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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
西都編2
282/391

五、三女と醸造所


 本邸に移動してから十日。チュエがてくてくと猫猫マオマオのもとにやってきた。


「猫猫さん、猫猫さん」

「なんですか、雀さん? 今日はいつもよりなんだか嬉しそうですね」


 猫猫は大きな布をはさみで切り裂きながら訊ねる。


「はい。外出許可が出そうなんですよ」

「それは良かったですね」

「さてそこで問題です。どんな理由で外出許可が出そうなのでしょうか?」


 猫猫は鋏を置き、裂いた布を丸めつつ考える。


「医療関係ですか? 診療所の人手が足りないとか、炊き出しの栄養状況の改善、もしくは飲み水の水質改善ですか?」


 猫猫が関われるとしたら、誰かの健康管理くらいだ。


「惜しいですねぇ。雀さんにはよくわかりませんが、月の君曰く、『久しぶりの事件だ』だそうです」

「……あー、はいはい」


 壬氏からだと確かにずいぶん久しぶりだ。


「どのようなお話でしょうか? 月の君の部屋へ向かえばよろしいのですか?」

「それにつきましては、案内人がもうすぐ到着しますよぅ」


 雀が外を見る。


 虎狼フーランが急ぎ足でやってきた。


「猫猫さま、お邪魔します」

「はい。どうしましたか、虎狼さま」


 雀はにこにこといつも通りの笑みを浮かべて、猫猫の横に立っている。


「雀さんから話を聞いたかと思われます。少々、急ぎの用ですので道中話しながらでも問題ないでしょうか?」

「かまいませんけど」


 壬氏からの依頼とくれば、外出許可を取る必要はなさそうだ。李白リハクも雀の話を聞いていたのか、外出の準備をする。


「一先ず、医療器具の類を持ってついてきてください」


 猫猫は虎狼の言う通りにした。




 馬車に乗って向かった先は、西都の北東にある醸造所だった。病人が多数いるので、診てほしいというのが概要だが――。


「ここは……」


 猫猫は目を輝かせる。近づいただけでもわんと鼻孔いっぱいに広がる葡萄と酒精アルコールの匂い。これを夢の空間と言わずして何と言おうか。


「嬢ちゃん、よだれたれているぞ」


 肘で小突く李白に、猫猫は慌てて口を拭う。


「猫猫さん、帰りに何本かお土産にもらって帰りましょうよ」

「いいですね、雀さん」

「俺も悪くねえと思うけど、この面子じゃ誰も止める奴いねえじゃねえか」


 李白が呆れる。やはり羅半ラハン兄はつっこみ不在の時に必要だ。


「数本くらいならいただけるかと思います。叔母がやっている醸造所なので」

「叔母、というと?」

「はい。父の妹です」

玉袁ギョクエンさまの三女でしょうか?」


 雀から数日前に聞いた話を思い出す。


「ええ。叔母は鴟梟シキョウ兄さんには厳しいですが、僕には比較的甘いので」


 苦笑いを浮かべる虎狼。


(醸造所で、三女っていうと確か)


 鴟梟とかいうどら息子が密造酒売りさばいたせいで、風評被害を受けたところのはずだ。


「あの人が叔母です」


 猛禽類を思わせる美女がいた。まだ若く二十代くらいに見える。桃美タオメイと雰囲気は似ているが、こちらはいくらか化粧と服が派手だ。


「叔母はああ見えて三十半ばですので、言動には気を付けてください」

「わかりました」


 しっかり猫猫が思ったことを口にしてくれる虎狼。


「あなたが手配された薬師ね」

「はい。猫猫と申します」

「医官さまは、怪我で来れないから代わりにって聞いたけど大丈夫かしら?」


 やぶ医者はまだ足の怪我を療養中としている。もうだいぶ治っているがしばらくその方便が使えそうだ。


「医官さまには及びませんが、尽力します。病人が多数出ていると聞き、さっそく容体を診たいのですがよろしいでしょうか?」

「わかったわ。ついてきて頂戴」


 猫猫は黙って三女についていく。


 案内された先は、休憩所のようだ。寝台もいくつかあり、仮眠室も兼ねているらしい。横たわっているのは、五人。みんな真っ青な顔でげっそりしている。桶を抱え、嘔吐を繰り返している。


「朝は元気だと思ったのに、昼過ぎになればこの通り。一応、疫病の可能性も考えて、隔離したわ」

「賢明なご判断です」


 猫猫は早速、前掛けをかけて口元を手ぬぐいで覆う。


「私は何をすればよいですかー?」


 雀が訊ねる。李白は護衛として居残るとして、いつも通りついてきた雀は暇なのだ。


「まず私が中の人を診ます。とりあえず水分補給が必要なので、飲料水と塩と砂糖を持ってこれますか? 難しいなら薄めたスープの類でも構いません」

「わかりましたー」


 とてとてと去っていく雀。


「僕もやることがなさそうなのでついていきます」


 虎狼も雀の後を追う。


「悪いけど、私はここで待っているわ」


 三女は遠巻きに見ている。


(冷たいようだけど判断は正しい)


 玉鶯ギョクオウの妹らしいが、性格は全然違う。どうにもヨウ一家は、それぞれ性格が多様性に富んでいる。


 猫猫は部屋へと入り、一番苦しそうな患者を診る。一番苦しそうなのは、五人のうち、一番年配で白髪だらけの老人だった。


(症状は嘔吐、全身が火照っている。頭も痛そうだけど――)


 老人の目や舌、脈を診る。まだぐったりと呂律が回らないようなので、比較的元気そうな患者に話しかける。


「どんな症状ですか?」

「……っはい。すごく、気持ち悪いです。頭も、がんがんしてて、立ち上がるとふらふらして、吐き気はだいぶおさまりましたけど」

「吐き気だけですか? 腹痛や下痢は?」

「……それは。ないです、ね。胃はむかむかします」


(それって)


 猫猫はじっと周りを見る。他の皆もほぼ同様の症状だ。桶に嘔吐する者はいるが、かわやに駆け込む者はいない。


「もう一つ質問しますね」


 猫猫は他の患者にも同じことを聞いた。そして、結論が出る。


「どうだったかしら?」


 感染を恐れて離れていた三女が訊ねる。


「感染症の恐れはありません」

「そう……。じゃあ何が原因なの?」

「皆さん、仕事として酒を試飲したそうですね。一番、ご年配のかたは他のかたよりたくさん飲んだようで」

「もしかして、酒に毒が⁉」

「いえ」


 猫猫は首を横に振る。


「ただの二日酔いです。日をまたいでいないので、悪酔いといったほうが正しいでしょうけど」


 猫猫は手ぬぐいを外し、前掛けを脱いだ。


「悪酔い? そんなわけないわ! 酒造りで職人が試飲ごときで酔うわけないじゃない! それこそ蒸留酒をがぶ飲みしないとならないわよ」

「蒸留酒も造っているんですか?」


 猫猫は目を輝かせる。


「造っていますが、今は熟成中ですよね。叔母上」


 虎狼が三女と猫猫の間に入る。手には大きな鍋を持っていた。


「猫猫さーん。とりあえず昨日の残り物の汁と、果実水を持ってきました」


 雀もやってくる。


「ありがとうございます」


 猫猫は虎狼が持つ鍋の蓋を開ける。湯勺おたまを手にして汁物の中身をかきまぜた。


「やっぱり」

「やっぱりって何よ?」


 三女が不思議そうな顔をする。


「疫病でも毒でもなく、本当に二日酔いです」

「どうしてそんなことが言えるの?」

「この汁物は、ここで作られた物ですね?」

「そうですよぅ」


 雀が返事する。


「今、苦しんでいる皆さまは、この汁物を食べましたか?」

「……確かに、昨晩ここにいた者たちばかりね」


 どうやら当番制か何かで、寝泊りをしていたようだ。


 猫猫は湯勺の中に浮かんだ具材を確認した。


「この中に入っている具材に乾燥した茸が入っています。おそらく出汁を取るためにいれたんでしょうね」

「……あんまり見かけない茸ね」

「私も茸の種類をすべて網羅しているわけではありませんが、たぶんこの茸は人間を下戸にする茸だと思います」

「人を下戸にする茸? そんなものがあるんですか?」


 不思議そうな顔で見る虎狼。


「ありますよ。体の中で、酒を消化する働きを阻害するらしいです」


 茸はいろいろ不思議な点が多い。毒の種類は様々だし、生食で食べるとほぼすべての茸は毒になる。また、物によっては毒が効き始めるのが数時間、数日後と時間差があって、ずっと食用とされていた茸もある。


「とまあ、私としてもこの形状の茸は食べたことがありません。なので、さっそく」


 猫猫は湯勺に具材を入れると、ぱくっと口に入れて汁をすすった。


「お酒ありますか?」

「酒?」

「はい、できれば辛口でお願いします」

「……」


 じとっとした目で三女に見られた気がしたが気にしない。使用人に命じて、酒瓶を持ってこさせた。


「では、いただきます。うーん、うん」


 猫猫はぺろっと舌を出す。


「まろやかな味わいですね。果実の甘味もかすかに残っていますがあくまで心地よい風味程度で……」


 もう一杯と手を伸ばした時だった。


(あっ、やばいな)


 視界に映る猫猫の手は真っ赤になっていた。体がほわんと温かくなり、通り越して熱くなるとともに、体がぐらりと揺れた。


「おい、嬢ちゃん!」


 李白が支える。声が遠い。


「猫猫さん、失礼しますねぇ」


 雀が手をわきわきさせたかと思ったら、猫猫の口に突っ込んだ。


「ぅうぼぇ!」


 うわあっと嫌な声が上がったのを記憶している。


 酸っぱい口の中を果実水で薄められる。ぼんやりくらくらしていた体がいくらかましになった。


「普段、私は酒に強いほうですが、この通り」


 嘔吐物にまみれた猫猫を、三女と虎狼は顔を引きつらせてみている。


「他の皆さまももうしばらくすれば、悪酔いは醒めるかと思います」

「わ、わかりました。ですが一つ聞いてもいいですか?」

「なんでしょうか?」


 なぜか敬語を使うようになった三女。敬意を示すというより、一歩距離が広がった話し方だ。


「あなたが自分で食べて証明する理由ってあったのかしら?」

「……はい、あります」

「どんな?」

「どんなと言われましても」


(ちょうどいい酒が飲める機会だったなんて)


 正直に言えないのでとりあえずにこにこと笑ってごまかすことにした。


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― 新着の感想 ―
猫猫への対応から、とりあえず三女はまともな人間っぽいということはわかった(笑)
この年齢で漢方診療の知識があることに尊敬以外ないです。誤診を恐れていないところと言いますか、体当たりで立ち向かうさまも感動します。また、人脈に恵まれてうらやましい限りです。
[良い点] 久々の飲酒がしたかった猫猫(笑)
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