十六、理人国
しばし時間はさかのぼる。
「月の君に面会を求める者がおります」
壬氏の執務室にやってきたのは諸悪の根源、ではなく陸孫だ。玉鶯の次男である飛龍も一緒にいる。
「月の君におかれましては、ご機嫌麗しゅう、恐悦至極にございます」
なんだろう、この慇懃を通り越しているような感覚は、と壬氏は思う。以前は少し気になる程度の者だったが、最近は気に障る者に変わりつつある。そして、そのことを陸孫自身も自覚しているのではないかと考える。
しかし、なまじまともに仕事ができる人間であるため、雑に扱うつもりはない。個人の感情で人事を行ったところで壬氏の仕事が増えるだけだ。
「何の用だ? いつもなら書簡で済ませることが多かろう」
壬氏は陸孫に聞いた。
「これは、口頭で言ったほうがよろしいかと思いまして」
陸孫はちらっと周りを見る。
「少し席を外せ」
壬氏は執務室にいた護衛と文官に言った。部屋には他に帳に隠れた馬良と馬閃がいるので問題なかろう。
「長話になるようなら座って話すがよい」
「お心遣い感謝いたします」
陸孫は遠慮せずに長椅子に座った。飛龍は躊躇いつつも、陸孫も座るように促したので同じように座る。
陸孫は変人軍師の副官だったが、元上司を思わせる図々しさを壬氏は感じた。
隣にいた馬閃が少し顔をしかめたが、特に文句を言ったりしない。護衛としてまだまだだが、昔に比べるとだいぶ成長したほうだろう。
「月の君に会いたいという異国の者がいます」
「誰だ?」
壬氏は単刀直入に聞く。
本来なら陸孫より壬氏のほうに早く話が行きそうなものだ。異国の者の流入経路は限られている。海路もしくは宿場町に残っている者であれば、大海を通じて話が来るはずだ。
「理人国の者です」
「理人国?」
壬氏は頭の中の地図を引っ張り出す。北亜連の東側に属する国だ。東側と言っても広大な北亜連に接している国の中では東側というだけで、位置としては戌西州の北側にある。
北亜連はいくつかの国が集まったものであるが、基本は大きな一つの国とそれに属する複数の小さな国である。
理人国は茘に接しているが、北亜連の防壁という形で存在しているので、下手に茘に喧嘩を吹っ掛けようものなら国力以上に消費する。だが、領土を拡大したい同盟国がいるため、たびたび兵力を増強せねばならない。
貧乏籤を引いた国という印象で壬氏としては同情したいが、同時に友好国とも言い難い。ただ、完全に国交はないわけではなく、砂欧を通じて理人国の工芸品を輸入することもあれば、たまに外交として特使を送られることがある。
「どういう伝手で話が来たのだ?」
壬氏は単刀直入に聞いた。ここ最近の陸孫の態度を見ると、婉曲に聞くよりも手っ取り早いと判断している。
「それは私のほうから説明をしてもよろしいでしょうか?」
口を開いたのは、飛龍だ。玉鶯の息子だが、線が細くあまり似ていない。
「許す」
飛龍は深々と頭を下げる。
「理人国の特使は、叔父。祖父の玉袁の二番目の息子からの紹介で話が来ました」
飛龍はよくわかっている。自分の叔父が複数いる上で、名前を呼ばず二番目の息子と言った。壬氏も一応名前を把握しているが、その呼び方のほうが一番わかりやすい。
「たしか陸運を商っていたな」
「はい。次男が陸、三男が海です」
大海と違い、次男はあまり接触がない。飛龍を経て話を聞いてもおかしくはない。
「その理人国の者が私に何の用があるという?」
「そのことについては、直接お会いして話したいそうです」
飛龍は申し訳なさそうに言っているのに対して、陸孫はにこにこしている。どう壬氏が対応するか楽しんでいるように見えた。不敬罪でしょっ引こうか考えてしまう。
「私でないと駄目なのか?」
「西都の最高責任者を出したほうがよろしいと判断しました」
陸孫はさらっと言ってのける。壬氏は今後、何かしら言いがかりをつけて陸孫を罰しようと心に誓う。
「私でなくとも、おまえらが行ったらどうだ? 陸孫、西方の知識は私よりも豊富であろう」
壬氏は、やりたくないからまかせるを婉曲に伝える。
「私では分不相応かと思われます」
笑顔を崩さずに言う陸孫。
「分不相応か? 他国の使者に大物がいると言いたいか?」
「ええ。おそらくですが」
陸孫はにっこり笑いながら答える。
壬氏は表情を変えず、目を瞑る。帳の後ろから、かつかつと卓を叩く音がした。馬良の合図だ。二回叩くと『是』、三回叩くと『否』。二回叩いたということは、陸孫の言葉に信憑性があることを示している。
「なぜそう思う?」
「理人国の昨今の状況を考えると、いくつか怪しい点がございます。おそらく月の君もご存知のことですのであえて私から言うことではありません」
また、馬良は二回卓を叩いた。
壬氏は仕方ないと腹をくくる。
「わかった。時間を作ろう」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げて、陸孫と飛龍は退室する。
二人の足音すら聞こえなくなったところで、壬氏は息を吐く。
「月の君、あの二人の話を聞き入れるのですか?」
馬閃は怪訝な表情をしている。
「聞き入れるも何もそうせざるを得ないのならするのが役目だ。あと馬良」
「はい、月の君」
帳の奥から声が響く。
「理人国は今どうなっている? 何を求めて話がしたいか予想がつくか?」
「二つ、心当たりがあります」
馬良はぺらぺらと紙をめくる音を響かせる。
「一つ目は、砂欧と同様、食糧危機でしょうか。理人国は茘より北に位置します。食糧難という面では、茘よりも深い痛手を負っていると想像できます」
壬氏にも想像できることだ。ただ、友好国でもないのに食糧を提供して欲しいなどと都合がいいことをいうだろうか。
「もう一つは?」
「二つ目は、後継者争いですね。理人国の王は数年前から病を患っていると言う話です。直系の男子は四人で、確か長子は正室の子ではなかったはずです。次男が東宮ですが、この情報も新しくないもので今はどうかわかりません」
「後継者争いに茘が関与すると?」
「本来ならその可能性は限りなく低いのですが……」
馬良はどこか言いにくそうな様子だ。
「何か気がかりなことでもあるのか?」
「はい。先日、医者を借りたいという話が虎狼殿から来たのを覚えていますか?」
壬氏も覚えている。出かけたいというので許可を出した。
虎狼は使いに出ていない。
「猫猫を派遣した話だな。まだ幼い娘の診察だったと聞いている」
「はい。その娘の特徴が、さっき言っていた理人国の四男によく似ていました」
「……報告にはなかったぞ」
壬氏は冷たい視線を向ける。
「妻、雀と判断し、月の君に報告しないほうがいいと結論を出しました」
「兄上、なぜそんなことを勝手に?」
「馬閃、静かにしていろ」
壬氏は声が大きくなりそうな馬閃を止める。
「月の君の立場で、他国の第四王子が自国にいるという認識があると、今後不具合が生じるからです」
他国の王子が自国で隠れて何をしているのか。
「知っているのと、知らないのと、知らないふりをしているのでは大きく違います」
「いま、知ってしまったが?」
「ここまで聞かれたら、知らないよりも知らないふりをしてもらったほうがいいと思ったからです」
馬良ははっきり答える。
もし理人国の使者の目的が第四王子であれば、素直に引き渡したいところだ。それが茘にとって無難な対応に違いない。だが、第四王子を茘が亡命させよう、もしくは第四王子の後見として東宮にしようなどと思われたら厄介だ。
だから、何も知らないことにしたのだろう。
そうなると一つ問題がある。
「では仮に第四王子として、茘で接した人物が手引きした人間だと疑われる可能性があるか」
「……はい」
「第四王子を看た医官手伝いはどうなる?」
「偶然であれば誤魔化しようがあります」
「誤魔化しようはあるか」
「ええ。変ないちゃもんをつけられなければ」
「いちゃもん……」
生憎、外交とはいちゃもんのつけ合いも出てくる。互いに足を引っ張り合い、より自分に有利な条件を引っ張りだすかが問題だ。
そして、王族も関われば、戦にすら発展する可能性がある。
「虎狼はどうしてそんな人物の容態を診ろと言ってきたのか?」
「さあ、ですが伝手などいくらでも作れますから」
お手上げと馬良も声に表れている。
「……月の君」
「何だ、馬閃?」
ずっと黙っていた男が口を開いた。
「いえ、一度話に聞いたのですが……」
「何の話だ?」
「虎狼殿は、長兄と仲が良く異国人の話も鴟梟殿から紹介して欲しいと言われたのだと」
「……」
鴟梟、玉鶯の四兄弟の中で鼻つまみ者にされている長子。
無頼漢だとよく言われている。
もし、理人国の第四王子を引き入れたのが鴟梟であるとすれば、どう対応していいのか難しい。
「月の君。しばし鴟梟殿とは距離をとったほうがいいかと思います」
「ああ。わかっている」
幸か不幸か、今のところ長子と面と向かって会ったのは、玉鶯の遺産問題に駆り出された時くらいだ。
「まだ他の者なら換えがききます。ですが、月の君が関わっているとなれば、戌西州だけでなく茘が理人国に対して喧嘩を売っていることになります」
さすがにそれは避けたいところだ。
触らぬ神に祟りなし、壬氏は深く息を吐く。