四、長男
玉鶯の三男、虎狼は腰が低く真面目な男だった。少なくとも猫猫が見る限りではそのように見える。
「申し訳ありません。馬車の手配を頼みたいのですが」
丁寧に使用人に話しかける虎狼。使用人は慣れた様子なので、虎狼が壬氏の前だけ猫を被っているわけではなさそうだ。
「本当に玉鶯さまの息子なのかねえ」
李白が目を細めながら回廊を走る虎狼を見る。巨漢の武官の手には鍬があり、畑を耕している。別邸に続いて、本邸の庭も畑にしていいと許可が出たため、羅半兄がせっせと耕し始めた。李白は護衛として突っ立っているだけでは体が鈍ると鍛錬も兼ねて、畑仕事を手伝っている。
そして、開墾された畑を涙目で見ているのが本邸の庭師だ。温室担当の庭師がぽんぽんと肩を叩いて慰めている。
「似てない親子などいくらでもいますから」
猫猫は薄切りにした胡瓜を天日干ししている。温室の庭師が睨んでいるが、見なかったことにしておく。
玉鶯がいなくなり、西都の政治形態はだいぶ変わった。壬氏が表に出てきたことで、具体的な行動がなされるようになった。
憎々しき飛蝗どもは、ここ数か月で何度か群れになって西都を襲った。何度も繰り返すうちに慣れたのか、平然と飛蝗と暮らすようになる。
(麻痺しているんだろうな)
それでも、飛蝗がいるならできる限り殺して、飛蝗が産卵しそうな場所は耕しているらしい。孵化してまだ飛べぬうちに草原を野焼きしようかという案もあったそうだが、中央と違い雨が少ない乾燥地帯ではどこまで燃え広がるかわからないのでやめたという。
地道な人海戦術が続いているが、秋耕と兼ねて畑の開墾を進めている。ここ数か月、商売もままならぬ人達が無職になっているので、率先して雇っている。
(冬までにいくら作物を収穫できるか)
そこが最重要事項となろう。
猫猫は干した薄切り胡瓜を触りながら乾いた物を取っていると、屋敷の回廊から小走りで駆け寄ってくる影が見えた。
「猫猫さま!」
虎狼だった。敬称をつけられているのにも驚くが、猫猫は虎狼を見かけることはあっても、面と向かっては初対面だ。
「李白さまも失礼します」
「ええっと、虎狼さまですよね? 俺はただの護衛なので、敬称をつけられるとやりにくいんですけど」
猫猫が言いたいことを李白が全部言ってくれた。
「いえ、僕は政治のことには疎いもので、今やっている仕事もまだ使い走りというただの世間知らずです。猫猫さまは女性でありながら、医療従事者としてもう何年も勤めておられると聞いております。李白さまは今回、月の君の指名で西都へやってこられたと聞いております。尊敬に値する方々に失礼を働くわけにはいきません。これはけじめですので」
ふんっと鼻息を荒くする虎狼。目は本当にきらきらしていて、嘘を言っているようには思えない。
(訂正するのも面倒くさそうだ)
なので、猫猫はそのまま受け入れることにする。
「では、虎狼さま。なにか私どもに御用ですか?」
「はい。月の君から書類を預かってきました。楊医官、李医官の分も預かっております。医療に携わる者としての見解を聞かせてほしいとのことで、ご確認いただけますか?」
猫猫は渡された羊皮紙を開く。西洋筆で書かれており、壬氏の筆記と違う。使い慣れた筆遣いから、西の者、虎狼が書いたのだろうか。
(体のむくみ、出血、貧血、下痢、嘔吐……)
人口とともに、体調不良を訴える人数が書かれている。
「医者や薬師がいない地方で、体調不良者をまとめて書きました。治療はできないまでも、予防策、対処法があれば細かく書いてほしいとのことです」
田舎では医者や薬師がいないのは珍しくもない。病気になれば民間療法で治す、ひどいものでは呪術師に祈祷してもらって終わりだ。
「指示内容は具体的なものがいいです。なお、物資に限りがあるので、代替案をいくつか書いていただけるとありがたいです。今の戌西州では『足りない』が基本なので」
もっともだ、と猫猫は頷く。しかし、この場でさらさらと書いて渡せる量ではなさそうだ。
「少しお時間を頂いてよろしいでしょうか? 夕方には書き終わると思います。月の君にお渡しすればいいですか?」
「いえ、私が夕刻また取りに来ます」
「さすがにそれは……」
ならば雀あたりが通りかかったときに渡しておこうかと提案する。
「いえ、僕が確かめたいんです」
きりっと断る虎狼。
「実は、僕が提案したので、確認をしておきたいんですよ」
「そうでしたか」
(意外と目端が利くんだ)
猫猫は感心する。
「あとついでですが、医療従事者がいない地方で気を付けることはありませんか?」
「そう言われましても」
猫猫は腕を組んで考え込む。
「医者がいないような地域では迷信が信じられていることもありますね。呪術師がいると、医者は邪魔だからと追い出されることもあるとか」
これは、克用の体験談だ。あの顔半分に疱瘡痕があるやけに明るい男を思い出す。
「あと体力が弱ると疫病が流行り出しますね。知らずに疫病を運んでしまわぬよう、まわる人員の健康管理はしっかりしたほうがよろしいかと」
「わかりました」
他にもいくつでも出てくるが、細かいことはあとでまとめて書き出せばいいだろう。
「では、お手数かけますがよろしくお願いします」
ぺこりと頭をさげ、虎狼は行ってしまった。
「本当に、全然似てねえなあ」
「似てないですねえ」
猫猫と李白はしみじみ思うのだった。
玉鶯の三男は、玉鶯に似ていなかった。では次男はどうだろうかと言われると、次男は次男で似ていなかった。
次男の飛龍はきっちりした身なりのいかにも文官という風貌だった。本邸と公所はお隣同士で、二か所は直接つながっている通路がある。外に出ることなく公所に向かえるのは、確かに警備面で楽になる。
近いからか、飛龍は壬氏のもとへ書類を持ってくることが多くよく見かける。もしかしたら、皇族とより多く顔を合わせておいたほうがいいという陸孫の配慮なのだろうか。それとも、壬氏に仕事を押し付けたいためかわからない。
「書類を持ってきました」
猫猫とやぶ医者が訪問している最中にやってきた。
猫猫はやぶ医者が邪魔にならないように、後ろへと引っ張る。飛龍は丁寧に壬氏にあいさつするとともに、副官である馬閃に渡す。渡された書類は留め具で三つに分けられていた。
「赤い留め具は新しい物、青い留め具は再考の余地がある物、黄色い留め具は以前却下された案のやり直し分です」
(ほうほう)
飛龍も飛龍で優秀だ。ただ、礼儀正しいが愛想はない。これまた玉鶯に似ていない。玉鶯が長男にこだわったのは、下の二人がどちらも似ていなかったせいだろうか。
(顔立ちというより雰囲気だな)
飛龍も虎狼も、どちらも優秀だが文官型に見える。ただ、今は副官として勉強中なので問題ないが、ここから西都の頂点に立つのかについては少し首を傾げる。
(壬氏は教育が終わったらすぐ帰るつもりみたいだったけど)
これは、数年単位ではなかろうかと猫猫は思った。
では、長男はというと、意外なほど早く出会えた。
「父さん、父さん、父さん!」
中庭で父子が対面していた。中庭、元中庭なので半分畑になっている。
あの糞餓鬼もとい玉隼とかいう玉鶯の孫が懐いている男。獅子のようなぼさぼさした髪に、日焼けしたいかつい手足。腰には獲物と見られる鹿の毛皮を巻いている。
(あー、そっくりー)
玉鶯を若返らせたらそのままという風貌の男だ。玉隼についている侍女は気が気でない顔をしている。
(関わらないほうがいいな)
などと猫猫は思いつつも、そっと窓からのぞき見する程度、興味があった。やぶ医者と李白も同様だ。
「おーし、いい子にしてたか。よしよし、土産だぞ」
長男は玉隼に大きな頭陀袋を差し出す。わくわくした顔で玉隼が中身を見ると、その瞬間泣きだした。
(何が入っていたんだ?)
袋から零れ落ちたのは、鹿の頭だ。
「ははは、今日はこれを飯にしてもらうぞ」
「こわーい」
わんわん泣いている玉隼。
「悪かった、悪かった。俺が留守中に色々あったみたいだが、なんかあったか?」
「……」
玉隼はこそこそ長男に耳打ちをして、医務室のほうを指さした。侍女は青ざめた顔をしている。
(いやーな予感)
猫猫の予感は当たり、長男は医務室に入ってきた。
「なにか御用でしょうか?」
そこへずんと立ちふさがるのは李白だ。普段は気の良い好漢だが、今は武官らしく鋭い目つきをしている。
「息子から聞いてな。中央からのお客さんはずいぶん好き勝手しているようだから挨拶に来たわけだ」
玉隼が父親の陰で、べぇと舌を出している。
(あの糞餓鬼)
やはり反省の色はなかったと猫猫は目を細める。やぶ医者が怯えているので、部屋の奥で隠れているように押し込む。
「好き勝手とは申し訳ない。だが、蝗害で西都が散々な状態だ。手探りで何か打開策がないかやっている最中なんだ。それとも、お客は何もせずにぼんやり無駄飯だけ喰らえと言いたいんでしょうか?」
李白の身長は六尺三寸、いや四寸あるだろうか。対して、長男は二寸ばかり小さいがそれでも大柄の部類だ。小男で宦官のやぶ医者が怯えてもおかしくない。
猫猫は、糞餓鬼をどうにか躾する機会がないか、考えると共に周りを見る。
(もしここで手出しされたら、なけなしの薬や道具が台無しになる)
李白に視線を送り、殴り合いになるなら外でやれと語り続ける。
「はは、すげーな中央のお偉いさんは。確かに尊き血筋の御方に俺がどうこう言えるわけじゃあねえ。でも、その手下まででかい顔してるっていうと、こっちも面子が潰れるってわかるだろう?」
「ご冗談を。俺はこの通り下っ端の武官ですよ。言われた命令にしか従いません。ここは医官さまがいる場所なんで、外に出て話し合いましょうや?」
(よし、いいぞ)
猫猫としては、医務室を荒らされることだけは避けたい。李白は理解し、外に出る。
(喧嘩しないことが一番だけど)
もう一触即発の空気だ。
(李白は立場がわかっている)
李白の仕事は護衛だ。護衛ゆえに、長男が手出ししたら猫猫たちを守るために対処しなくてはいけない。だが、逆に先に手を出してはいけない。
そして、喧嘩の原因となった糞餓鬼と言えば。
(震えてる)
侍女にしがみついていた。
残念だが前回のようにやぶ医者を狙うことはできない。李白の他にも二人、護衛がいる。
(なんかあったら、他の護衛も含めて袋叩きに……)
などと考えていたら、ぱたぱたと近づいて来る影が見えた。
「鴟梟兄さん!」
虎狼がやってくる。たしか夕刻にまた来ると言っていた。
(ごめん、まだ書き終えてない)
長男は鴟梟というらしい。梟の別名でもあるが、あんまりいい意味では使われない言葉だ。
(玉はつかないのか?)
ふと考えてしまう猫猫。
「何をしているんですか?」
「何をって言われても、見ての通りだ。客人が好き勝手しているらしいな。うちの者を使用人のように使っているとか」
(使用人ねえ)
たしかに次男と三男は副官につき、見ようによっては小間使いに見えるだろう。
「僕と飛龍兄さんは、頼んで教えてもらっているのです」
「そうかい?」
「あと、客人に無礼を働いたのは、隼のほうです!」
「ほう」
ぎろりと息子を睨む鴟梟。玉隼は小さくなって涙目になっていた。
「こちらの医官さまに怪我をさせました。医官さまは数日歩けない状態です」
「本当か、玉隼?」
鴟梟は玉隼を睨む。
「……ぼ、ぼくは」
「言い訳は聞かねえぞ」
低い獣のような唸り声が響いた。やぶ医者が部屋の奥で声を震わせている。
玉隼は、こくりと頷く。
鴟梟は呆れたように首の裏を掻くと、土産として持ってきた頭陀袋を持った。
「ほれ」
鹿の頭が入った袋は李白の足元に転がり、中の鹿が飛び出す。ぎょろりと濁った目が空を見ている。
「息子の非礼を詫びる。これで手打ちにしてくれや」
そう言って、鴟梟は去っていった。
(話に聞いていただけのことはある)
猫猫は濁った目の鹿を見ながら、どうせなら角もくれたらよかったのに、と息を吐いた。