十九、森の中
猫猫たちは、予定通り次の町に向かった。盗賊が多いという理由はすぐわかった。比較的、緑が多い地域であり、木々が生えている。森の中を通るのなら、盗賊は待ち伏せしやすいだろう。
「草原と砂漠ばかりに見えますが、戌西州にも森林はあります」
窓の外を見せ、女性鏢師が説明する。猫猫に対してもだが、小紅が暇にならないための配慮に思えた。まだ十にもならない小さな子どもに馬車の移動はつらい。だが、女性鏢師は菰を重ねた上に敷布を置き、揺れを軽減しいつでも眠れるようにしていた。
「高地が近いからですか?」
「はい。高地で降った雨や雪が湧き水となって出てきます。それを水源として森が育ち、人が定住します」
「森林は、伐採したりしないのでしょうか?」
猫猫は疑問に思う。子北州では上質な木材が多かっただけに、伐採を禁じられたくらいだ。
「建築資材に使えるほどの木材はそうそう生えておりません。木の実などの採取用、もしくは防風林扱いが多いです」
「それでは普通の農村と変わらないじゃないですか」
猫猫は正直に口にする。小紅は話が難しいのか首を傾げるのか頷くのかよくわからない動きをしていた。
「交易路になるということは、利便性の他に何かあると思ったんですけど」
「それでしたら、こちらです」
女性鏢師は本を置く。使い古された典だ。
「次の町には教会があるんです」
なるほどと猫猫は納得した。
宗教云々は猫猫にはわからない。どちらかといえば、即物的であり見えないものは信じない猫猫だ。神や仙など実際にはいるわけがないと思っている。
しかし、だからと言って神を信じるなとまでは言わない。何かしらよりどころがないのであれば、支柱となるものが必要であり、時にそれが偶像であることもしばしばある。
事実、病の末期で死の淵にある妓女の何人かは、死の向こうに安らぎの国があると信じて息を引き取った。苦しい末路だったはずだが、いくらか安らいだ死に顔だったことを覚えている。
(迷惑をかけなければそれでいい)
それが猫猫の考えだが、時にその神を使って悪だくみをする者もいる。そして、だまされる者もいる。
薬と同じように、神もまた用法用量を間違うととんでもない。
それが、猫猫の宗教への見方だった。
道中、盗賊に襲われるか警戒していたが、無事に進むことができた。
「そろそろつきますね」
木々の向こうから屋根が見える。少なくとも三階以上ある建築物だ。
「あれが教会ですか?」
「はい」
女性鏢師は御者に何か話しかけている。すぐに馬車は停まった。
「まだ、ついてない?」
不思議そうに小紅が言った。町は見えてきたが、まだまだ距離がある。
「先に私が町の中を見てきます。お二方は馬車でお待ちください」
「大丈夫ですか?」
猫猫は不安そうに女性鏢師に聞く。
「馬車には御者の二人を置いていきます」
(そういう意味じゃないんだけどな)
その道の玄人なので、素人の猫猫が心配するほうが失礼なのかもしれない。
「問題がないようでしたら、私が戻ってきますからその間お待ちください」
「……いつまでも戻って来なかったらどうするのでしょうか?」
猫猫の問いかけに小紅は目を丸くして、女性鏢師を見る。
「助け出そうなんて浅はかな考えはやめて逃げてください」
女性鏢師は至極冷静に言ってのける。
(逃げろと言われてもな)
猫猫は体術に長けているわけじゃない。ただ、木陰に隠れて息をひそめるくらいしかできない。
御者兼護衛の二人に助けてもらうしかない。
(鏢師って割に合わないよな)
高い金を貰うが、その金に見合う命などない。護衛としては信用を売りにしているところが大きいので、一度引き受けたら命を張らねばならない。
猫猫は気持ちを落ち着かせるように買ってきてもらった生薬の袋を広げる。いくつかは使いやすいように小分けして布で包み、いつも通り懐に隠しておく。
小紅はここ数日、生薬を触っているときの猫猫が全く相手にしてくれないことを悟っていた。呆れたような目をすると、小石のおはじきで遊び始める。
とんとん、と幌馬車を叩く音がする。
「なんですか?」
「失礼します」
御者の一人だ。二人のうち、四十代くらいの無精ひげの男だ。柔和な印象で、娘がいるらしく小紅をよく気遣ってくれる。もう一人の御者は若く、反対に無口な印象だ。
「大したことではないんですけど、こういうの好きかなと思って」
そういって転がすのは松ぼっくりだ。
「まつぼっくり!」
小紅が目を輝かせる。
「海松子!」
猫猫も目を輝かせる。
「ここら辺に落ちてるんですか?」
食い気味に猫猫が聞くので、御者の小父さんは若干引いている。
「は、はい。大きな松の木がそこにあったので」
「取ってきてもいいですか?」
「ええっと、離れないなら」
「よし!」
猫猫は馬車から飛び降りる。小紅も猫猫に続く。
二人はひたすら松ぼっくりを拾いまくった。
四半時ほど経った頃だろうか。
猫猫の周りには松ぼっくりの残骸が小さな山になっていた。松ぼっくりに興味ないが、その中にある実には興味がある。
松の実、漢方でいえば海松子、松子仁など呼ばれる。油脂の多い栄養価の高い実だ。軽く炒るとほのかな甘みがあっておいしい。
(実が小さくとりにくいのが難点だけど)
生薬になるとあらば、猫猫はそれくらいの労力は大したことない。小紅が松ぼっくりを拾ってきて、猫猫がひたすら松ぼっくりの鱗片を剝ぐ。小紅は集めるのは楽しそうだが、集めたそばから猫猫が解体し始めるので少し不服な顔をする。形が良い大きな松ぼっくりだけ懐に入れているのを見た。
小父さん御者は猫猫たちの周りにいて、馬車にはもう一人の御者が飯を食っていた。
猫猫は集めた鱗片からさらに中の胚乳を取り出さねばと思っていると、小父さん御者に袖を引っ張られた。
「すみません」
小父さん御者の反対側には小紅が抱えられている。
「どうしました?」
「……」
御者の小父さんは無言で馬車をちらりと見る。馬車に誰か近づいて来る。三十代くらいの男だ。
「使いで呼んでくるように言われてきたが」
「そうか。わかった」
もう一人の御者の男は御者台から降りた。
何の変哲もない動きに見えたが、その瞬間、御者は呼びに来た男に斬りかかった。喉を見事に掻っ切る。
「⁉」
猫猫は何が起こったのか一瞬わからなかった。隣の小父さんは小紅の目と口を塞いでいる。
「森の奥へ」
小父さんは小紅を横抱きにして走る。
(そっか)
女性鏢師は言った。
『問題がないようでしたら、私が戻ってきますからその間お待ちください』
女性鏢師ではなく使いだという者が来た。つまり問題があったということだ。
猫猫は嫌な汗をかきながら、小父さんについていくしかなかった。