29 蜂蜜その壱
お茶会というのも、立派な妃の仕事である。
玉葉妃もまた、毎日のようにおこなう。翡翠宮でおこなうものもあれば、よその妃に呼ばれることもある。
(大切な大切な探り合い)
猫猫としては、お茶会というものがあまり好きではない。
話すのは流行の服や化粧といったもの。
たわいもない会話の中に探り合いを入れる、まさに後宮の縮図がそこに広がっている。
(穏やかそうに見えて、やはり妃である)
玉葉妃と話すのは、西の中級妃である。
くわしいことはわからないが玉葉妃の実家とは、今後どんな関係になるか重要なところらしい。
朗らかな玉葉妃のしゃべりに多くの他の妃たちは、ふとしたことでこぼすことが多い。
それを文にしたためるのが、玉葉妃の仕事の一つである。
(昨夜はずいぶん遅かったのに、眠くはないのだろうか)
寵妃たる玉葉のもとに、皇帝は三日とあけず通い詰める。つかまり立ちをはじめた娘に会うためであるが、まあ、訪問の理由はそれだけではないのも言うまでもない。
昼の仕事もおろそかにしないところから、いろいろ元気なことはうかがえる。
茶会が終わると、桜花から大量の茶菓子をもらう。食べないわけではないが、量が多すぎるのでいつもどおり小蘭のもとに向かった。
ときに舌足らずなおしゃべりをする小蘭は、いつもどおり仕入れた噂を話してくれる。
自殺した下女のこと、毒殺事件との関連、そしてなぜだか淑妃について。
「まあ、四夫人といっても年齢が年齢だけにね」
玉葉妃は十九、梨花妃は二十三、里樹妃は十四。
淑妃こと阿多妃は三十五、皇帝のひとつ上である。
子を産むのはまだ可能であるが、後宮という制度上、阿多妃はお褥すべりをせざるをえない。
つまり、今後、国母になることは不可能である。
位を下げ、新しい上級妃を輿入れするという話が持ち上がっているらしい。
随分前から上がっている話らしいが、皇帝の東宮時代からの妃であり、一度は男児の母になったことがあることから、なかなか踏み切れないそうだ。
(死んだ前の男児の母親か)
このまま梨花妃も、皇帝の子を孕まねば同じようになるのだろうか。
それだけでない、玉葉妃もいつまでも寵愛を受け続けると断言できない。
美しい花もいつかは萎れるものだから。
後宮の花は、実を結ばねば意味がない。
慣れてきたとはいえ、やはり後宮は濁った澱の底にあるのだと思う。
猫猫は、食べこぼした月餅の欠片を払うと、空を覆う重い雲を見た。
今日の茶会の相手は少々、毛色が変わっていた。
相手は里樹妃、同じ四夫人である。
同じ階級の妃同士茶会をするのは珍しく、とくに上級妃であればなおのことだ。
幼い顔立ちの里樹妃は、緊張した面持ちで、侍女を四人連れてやってきた。
あの毒見役もいる。
猫猫が心配するほど罰は受けていないらしい。
外は寒いので、中で茶会を行う。
宦官を使い、応接間に侍女用にと長椅子を用意させる。
円卓は螺鈿のはいったものである。帳は刺繍入りの新しいものに取り換える。
正直、皇帝が訪れるときにもこんなに気を使うことはないのだが、やはり同性であれば身構えてしまうのは女だからだろうか。
化粧も気合が入り、猫猫もいつものそばかす化粧をはがされてしまった。威嚇するように、眼尻に赤い線を入れられる。
年の功か常に玉葉妃が話しており、里樹妃はおずおずとうなずくばかりだ。
後ろに控える侍女たちは、自分の主のことよりも、翡翠宮の調度のことが気になるらしく、ちらりちらりと部屋中に視線を回している。
毒見係だけは、猫猫に対するように妃の後ろに立っており、以前、脅してきた猫猫をうかがうように見ている。
(なんだかなあ)
水晶宮の侍女たちといい、ひとを化け物扱いするのはやめていただきたい。
(一見すればごく普通の侍女たちだ)
猫猫は、以前、妃がいじめられていると高順に報告した。間違っていれば少々困るが、幸いなことである。
猫猫をのぞく少数精鋭の翡翠宮の侍女たちに比べれば、動きは鈍いように思えるが、仕事はやってくれている。まあ、今日の茶会の主人は玉葉妃なので、仕事自体すくないこともある。
愛藍が陶器の壺と湯を持ってくる。
「甘いものは嫌いじゃないかしら?今日も寒いから、こういうのはどうかと思って」
「甘いものは好きです」
玉葉妃の言葉に、里樹妃は答える。
壺の中身は、柑橘の皮をはちみつで煮たものだ。身体があたたまり、喉も潤う。
(おや?)
甘いものが好きだといったばかりなのに、里樹妃の顔色が変わる。
毒見もなんだか言いたげに茶碗に注がれるはちみつを見る。
(はちみつも駄目なのか?)
後ろに控える侍女たちは、なにも言おうとしない。
ただ、呆れた顔をして里樹妃を見ている。好き嫌いはやめろと言わんばかりだ。
猫猫は小さく息を吐き、玉葉妃に耳打ちをする。
玉葉妃は、あららと目を見開き、愛藍を呼んだ。
「ごめんなさい。これ、もう少し漬け込んだほうがいいみたい。違うものだすわ。生姜湯は飲めるかしら」
「はい。大丈夫です」
なんだか声色に元気が戻ってきたようで、茶を変更して正解だったらしい。
そして、猫猫の予測も残念ながら正解だったらしい。
ほんの一瞬であるが、つまらなさそうにこちらを見る侍女と目があった。
夕刻、現れたのはいつもどおり麗しき宦官である。天女の笑みの背後には、高順が付いている。最近、眉間にしわが増えているように思えるが、なにか気苦労でも増えたのだろうか。
「里樹妃と茶会をなさったようですね」
「ええ。楽しいひとときでした」
後宮を統べる立場にいるのか、この宦官は他の四夫人のもとを定期的に回っているらしい。
今日の茶会の組み合わせは、なんだか変だと思ったら、こやつが絡んでいたらしい。
面倒なことにならぬ前に、猫猫は退室しようとするが、いうまでもなく止められる。
「はなしていただけませんか?」
「話は終わってないんだが」
天女の眼差しをこちらに向けたところで、猫猫としては床に視線を落とすことしかできない。死んだ魚のような目をしているに違いない。
「うふふ、ずいぶん仲良しさんね」
「玉葉さま、眼精疲労には目の周りを指圧するといいですよ」
あまりに楽しそうに玉葉妃が笑うものだから、つい皮肉を返してしまった。
いけない、いけない。
失礼なことをいうなら、壬氏までにとどめておかないと。
「先日の毒殺騒ぎ、犯人は自殺した下女だというのは聞いたか」
こくりとうなづく。口調から、玉葉妃ではなく猫猫に話しかけている。
玉葉妃はなにかを察したらしく、自分から部屋を出る。
部屋に残るのは、猫猫と壬氏、そして高順だけだった。
「犯人は本当に自殺したのだろうか?」
「それを決めるのは、私ではありません」
虚を実にできるのは、権力者の力である。
判断を下したのは誰かわからないが、少なからず壬氏は関わっているはずだ。
「たかだか下女ごときが、徳妃の皿に毒を盛る理由はあるだろうか?」
「私にはわかりません」
壬氏は笑う。蠱惑的な笑みを使い、ひとをうまく利用する。
残念ながら猫猫にはきかない。そんなことをしなくても、命令すれば断らないことはわかっているはずなのに。
「明日から、柘榴宮に手伝いに行ってもらえないか?」
疑問符をつけたところでなにになる。
猫猫には「御意」というほか、答えはない。