四十四、舞台
ぱちぱちと火が爆ぜる。
猫猫は、竈に追加の藁を入れる。
(家畜の糞のほうが使いやすいかも)
おそらく気を使って、燃料を家畜の糞ではなく藁にしてもらっているのだろう。でも、糞のように固まっていないので、熱風で飛ぶこともある。薪や炭は高級品なので、西都にはめったに売ってない。
鍋で薬をことこと煮る。煮詰めて、丸薬にするのだが、どうにも眠い。
(疲れてるなあ)
いつも通り業務をしたつもりだが、疲れる理由もわかる。
本当に疲れている時は、疲れていると気づかない。疲れの頂点を過ぎて、やや体が休まった頃にどっと来る。
なので、火花が飛んで予備の藁に火がついたのに気付くのが遅れた。なんか暑いなあ、と横を見たら火が上がっていた。慌てて消して事なきを得たが、やぶ医者には心配され、天祐には大笑いされた。
(いかんいかん)
火は気が緩んだ時に、大きくなる。
気を引き締めた。
そして、火というのは只の火だけではない。
七十五日目。
事件は起こった。
夜中、猫猫は外の騒がしさで目を覚ました。乾燥地の外は寒く、上掛けを羽織って窓から外を見る。中庭に衛兵がいた。
寝ぼけた眼を開くと、すぐに服に着替えた。
階下には、李白がすでに起きて待機していた。枕を抱えたやぶ医者は寝間着のままだった。李白に無理やり起こされたのだろう。
「何が起きたんでしょうか?」
猫猫は李白に確認する。
「俺も何があったのかわからねえけど、いくつか心当たりがある」
「なんでしょうか?」
「ふぃー」
寝ぼけたやぶ医者の寝言が聞こえるが無視する。
「数日前、西の砦から伝令があった。異民族が押し寄せてきて、食糧庫をおそった」
「食糧庫ですか……、それはその……」
政治に疎い猫猫でも、予想がつきすぎてしまう。
「ああ、なんとかかき集めた備蓄の食糧だ。支援を増やせと声が大きくなる」
西の砦というのだから、砂欧との国境近くだろう。
「ということで、数日間、お偉いさんたちはどうするか話し合いの場にいる」
「道理でここの所、仕事がひと段落したと思ったら」
嵐の前の静けさとはこのことだったわけだ。
「支援をしようにも今のところ手一杯。ならばどうするかといえばきな臭い話に移行するってところ」
「きな臭い、というと?」
猫猫が知らないことを李白は知っているようだ。
「戦をおっぱじめようって話になる」
(そうだよねえー)
食う物が無くなったら他所の土地を襲う。古来より人間、いや動物がたどってきた道だ。
「でも、壬氏さまは反対するでしょう?」
「そうだ。そして、今」
がやがやと声が聞こえる。
「怖気づいた箱入りの皇弟さまに抗議だとよ」
わかり切っていたし、時間の問題だと猫猫も思っていた。むしろ遅かったほうかもしれない。
(さてどうすればいいだろうか?)
猫猫ができることはたかが知れている。とりあえず農業用の荷車を用意して敷布を敷いた。
「医官さま、どうせ寝るならこの中に寝てください」
「ん、んん……」
やぶ医者は荷車の中に手足をはみ出しながら眠りについた。
「嬢ちゃん、何それ?」
「医官さまが逃げ遅れないようにですよ。走ったところで、後宮の纏足した侍女より足が遅いかもしれません」
「うーん、嬢ちゃんならともかく、おっちゃんは横抱きにして運べねえからなあ」
「しかし、皇族への抗議なんて」
猫猫は李白に話しつつ、鞄に傷薬とさらしを突っ込む。李白に至っては、油つぼの中身を革袋に移していた。
「都でやろうもんなら、首謀者は処刑、与した者も鞭打ちにされちまうぞ」
「それだけ感情が高ぶっているんでしょうね」
民衆は、集団で癇癪を起している。
「困るねえ、俺たちだって殺されるくらいなら殺す側に回るんだけどなあ」
李白は、苦笑いを浮かべつつ、布を引き裂き棒に巻き付けている。材料になる薪はないので、椅子の足をへし折っていた。武官だけあって、戦の仕方は教わっているのだろう。
「ただ、これだけあからさまにやってくると、問題なのはその統治者だよなあ」
「そこのところはよくわかりません」
「民衆が勝手にやったと言うが、そこまで放っておいたのは玉鶯さまだぞ。民草の首を一つ二つ差し出したところで皇族の名誉を傷つけられた代償にしては安い」
猫猫だって、わかっている。それだけ皇族と民の命の重みは違う。
「いくらなんでもあからさまに自分の人気取りをやりすぎていた。いくら壬氏の旦那が温厚でも目に余る。旦那がおさえても、周りは済まねえ。もうとっくに中央には話がいってるんじゃあないか?」
「……そうでしょうね」
壬氏と変人軍師の他にもう一人お偉いさんが来ているらしい。その人物が誰かわからないが、中央への連絡を怠るとは思えない。
「質問ですけど、今西都にやってきている偉い人ってどなたですか?」
「今頃、その質問する?」
「聞いても名前覚えられる自信がなかったので」
「あー」
なんだか腹が立つ納得の声だった。
「ええっと、でも影の薄い人だったなあ。名前なんだっけ?」
「李白さまもあんまり変わらないじゃないですか?」
「ええっと、確か祭事取り扱っている人だった気がする」
「祭事って、あんまり関係ないですよね? どうしてそんな人がついてきてるんです?」
正直な感想だ。
「知らねえよ。でも祭事って皇族がするもんだろ? 壬氏の旦那がいなくなると暇になるからって、人数合わせについてきたんじゃね?」
そう言われるとそうかもしれない。
猫猫たちがいろいろ準備している中、大きな音が聞こえた。詰めかけた民が別邸を襲っているのか。
「どうしましょうか?」
怪我人が出たら手当をしたい猫猫だが、まず自分の身の安全だ。何かあったときは即席松明に火をつけて投げるくらいしかできない。
(あんまりやりたくないけど身を守るためには仕方ない)
そんな中、医務室の扉が叩かれた。
身構える猫猫と李白。
「猫猫さーん、いますか?」
雀だった。
李白が扉を開ける。
「現状どうなっているか説明いります?」
「お願いします」
雀はいつもどおり緊張感がない声だ。手には旗を持っている。
「民が押しかけてきました。予想通りのうっぷんが溜まって爆発した感じですね。月の君に出ていけだの、出せだの大声で叫んでおります」
「はい、大体想像できます」
「そんでもって、今さっき大きな音がしたと思います」
「しましたね」
「月の君が表に出てきたのと、同時に玉鶯さまが到着しました」
猫猫はがばっと医療器具が入った鞄を持つ。
「大丈夫です。玉鶯さまはさすがに皇族には手を出しませんが、何か面白いことになってます」
「雀さんが言う面白いことってろくでもない気がします」
「ともかく表に出てみてください」
雀に言われるがまま猫猫は外に出る。李白もついてくる。
「医官さまは?」
「うん、一応連れて行きますかあ」
面倒くさそうに荷車を押す雀。ちらちら李白を見ているので、李白がかわってやる。
外に出るとよく響く男の声が聞こえた。
「皆はわかるか? こちらにいらっしゃる月の君がいかに西都の民のためにしてくれたのか?」
ざわざわと民衆の声。
「炊き出しに使われている穀物は月の君がはるばるお持ちくださったものだ。今、我々が飢えずにすんでいるのも月の君のおかげなのだぞ!」
(なんだ、これは?)
声の主がまだ壬氏の身内ならわかる。だが、聞く限りでは玉鶯の声だ。
猫猫は速足で急ぐ。人だかりができている表門ではよく見えない。
「猫猫さん、猫猫さん」
雀が木登りをしていた。猫猫も同じようによじ登る。
「落ちんなよ!」
李白は木の下で落ちないように見ている。
木の上からどうなっているのかよく見えた。
壬氏、その後ろに馬閃がいる。その前には玉鶯がいた。玉鶯は壬氏と民衆の間にいて、その周りはまるで舞台のようになっていた。
「蝗害もいち早く反応してくれた。私もできるだけの処置をしたつもりだが、被害がこれだけで済んだのは偏に月の君のおかげによるもの。すぐさま中央から支援が来たのは、月の君がいらっしゃるおかげだ。それがわからないというのか?」
なんだろう、これは。見事な手のひら返しではないだろうか、と猫猫は思う。今まで散々、壬氏の手柄を奪ってきた男がここで壬氏のやったことを褒めたたえて、民衆に知らしめている。
しかも、ここでようやく壬氏は西都で民衆に顔を出した。凛としたたたずまいの天上人のような容姿は、西都の民でも通じる。頬を染める女性が幾人も見えた。
(ここで普通なら謙遜するところだけど)
確かに壬氏のしたことだった。否定する理由はない。文句が言える相手がいるとしたら、ひたすら体を張って飛蝗退治の旅に出た羅半兄くらいだろう。
なお羅半兄は、別邸内からその流れを見ている野次馬その一になっていた。あまりの普通さに、手に持っている鍬が無ければ気づかなかった。一応、暴動が起きたときのための護身用みたいだが、鍬よりまともな物はなかったのだろうか。
玉鶯の声はよく通る。演説というより、演劇に見えた。民衆はただ玉鶯という男に釘付けになる。
しかし、そこで手を挙げる者もいる。
「お、皇弟さまはどうして、蝗害が起こるとわかったんですか? つ、連れてきたわけでは?」
「それには私から説明しよう。卜占の際、凶兆が出ていた。そして、西に災いがあるという。近年、玉の一族の働きによって栄えた西都で、考えられる災いと言えば蝗害だろうと想定した」
皇弟が直接民に口をきいたことで、民衆がざわめく。美しい声は健在だが、ここでは玉鶯のほうがよく声が通る。
(卜占ねえ)
もしかして、祭事の誰かを連れてきたのはそのためだろうか。下手に、農作物や近年の虫害を数字として出したところで、どれだけの民が理解できるかわからない。占いによって、といったほうがまだ納得できる民衆も多いだろう。
「その通りだ! 大体、虫が来たのを月の君のせいにしてどうする? 月の君が連れてくるわけなかろう? 虫はどこから来た? 西だ、ここよりずっと西から来たのだ」
よくわからないが、ここは笑いどころだったらしい。西都の民がくすくす笑っている。
「もし、非があるとしたら、月の君ではなく、この西都を任された私にある。ちがうだろうか? だから、許していただきたい。天上人であられる月の君に非礼があったとすれば、私の責任だ」
がばっと玉鶯が頭を下げる。頭だけではない、両膝を地面についていた。
「おやまあ」
雀が困った顔をした。
「そして、蝗害を防げなかったというなら、今ここを統治している私の責任だ。民を飢えさせるようなら、罪は私にある。皆、すまなかった」
民衆にも頭を下げる玉鶯。
「玉鶯さま! 顔を上げてください」
「そうです、私たちが勝手にやったことだ。あなたには責はない」
民衆が玉鶯を立ち上がらせようとした。猫猫はそのとき、玉鶯の口がぱくぱくと動いたのを見たが、声は聞こえなかった。
「……そうですね。皇弟さまは何の非もない」
「悪いのは虫を運んできた西の連中だ!」
「そうだ、それだけでなく俺たちの食糧まで奪いやがる!」
そうだ、そうだ、と民衆がまた声を上げる。
(なんだ、これ……)
「違う火がついちゃいましたね」
雀が冷めた目をする。
「違う火って」
「すごいですねえ。何かあるかと思ったら、これまでの茶番はここに繋がっていたわけですかあ」
「茶番って何が」
雀は指をくるくる回す。手から鳩が出てきた。
「月の君を呼び寄せたのも、軍師さまを呼び寄せたのも、あえて月の君に非礼な態度をやったのも、民衆に悪い印象を与えていたのも、このための計算だったんですよぅ」
鳩は雀の手から離れてぱたぱたと飛んでいく。
「西を許すな!」
「食糧を返せ!」
「異民族を倒せ!」
拳を振り上げる民衆たち。先ほどまで中央から来た皇族に向けられていた殺意は、そのまま違う者へと移っていく。
「武生を目指している最中と、羅漢さまはおっしゃってましたけど、脇役もできる人みたいですねえ。むしろ、そっちのほうが上手いんじゃないでしょうか?」
「どういう意味ですか?」
「はい。ここは玉鶯さまが作った舞台です。そして、壬氏さまは図らずものせられ、あろうことか主役にさせられた。皇族への無礼は綺麗さっぱり謝罪し、民への誤解も解いた。その上で、実は有能な見目麗しい役者のような男が立っているのですよぅ。誰だって主役だと思いますでしょ?」
「壬氏さまがここで否定すれば?」
「できますか? さっきまで一触即発だった大勢の民衆がいる中で。しかも、こちらにはひねるも容易い弱い者がいるんですよ」
雀が猫猫に対して何が言いたいのかわかった。
「自分の手は汚さず、さらうこともせず、でも人質にとる。よく考えましたねえ」
うんうん、と納得する雀。
「……では玉鶯の狙いというのは」
思わず猫猫は敬称を付けるのも忘れてしまった。
「武生を目指しているというのが間違いでないとしたら、舞台は西都じゃないのかもしれないですね」
雀はさらに西を見る。
「どうしても、西、砂欧に喧嘩を仕掛けたい理由があるんでしょうね。政治的な利益の他に」
猫猫も西の空を見た。