二十四、酌 前編
「ちょっと熊熊。あんた薬師だって言ってたよね?」
炊事場の女たちをまとめている中年女が猫猫を呼び止めた。表情が曇っている。
「ちょっと来てくれないかい?」
「わかりました」
言われてやってきた場所は、町のはずれだった。干し草の上に無造作に寝そべっている男が一人。息も絶え絶えの様子だ。足はあらぬ方向に折れ、顔半分は殴られて腫れ口から血が出ている。どうやら歯が折れているらしい。他にも切り傷が多数ある。
年齢はまだ二十歳にも満たないだろう。少年といってもいい。
猫猫はとりあえず手を動かしつつ、状況を確認する。
「一体これはどういうことでしょうか?」
猫猫は折れた足を心臓より上に上げる。周りに煮炊き用の薪があったため拝借し、添え木にして折れた足を固定した。折れ方が綺麗なのでよかった。中で粉砕されていたら、骨の破片を切開で取らねばならなかった。
「独眼竜の可愛がりだよ」
「可愛がり」
つまり、行き過ぎた指導というところか。中年女の心配そうな目を見ると、やられた少年は元々住人なのだろう。
「食っちゃ寝に飽きたら、稽古と称して適当な奴を殴るのさ。まだ、この子はましなほうだけどね」
中年女はそっと視線を後ろに向ける。筵の下に人の手がはみでていた。死んでいる。
「稽古で死人を出すとか、常軌を逸してます」
「そいつは独眼竜に一太刀浴びせたんだと。別に大した傷じゃないんだけど、驚いて唇噛んだって理由で殴り殺された。こっちはそのとばっちりだ。死体を埋める場所なんてもうないって言うのに」
もう涼しい季節でよかった。夏場であれば、腐敗臭が集落まで漂ってきたかもしれない。
猫猫は少年の血だらけの口を開ける。折れた歯が残っていないか確認して、さらしをまとめた物を口に含ませる。圧迫して血を止めたいが、意識はあるだろうか。
「噛めますか?」
「……」
少年は軽く頷いた。
あとは止血剤だが貴重な蒲黄を全部使う羽目になった。
服を脱がせて胴体を見る。特に折れた場所はなかったのでよかった。これで、内臓に傷がついていたら命すら危ない。
「今ある物ではこれが限界です。あとは栄養価の高い食事と安静が必要ですけど」
「……無理だね」
中年女が諦めたように言う。
「使えない奴は異教徒と同じ部屋に入れられる。汁と芋の皮しかない飯しか出せない。栄養状態が悪いのか、よく皆腹を壊すからね」
猫猫はおそらく馬鈴薯の皮と芽が原因だろうと判断する。猫猫が皮を使う時は、芽を綺麗に取り除いていたが、それでも皮に毒性が残っていると思っていた。
(口にすべきか)
しかし、したところで食う物がなくなるだけだ。
「ありがとうよ。こいつは男衆に頼んで運んでもらうから、あんたは帰っていいよ」
「わかりました」
「あっ、その前に」
中年女はこっちへおいでと猫猫を呼ぶ。何かと思ったら、猫猫と小紅の着ていた服だった。返してもらえるとは思っていなかっただけに意外だ。
「ほつれていたところを直しておいたよ。他の奴らに見つかると分捕られるから、さっさと隠しておきな」
「ありがとうございます」
猫猫は頭を下げつつ、服を確認する。
(ほつれたところあったかな?)
森の中で逃げ回っているときに引っかけたのだろうかと見てみると、袖に縫われたあとがあった。
(⁉)
ほつれたところを直すだけでなく、鳥の形に刺繍が入っていた。袖の裏、よく探さないと見えない場所に、雀のこまやかな刺繍が施されていた。
飯炊き女たちは夕餉の洗い物をしたら終わりだ。洗い物にそんなに人はいらないので当番制でやる。猫猫と小紅は母子という設定なので一緒に配属されることが多い。月明りの下で二人は黙々と皿を洗う。
猫猫はあまり自分から話すほうではない。小紅も同じで、二人で並んでいてもいつも無言だ。だが、今日は猫猫から話しかけた。
「頼みがあるんだけど」
他に誰もいない中、それでも小さな声で。
「なに?」
聡い子どもは猫猫の意図を汲んでいるようだった。
翌日、猫猫は馬鈴薯を調理していた。
「新しい献立ってどんなものさ?」
盗賊どもはただでさえ少ない食糧に文句を言う。なので、文句を言われないように考えていたところに猫猫が手を挙げた。
「蒸した芋を切ります」
「皮ごとかい?」
「皮ごとです」
大鍋に油を入れて肉を炒める。そこに四等分に切った芋をいれ、酒と醤で味付けをする。贅沢だが照りをいれるため、蜂蜜も入れる。
『おおっ』
匂いからしてかなりのもので、酒がすすむ味をしているはずだ。
「これなら確かに食いつきそうだね」
一つ芋を摘まむ小母さん。
「ん……、あいつらに食わせるの勿体ないんだけど」
「だめだよ、小母さん。見つかったら殴り殺されるよ」
「わかっているよ。はあ、なんでまたいい物を食わせないといけないんだか」
猫猫とて自分で食べたいが、肉は管理されている。独眼竜と盗賊の手下以外は、肉はまともに食えず、切れ端を汁に浮かべるくらいだ。
「じゃあ、これ、もっとたくさん作りますね」
「頼むよ。追加で芋を蒸かさないとね」
「あっ、それなら」
小紅が籠を持ってくる。中には小ぶりの馬鈴薯がたくさん入っていた。
「蒸しやすいように小ぶりのものをたくさん使いましょう。蒸すのと切る手間が省けるので」
猫猫は蒸籠にぽんぽん馬鈴薯を入れる。どんどん料理を作っていかないと夕餉に間に合わない。
「ね、ねえ」
猫猫が追加で肉を炒めていると、小母さんの一人が話しかけてきた。
「あんたらが今日の夕餉、お酌だけど大丈夫かい?」
猫猫と小紅を見る。お酌は飯炊き係に平等にやってくる。年齢は関係ない。
「あの熊男、基本は寡婦と異教徒の女たちで満足しているけど、たまに酌している女たちにも手を出すんだよ。あんた……、旦那は存命なんだよね?」
もし、手をつけられたらという心配をしてもらっている。戒律的に姦淫に値する行為は禁忌なのだろう。
「気を付けます」
猫猫は肉を炒めつつ、小母さんの忠告を受け入れた。世の中、そうそう物好きは多くないと思うが、気を付けてという心配を受け入れても問題なかろう。
夕餉は教会の中に運ばれる。朝餉は各自好きな時に食べるが、夕餉は報告も兼ねて教会の中で、皆で食べるらしい。
猫猫は盗賊の人数を五十人くらいだと踏んでいた。でも、実際は三十人くらいだろうか。意外と少ない。
猫猫と小紅は独眼竜の横に座る。
献立は猫猫が作った芋と羊肉の煮っころがしに、乳酪と麺麭、それから羊肉と野菜の汁ものだ。汁物は山羊の乳を入れ、とろみをつけている。酒は馬乳酒で独特の匂いが漂っていた。
「さあ、食え」
独眼竜の声とともに部下たちが全員食べ出す。芋の煮っころがしは好評のようでどんどん食べている。
「おまえらも食え」
独眼竜は皿の上に、芋と麺麭と乳酪、そして汁物をぶっかけて渡す。家畜に飯を与えるようだ。
「いただきます」
猫猫は箸すら使うことができず手づかみで芋を食べる。その様子を独眼竜はまじまじと見る。食べ終わって平気そうなのを見ると、今度は酒を叩く。
猫猫は馬乳酒を注ぎ、飲もうとしたが――。
「おまえじゃない。こいつに飲ませろ」
独眼竜は、猫猫ではなく小紅に酒の杯を差し出した。