三十一、後継者
馬良が十六の時、母の桃美から呼び出された。
「今から口頭で伝えることは必ず記憶しておきなさい」
母は馬の一族を取り仕切る女性だ。馬の一族は皇族の護衛として存在するが、逆を言うと男は体を張って死ぬこともある。なので、何かあったとき頭脳として残すのは女なのだ。
本来であれば一族の長の妻がその役割を果たす。父である高順は特殊な事情により、長になることはないが他に適任がいないため母が請け負った役割なのだ。
桃美が話すのは、名持ちの一族の一つ、『巳の一族』についてだ。表の守りを馬の一族が担うなら、裏の守りは巳の一族が担う。
「巳の一族と言いますが、その成り立ちは私たちのようなわかりやすい血族関係ではありません」
巳の一族は諜報を得意とする。ただ、その役割故、表立って誰なのかという名前は出てこない。
「巳の一族と言っても複数あり、それぞれ世襲制だと思ってください」
「世襲制と言いますと?」
「巳の一族の者はそうですね、例えば十人いたとします。その十人がそれぞれ自分の後継者を一人選びます。血縁から選ぶことがほとんどですが、ちょうどいい者がいない場合、外部から引き取ることもあります。それが次の巳の一族になります。なお、後継者以外は巳の一族として認められず、ほとんどの場合後継者と決めた者以外に技術を教えることはありません。それどころか血縁が巳の一族であるということも知らないでしょう」
「母上、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんですか?」
「つまり、巳の一族とは他所の名持ちの一族にもぐりこむこともありうるのではないですか?」
にんまりと笑う桃美。正解だと顔が言っている。
「そうです。最重要事項ですね。巳は馬の一族と対になる家であるがゆえ、私及び数名のみ知られている話です」
馬良は胃がきりきりと痛くなった。諜報に特化した一族、これなら確かに臣下の腹を探るのに適している。
「もう一つ質問していいでしょうか?」
「何ですか?」
「僕の妻となる人も巳の一族ではありませんか?」
数日前から姉の麻美から見合い話があがっている。
「わかりません。ですが、お断りなど出来ないと思いなさい」
ぴしゃりと言い切る母に、気が弱い息子は言い返すことはできなかった。
数日後、姉の紹介でやってきた女性はよくわからない人だった。
「こんにちは、麻雀と申します。気軽に雀さんと呼んでください!」
元気いっぱいでやってこられた人を見た。馬良とは対極の人間だ。
「雀さんよ。距離がすごく近いけど、まあそういう人だから慣れなさい。はい、雀さん、弟の馬良よ。たまに気絶することもあるけど、何かあったら下男でも呼んで寝室に運んでもらって」
「了解しました!」
雀は、すちゃっと麻美に礼をして、馬良に近づいた。馬良は慌てて部屋の壁に隠れたがいつのまにか背後を取られていた。
「うふふ、逃げるなんて初心ですねぇ。雀さん、そういう人、嫌いじゃないですよぅ」
「うわああっ」
早速気絶してしまう。
雀の第一印象は、距離が近すぎて絶対無理な人間だった。
「こんにちはー、雀さんが来ましたよぅ。綿入れ作ったので着てくださいよぅ」
「はーい。お饅頭作ってきました。あっ、勉強中でしたか、温かいうちに食べてくださーい」
「お話しやすいように御簾用意しましたー。これを挟めばお話できますかぁ?」
なんだかんだで雀はよく馬良の元にやってきた。騒がしくしたかと思えば、科挙の勉強中なら饅頭を置いたり、近づいたかと思えば距離を測ったり。
雀という娘は、騒がしいが有能だった。
饅頭は何度も貰ううちに馬良の好みの大きさ、味に変化していった。
綿入れは季節に合わせて体の大きさにぴったりのものが贈られた。
御簾は正直、便利で助かった。
「ふふふ、雀さんってば使えるでしょうー」
「自分で言うかな?」
御簾越しに話せるようになったのはどれくらい経った頃だろうか。顔が見えないのでずいぶん気楽に話せた。
「僕と結婚しても何にもないと思うけど? 正直、家は弟が継ぐよ。子どもができたら養子にされるだろうけど、君に恩恵はないからね。育てるのは姉さんになるかな?」
「養子ですかぁ。つまり雀さんは子育てしないでいい! 最高じゃないですかぁ!」
「そこ食いつくのか?」
馬良は呆れてしまう。大体、子どもが生まれる話をしているが、その前に作れるのかが疑問だ。想像し、少し赤くなる。
「麻美さんが育ててくれるならちゃんとやってくださるでしょう。私が育てるより安全安心。雀さんはさくさくと働く女性になりますとも」
強がっているようには思えない。
母が言っていたことを思い出す。もし雀が巳の一族であれば、子どもが後継者として育てられる。ならば、姉に渡して教育をさせたほうが適切だ。
馬良は弱い人間だ。誰かに逆らえるほど強くない。なので、誰が政略結婚の相手でも受けるしかない。
「馬良さん、少しは私役に立ちますぅ?」
「それなりに」
少しだけこの変な女に慣れてきた馬良がいた。
「灯りを消してもよいですか? 大丈夫ですよぅ、へまはいたしませんので」
新婚初夜に言う台詞としてはどうだろうか。灯り云々については初心に聞こえるが、そのあとはどう見ても立場が逆だ。
とはいえ、人間不信に近い馬良が初夜に失敗しないためと他所で練習することは不可能だ。しかも、お相手に完全に任せるという大変、男として不名誉な形を伴っている。
「くすぐったくないですか?」
「……くすぐったいに決まっているだろ?」
名前の通り、雀のような笑いをこぼす妻に、馬良は負けてばかりだ。
「すべすべでいいお肌してますねぇ。羨ましい限りですよぅ」
妙に雀の声がねっとりとしていた。
ただ、馬良は目を瞑るしかなかった。
子どもが生まれても雀は雀だった。
「本当に猿みたいですねぇ。というか、馬良さん似とか皆さん言いますけど、区別ついているんですかねぇ。ってか、産むの疲れますよぅ。次は馬良さんお願いします」
「いや、無理だって」
さすがに馬良でも御簾を挟まずとも話せるようになる。くしゃくしゃの顔の赤子を雀から渡される。
「自分の子には人見知りしないでくださいよぅ」
「失礼な」
とはいえ、ふにゃふにゃと骨のないような生き物を抱くのは難しい。不安になって雀に返そうとするが拒否された。
「もういりません。これ以上抱っこして変に顔を覚えられても困りますし」
「それが母親の言う言葉か?」
「ええ。最初からそういう話だったじゃないですかぁ」
ほどなくして雀が仕事をすると言って出て行った。
その頃にはもう馬良は雀が巳の一族だと確信していた。
巳の一族はそれぞれ誰が同じ一族かさえ知らないことも多いという。それぞれ仕える皇族に従い、序列が付けられる。より高い序列を得ることは巳の一族としての名誉であり、それは後継者にも当てはまる。
雀はいつしか後継者を選ぶことになる。子どもを遠ざけるのは、雀なりの親としての愛情なのだろうかと、馬良は思うことにした。
雀はいつも騒がしかった。静かなのは食べているときか、寝ているときだ。いや、寝ているときも、本当に寝ているのだろうか。
そんな雀が全身にさらしを巻かれ、寝台の上で横になっていた。
雀は西都へ帰る途中に、盗賊の男と戦闘になった。その際受けた負傷だと聞いた。
本来なら安静にして動かさない方が好ましいのだろうが、雀の仕事はそれを許さない。手術を終え、ぼろぼろの体のまま馬車に揺られて運ばれたのだろう。
本邸に帰ってきたのは会議中のことで、馬良は終わってから聞かされた。先ほどのことだ。
寝台の横には薬師の娘が座っている。猫猫だ。
『あっ』
なんというべきだろうか。まともに顔を合わせたことはほとんどない。大体、御簾越しに話しかけるばかりだったが。
「……雀さんは重傷ですので、無理をさせないようお願いします」
そういう本人も顔には擦り傷だらけ、ぼろぼろの顔をしている。
雀を生かすために必死で治療したのだろう。
「……」
馬良はただ頭を下げる。
雀は仕事のためにこんな姿になったとわかる。その仕事が何なのか馬良はわからない。ただ、何も出来ない。
なんとなく無事なほうの左手に触れた。指先が冷たい。
「……ん」
「⁉」
雀の瞼がゆっくり開いた。ずっと寝ていたのか腫れぼったく見える。
「あら、旦那様ではないですかぁ。死にそうな顔ですよぅ」
「おまえがいう台詞か?」
「ふふふ。ちょっと失敗しちゃいました。やっぱり、詰めが甘いのはよくありませんねぇ」
雀の声を聴いて安心する馬良。同時に、まだ声がか細いのが気になってしまう。
「聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「私、これから前ほど動けません。どうしましょう?」
『雀さん』ではなく『私』と言った。
「私はもう用済みでしょうか? 離縁したほうがいいですかねぇ?」
いきなりの話に馬良は愕然となる。
「どうすると言われても」
「右手、たぶん使えないんですよぅ」
右手が使えない。それは今後、色んな生活に支障が出てくる。
しかし――。
「雀は両利きだろう?」
馬良は知っている。器用にどっちの手でも箸が使える。右手でも左手でもどこからともなく旗や花や鳩が飛び出てくる。
「僕の十倍器用な人間が、片手になったら五倍器用になるだけだ」
「おや、うふふふ。それは、雀さん一本取られちゃいましたねぇ」
「笑うな、腹に響くだろう」
馬良は慌てる。
「ふひひ、失礼をば」
「なによりその口の多さは変わらない。それとも殴られでもして、覚えていた異国語は全部抜け落ちたか?」
「いえ、たぶん覚えていますねぇ」
雀は妙に楽しそうに言った。
「なら気にする必要はないだろう」
「そうですねぇ。では、とても役に立つ雀さんが一つ頼み事をしてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「お腹すきました」
雀の腹がぐううっと大きな音を立てる。
「おまえなあ」
こんなに砕けた口調になったのはいつくらいからだったろうか。
新しい妻を迎えるためにまた一から距離を詰めていくのは面倒だ。
そんな面倒は、一人だけでよかった。
〇●〇
馬良は雀が食事をとり終えるのを見届けてから帰って行った。何か手伝おうとしていたようだが、雀が左手でも器用に箸を使うので手持ち無沙汰に見えた。雀は心配させてももっと下手な箸使いにすればよかったと思ったが、空になった腹に飯を入れる方を優先したのだ。
食べたら寝る。療養の基本だが、訪問者が来たのであれば仕方ない。
雀はゆっくり目を開ける。腕が千切れても、腹をえぐられるように殴られても、勘はまだ衰えていないつもりだった。
薄闇の中には四十ほどの男がたっていた。魯侍郎、礼部の次官に当たる男だ。
「どうしたんですか? お見舞いとは珍しい、不甲斐ない弟子を叱咤しに来たのでしょうか?」
「気が抜けているのか。訛りが残っているぞ」
「おや、まあ。失礼いたしましたぁ」
雀は起き上がれない。肋骨が折れているらしくがちがちに固められている。食事の時も食べにくかったが我慢した。
「右手はもう使い物にならないでしょう。左手はいけますよぅ」
「半端な能力ならいらない」
「もう私に価値はありませんかぁ?」
雀は顔を歪める。馬良の五倍器用なだけでは半端なのか。
「師匠の後継者、また新しく決めますかぁ?」
「今から見つけて育てるとどれだけ時間がかかると思っている?」
「そうですねぇ。私ほどの逸材でも五年は必要ですからねぇ」
「元々、お前を肉弾戦で使えると思って育てたわけじゃない。おまえの通訳は何より主上が買ってくださっている」
「それはありがたいですねぇ。でも、前座の奇術が出来ないのでそれは困りますねぇ。小話でも覚えましょうかぁ?」
それこそ猫猫のように冗句を集めないといけないかもしれない。
「私は処分されません?」
「できないから困っている」
「申し訳ないですぅ」
「ならもっと優秀な後継者候補でも見つけろ」
「優秀な、ですかぁ?」
ふと、雀は小紅を思い出す。適性がありすぎる子だが、ひっぱってくるのは難しいだろう。
「まあその内に」
雀はにいっと笑う。
魯侍郎は雀を巳の一族に引っ張った人物だ。表向きは礼部の次官。本来なら、巳の一族はそこまで出世しない。目立たず動きやすい立ち位置にいる。だが、魯侍郎の兄が死んだことで家督を継ぐ羽目になった。
雀も魯侍郎について中央に行った。そこで麻美と知り合いになり、馬良と結婚した。その結婚に自由などない。魯侍郎の思惑、馬の一族の思惑、双方の合意が含まれている。
雀は自分の価値があるのなら、それもまた悪くなかった。馬良も悪い人ではなく、むしろ雀はいい旦那だと思っている。
本来なら、生まれた国とは別の国に仕えることを良しとはしないだろう。だが、雀は母以上に巳の一族としての才覚と適性を持っていた。自分の価値が上がれば、認められれば、序列という形で評価される。
母は巳の一族だった。
西の地を眺める主上の目として派遣された巳の一族でその美貌から玉鶯の妻になった。
「だがそれだけの女だ」
かつて忍び込んだ西都一のお屋敷で、魯侍郎こと師匠が言った。
「ただ可愛がられるだけのお飾りだ。目としては大した役割が与えられず、序列も低かった」
だから、功を急いだのだ。仕事と称して砂欧に向かった。だが、半端な能力の持ち主ほど、どうしようもない。失敗し砂欧に正体がばれそうになったところで都合よく船の難破事故が起きた。ほとぼりが冷めるまで他国に潜伏しようとした。
その際に生まれたのが雀だ。
雀の母は、その本性は詐欺師に近い。あくまで本気で男に対して妻として愛するのだ。だが、仕事として終わったから捨てた。
雀も雀の父も。
父の仕事の取引先の情報は、茘に戻るための手土産になったのだろう。
その時、母の脱出を手伝ったのが魯侍郎のそのまた師匠だった。
母は西都に戻ると、雀と父との記憶をなかったことにした。夫と三人の子どもと再会し、さらにもう一人子どもを産んだ。
ただ、その後玉鶯が戌の一族を滅ぼすことになったのは、おそらく母の能力不足だ。内側から蛇のようにじわじわからめとって身動きできなくする。母は巳の一族として半端すぎたのだ。
母自身それを知っていた。だから、後継者は優秀な者を選ぼうとした。
すでにいた三人の子どもは母と離れている間に、玉鶯に毒されてしまった。なのでもう一人、子どもを作ることにした。
虎狼、玉鶯の三男。
名前の通りに育った虎狼は、それこそ西都を思い通りに作り替えようと考える。
その中でやりやすいのは、破天荒な長兄を排斥し、扱いやすい次兄の補佐をやることだ。
長兄は将来当主の座に座らせるとどうなるのか。予想がつきづらい。だが、次兄なら安定が狙えるだろう。
もしくは、玉の一族とは別の誰かを西都に落ち着かせるためにはかったのかもしれない。
そんな考えが頭に浮かぶ。
だが、長兄は虎狼の秘密を知ってしまった。
「いやはや鴟梟さまも面白いですよねぇ。まさか、自分から巳の一族になりたいなどと言い出すなんて」
どう見ても諜報には向かない人種だ。
鴟梟と名乗りだしたのも、巳の一族になるための決意かもしれないが、雀にとって面白いくらいくだらない。名前などいくらでも立場が変われば、作っては捨てる。それが巳の一族なのに。
鴟梟に巳の一族であるとばれている以上、母の序列は低いままだ。
「雀さんの序列はどれくらい下がるのでしょうかねぇ」
「あの女より低くなることはあるまい」
「そうですねぇ」
雀は笑う。
母は雀のことを価値がないと判断した。その無価値の者が、常に自分の上に存在していたらどう思うだろうか。
雀にとってはもうどうでもいい。だが、父は何も知らずに死んでしまった。
だから、これくらい許されるはずだ。
父を、雀を忘れないように、雀は常に母よりも価値がある存在でなければならないのだ。
雀はそんな些細な復讐のために、茘という国に忠誠を誓っている。
「師匠、雀さんの仕事は変わりないでしょうか?」
「変わりないだろう」
「それは良かったです」
「ずいぶんとわかりづらい仕事だが、意味は分かっているのか?」
師匠は顔を曇らせる。
「ええ。私の第一の命は、『月の君を幸せにすること』です」
「意味わからん」
雀にもわからない。まだ誰かを探れ、消せならわかりやすいのに。
ただ、右手を失っても猫猫を守りきったことは正解だったと思っている。
「あー。猫猫さん。雀さんの忠告をちゃんと聞いてくれるといいんですけどねぇ」
師匠が不思議そうな顔で雀を見たが、知らないふりをした。