六、鬼子
ずきっずきっと痛む頭を抱える猫猫。
(こ、これが!)
二日酔いというものか、とひしひしと感じる猫猫。正しくは二日目ではなかったが、酔いは醒めたのに頭は痛いというのは二日酔いの症状ではないだろうか。
馬車の中、揺れるのでさらに気持ち悪い。気持ち悪いが――。
「あー、これは新しい」
かつてない体験に猫猫は感動した。
「猫猫さん、まだ酔ってますねぇ」
「吐ききれなかった分がちょっと残ってます」
悪酔いする茸にどれくらい効力があるかわからない。だが、茸を食べて一日たって酒を飲んでも効力があったと聞いたことがある。一生、酒が飲めないわけじゃないが、しばらくは避けておいたほうがいいらしい。
せっかく土産に葡萄酒をもらったのに残念だ。
「ん-、これ以上吐かせるとなると、雀さんも心が痛みますねえ」
「大丈夫です、だいぶ良くなってきましたから。指わきわきして、口に突っ込もうとしないでください。それより、書き物ありません?」
差し出される筆記用具と羊皮紙。毛筆ではなく洋筆なので使いにくい。ぽたぽたと墨をこぼしてしまう。あと、馬車に揺られて字も腹の胃液も揺れる。
「何書いているんですぅ」
のぞき込む雀。
「はい。摂取した汁物に含まれているであろう茸と、酒の量。それから、摂取してどのくらいの時間で効き目があったか。その後の経過を四半時ごとに記録しようかと」
「猫猫さん。青白いのに楽しそうな顔してますねえ」
「なんか羅半みてえだな」
李白が変な名前を出したので、猫猫の顔は青白いから青黒いに変わる。
「妙な名前を出さないでください。ってか、知り合いでしたっけ?」
猫猫はどうだったか思い出す。あったとしても猫猫は興味ないことは覚えていない。
「一応、俺、直接じゃないけどあのおっさんの部下だからさ。たまに、執務室とかに行くわけよ。そん時、顔を何度か合わせることがあるし、いろいろ」
「へええ」
心底興味ない顔をして猫猫は筆記用具を片付ける。
「あと、西都に行く前に、『妹をよろしく』と菓子もらった」
「他人ですよ」
「あー、うん。他人な」
深く突っ込まない分、李白は接しやすい。
「じゃあ茸の話に戻すが、なんでまた酒造所に悪酔いする茸があったって話だよな?」
「茸というか多くの食材も含めて、支給されたものに入っていたそうですけど」
と言いつつ、猫猫は首を傾げる。
「そもそも茸なんて、西都で生えるもんですかね?」
茸の類は湿った空気を好む。乾燥した西都の空気はあまり育たないのではないか。
「ないってことはないと思いますけど、そこまで多くないでしょうねぇ」
だろうな、と猫猫は汁物に入っていた茸を思い出す。猫猫が知る悪酔いする茸は、松林によく生えているという。草原ばかりの戌西州の土地では育つとは思えない。
「じゃあ、中央からの支援物資に含まれていたんでしょうか?」
「うーん。そうなるんですかね?」
猫猫はうなる。偶然にしてはできすぎていた。正直、誰かがあえて酒造所に悪酔いする茸を混ぜたとしか思えない。だが、その理由がわからない。
(わからないものは考えても仕方ない)
切り替えの早さが猫猫の美徳の一つのはずだ。
馬車は本邸につく。門が大きく馬車のまま中に入れる。
(戻ったら壬氏に報告か)
いつも通り、ありのままのことを話すつもりだ。どうせ、意見を求められるが、誰が犯人かまでは猫猫にはわからない。
雀に手伝われながら馬車から降りると、子どもの声がした。
(あの生意気な餓鬼か?)
それとは別に、女児の声がする。嫌がっているようだ。
声のする方へと歩いていくと、玉なんとかという悪餓鬼が六、七歳くらいの女童の髪を引っ張っていた。周りには悪餓鬼のお目付け役がいるが、止める様子もなくはらはらと見ているだけだった。
猫猫は思わず悪餓鬼に向かって走ったが、遅かった。猫猫よりも先に雀が悪餓鬼の手をつかんでいた。
「おい、何すんだ! 俺が誰かわかっているのか?」
「はい。玉袁さまの曾孫であり、玉鶯さまの孫であり、鴟梟の長子であられる玉隼さまです」
「ならわかっているだろ。手を放せ」
「ならば、髪をつかむのをやめていただけませんでしょうか? 毛根が痛んでしまいます」
雀は髪を引っ張られている女童を見る。女童は目に涙をためて、鼻をすすっていた。
李白は、護衛として猫猫たちのそばを離れないが、干渉するつもりはないらしく遠巻きに見ている。もし、悪餓鬼が猫猫に殴りかかろうとしたら対処するが、それまで傍観だ。
「はあ、こいつの髪なんざ知るか。何より髪を染めてたんだぞ」
(髪を染めてた?)
猫猫は女童の頭を見る。毛先は黒いが根元一寸ほど、赤みがかった亜麻色をしていた。
「こいつはきっと異国人だ。異国人の取り換え子で俺たちの一族に害をなすんだ」
「取り換え子?」
猫猫が首を傾げる。
「知らないのか? こいつの親はどちらも髪が黒い。こいつだけこんな髪色なのはおかしいだろ? 俺の従姉妹っていうのは嘘だ」
(鬼子のようなものか?)
親と違った姿で生まれてくる子どもを鬼子という。名前の通り不吉の象徴だ。
しかし猫猫としては訂正しておかねばならない。
「黒髪同士でも違う髪色の子どもは生まれますよ。何なら猫の子なら兄弟で、白黒だったり縞模様だったりしますでしょう?」
猫猫なりに子どもにわかりやすく説明したつもりだが、玉隼という悪餓鬼は髪の毛を放そうとしない。お目付け役の侍女をにらんでどうにかしろと訴えかけたが、目をそらすだけだ。
(やぶ医者を蹴った時から反省がない)
一発殴ってやったほうが早いと拳を振り上げた時だった。
「玉隼さま。あなたは偉いのですか?」
雀はいつも通りの食えない笑顔を向けながら問う。
「偉いに決まっているだろ! 俺は玉隼なんだぞ!」
「はい、知っております。ではなんで偉いのですか?」
「俺は、この家の長男の長子だ。いつか西都を治めることになる」
「つまり、鴟梟さまの子だから偉いのですか?」
「そうだ」
大きく胸を張る玉隼。腰に手を当てたので、髪の毛から手が離れる。猫猫は女童を引っ張って遠ざけると、髪の根元を見た。よほど強く引っ張られたのか根元がうっ血していた。猫猫はすうっと心が冷めていく感覚がした。
「じゃあ、鴟梟さまはどうして偉いんですか?」
雀に代わり質問する猫猫。雀は一歩下がって、猫猫に会話を譲る。
「それはおじい様の子どもだから……」
「へえ」
猫猫は唇を歪めた。
「玉鶯さまはもういないのに?」
子ども相手にしてはひどく意地悪な言い方だ。言葉の小刀でえぐるような感触。
玉隼から表情が消えた。
中央から見たらどうであれ、西都では慕う者が多い人物の死をこの場で口にするのはどうか。
猫猫は下劣な行為だと思ったが、反省はしない。
「まだ鴟梟さまがいる? でも鴟梟さまは自由気ままに生きてらっしゃるようですが、西都を治めるのですか? それとも、あなたが西都を治める器だと?」
まだ十にもならない子どもにきつい言い方かもしれない、でもわかるべきだ。
「あなた自身は偉いんですか?」
子どもなりに理解したのかもしれない。
西都では絶対的な強者の息子、孫。だが、強大な庇護者ですらいつ死ぬかわからない。そして、庇護者を失った子どもは、良くて傀儡、悪くて追放されるものだ。
「と、父さんが死ぬわけない!」
「人間いつ死ぬかわからないものです。あとこの娘の治療をしてもかまわないでしょうか?」
「は、はい」
侍女が答える。
猫猫は女童の手を引っ張り、医務室へと向かう。他に怪我をしていないか、確認するつもりだ。
女童は鼻をすすりつつ、猫猫の裳を引っ張った。
「おじいさまのわるくち、いわないで」
「すみませんでした」
猫猫は謝りつつ、あとで怒られる覚悟を決めていた。