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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
後宮編
28/389

28 自他

「うわー、お嬢ちゃんもついてきてくれないかね」


やぶ医者が肩を震わせながら頼むものだから、何だと思えば。

連れてこられたのは、北門の屯所とんしょ前である。

幾人もの宦官かんがんがなにかを取り囲み、そのまわりを同心円ドーナツ状に女官たちが集まっている。


「冬場でよかったですね」


むしろに隠れるは、青白い顔をした女。髪がはりつき、唇が青黒くなっている。

水死体のわりにきれいな姿をしているが、やはり見ていて気持ちのいいものでなかろう。寒い季節で本当によかった。


検死をすべきやぶ医者だが、乙女のように猫猫マオマオの背中に隠れている。

まったくもって、やぶ医者である。


今朝、外の堀に浮かんでいたらしい。

恰好からどう見ても後宮内の女官である。

外で処理することはままならず、こうしてやぶ医者が呼ばれたのであるが。


「嬢ちゃんかわりに、見てくれないかい?」


どじょうひげを震わせて、上目使いで見てくるがそんなの知ったことではない。

ひとをなんだと思っているのだろう。


「だめです。死体にはさわるなといわれているので」

「それは意外なことだな」


これまた、失礼なことをいうのは、聞きなれた天上の声だった。

いうまでもなく、周りの女官が嬌声きょうせいを上げる。作られすぎて、舞台劇でも見ているようだ。


「ごきげんよう、壬氏ジンシさま」


(死体の前でご機嫌もなにもありませんが)


普段通り、何の感慨も持たず麗しき青年を見る。後ろには、いうまでもなく高順ガオシュンが控えている。常に、目線で猫猫に訴える苦労人だ。


「で、老師せんせい。ちゃんと見てもらえないだろうか」

「わかりました」


少し顔を赤らめながら、やはり気の進まぬ様子で水死体を見る。

恐る恐るかぶせた筵をめくり上げる。

後ろで女官たちの驚く声が響く。


背の高い女で、固い木靴を履いており、脱げた片足には包帯が巻かれていた。指先は真っ赤で、爪がむごたらしく傷んでいる。

衣から尚食のものだとわかる。


「見るのは平気そうだが」

「慣れた風景です」


きれいな花街も一歩裏に入れば、無法地帯である。

若い娘が犯され、まわされ、無残な姿で見つかることも少なくない。

一見、遊女は籠に囲われ自由がないように思えるが、一方で周りの危険に巻き込まれないよう保護しているともいえる。


「後で見解けんかいを聞こう」

「わかりました」


(冷たかっただろうな)


猫猫は、やぶ医者が検死を終えると、むしろを丁寧にかぶせてやった。

今更やっても意味のないことであるが。






連れてこられたのは、宮官長の部屋だった。

いつもどおり、宮官長は外で待機してもらっている。


翡翠宮ひすいきゅうで、死体の話をするなど避けたかったからだ。

赤子のいる場にふさわしくない。


(いっそ、自室作ればいいのに)


年嵩としかさのいったおさに頭を下げる。

毎度毎度申し訳ない。


「衛兵の見解としては、投身自殺といっているが」


塀を上り、堀に身を投げたのだろうと。

娘はやはり尚食の下女で、昨日まで働いていたらしい。そうなると、昨夜に身を投げたこととなる。


「自殺かどうかはわかりませんが、少なくとも一人では無理だと思います」

「どういうことだ」


優雅に椅子に座る壬氏は優美な声できいてくる。

先日の妙に慌てた青年とは別人のようである。


「城壁にはしごがありませんでした」

「そりゃそうだな」

鉤縄かぎなわ使って上れますか?」

「そりゃ無理だろうな」


試すように聞いてくる、本当にやりにくい。

いちいち聞くなと言いたいが、高順が見ているので黙っておく。


「別に、道具も使わずに上る方法はあるのですけど、あの女官には無理でしょう」

「なんだ?どんな方法があるんだ?」


以前、芙蓉ふよう姫の幽霊騒ぎの際、猫猫はずっとどうやって外壁を上っていたのか疑問だった。よじのぼれるものではない。


気になったらわかるまで追求するのが性質さがなので、城壁を丹念にまわってみたのだ。

見つけたのは、外壁四隅にそれぞれある突起である。わざと壁から煉瓦れんがが飛び出しており、それに足をかけると上れないこともない。舞踏が得意な芙蓉姫ならなんなく上っていたことだろうが。


「大抵の女性なら難しいでしょうし、ましてや纏足てんそくのものは」


女の足には包帯で巻きつけられ、小さな木靴を履かされていた。足を潰し、布で閉じ込め、木靴に押し込める。足が小さければより美しいという基準のもと、その行為はおこなわれる。


「他殺だというのか?」

「わかりません。ただ、生きたまま堀の中に落ちたことは確かだと思います」


赤く血に染まった指は、何度も堀の壁をかいたに違いない。

冷たい水の中、考えたくもないことだ。


「もっと詳しく調べられないのか?」


断りきれないような甘い笑みを浮かべられても困る。

できないものはできないのだ。


「私は死体には触れるなと、薬の師に教えられました」

「なぜだ?いみを嫌うからか?」


薬師となれば、病人やけが人に触れる。死人とも接触は少なくなかろうと言いたいらしい。


「人間も薬の材料になるんです」


猫猫は、ぼそりと理由を言った。


どうせやるなら最後にしておけと、おやじどのから言われたことだ。

一度、手をだしたら墓荒らしくらいするだろうと、なんとも失礼なことを言われた。

それくらいの良識はあると言いたいところだが、なんだかんだで言いつけを守っている。

まあ、そういうことである。


壬氏と高順は、呆気あっけにとられ、顔を見合すと、「なるほど」と首を縦に振りあう。高順など可哀そうなものを見る目でこちらを見ている。


まったくもって失礼であると、猫猫は震えるこぶしを抑えるのだった。






その後、風の噂に聞いたのは、死んだ娘が先日の毒殺騒ぎの場にいたことだった。

それらしい遺書も見つかり、自殺ということで事件は幕を閉じる。


世の中、誰かの思惑で嘘もまことになるものである。


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― 新着の感想 ―
[一言] 纏足は嫌ですよねぇ。素足の形状が隙間のないハイヒールみたいで…文化とか美的感覚に文句言うつもりは有りませんが、日本人としては痛ましくてホント嫌。
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