげに立っていた。
見知らぬそばかすの女官を不機嫌な目で見ていた里樹妃だったが、それはよく見ると園遊会のときの侍女だということに気付いたらしい。目を見開くと、少しだけ落ち着いた表情になった。
「はちみつは、嫌いですか?」
なにかしら前口上をつけて話してもよかったが、面倒なので端折った。
「なんでわかるの?」
「顔にでていますから」
(みりゃわかりますよ)
不思議そうな顔が、だんだん膨れていく。本当にわかりやすい。
「昔、はちみつでお腹を壊したことはありませんか」
さらに里樹妃は顔を膨らます、肯定の意だろう。
「食中毒になって、食べ物を受け付けなくなることは珍しくないですからね」
里樹妃はなにもかも見透かされたことに、不思議さと腹立たしさをいり混ぜた顔をしている。
「失礼じゃなくて。いきなり来て、里樹さまにずけずけと」
(おまえがいうか?)
先日の茶会で、はちみつ嫌いの主をかばおうともしなかったひとりである。
(こうやって、味方のふりをしてるんだな)
時折、外部のものを悪役にしたてあげ、里樹妃の味方のふりをする。世間知らずな幼い妃は、周りの人間を敵だと思い込む。味方は自分たちだけだと言い聞かせ、妃を孤立させる。
妃は侍女たちに頼らざるをえない、悪循環である。
本人がいじめだと気付いていなければ、なかなか表ざたにはなるまい。園遊会のときは、調子に乗り過ぎたようだが。
「私は壬氏さまの命を受けてここにきております。なにか問題がありますか」
虎の威を借るついでに面倒もつけておこう。
それくらいやってもいいはずだ。
顔を火照らせた侍女たちが、何を理由に変態宦官に近づこうとするのか楽しみである。
「もうひとつ」
猫猫は無表情のまま、里樹妃に視線を戻す。
「柘榴宮の侍女頭とは、以前から面識はありますか?」
驚いた顔がその答えを示していた。
○●○
「探してきてもらいたいものがあります」
猫猫に頼まれ、高順は宮廷の書庫にいた。
後宮女官である猫猫は、基本、後宮内を出ることはできない。
はて、なにがわかったのやら。
齢十七には思えぬ知識の深さと冷静さは、目を見張るものがある。理性的に物事を考え、処理する能力は女子にしておくのが惜しいとさえ思う。もちろんそれは、一部の性癖をのぞけばの話であるが。
大変使いやすい駒。
そのように扱えばよいのに。
本人も、いやいやながら了承することだろうに。
「悪いことをした」
ぽつりとこぼす。
主の過ぎた悪戯はやはり止めるべきだったろうか。
止めたところでどうなったか。
恨みがましい猫猫の目を思い出すと、今後、なにか盛られるかもしれないという不安がよぎってきた。
○●○
(十六年前。皇弟も同時期に生まれてるのか)
猫猫の手にはひもで綴じられた書が一冊。
後宮内の出来事をまとめたものである。
高順に頼んで持ってきてもらったものだ。
現帝の東宮時代に生まれた子はひとり、母親は東宮の乳姉弟であり、のちの淑妃である。
子は乳幼児期に死亡し、その後、先帝が崩御し新しく後宮ができるまで子は産まれていない。
(東宮時代の妃は、ずっとひとりだったのか)
意外なことだ、好色親父のことだから東宮時代から妾をたくさん作っていたものと思っていたが。十年以上ひとりの妃と連れ添っていたとは。
やはり、噂や人伝手でなくきちんと書に記したものも必要である。
十六年前。
乳幼児死亡。
そして。
「医官、羅門、追放」
見覚えのある名前を見つけた。
浮かび上がってきた感情は、驚きではなく納得だった。なんとなく、そんな気がしていたからだ。
後宮に数多く生える薬草は、皆、猫猫がよく使うものだった。
自然と生えたのではなく、以前、誰かが移植したものだと想像できた。
「おやじ、なにやってんだよ」
老婆のような足を引きずる男。
猫猫の薬の師は、片足の膝の骨を抜かれた元宦官であった。