四十九、次の長
泣き女たちの声が響くのが、離れた場所にいる猫猫にも聞こえた。
邸の前に列ができているのも、別邸の二階から確認できた。
「大変ですねえ」
他人事のように雀が言う。
「お葬式はしめやかにと言いますが、西では派手なんですねえ」
「これでも控え目なほうじゃないですかね」
猫猫は窓から離れると、卓の上にある草を見る。草原に自生している薬草を集めたものだ。雀が持ってきてくれた。
薬草の処理を行おうとしたら、驚くべき話が舞い込んできたのだから困った。
玉鶯が殺されたらしい。
殺したのは玉鶯に対して前々から金の無心をしにきていた農民だという。
話を聞いて驚いたのは半分、残り半分は納得と妙な安堵と不安が入り混じっていた。
「農民ですか?」
「はい。猫猫さんはご存知ですよね。玉鶯さまの施しが過ぎる件については」
施しという言い方をするが、実際は金貸しだ。
「そうですね。お金を貰う方は、相手は神さまじゃないとわかるべきだと思いますね。どんな条件で貸し出されていたんですか?」
情報通の雀なら知っているだろうと猫猫は聞く。
「はい。そのとおり。無料で貸すわけじゃなくて、有事の際に人手を差し出すという条件っぽかったみたいです。でも、有事なんてそうそう考えないでしょうね。もっと西よりの村ならともかく西都周辺であれば異民族が攻めてくるような例はありませんもの」
地理的に遠く、少なくとも自分の世代で戦など起こるわけもないと考えた結果、先日の暴動があった。玉鶯が壬氏を庇うように見せかけて戦を誘導したことが殺す切っ掛けだったらしい。
「わからなくもないですけど」
猫猫は、玉鶯を殺した農民の気持ちも少しだけわかる。人は自分に火の粉が降りかかるまで、関係ないと思うのだ。貧しいほど自分のことしか考えられなくなる。視野が狭い故に、目先の欲に飛びついてしまうのだ。
「一つ聞いていいですか? その殺した人というのは?」
「すぐさま討ち取られた模様です。それでもって農民の家族については、事が公になる前に話を知らせました」
雀さんは猫猫が聞きたいことをついでに言ってくれる。皇族が命を狙われたら族滅させられるのだ。皇族ではないが、玉葉后の兄であり玉袁の息子だ。猫猫たちの印象は悪いが、西都では多大な支持を得ていた。たとえ実行した犯人がすでに殺されたとしても家族には危険が及ぼう。
「上手く逃げたのでしょうか?」
「雀さんにはわかりません。ただ、西都では私刑が法律上、禁止されているのでちゃんと逃げてくれないと困りますねえ」
法では禁止されているがどこまで抑止力が働いているかわからない。皇弟のいる別邸に詰めかけたくらいなので、民の平常心はかなり無くなっている。
「それで、猫猫さん他に何か聞きたいことありますぅ?」
雀がどやっとした顔で椅子に座っていた。猫猫も座り、半分しおれかけた薬草を持つ。枝から葉っぱだけを取って乾燥させる予定だ。
「どうするんです? 仮にも領主代行ですよね。仕事とか色々」
「それがですねえ」
雀も手伝ってくれるのか、枝を持つ。ふざけたところはあるが有能な侍女は猫猫の真似をして手際よく葉っぱを千切っていく。
「昨年、もう一年経っていますかねぇ。かなりの量の仕事は陸孫さんが受け取っていたみたいですよぅ。副官がやっていた仕事とかも合わせると、ある一点を残して問題なさそうです」
「なんかある一点が致命的すぎそうなんですけど」
「ええ。顔になる人がいない。これ、大変」
「あー」
猫猫は納得する。同時に疑問もある。
「仕事を考えると陸孫がやるのが妥当ですけど、中央から来た人間ですしねえ」
蝗害の対応など見たら、十分指導力はあるように思えるが、後釜にするには弱すぎる。
「思ったんですけど、玉袁さまって他にもたくさんお子さんいらっしゃいますよね?」
猫猫は確認するように訊ねる。
「ええ。いますともいますとも、男子だけでもあと五人はいらっしゃいますよ」
「その中の誰かは駄目なんですか?」
「それがですねえ……」
雀は歯切れが悪い物言いをする。
「皆さん、専門職があるんですよぅ」
「専門職ですか。どんな?」
「船であったり、焼き物であったり。職人さんが多いのですよぅ。いくら優秀でも羅半兄は国政には向かないでしょう?」
鍬じゃなく、机仕事をしている羅半兄を思い浮かべる。たぶん、普通にこなせると思う。思うが畑に出したほうが十倍役に立つ。
そして、上に立つ人が普通にできても駄目だ。優秀でも一つ間違えればすぐさま首を替えられる。
「もう一人くらい政治に強い人育てても良さそうですけどね」
「長兄と争いたくなかったのかもしれないですよぅ。あと、政治の面では誰より出世しているのは玉葉后ですし」
「そういえばそうですね」
帝と縁戚関係を結ぶ。これ以上の出世はないだろう。そして、玉袁は商人上がりでありながら、帝の舅になってしまったのだ。
だが、困る。
誰が西都を治めるというのだ。
「玉袁さまが今更西都に帰ることはないでしょうね」
「立場上難しいですね。死んだのが実の息子であっても、今の西都に戻ることはないと思います。そういうわけで、葬儀が済んだあとはその話し合いで月の君は大変でしょうね」
「他に何人か偉い人っていますよね。そこでなんとかなりますか?」
「雀さんに聞かれても困りますよぅ。だけど、一つだけわかりきったことがあります」
雀はずずいっと猫猫に顔を近づける。
「な、なんでしょう?」
猫猫はちょっと押されつつ聞き返す。
「どういう結果になっても、月の君が疲れて帰ってきます。疲れを吹き飛ばす薬湯、できれば苦くないものがいいです」
「……用意しておきますね」
猫猫は葉っぱをむしりつつ、持ってきた蜂蜜がやぶ医者に全部食べられていないか確認しておかなくてはと思った。
雀の予想通り、翌日壬氏の疲れ具合は半端なかった。往診でいつもならすぐさま騙されるやぶ医者もあからさまに病気を疑っていたくらいだ。
「疲れたのでもういい。帰っていい」
と、壬氏が言ってしゅんとなって帰っていった。なお、猫猫は居残りだ。
(ちょっと気まずいなあ)
ちゃんと面と向かって会うのは補充と称した回りくどい行動以来だ。ただ、壬氏の疲れが半端ないので何があったのか聞きたいという好奇心もある。
すでに、壬氏付の者たちは全員情報がいきわたっているのか、どよんとした空気を纏っている。一体、どんなお疲れ話をしたのだろうか。
「とりあえず座ってくれ」
壬氏に言われるがまま座る。作ってきた薬はもう水蓮に渡していた。
「何があったか聞いてくれ」
「何があったのでしょうか?」
言われた通りに質問する猫猫。
「それがなあー」
正直、臣下の前でこれだけぐだっとなっているのは、久しぶりではないだろうか。高順しかいないときはたまにこういう風にだらけた雰囲気になることもあったが――。
(水蓮に、桃美、雀に、馬閃……)
あと姿は見えないが馬良もどこかにいるのだろう。
全員の前でだらける壬氏。水蓮や桃美がお小言を言いそうだけど言わない。それだけだらけるだけの理由があるのだろう。
そっと水蓮が薬湯を壬氏の前に置く。湯というが汁物に近い。下手に苦味を甘さで誤魔化そうとすると変な味になるので、いっそ汁にした。薬草に疲れを取る野菜を加え、乳酪や乳を使った煮込み料理にした。すじ肉を歯で簡単に噛み切れるまで煮込んでいる。
正直、皇族が口にするには素材としては粗末で雑味が多いだろうが、猫猫なりに考えて一番効きそうな物を作った。薬だった名残に、緑色をしているが不味くないはずだ。やぶ医者、雀、李白には美味いと太鼓判を押してもらっている。
「っふう」
汁を口にして息を吐く壬氏。聞いてくれというわりに勿体ぶっている。ただ、口にあったようで匙を突っ込んで、具を食べていた。
(腹も空いているのか?)
一口食べると止まらなくなり全部食べ終えてしまった。てらりと光る唇を手の甲で粗野に拭う。年相応の青年らしい仕草だ。
だが、次の瞬間、きりっとした顔になる。だらけた姿勢を直し、疲れた表情も薄れていた。切り替えが早い。
「西の地を誰が中心となって治めるか、やはり話し合いは堂々巡りだった」
「でしょうね」
ちらっと桃美を見つつ猫猫が答える。水蓮や雀の前ならまだいいが、桃美の目はやはり怖い。どこで猫猫の態度を不敬ととらえるかわからないので少し冷や冷やしている。
「玉袁殿の他の息子を出す案は、皆が皆断ってきた。それぞれ別の分野で優れた者であり、政治には不向きだとの発言だ。全員が全員だ」
壬氏は強調する。拳も握っていた。
「次に玉鶯殿の副官などを当たった。仕事としては問題なさそうだが、どうにも上に立つ気概がなかった」
「副官であるほうが居心地のいい性格だったと」
「ああ」
そういう人間はいる。皆、誰もが出世を望むわけじゃない。地位は無くとも、食うに困らないのであればそれでいいという人はいる。玉鶯の副官にはそういう性格の者ばかりだったらしい。
(集まったのか集めたのか)
頂点に立たなくてもある程度の地位でよければ副官のほうがいいだろう。真面目過ぎる性格だと、仕事を抱え込み胃が荒れてしまうが。
「西都の有力者も当たった。答えは、否だ。理由は、商売として利点より弊害が大きいらしい」
「ものすごく商売人気質ですね」
「そういう街だからな。玉袁殿くらい力が大きければいいんだが、他の商人たちの力関係はほぼ同じくらいだそうだ」
西都の商人の勢力がいくつあるか知らないが、下手に出てくれば他勢力に潰されることもあるのだろう。今は蝗害によって手一杯だろうし、仕事を増やしたくない気持ちはわかる。
「私としては一人、思い当たる人物がいたんだが――」
「はい。誰ですか?」
「陸孫だ」
猫猫は名前を聞いて、そうなるよなあと思う。猫猫でさえ名前が浮かぶのだから、壬氏は考えているだろう。何より雀がちゃんと報告しているに違いない。
「なんか納得していないか?」
ちょっと引っかかった顔をする壬氏。
(うん、面倒くさくなる前に言っておこう)
「蝗害の時、慌てずに行動していたのを見ていましたから。それに、変人の副官を務められる肝の太さはありますよね?」
客観的に見て高い能力だとわかる。
「はい、雀さんも絶賛しております」
しゃきっと手を伸ばす雀。横に猛禽の目が光っている。
「だが、中央から来た委託の身だと言い出した」
「ですよね」
陸孫が中央から来た以上、あまり出しゃばらないほうがいい。
雀の言った通りの流れだ。
(いっそ、西都出身とかなら話は違ったろうけど)
猫猫は「ん?」と自分の考えに何か引っかかりつつも、気のせいかと切り替える。
「それどころか、私に長をやれと言い出した」
「はあ⁉」
さすがに猫猫も立ち上がって声を上げてしまった。
猛禽類の目が猫猫に向かう。気まずいまま椅子に座りなおす。
「どういうことですか?」
「そのままの意味だ。仕事的には今まで通り副官たちが行う。ただ、私には顔として残れと言い出した。あの、陸孫と、いう、男が!」
(うわー)
これは疲れるわけだ。あえて強調するように言ったのが要点である。
「私は委託どころか、客人のはずだよな?」
確認する壬氏。
「そうですね」
「本当ならもう都に帰ってもおかしくないよな? なんで周りも私を見ていたんだ? なあ?」
「そうですね……」
確か短くて三月くらいだった記憶がある。でも、長くてどれくらいかは聞いていない。
(今、何月目だったっけ?)
指折り数える猫猫。五か月近く西都にいた。船旅を合わせるともう半年近く都を離れていた。
本当に玉鶯という男ももう少し時期を待って殺されてもらいたい。いや殺されるのを良しとするわけではないが、壬氏への、皇弟への誤解をしっかり解いてから死んでしまった。民を戦に焚きつけるだけ焚きつけて。
どこまで迷惑なおっさんだろうか。
(でも生きていてもどうなっていたか)
これだけ西都に力を持った男が戦をけしかけていたら、壬氏の立場でもいつまで反対できるかわからない。
砂欧への戦回避はできたかもしれないが――。
「でも、じ、壬氏さまは」
猫猫はちょっとためらいつつ、壬氏という名を使う。猛禽類、本当に目が怖い。
「どちらにしろ、残るつもりでいましたよね?」
「……」
無言なのが正解だ。
面倒臭いならさっさと蝗害があった時点で帰ればよかったのだ。立場を考えると誰も文句は言えないし、実際帰路に誘う文の一通や二通あっただろう。
蝗害で民が荒れ、異民族から攻められ、人心が荒れている中での指導者不在。考えるだけ嫌になる流れでも壬氏は考えているだろう。
「西都はこのままにしておけませんよね」
「そのとおりなんだ」
はあっと大きく息を吐く壬氏。またお疲れ顔に戻っている。そして、猫猫をちらちらと見る。
「なんでしょうか?」
「……おそらく、今の状況なら中央に戻ったほうがいくらか安全だろう」
誰がと考えつつ、それが猫猫を指していることに気付く。
「でしょうね」
猫猫の安全のため、とか言いつつも、結局飛蝗まみれになったし、暴徒が別邸につめかけてきた。
でも、ここで言うのは間違いだ。
「今更帰れとは言わないでくださいね。もれなく変人軍師も戻りますよ」
猫猫は釘を刺しておく。
(本当は帰りたいけど、とても帰りたいけど)
我慢する。
「変人軍師がいなくて中央がどれだけ困るかと言えば、正直問題ないでしょう。むしろ、多少うるさくてもまだ西都にいたほうが使い勝手がいいのではないですか? 将棋仲間もいますし」
「しかし」
「私がほいっとどこかにやっても戦況に問題のない歩兵なら仕方ないです。私は壬氏さまにとって歩兵でしょうか?」
「……」
「何か言いたいことはありませんか?」
「……たい」
壬氏が目をそらしつつ、口を開く。
「さっきの、煮込みがもう一杯食べたい」
「……はい、おかわり持ってきます」
これは利用価値があって残すという意味でいいのだろうか、と考える猫猫。やぶ医者が夜食に食べつくしてなければいいなと、思いつつ皇室御用達の看板掲げて問題ないかと不埒なことを考えた。