二十、逃亡
猫猫たちは森の中で逃げていた。途中、追いかける足音が聞こえ、その度に隠れる。数が少なければ、御者だった護衛二人が倒す。
だが、それがいつまで続くかわからない。
「いてえ」
若い方の護衛が腕を怪我していた。追手とやり合った際に斬りつけられた。
猫猫は持っていた血止めの生薬を塗って、さらしで巻き付ける。神経には異常はないが動きが鈍りそうだ。
なによりどれくらい追手がいるのか、逃げたところで終わりがあるのか。
(詰まったな)
猫猫のような素人が思うのだから、護衛の二人もよくわかっているはずだ。
「娘さんがた」
小父さんが神妙な面持ちで猫猫に話しかける。
「追手の数が多い。正直、これ以上は貰った金に見合わない仕事だ。まだしばらく逃げ回れるだろうが、森の外へと逃げない限り、あんたらを守ることは不可能だ」
「……」
もっともな話だ。
森の外に逃げたとしても馬はない。食糧も水もほとんどなく、元の町に戻るのは難しい。だからと言って、馬車に戻ることもできないし、何より次の町に入ることは無理だろう。
想定よりもさらに悪い状況のようだ。
「正直、このまま逃げ続けても無意味だろう。俺は、喧嘩が強くて鏢師になったわけじゃねえ。この通り、臆病さで生き残っているからな」
猫猫にもわかる。下手に勇猛果敢より、危機回避能力を持った人物のほうが護衛にふさわしい。
「……わかりました」
猫猫は息を吐く。
「一応、確認ですが、追加料金を払うと言っても、駄目でしょうか?」
どこからか馬を調達しさえすれば、猫猫たちを連れて脱出できるのではと一縷の望みをかけてみるが――。
護衛二人は顔を見合わせて、否定する。
「一番の安全策は近場の水場に集まる野生馬を捕まえることだ。俺たちはそれで乗れるが、あんたらは調教していない鞍もついていない馬に乗れるか? 俺たちは二人乗りして振り切れる自信がない」
「……」
こんなことなら乗馬を習っておけばよかったと猫猫は思った。
命あっての物種。
むしろ、この護衛二人はかなり良心的なほうだろう。
(裏切って追手に引き渡したりしない。または銭だけ奪って放置しない)
一応役目を果たそうとして、不可能と判断した挙句、猫猫たちに説明している。
「……あんたらはまだ若いし女だ。捕まっても生き残る可能性は高い」
「……」
(生き残る可能性は高いね)
何をされるかわからない。盗賊なんぞに捕まってまともな扱いを受けるかわからない。
だが、この護衛達が捕まったらまず殺されるだろう。
猫猫はこれ以上交渉は無理だと判断した。
「わかりました。ただ一つお願いがあります」
「……なんだ?」
身構えつつ小父さん護衛が聞き返す。
猫猫はさらしを取り出して切る。
「小紅、お母さんの名前は?」
「銀星」
猫猫は、動物にかけた名前ではないのだな、と思いつつ書いた。
「あと、これを借りるけどいい?」
「うん」
小紅の髪飾りを取る。
「この人にこの髪飾りを渡してください。とりあえずの報酬は」
猫猫は懐に何かないか探す。一応銭はいくらか持っているが、駄賃程度にしかならない。ならば――。
(たいへん、たいへん勿体ないけど)
猫猫は断腸の思いで、小さな巾着を取り出す。中にはいびつだが真珠がいくつか入っている。薬としていつか利用したかったが仕方ない。
「すまねえな」
護衛二人は猫猫たちを森に置いていく。小紅は猫猫にしがみつきつつ、悲しそうにその後ろ姿を見る。聡いだけに置いていかれたことはわかっているのだろう。
さて、問題は――。
猫猫は周りを見る。まだ人の気配はないが、そのうち追手もやってくるだろう。ならば――。
大きな木を探して地面を掘る。そして、落ち葉に隠れるように身を潜めた。
「……かくれるの?」
「今は隠れる」
「みつかるかも」
「見つかるね」
見つかるのは時間の問題だった。だが――。
しばらくして足音が聞こえる。粗雑にざくざくと踏み入る音。手にはそれぞれ武器を持っている。
(口封じに殺すか、それとも人質にするか)
猫猫にはどっちに転ぶかわからない。
ただ、人質にしてもどんな処遇になるかわからない。
「ちょっと我慢していて」
猫猫は小声で小紅にささやく。服の袖を丸め、小紅の口に突っ込んだ。
ざくざく、人が近づいて来る。
ちらりと横目で見る。
(あいつは違う)
猫猫が抱く小紅の心の臓が大きく響いて来る。同じように小紅も猫猫の心拍音を感じているだろう。もう涼しい、肌寒い季節なのに異常に熱っぽい。このまま湯気が出て居所がばれるのではと思うくらい。
(こいつも違う)
やってきては通り過ぎる。
盗賊たちの動きは杜撰だ。さっきまで護衛と共に逃げ回っていただけに、護衛がおらずこんな穴の中でうずくまっているとは思っていないのだろう。
(まだだ、まだ)
猫猫はひたすら待った。そして――。
手に曲刀を持った男が近づいて来る。髭と体毛が濃く、ぼさぼさの髪、汚れた外套を羽織っていた。五十代くらいだ。首から何かをぶら下げている。
(こいつだ)
他に見つかるかわからない。だから、どんな奴かわからないにしてもこいつにかけるしかない。
男が猫猫の前を通り過ぎそうになったとき、立ち上がった。
「お、おまえ」
「……」
猫猫は口をきゅっと結ぶ。
男は曲刀を猫猫の首に当てる。
(落ち着け、落ち着け)
猫猫は血がたらりと流れるのを気にする暇もなく、口を開ける。
『神よ、私たちを見ていますか?』
前に雀から聞いた異国の経文の一文節。舌を噛まぬよう、よどみないように言った。
猫猫はぎゅっと男を見る。睨むと言っていい。心拍数が上がり、足が震えそうになるがそれを見せるな。はったりを決めるには、いかに堂々とするかが焦点となる。
「……っだよ」
男の諦めたような声と共に、曲刀は下ろされた。
(……賭けは勝ったか?)
今すぐ腰が抜けそうになるがまだ虚勢を張らねばならない。
「異教徒ならさっさと処分できるのに」
(やばかった)
本当にやばかった。
猫猫は男の首に掲げられている首飾りを見る。革ひもに木片をぶら下げているだけの簡素なもの。それには、猫猫が暇つぶしに見ていた典と同じ紋様がつづられていた。
そして、街にある教会はその典と同じ宗教だった。