二、玉の血筋
猫猫はやぶ医者の足に湿布をはる。ろくでもない子どもに叩かれた傷は、翌日腫れてしまった。内出血を起こしている。
「二、三日は安静ですね」
猫猫は、やぶ医者の仕事を休みにして部屋の寝台で寝ていてもいいと思う。しかし、本人が仕事やるよ、という以上、診療室を追い出すわけにいかない。
(いてもいなくても問題ないと思うけど)
それを口にするほど、猫猫はやぶ医者に冷たくなかった。
「ううっ、痛いねえ」
「すまねえ、おっちゃん」
李白が頭を下げる。ほんの少し、李白が離れた瞬間にやってきた。残っていた護衛が真っ青な顔をして謝っていたのを覚えている。
護衛の不注意はほんの一瞬だった。
相手が子どもだったのもあろう。だが、それでもかいくぐり子どもがやぶ医者に暴力を振るうことができた理由があった。
(私の護衛なんだろうな?)
表向きは、医官の護衛だ。だから、本来やぶ医者を守るべき立場だった。でも、残った護衛は猫猫についていた。
猫猫の前では表立って特別扱いされていない。おそらく、壬氏あたりの配慮だろうが、暗黙の了解として猫猫が何者なのか知られているのだろう。
(あの変人の娘と思われるのは嫌だなあ)
なので、猫猫も相手が触れない限り、一介の医官手伝いとして振る舞う。それしかない。
でも、その結果、やぶ医者が危険にさらされるのは困る。
昨日の護衛は、まだ要人警護には慣れていない武官だったらしい。李白が申し訳なさそうに、手洗いに行ったのもその点があったようだ。
医務室の警備は、李白が固定で他の護衛は順番でまわってくるが、最近新顔が多い。
「とんとんとーん、しつれいしまーす」
医務室の戸を叩く真似をして入ってくるのは雀だ。
「やぶさーん、お見舞いですよぅ」
雀は果物を持ってやってきた。
「雀さん、すまないねえ」
(いやいやいや)
普通に『やぶ』と呼ばれているところは、気にしないのだろうか。
「猫猫さん、昨日のやぶさんを襲った不届き者が誰か知りたいですか?」
「誰ですか? この屋敷にいるということは、玉袁さまの孫かひ孫あたりでしょうけど」
「大当たりです。玉鶯さまの長男の息子さんです」
(やっぱり)
玉鶯は、玉葉后と親子ほど年が離れていると聞いていたので、あれくらいの孫がいても可笑しくない。
「名前を玉隼と言うらしいですよぅ」
雀が指で字を書く。玉鶯といい、子どもには鳥の名前を付けるのだろうか。
「そして、その玉隼が謝罪したいということでお母上とともに、今、医務室の前にいるのでどうしますか?」
「そっちを先に言ってくださいよ」
猫猫はやぶ医者を見る。
やぶ医者はにっこりと笑う。
「悪いことをしたと思って謝るっていうなら、通してあげようじゃないか」
(おひとよしだなあ)
猫猫は思いつつも、被害者はやぶ医者なのでやぶ医者のいうことを聞く。
「どうぞ」
猫猫は不機嫌な顔で、医務室の戸を開ける。
すると、これまた不機嫌な顔をした玉隼とかいう餓鬼と、おどおどした顔の女性が立っていた。
「この度は息子が申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる女性。生意気な餓鬼の頭を押さえつけ、謝らせようとする。
「お、おれはあやまらない!」
「謝りなさい!」
「いやだ、やだ」
駄々をこねる玉隼。
母親は苛立った顔になり、大きく手を振り上げた。ぱぁんと音が響くとともに、玉隼の体が倒れこむ。
平手打ちは傷には残らないが、音がよく響く。おそらく怪我はないだろうが、まだ体の小さな子どもなので衝撃に耐えきれなかったのだろう。
「謝りなさい!」
母親は泣き出しそうな顔をしていた。
玉隼は鼻をすすり、口をぎゅっと閉じていた。
「も、もうしわけありません」
いかにも形だけの謝罪だ。
この様子だと、またやらかしそうな気がするが、やぶ医者がおろおろしながら母親を見ている。
「もういいよ、私は気にしていないさ。大丈夫だから頭をあげておくれ」
「申し訳ありません」
母親は念を押すようにもう一度頭を下げる。
顔を上げた玉隼は、忌々し気にやぶ医者をにらんでいた。
母子が帰ると、どっと疲れが来る。
「大丈夫かねえ。あんなに思い切りひっぱたかれて」
やぶ医者は反省の色がない子どものことを心配していた。
「親のげんこつなんて普通だろう、おいちゃん。男ならやっとうで気絶するまで練習するもんさ」
「そうですよ、あんなもんじゃないですかぁ? 棒で叩かれないだけましですよぅ」
「平手ならいいですよ。ただ、外から見えない位置に傷があれば問題ですね。みぞおちとか苦しいですけど見えませんし」
李白、雀、猫猫が感想を述べる。
「みんなはいったいどんな環境で育ったんだい?」
やぶ医者が少々引いていた。
ただ、やぶ医者の心配もわかる気がする。
「なんだか、母親はずいぶん慌ててましたね。確かに、皇弟付きの医官さまに怪我をさせたとなれば、大問題ですけど」
大問題には違いない。だが、母親にはそれ以上の焦りが見えた気がした。
「そこのところは、雀さんが説明いたしましょうか?」
雀が人差し指を天井に向けて姿勢を取る。
「なにか理由があるのかい?」
やぶ医者が食いつく。李白も興味深そうだ。猫猫も気になるが、あくまでみんなと一緒に話を聞きますよ、の立ち位置にいよう。
「玉鶯さまがお亡くなりになりました。現在、西都を誰が中心となって治めるかで大変てんやわんやでございます。玉袁さまの他のご子息や、中央出身の陸孫さん、はては月の君まで名が挙がっている始末」
「はい、聞いております」
主に、妙に愚痴っぽい壬氏から。
「しかし、本来、最重要な位置に立つべき相手が土俵にいないことはご存知ですか?」
「……普通なら玉鶯さまの息子が継ぐべきって考えに至るな」
李白のいう通りだ。だが――。
「はい、しかし、そのご子息はまだ将来のことだと政治関係にはまったく触れずにいました。あまりに無知なため、除外されている始末です。ここ、おかしいと思いません?」
「そうだねえ。普通はもう少し勉強させていると思うけどねえ」
やぶ医者がうなる。
「ここまで言えば猫猫さんあたりはもう想像がつくと思います。実は玉鶯さまの長男はどうしようもないどら息子なのでした!」
雀は両手からひらひらと紙吹雪を舞わせた。
「親戚からも後継者扱いされずに、はたまた血縁でもない人間を長にあげようとするってことは、かなりひどい放蕩者ってことだよな?」
李白が腕組みをする。
「そうですよう。長男は御年二十五。本来なら幼いころから帝王学を学び、いつでも後継者になれるようふるまうべき人なのですが、素行が悪すぎまして」
「どんなことやらかしているんですか?」
「玉袁さまのところの下から二番目、七男にあたる方が二十五歳の同い年なのですが、相性が悪く喧嘩ばかり。一度、真剣を用いた決闘をおこしてます」
(ん?)
「それから、密造酒を造り、瓶をよその酒造所から拝借、粗悪品を売り払う。瓶を盗まれた酒造所は肩書がた落ち。なお、玉袁さまの三女が経営している酒造所です」
(んん?)
「あと、以前農村に向かった際、盗賊に襲われましたね。どうやら金持ちの情報を漏らしてたこともいくつか関わりがあるようです」
(んんん?)
猫猫はちょっと待ったと、手で雀を制止する。
「よく玉鶯さまは勘当しませんでしたね?」
「たぶん長男だったのもあるんでしょう。玉鶯さまは妙なこだわりがあるようなので、次男、三男には政治に関する教育を何もしていなかったようです」
雀はどこからか取り出した麻花兒をぼりぼり食べている。やぶ医者と李白ももらって食べていた。
「玉鶯さまのご兄弟としては、自分たちの仕事は手一杯なので西都を治めるのは難しい。だからと言って、玉鶯さまの長男に任せるのは絶対だめだ。ということで、時間稼ぎに陸孫さんや月の君の名前を出したのでしょう。次男、三男は優秀なので、時間稼ぎの間に教育。それまでに長男を廃嫡する計画が練られているようです。玉鶯さまがいない今、長男の後ろ盾はないも同然ですから」
「雀さんは物知りだなあ」
やぶ医者が感心するが、たぶん、普通に知っていたらいけない情報だ。
玉袁の子どもたちだけのことはある。皇弟を時間稼ぎに利用している。
「だから、先ほどあんなに焦っていたわけですね」
長男の嫁となっても廃嫡されたら意味がない。さらに、皇弟付きの医官に怪我をさせたとなれば、肝が冷えただろう。
「なので、しばらく次男三男のどちらかが月の君の下につくと思われます。残ったほうは陸孫さんですね。どちらかが早く育てば、私たちも中央へ帰りやすくなるでしょうねえ。さて、雀さんも仕事に戻りますか」
おやつも食べ終わったし、と言わんばかりに立ち上がる雀。
猫猫は挙手する。
「質問です、雀さん」
「なんですか、猫猫さん」
猫猫は、今、この場所が本邸だということを思い出す。
「そのどうしようもないどら息子が、この本邸にいるってことですか?」
「あんまり家には帰らないみたいですけど、鉢合わせになる可能性は十分ありますねぇ」
雀は、ぱちんと片方の目を閉じて見せる。
(旗立てるようなこと言わないでくれよ)
猫猫は、前途多難な未来を想像しそうになり、無理やり頭を振って忘れることにした。