十 異国姫 後編
手を触れることなく患者の容体を診ろとの無茶ぶりに猫猫はどうしようかと考える。
「ではどこまでならよろしいですか?」
「?」
異国のお嬢さまは猫猫の言葉を理解できなかったのか首を傾げている。お付の中年女性が耳打ちしている。
「お嬢さまは二尺ほど距離をとっていただけたら診てもよいと言っております」
(二尺ってあーた)
まともに診ることはできない。
「では着衣はどこまで脱いでもらえるでしょうか?」
たぶん無理だろうが聞くだけ聞いてみた。
「下着着用のままなら、殿方に席を外していただければ問題ないそうです」
(えっ?)
そこはすんなりいけるのかと呆気にとられる。
しかし、言語が上手く通じない相手だと色々問診が難しい。
(頭がずきずきなのか、がんがんなのか、きーんなのか)
絶対質問しても相手に通じない自信がある。
仕方ないので猫猫はお付の女性を介して色々聞くことにした。
「では容体を改めてお伺いします」
猫猫の隣には筆記用具を持った雀ができる女の空気を醸し出しながら、記帳を取る準備をしていた。
「いつ頃から痛みを感じましたか?」
「十日ほど前からです。以前から体調が悪かったようですが、ここ数か月の生活による無理だったと失念しておりました」
中年女性はひどく申し訳なさそうに報告する。
「どのような痛みですか?」
「鈍い痛みがあるようです。たまにとても痛いのかうずくまることもあります」
うずくまるほど痛みが強いなら問題ではないだろうか。
しかし何か引っかかる猫猫。
「ここ数か月、運動不足などはありませんか?」
「いえ……。運動に関しては、過剰なほど」
ちょっと呆れたようにお嬢さまを見る。今は大人しく寝台にいるが、普段はかなりお転婆のようだ。
「食欲はどうですか?」
「食欲ですか? 実は二月ほど前から食べる量が減っていて、これも慣れない環境によるものだと思っておりました」
「では、頭痛とともに極端に食事量が減りましたか?」
「はい」
(あー、なるほどねえ)
触られたくない、近づいて診られたくない、でも服を脱ぐのは大丈夫と。その理由が分かった気がする。
ただ断言するには、まだ弱い。
「雀さん」
「はいはい、何でしょう猫猫さん」
「これを準備していただけますか?」
猫猫はさらさらと筆記用具で必要な物を書き留める。
「かしこまりました」
ぺこりと頭を下げて雀は部屋を出る。
「薬を準備しますのでしばらくお待ちください」
「あの、あれだけでわかったのでしょうか?」
問診だけで触診も服を脱いでもらってもいない。当てずっぽうで言っているのではと、お付の女は半信半疑に猫猫を見ている。
「薬が効くか効かないかによっても、症状の判断ができます。それとも、投薬も許されていないのでしょうか?」
「いえ。そんなことはありません」
「お嬢さまに合わない食品はありますか?」
「特に問題はないかと。薬も、極端に苦くなければ大丈夫だと思います」
ならば問題ないなと思っていると、雀がすたっと帰ってきた。
「お持ちしました」
雀は涼し気な玻璃の器を持ってきた。柑橘の香りと甘い蜂蜜の匂い、器には結露がついている。
猫猫は器の飲み物をもう一つ別の器に入れて飲んでみる。
「念のため、毒見を」
「私も良いですか?」
お付の女性にも移し替えて渡す。
「これが薬ですか? ずいぶん美味しいですね?」
「はい、これをお嬢さまに一気に飲んでいただきたいのですけど」
「わかりました」
お付の女性は玻璃の器をお嬢さまへと持っていく。お嬢さまは目をぱちぱちさせながら、躊躇いつつ飲んだ。
「……どうしました? 一気に飲んでください」
お嬢さまの動きが止まっている。顔がものすごく歪んでいた。
お付の女性はお嬢さまに何やら言っているが声が小さくて聞こえない。
でも猫猫はこれで何かわかった。
「私は触れることも近づくこともできませんが、お付のかたでしたら大丈夫ですよね? お嬢さまの口の中、おそらく奥歯かと思います。確認してください」
お付の女性はお嬢さまの口の中を確認しようとしたが、お嬢さまは頑なに口を開かない。
「頬をつつくのはありですか?」
お嬢さまの頬を指で突くお付の女性。なんだかほほえましいのと、都にいる姚燕燕の主従二人を思い出した。
左頬を突いた時、お嬢さまが跳ねた。
(やっぱり)
「お嬢さまの頭痛の原因は、むし歯です」
猫猫はここで断言する。
数か月前から小さな不調。そして、十日前から容体が悪くなる。
小さなむし歯を放置した結果、むし歯が大きくなったのだろう。最初はしみる程度で、多少食欲が落ちた。むし歯を庇うせいで、噛むのはむし歯がない右側に偏る。結果、肩や首に負担がかかり頭痛を引き起こす。
お嬢さまは、むし歯を隠したいが体調不良までは隠せなかった。結果、頭痛だけを伝えて、なおかつむし歯の治療をしたくないために無理難題を言ったということだろう。
お付女性がなにやら言いたげにお嬢さまを見ている。たぶん母国語でまくし立てたいところだが、猫猫たちがいるので遠慮しているのだろう。
お付女性とお嬢さまは到底品がいいと言えない取っ組み合いをしている。確かにお転婆だなあと猫猫は遠巻きに見る。
「もしよろしければ、触れて口の中を診てもよろしいでしょうか?」
「ぜ、ぜひよろしくお願いします」
髪の毛を引っ張られつつお嬢さまに抵抗するお付女性。最初の印象とまるで違う。
お嬢さまもようやく諦めたのか口を開く。
「うわあっ、黒くなってますね。これは痛い」
水がしみるどころではないだろう。
「治療はできますか?」
「治療より抜いたほうが早いです。乳歯ですので」
「よろしくお願いします」
お嬢さまは、最初に発した二言以外茘語は話せないようなので、猫猫とお付の女性のやりとりをいまいちわかっていない。だが自分が危険にさらされているのはわかる。暴れる中とうとう外にいた護衛までやってきてお嬢さまを取り押さえに来た。
(どんだけお転婆なんだよ)
護衛の一人は顔を蹴られて青あざができている。それにしても、異国では護衛とは言え異性に触れることを許されるのかと思った。
(こんだけ暴れられたら仕方ないのか)
あまりに激しいので李白まで手伝いに入ろうか迷ったくらいだ。
猫猫はお嬢さまの口に指を突っ込む。指がかみ千切られないように、しっかり固定する。
「あー、揺れてますね。すぐ取れますよ」
「麻酔はどうしますか? 猫猫さん?」
「麻酔はしてもしなくても変わりないですね。一瞬なので頑張ってもらいましょう」
大人数人がかりで取り押さえないといけないほど元気なら、問題ないだろう。
さすがに猫猫も抜歯用の鉗子は持っていないので、用意してもらう。
「じゃあ、それなりに痛いですけど頑張ってください」
先ほどまでの深窓のお嬢さまの扱いから、一変している。特にお付の女性はむし歯を黙っていたことにかんかんになっており、何がなんでも治療してやるという顔になっていた。
お嬢さまは羽交い絞めにされ、口を固定され、叫びたくても叫べない状況だ。
(うん、ごめんね)
猫猫はむし歯を掴むと、ぐいっ、ぐいっと鉗子をひねった。お嬢さまもぐいっ、ぐいっと反応したが、意外なほど呆気なくとれたことに驚いていた。
「はい、お薬塗りますね」
軽く血止めの薬を塗って、重ねたさらしを噛ませる。
「血が止まったら捨ててください。止まらないならまた違うのを噛んで止まるまで待ってください」
あと必要ないと思うが痛み止めの薬も渡しておく。
お付の女性と護衛はもうぼろぼろの姿で、お嬢さまだけは穴が開いた乳歯を眺めている。
猫猫は薬と注意事項を書いた紙を置くと、帰ることにした。
「いやあ、さすがですね」
虎狼がまさに揉み手をする。
「女性の医師を探してくれと言われた時、どうしようかと思いました」
「西都では難しいでしょうね」
今思うと、女性医師を指定したのは、お嬢さまだろう。むし歯を知られたくないために、西都にいないだろう女性医師を指名したのだ。
(餓鬼って面倒くさい)
猫猫はとりあえず仕事を終えたので医務室に帰る。
「じゃあ、私たちはここで」
馬良入りの籠を背負った雀が去っていく。
「あの人なんで来たんだろ?」
ふと李白が言った。
「私もわからないので聞かないでください」
猫猫は籠の中は狭くないのか気になりつつも、仕事に戻ることにした。
〇●〇
「年のころ、十二、三。白金の髪に青い目」
「どうです? 心あたりあります?」
雀は籠の中の旦那様に聞いた。
「……一つだけある。ただ」
「ただ?」
「その人物は男だ」
「ほうほう」
雀は先ほどのむし歯のお嬢さまを思い出す。あの年ごろの子どもならまだ性別を隠すこともできよう。
「では男だとして、誰ですか?」
「北亜連の東側に属する国、理人国だ。王族の四男が確か年齢も容姿も一致する。お嬢さまが暴れていたときに、とっさにでた言葉がその国で使われる悪態だった」
北亜連は、茘ではひとまとめにされることが多いが、実際はいくつかの国の総称だ。
雀の旦那さまは、周りからどうしようもない貧弱野郎と思われがちだが、決して無能ではない。月の君が見るべき書類は全て目を通し、月の君では把握できていない分まで補うのが馬良という男の仕事だ。
「そんな尊い血筋の人がなぜ国に戻らずに、西都に滞在しているのかぞわぞわしますねぇ」
「本物ではないことを祈る。胃が痛い」
もう喋るなと言わんばかりに籠から音がしなくなったので、雀は黙って部屋に戻る。胃に優しい夕餉を用意しなければならない。