二十八、当主と後継者
『なんてことはない、後継者争いですよぅ』
猫猫は妙に引っ掛かった。
(なんてことはないね)
雀が言うほど単純には思えない。
(さてさてと)
猫猫が見えるところで色んな問題が解決したところで、西都に戻れるわけだが馬車の中が暇だ。一緒に乗っている小紅は眠っている。雀は御者台にいるので、ぼんやり外を眺めるくらいしか猫猫にはやることがない。
(考えをまとめておくか)
猫猫は役に立つかもわからない西都の四兄弟のことを思い出す。
玉鶯の長男、鴟梟。英才教育を受けていたが本人にやる気がなく今は鏢局をやっている。本人のやる気という面さえあれば、後継者争いなど起きず、何もかもうまくいくように思える。噂ほど悪い人間ではないが、同時に抜けているようにも感じた。
長女、名前は銀星だったか。小紅の母親、気が強そうな女だが、戌西州で生きる中では息苦しそうだ。一応、別れた護衛の小父さんたちに連絡を頼んだのだがどうだろうか。無駄足にさせてしまったし、渡した真珠の欠片はもったいなかったが、あとで慰謝料として鴟梟にでも請求すればいいだろうか。四兄弟の紅一点で遺産の分配についてかなり不服がありそうだ。
次男、飛龍。長男の反面教師かやたら真面目な男のようだ。数回会っただけでまともな話もしたことがないが、変な噂は聞かない。
最後に三男、虎狼。名前を憶えていたのは猫猫には珍しい。褒められてもいいくらいだ。ちょっと怪しい気はしていたが、今回こやつのきな臭さが浮き彫りになった。今、思うと玉鶯の死から大概の厄介ごとは三男が持ってきたのではと思えてくる。表向きには次男を支えるような雰囲気だった。なので、長男の命を狙った理由について説得力があるような気もする。
(でも雀は後継者争いといった)
確かに、長男次男の後継者争いであれば話は分かる。三男は次男側の人間として長男を落とそうとした。説明はつくのだが――。
(妙な含みを感じるんだよなあ)
猫猫は悩みつつ、名前を馬車の床に書く。
(四兄弟とも玉の名じゃない)
新しい楊さんの家では独自の名づけ規則があるように思える。
男は動物の名前、女は色の名前だろうか。わかりやすいし一般的といえばそうかもしれない。
(長男は自分から玉の名を捨てたのならわかる。でなきゃ鴟梟なんて名前は付けられない)
鴟梟、梟の別名だが『凶悪な者』を例えていうこともある。ある意味、長男は自分で悪役をやりたがっていたように見える。
その父、玉鶯が自分を武生と思い込んでいたとしたら、息子はその反対の道を進む。これまた反面教師だ。一方で、悪ぶっていてもその性格の素直さは、玉鶯よりもよほど武生に向いていると猫猫は思った。
(わざと私が追い回されるところで突入したんじゃないよな?)
まるで劇の終盤のような立ち振る舞いだった。
次男の名前、飛龍。これはよくある名前だ。息子が龍のように飛び、出世するように願う名。
だが、三男はどうだろうか。
虎狼、名前としては鴟梟と同じくあまり良い意味はない。欲深い、残忍などという意味が大きい。
(中央と戌西州では意味合いが違うのか?)
いや、羊や山羊を放牧する遊牧民の中で、狼はあまりいい意味は無かろう。
猫猫は窓から顔を出し、鼻歌を歌う雀を見る。
「雀さん、雀さん」
「猫猫さん、猫猫さん、なんでしょうか?」
よそ見をせず手綱を持ったままの雀。風があって少し聞き取りづらい。
「戌西州では、末っ子に嫌な名前を付ける風習とかあるんですか?」
「うーん、どうでしょうねぇ。早く死なないようにろくでもない名前を付けるという風習はなかったと思いますよぅ」
雀は見た目によらず博識だ。猫猫もちらっと聞いたことがある。可愛い子どもが天に気に入られて早死にしないように、わざと汚い名前を付けるというものだ。中には排泄物を名前に付けられることもあるらしい。
「どうしてそんなことを思うんですかぁ」
「いえ、虎狼という名前は悪役向きの名前だと思いまして」
「ああ、それですかぁ。末っ子で、もっとも当主に向いていないからと、奥方が付けたそうですよぅ」
(奥方が?)
そういえば猫猫は一度も見たことがない。玉鶯の葬儀の時もいたのかよく覚えていない。元々、西の女は奥ゆかしいというがあまりに奥ゆかしすぎないだろうか。
「奥方さまはどうなさっているんですか?」
「もう表に出ることはない人ですよぅ。以前、言ってましたよね? 船旅で数年、異国に滞在することになったと」
「なんか聞きましたね」
四兄弟の中で一人だけ年齢が離れているのはそのためだとか。
「その時、いろいろ壊れてしまったみたいで。虎狼さまを産んでからもう何もできなくなったようです」
「そうなんですね」
ふと猫猫はあらぬことを考えた。
(虎狼が玉鶯の子ではないとしたら?)
異国でできた子どもだとしたら、悪い意味の名前を付けるのも理由になる。
口にするかしまいか考えつつ、もうこの際だから聞いてしまえと猫猫は思った。
「もしかして、虎狼さまって玉鶯さまの子じゃないとか」
「っぷ!」
何がおかしかったのか、雀がいつにないほど大笑いを始めた。普段、にこにこしているが、腹を抱えて笑うところは初めて見た。なのに、手綱はしっかり持っていたので操縦技術は素晴らしい。
「ははは、失礼しました。そ、そんなことは絶対にありませんよぅ」
「どうしてそんなこと言えるんです?」
「奥方さまが戻ってきた一年後に生まれていますので、異国人の子を身ごもって帰ってきたとかありませんから。あっ、もちろん、屋敷内で内通したのなら別ですけどねぇ」
雀はよほど面白かったのか、また思い出し笑いをしていた。猫猫とは少し笑いのつぼがずれているらしく、どこがおもしろいのかわからなかった。
(なんだ、違うのか)
猫猫は窓を閉める。まだしばらく馬車に揺られる時間は長い。大人しく眠っていようと思った。
西都までは数日かかる。行きに比べて大所帯なので、途中町につかず野営をすることになった。元遊牧民が多いのか野営は手慣れたもので、簡易天幕に入れば居心地がいい。
取り仕切るのは鴟梟で、猫猫と小紅はもとより、雀もまた客人気分で見ているだけだった。
「おじさん、すごい」
小紅が目をきらきらさせている。温めた山羊の乳を飲む姿は、年相応の子どもだ。
(今回、一番の功労者は小紅かも)
なんだかんだで、これだけ話を聞く子どもがいていいものだろうか。言われたことをやる、大人だってできない者が多いのに、全部やってくれた。いっそ、中央に帰るときに持って帰って薬師として育てたら面白いのではと猫猫はよからぬことを考える。
「猫猫さん、何やら不穏なことを考えてませんかねぇ?」
「雀さん、何も考えていませんよ?」
猫猫はしらを切る。そこらの犬猫のように拾ってくるのは駄目らしい。
「それにしても手際がいいですね。野営なのにこんなに食事が美味しいとは思いませんでした」
少し焦げ目をつけた麺麭に火で炙った乾酪をのせる。びょんと伸びる乾酪の塩気が麺麭に合って美味い。汁物も具はほとんどないが、家畜の骨で出汁を取っているのか、食欲をそそる。
「雀さん的にはもう少し量を増やしてもらいたいですねぇ。ここ最近、まともな食事をとっておりませぬ」
雀は女鏢師になりきっていたときは普通の食事量だった。もし、普段通り食べていたら猫猫ももっと早く正体に気づいただろう。
「さすがに野営でお腹いっぱいは難しいでしょう?」
「でも、盗賊にもちゃんとごはんあげているんですよぅ。その分、雀さんにくれればいいのに」
「一応、罪人でもお腹は空きますし」
「ええ。どうせ縛り首になるんですから、一思いに片付けてしまったほうがいいですよぅ」
雀の言葉は、声の明るさに比べてきついものだ。
(確実に縛り首になるだろうな)
町を一つ制圧した上で、住人を殺害および奴隷化。さらに異国の要人誘拐も企てていたとなれば、言い訳の余地もない。
なので、下っ端どもは隣町ですぐに縛り首。首領の熊男他数人は西都に運んでいるのだが――。
「盗賊仕事を手伝わされた住人はどうなるんですかね?」
「うーん。無罪とは言い切れないでしょうね。情状酌量の余地はありますけど……」
(あの老師とやらは難しいだろうな)
住人があれだけ生き残ったのは老師のおかげだ。だが、その過程で同教か異教かで命の選別を行った。さらに、殺されぬよう追従する道を選んだ。
「老師はどうなりますか?」
「無罪ではありませんし、罰を受けて戻ってきたとしても居場所はないでしょうね。異教徒を見殺しにした彼に元の地位は与えられないですよぅ」
「そうですか」
なんともやるせない気持ちになる猫猫。仕方ないとはいえ、人間の心は割り切れるものではない。
「猫猫さんが気に病むことはありません。老師はたとえどんなことがあっても同教を守ったことに後悔をするような人ではないでしょう」
妙に知ったかぶっている雀。
「なにより今回のことは詰めが甘い鴟梟さんが原因みたいなものです。前の時、片目ではなく両目を潰しておけばよかったはずです。今も、西都の役人に罪人を引き渡さず、あの場でさくっと処分しておけばよかったんですけどねぇ」
「おじさんやさしい」
小紅がちょっと雀をにらんでいる。伯父の悪口を言われたと思ったらしい。
「とうしゅもいちばんおじさんが合うとおもう」
「おじさん推しますねえ」
猫猫は山羊の乳を飲む。
「ええ、おじさんは優しいし人の上に立つ人ですから、当主に向いているかもしれないですねぇ。でも、後継者にはむいてないんですよぅ」
「矛盾してません?」
「矛盾してません」
雀は名残惜しそうに指についた麺麭くずを舐めとると、山羊の乳を飲みほした。