28 自他
「うわー、お嬢ちゃんもついてきてくれないかね」
やぶ医者が肩を震わせながら頼むものだから、何だと思えば。
連れてこられたのは、北門の屯所前である。
幾人もの宦官がなにかを取り囲み、そのまわりを同心円状に女官たちが集まっている。
「冬場でよかったですね」
筵に隠れるは、青白い顔をした女。髪がはりつき、唇が青黒くなっている。
水死体のわりにきれいな姿をしているが、やはり見ていて気持ちのいいものでなかろう。寒い季節で本当によかった。
検死をすべきやぶ医者だが、乙女のように猫猫の背中に隠れている。
まったくもって、やぶ医者である。
今朝、外の堀に浮かんでいたらしい。
恰好からどう見ても後宮内の女官である。
外で処理することはままならず、こうしてやぶ医者が呼ばれたのであるが。
「嬢ちゃんかわりに、見てくれないかい?」
どじょうひげを震わせて、上目使いで見てくるがそんなの知ったことではない。
ひとをなんだと思っているのだろう。
「だめです。死体にはさわるなといわれているので」
「それは意外なことだな」
これまた、失礼なことをいうのは、聞きなれた天上の声だった。
いうまでもなく、周りの女官が嬌声を上げる。作られすぎて、舞台劇でも見ているようだ。
「ごきげんよう、壬氏さま」
(死体の前でご機嫌もなにもありませんが)
普段通り、何の感慨も持たず麗しき青年を見る。後ろには、いうまでもなく高順が控えている。常に、目線で猫猫に訴える苦労人だ。
「で、老師。ちゃんと見てもらえないだろうか」
「わかりました」
少し顔を赤らめながら、やはり気の進まぬ様子で水死体を見る。
恐る恐るかぶせた筵をめくり上げる。
後ろで女官たちの驚く声が響く。
背の高い女で、固い木靴を履いており、脱げた片足には包帯が巻かれていた。指先は真っ赤で、爪がむごたらしく傷んでいる。
衣から尚食のものだとわかる。
「見るのは平気そうだが」
「慣れた風景です」
きれいな花街も一歩裏に入れば、無法地帯である。
若い娘が犯され、まわされ、無残な姿で見つかることも少なくない。
一見、遊女は籠に囲われ自由がないように思えるが、一方で周りの危険に巻き込まれないよう保護しているともいえる。
「後で見解を聞こう」
「わかりました」
(冷たかっただろうな)
猫猫は、やぶ医者が検死を終えると、筵を丁寧にかぶせてやった。
今更やっても意味のないことであるが。
連れてこられたのは、宮官長の部屋だった。
いつもどおり、宮官長は外で待機してもらっている。
翡翠宮で、死体の話をするなど避けたかったからだ。
赤子のいる場にふさわしくない。
(いっそ、自室作ればいいのに)
年嵩のいった長に頭を下げる。
毎度毎度申し訳ない。
「衛兵の見解としては、投身自殺といっているが」
塀を上り、堀に身を投げたのだろうと。
娘はやはり尚食の下女で、昨日まで働いていたらしい。そうなると、昨夜に身を投げたこととなる。
「自殺かどうかはわかりませんが、少なくとも一人では無理だと思います」
「どういうことだ」
優雅に椅子に座る壬氏は優美な声できいてくる。
先日の妙に慌てた青年とは別人のようである。
「城壁にはしごがありませんでした」
「そりゃそうだな」
「鉤縄使って上れますか?」
「そりゃ無理だろうな」
試すように聞いてくる、本当にやりにくい。
いちいち聞くなと言いたいが、高順が見ているので黙っておく。
「別に、道具も使わずに上る方法はあるのですけど、あの女官には無理でしょう」
「なんだ?どんな方法があるんだ?」
以前、芙蓉姫の幽霊騒ぎの際、猫猫はずっとどうやって外壁を上っていたのか疑問だった。よじのぼれるものではない。
気になったらわかるまで追求するのが性質なので、城壁を丹念にまわってみたのだ。
見つけたのは、外壁四隅にそれぞれある突起である。わざと壁から煉瓦が飛び出しており、それに足をかけると上れないこともない。舞踏が得意な芙蓉姫ならなんなく上っていたことだろうが。
「大抵の女性なら難しいでしょうし、ましてや纏足のものは」
女の足には包帯で巻きつけられ、小さな木靴を履かされていた。足を潰し、布で閉じ込め、木靴に押し込める。足が小さければより美しいという基準のもと、その行為はおこなわれる。
「他殺だというのか?」
「わかりません。ただ、生きたまま堀の中に落ちたことは確かだと思います」
赤く血に染まった指は、何度も堀の壁をかいたに違いない。
冷たい水の中、考えたくもないことだ。
「もっと詳しく調べられないのか?」
断りきれないような甘い笑みを浮かべられても困る。
できないものはできないのだ。
「私は死体には触れるなと、薬の師に教えられました」
「なぜだ?忌を嫌うからか?」
薬師となれば、病人やけが人に触れる。死人とも接触は少なくなかろうと言いたいらしい。
「人間も薬の材料になるんです」
猫猫は、ぼそりと理由を言った。
どうせやるなら最後にしておけと、おやじどのから言われたことだ。
一度、手をだしたら墓荒らしくらいするだろうと、なんとも失礼なことを言われた。
それくらいの良識はあると言いたいところだが、なんだかんだで言いつけを守っている。
まあ、そういうことである。
壬氏と高順は、呆気にとられ、顔を見合すと、「なるほど」と首を縦に振りあう。高順など可哀そうなものを見る目でこちらを見ている。
まったくもって失礼であると、猫猫は震える拳を抑えるのだった。
その後、風の噂に聞いたのは、死んだ娘が先日の毒殺騒ぎの場にいたことだった。
それらしい遺書も見つかり、自殺ということで事件は幕を閉じる。
世の中、誰かの思惑で嘘も真になるものである。