九 異国娘 前編
それから数日、結局玉鶯の遺産問題は、平行線をたどっているようだ。もちろん、よそ様の相続について猫猫は首を突っ込む理由はないし、何事もなく自分の仕事をするだけだ。もちろん、当人たちもそれぞれ仕事がある。そして、その仕事に猫猫も関わることがあった。
「女性に診てもらいたい患者がいるのですが」
虎狼が、猫猫たちの元にやってきたのは数日後のことだった。
「女性の患者ですか?」
「はい。良家のお嬢さんです。申し訳ありませんが、西都には女性の医師もしくはそれに準ずる者が極端に少ないものでして」
猫猫は、育ちの割に腰が低い青年を見る。確かに女が医療に携わるとすれば、せいぜい薬師か産婆くらいだろう。猫猫自身、中央でも女の医者は見たことがない。
「症状はどうなのですか?」
「頭痛が治らないのです。一般的な治療法は一通り試しましたが、治ることもなく。ならば、ちゃんとした医者に来てもらおうという話です」
猫猫は何だろうかと、想像した。頭痛の原因などいくらでもある。実際診なければわからないし、診てもわからない場合もある。
「では、月の君の許可を貰って往診に伺えばよろしいでしょうか?」
「はい、助かります」
虎狼は待っていましたという顔をする。
猫猫は医務室から出ていく虎狼を見る。
「どうした嬢ちゃん?」
李白が同じく窓をのぞき込む。
「いえ、玉鶯さまの三男についてどう思いますか?」
「ふーん、それはどういう意味だい?」
「いやなんか引っかかるというか」
ちょっと気になるところがあった。
「嬢ちゃんが引っかかるねえ? 俺はてっきり嬢ちゃんと似ているところがあるから、軽い同族嫌悪になっているかと思っていたぞ」
「ど、同族嫌悪? 私、そんなことしています?」
猫猫は首を傾げる。
「すごくしている」
「どうしようもないくらいしている」
「私はよくわからないねえ」
李白だけでなくなぜか羅半兄が納得している。やぶ医者と一緒に茶をしばいていた。匂いから蕺草だとわかる。生薬に使われる草で繁殖力が高いのだが、さすがに乾燥地帯では育たないらしく羅半兄は栽培を諦めていた。
「あのもじゃ眼鏡とそっくりだろうが」
「羅半兄とて言っていいことと悪いことがあると思います」
猫猫はふんと鼻息を荒くする。おそらく壬氏は虎狼の話を聞き入れると思うので、往診用の道具を鞄の中に詰める。
「ところで、どこが虎狼さまと似ているんですか?」
「似てるだろ。何食わぬ顔で人を値踏みする感じが」
李白は大型犬のようだが素直にはいはい言うだけの男ではない。文官の適性はないものの頭の動きは速いのだ。
「私、値踏みしてますか?」
「俺のこと沙皮狗にでも例えて見ているだろ?」
沙皮狗とは闘犬に使われる大型犬だ。
「……」
するどくて思わず声が詰まる猫猫。
今後、心の中でも大型犬扱いするのはやめておこう。
だが李白の話で、妙にすとんと心におさまった気がした。
(測られていたわけか)
虎狼は猫猫にも『さま』と敬称をつけるわりに、言葉遣いとしてはあくまで丁寧止まりだった。猫猫とて壬氏に対して表向き敬意を示す言葉遣いになる。
しかし、相手を陰で見くびるのであれば、ずいぶん雑なやりかただ。猫猫は虎狼がそこまで莫迦には思えない。
どちらかと言えば――。
(私の素性がばれているから人間性を試したか?)
猫猫は絶対認めたくないが、仮に変人軍師が妓女に産ませた子だと知られているとしたら、行動に納得が行く。
国の重鎮の子として無礼な態度を咎めるか。それとも、あくまで庶子として身をわきまえているか。それ以前に気付かないか、気にしないか。
ずいぶん舐められたものだと猫猫は思いつつ、鞄に道具を突っ込んだ。
案の定、しばらくすると雀が来た。
「月の君からの許可が下りましたよぅ」
雀も出かける気満々なのか荷物を持っていた。迅速なのは患者の容体を心配してのことだろう。
「馬車は表に用意していますのでいきましょ、いきましょ」
「お願いします」
虎狼も来るらしく、外套を羽織っている。
「どこへ向かうのですか?」
「少し遠いです。港近くの宿場町と言ってご理解いただけるでしょうか?」
(あー、そういうことね)
猫猫は前に壬氏が言っていたことを思い出した。
変人軍師の野生の勘で、異国人は一か所に集められていること。まだ自国に帰っていない異国人がいること。その人たちは玉鶯の息子の計らいで港近くの宿場町に集められていること。
(異国人で帰れない。良い所のお嬢さま)
猫猫はとても嫌な予感がしつつ、いつも通りなかったことにしようとしたが、大概それで失敗している。でも、知らないふりはできるので、特に気づかなかったように馬車に乗り込んだ。
がたがた揺られること一時ほど。農村に比べたらずいぶん近い。風は乾いた土と草の匂いから、湿った潮の香りが混じっていた。
いつも通り雀と李白が護衛として付いてきている。それだけならいいが不思議なことに大きな籠も馬車の中に積まれていた。ご丁寧に背負えるようになっている。
「これはなんですか?」
「それは私の旦那です」
妙な例文口調になってしまう。
「ええっと、馬良さまでしょうか?」
「はい。今回は役に立つかと」
どういう基準で役に立つのかわからないが、何か意味があることだと信じたい。それよりもまず大人一人入れる大きさの籠なのだろうか。中を覗き込みたい気持ちになるが、下手に刺激して気絶されても困るので好奇心は抑えておく。
馬車は西都から南下していく。西都に向かう時にも通った道だ。馬車が頻繁に通ることを想定して丁寧に道が舗装されている。雨が降らないとして、むき出しの地面では轍ができるからだろう。
「見えてきましたよ」
御者台から顔を出す虎狼。
「立派ですね」
猫猫は素直に思った。もっと小さい町かと思ったが、一万戸はゆうにある。余裕さえあれば通り過ぎるのはもったいない程度栄えていた。
船乗りたちを相手にすることが多いからか、夜が盛んな雰囲気がある。つまり繁華街の雰囲気が色濃く出ていた。
風情は違えど妙に懐かしい気持ちになる猫猫。やり手婆はともかく小姐たちは元気だろうか。
生憎、繁華街は過ぎていく。平時ならもっと土産物の露店が並んでいるのだろうが、今の通りは歯抜けに食料品や日用雑貨が売られている程度。嗜好品、装飾品の店はたまに開いていても閑古鳥が鳴いていた。
気だるげな妓女たちが窓から外を眺めていたが、馬車が通るたびにらんらんと目を輝かせて、お足をいただける相手かどうか見極めている。
馬車は町の一等地に建つ一番立派な宿の前で止まった。壁は石造りだが、屋根には瓦、扉が赤塗なため中央の建築を思わせる。
「はいはい、旦那さまー。ここでは出てくださいねえ」
籠の中からのっそり出てくる馬良。どうやって入っていたのか知らないが本当に入っていた。もっと挙動不審になるかと思いきや、意外と落ち着いている。
いや――。
「目を瞑ってません?」
「はい。視覚を遮ることで、心的負荷を軽減させております。でも糸目だという設定にしてください」
「いやもっと疲れるし」
思わず本音が漏れたが、雀と馬良は慣れているらしい。雀が馬良を上手く誘導しながら歩く。
宿の中には土足で上がるのには勿体ない絨毯が敷かれていた。
「こちらにどうぞ」
猫猫は貧乏性なので履の底の泥を払ってから進む。
頭を下げる宿の者たちは、異国情緒あふれる容姿の者が多い。
階段を上り、三階の一番大きな部屋に案内される。扉の前には金髪の壮年の男が立っていた。色彩と彫りの深い顔立ちから、予想通り異国の者だと推測できる。砂欧あたりかなと思ったが肌の色からもう少し北部の者に見えた。
「失礼します」
別の異国風の女がやってきて猫猫の体に触れてきた。何か危ない物がないか確認しているようだが――。
「これは?」
「生薬です、腹痛を治します」
「これは?」
「軟膏です、火傷を治します」
「これは?」
「さらしです、怪我の処置に使います」
などとしばらく続けてしまった。今回、針や鋏は持たなくて正解だった。ちゃんと鞄にしまっておいた。
次に雀の身体接触だが、猫猫以上に時間がかかるだろうなと想像していたら、すぐに終わった。勝ち誇った顔で猫猫を見る雀が妙に憎らしい。
李白はともかく馬良は大丈夫かと見ていたら、微動だにしていなかった。否、立ったまま気絶していた。
(いや、本当にここにいて大丈夫なん?)
猫猫は不安になりつつ、ようやく部屋に入る。
大きな部屋に異国情緒あふれる調度、それから大きな天蓋付きの寝台がある。
寝台の横には異国の裳を穿いた中年女性が立っていた。黒髪で細身、目の色は緑がかっている。
近づけるのは猫猫だけで、雀は五歩下がった後ろ、李白と馬良は入口の壁に張り付くようにいる。
「よろしくお願いします」
丁寧なお辞儀をして容体を説明してくれる。自己紹介をする前に早く診てくれと言わんばかりの態度だ。
「では失礼します」
帳をめくると娘がいた。くっきりとした目鼻立ち、頬には軽くそばかすが浮いていて妙な親近感がある。髪は白金で目は青い。年の頃は十四、五くらいに見えるが異国人の見た目は大人びている。もう少し若くみてもいいだろうか。
頭痛に悩まされているというが、妙に活発な雰囲気がある。
「容体を確認したいのですが、触れてもよろしいでしょうか?」
「ダメデス」
片言で返された。
猫猫は首を傾げながら、中年の女を見る。
「お嬢さまは手を触れることなく容体を診ろということです」
お嬢さまと違い、流暢な茘語で答える。
「イチリュウノイシャナラデキルハズ」
(いやいやいや)
何のために往診に来たんだよ、と猫猫は考えながら、どこか人を莫迦にした小娘を見た。