四十二、慰問 後編
李医官の言う通り、猫の手も借りたい忙しさだった。医療行為を無償で受けられるというのは、それだけ貴重な機会らしい。また、働いている武官たちも立ち寄るので、休む暇もない。
猫猫たちは、李医官に言われた通りに動く。
主な診療は李医官に任せる。診療を受けてどんな容体かで、猫猫は傷の手当をしたり、薬を出したりする。
馬閃は居心地悪そうにしながらも、労いの言葉をかけて袋詰めした薬を患者に渡す。少し慣れてきたところで、ついでに薬包紙を切ってもらえないかと紙と鋏を渡したら、普通に切ってくれた。皆がせっせと動く中で、暇な時間ができるよりはいいと思ったらしい。ただ、小間使いさせるのは恰好がつかないので患者には見えない場所でやってもらう。
(できないことはないんだよな)
馬閃は普通の文官並に働くことはできる。ただ、壬氏の副官であれば、三倍の仕事ができて当たり前なのでどうにも比べられて可哀そうだ。武官が本分であることを加味しても、皇弟の直属の配下ともあればそれくらいできて当たり前という空気なのだ。
雀は珍妙で無駄な動きが多いのだが、仕事が早いので不思議だ。溜まっていたさらしの洗濯、消毒は昼前に終わらせてしまい、猫猫の手伝いやありあわせのもので、食事を作り始めた。
一番暇なのは李白だ。護衛として入口に立っているだけ。残りの二人の護衛は雀にたまに使われていたが、李白は本当に立っているだけなのだ。
「俺、まさにでくの坊なんだけどなあ」
笑っていたが、正直かなり役に立っている。少し野性味を帯びたとはいえ、李医官は西都の民に比べてかなり細い。冷やかしで診療に来る破落戸まがいの人たちも多いらしい。入口に、置物でも六尺三寸ある大男がいれば、かなりの抑制効果になる。誰かにからもうとする患者がいれば、何も言わずに部屋を徘徊してくれるので助かった。
李医官や猫猫にからむのならまだいいが、馬閃を狙われると困る。壬氏の名代として来ているので、短気を起こすのはまずいし、なにより変な言いがかりをつけて火傷をするのはからんだほうだ。
腕っぷしなら馬閃には敵わないだろうし、骨の一本、二本ですめば軽傷だろう。あと、西都の刑罰はよくわからないが、仮にも皇族の名代に手をだしたら、首をはねられかねないことは理解してもらいたい。
そうこうしているうちに、楊医官と天祐が帰ってきた。
「ただいまっ」
まるで自宅にでも帰ってくるような挨拶で戻ってきた。浅黒い肌はやはり現地民といった雰囲気で、後ろにちょっと疲れた天祐がいる。
「おかえりなさいませ、旦那方。診療にします? 食事にします? 診療にします?」
疲れというものを知らない雀が最初に応じる。労うようでまだ働かせる気らしい。
「食事もしたいが、まだ李医官は食事をとっていないだろう?」
「えー、食事にしませんか?」
天祐は疲れていた。右手には治療器具を、左手には布包みを持っている。
「では、食事にしましょうか。制限時間は今から四半時です」
ぱんぱんと手を打つ雀。いつのまにか仕切っている。
「うっし、菜は何だ?」
「菜なんて贅沢品はありません。あるもの全部ぶちこんだ雀さん特製炒飯です。隠し味は、酒のつまみに取っておいた秘蔵の干し貝柱です」
しゃきっとおたまと皿を持って姿勢を決める雀。あまりものというが、薬味や卵も炒めて混ぜてある。美味しそうだ。
「なお飲み物は、葡萄水か山羊の乳の二択です。水はちょっと濁っているのでやめておきます」
井戸に飛蝗が浮かんでいたので仕方ない。雀が笊で水をこしながら洗濯していた。
(飲料水の配布もしたほうがいいかも)
腐敗したままの生水を飲んだら腹を下す。下痢止めの薬が無くなるのは、水が原因かもしれない。
(水を濾して、できれば煮沸したいな)
実は、西都でさらしを洗い、煮沸することはかなり贅沢なことだ。水も燃料も、中央に比べて貴重だ。水は言うまでもなく、燃料も薪や炭はほとんどなく、家畜の糞が多い。
(石炭かあ)
中央が薪や炭の代わりくらいにしか思っていないとして、その価値が戌西州の認識と大きく違うのではないか。
(わざわざ山を掘り出してまで使える利点)
金や銀は代わりがないので、掘らねばならない。わざわざそこらへんに生えている木と同じ価値のものを採掘しようとは思わない中央。家畜の糞ではまかないきれない燃料が欲しい戌西州。
確かに利点はあるが――。
(戦を仕掛けるにはまだ何かありそうだ)
猫猫が唸っていると、肩をぽんと叩かれた。
「猫猫さん、猫猫さん。考え込んで、どこかに意識を飛ばすの多くないですかー」
「雀さん、雀さん。そんなに私はぼうっとしてますか?」
「しているというか、よく口からもれてます」
「……」
猫猫はそっと口に手をかぶせる。
「さて、猫猫さんもごはんをいただきましょう。楊医官に何か言いたいことが、馬閃さんにあるっぽいですよ」
「へえ、面倒くさそうな話ですね」
「はい、おもしろそうな話ですよ」
雀とは解釈の不一致が多い。
炒飯が用意された食卓には、にこにことした楊医官と、不機嫌そうな馬閃が座っていた。天祐は早く飯が食いたいと顔に出しているが、二人とも食べないので食べられない。一応、天祐でも礼儀は知っているのか。
「はははっ、馬閃殿が名代ですか」
「なにか悪いでしょうか?」
初っ端から険悪な雰囲気の楊医官と馬閃。
猫猫は雀を肘でつつく。
「どうしました?」
「あの二人、面識あるんですか?」
「いえ、私が知る限りは初対面ですけどねえ」
小声でやりとりする。
「楊医官ってどういう人ですか?」
「えー、雀さん情報知りたいですぅ?」
「もったいぶらずに教えてください。今度、街歩きでも提案しますから」
「おっ、それは」
猫猫が出かけるところには雀がついていく。雀は外でぶらぶらしているほうが好きみたいなので、この言葉には食いつくと思った。
「楊医官はとても明るく元気で、でも仕事には真面目で、裏表がなく、誰とでもすぐ仲良くなっちゃいますが、正直うちの旦那とは一生わかりあえない人ですね」
雀の旦那、馬閃の兄はいまだ猫猫の前には出てこない。こうぐいぐい来られる人に近づかれたら、発狂しそうだ。
「裏表がないということは」
「李医官の言う通り、政治的なことには興味がないようです。西都の気候や地理に慣れていて、医術の心得がある、なおかつ政治に興味がない人間とくれば、これ以上ない最高の人選でした」
でした、と過去形にするところに、誤算が含まれている。
「まさか、いきなり蝗害が来るし、月の君は評価にこだわらないし、さらには地元人気がやたら高い玉袁さまの一番上の御子様がいらっしゃるじゃあないですかって、話ですよ」
「じゃあ、楊医官は」
「ええ、決して月の君を裏切ったりするようなお人ではございませんよ」
雀の言葉になぜかほっとする猫猫。だが、猫猫が安心しても、納得できていない人がいる。
「どういう意図があるのでしょうか?」
「どういう意図とな?」
平静を装いつつも少し鼻の穴が広がっている馬閃。
本当に何を言われているのかわからない顔の楊医官。
「あなたは、月の君の命でこうして西都に来ている。だが、西都での月の君の評判はどうだろうか? 炊き出しの材料はもとより、こうして診療所を開いているのも月の君だろう?」
「そうだな。大したご慧眼であられる。これだけ大掛かりな蝗害が来て、これだけ西都が落ち着いていられるのも、月の君のおかげだとつくづく感じますな」
楊医官は素直に壬氏をほめている。しかも、さらっと重要なことを言っている。
「まるで蝗害を経験し知っているような口ぶりですな」
よしっ、と猫猫は心の中で馬閃に拍手する。
「知っているも何も何度か経験しております」
「経験? 何度か? 蝗害はここ数十年おこっていないのでは?」
「おこっていますよ。ただ、中央に報告するほど大掛かりな物ではなかったわけです」
確かに楊医官の話はありえないものではない。
「それは怠慢ではないのか?」
「怠慢? 馬閃殿に確認しますが、一体どれだけの穀物が虫に食われたら、蝗害という名称になりますか?」
「……それは、食うに困るくらいだろう?」
「食うに困るとは? ただ麦を自分で食らう分が足りていれば問題ないでしょうか? 他に、売る物があり補填できれば問題ないのでしょうか? では、作付けを二倍にしたが、蝗害に遭い、結局例年並みの収量しか取れなかった場合は?」
「うっ、それは……」
馬閃が詰まる。
楊医官も上級医官だけあって、頭はいいのだ。
楊医官はたとえ話のように言ったが、過去にあった話だろう。
収量は変わらなくても、作付けが大きくなっていれば労働力も経費もたくさんいる。でも、何の補填もなくただ一律に税を取られるのは変わりないのであれば、生活は苦しくなろう。
「茘という国は広大だ。ただ、その広大さゆえに、西の端には目が届かなくなる。あくまで数字の上での収量しか見ないのであれば、蝗害と報告しても撥ね除けられる。ならば、戌西州の中で片付けるしかないとなるのは自明の理かと思います」
楊医官は裏表がない。だから、馬閃にもずけずけと物が言える。
(楊医官でもこう考えるのか)
西都での壬氏の評価が低いのは、中央が何もやってくれないという認識が根底にあるのも大きいようだ。
「しかし、月の君の行動は本当に正しかった。戌の一族を思い出した」
「戌の一族?」
猫猫は思わず聞き返した。
「そうだ、知っているか?」
会話に割り込んだことを気にしない楊医官。馬閃は少し堅い頭をほぐしてからでないと、会話に戻れそうにないので猫猫がかわりに話すことにした。
「ほい、座れ。そうだな、飯食いながらでもいいか? ほれ、食おうか」
「飯!」
ようやく食事にありつけるといった顔の天祐。ずっと黙っていたのは、気力が切れていたからだろうか。
「戌の一族は、蝗害でいつも前面に出て指示していたな」
「……失礼ですが、逆賊では?」
「逆賊? ふん、まあ、なんかやっていたとしても、戌西州のためにやったものだろうなあ。少なくとも自分の知る限りではそういう人はいなかったぞ」
楊医官は匙で飯をすくって食べる。
「戌の一族の人々ってどんな人たちだったんですか?」
猫猫も一口いただく。ぱらぱらの米と卵がしっかり味付けしてあった。薬味と干し貝柱がいい味を出している。こっそり雀に親指を立てて誉める。
「みんな、美人だったなあ。近づくといい匂いしてさあ」
「いい匂いって」
「そうか、知らないか。戌の一族は女系なんだよ。茘の建国物語にもあっただろ、王母の話。あんだけの女傑なら、腹心に同性の女傑もいてもおかしくないだろう。戌の一族はその末裔ってことだ」
猫猫は驚く。しかし、馬閃も雀も驚かない。天祐は飯に夢中だ。
「知らなかったんですねえ」
「知りませんよ」
たぶん、皇族に仕える人たちには常識なのだろうが、猫猫にははるか遠い西の地を治める領主など関係ない。さらに、滅びているなら尚更だ。
「女だからこそしたたかに国境沿いを守れたんだろうな。戌の一族は、婿は取らず、でも綺麗な異国じみた子どもばかり生まれるから。子どもは、女は領主に、男は旅に出されるんだそうだ」
混血を繰り返すからこそ美人が生まれ、混血により他国へ牽制するということか。
「砂欧は巫女の国で相性も良かった。けど、同じ女でも、女帝とは馬が合わなかったのかもしれないな」
「女同士のいさかいについては発言を控えさせていただきます」
しかし、意外なことを聞けてしまった。壬氏も全く話していなかったことなので、本当に知らなかったのは猫猫だけかもしれない。
猫猫と楊医官が話している間に、馬閃は炒飯を食べ終わったらしい。勢いよく匙を置く。食べている間に、いろいろ堅い頭もほぐれたようだ。
「楊医官の言い分はわかった。月の君が中央のつけを払っているという認識で、考えよう。ただ、今月の君の功績が全て楊玉鶯殿に流れている点についてはいささか思うところがある。そして、楊医官も加担している」
「加担? 自分がか?」
「西都出身の楊姓のあなたの仕事は全て、玉鶯殿の手柄となっている」
「本当か?」
天祐に確認する楊医官。
「えー、李医官も言ってましたね。まず、『中央から来た』を枕詞にしてから治療を始めろって。あれが、月の君の命で仕事をしているって意味だと思ってましたけど」
「『中央から来た』っておかしいだろ? ここが出身地だし、何より顔見知りけっこうくるんだぞ」
「じゃあ『皇弟の命により』と言えばいいでしょう?」
「それだとさあ、なんか……恥ずかしくないか?」
この小父さんは何を言っているのだろうか。つまり、都会に出てめちゃくちゃ出世して里帰りしたところで、顔なじみにもてはやされるのが照れ臭いということか。
「猫猫さん、猫猫さん。楊医官は、やぶさんと同じ範疇に分けていいですか?」
「さすがにちょっと毛色が違うので、別枠でお願いします」
「わかりました」
雀が言う範疇とはどんな範疇か、猫猫には想像がついた。
「大体、地元のもんなら、古い楊さんと新しい楊さんの違いくらいわかるだろ?」
「古い? 新しい?」
猫猫は首を傾げる。
「医者の楊さんの家が古い楊さん。玉袁さんちは新しく入ってきた楊さんだよ。今は、子だくさん、孫たくさんで一族いっぱいいるようだけど、元々やってきたときは玉袁さんと奥さんとまだ小さかった長男だけでやってきたんだ。使用人はたくさんいたけどな」
「いえ、そんなの地元民でもかなり四十代以上じゃないとわからないかと」
五十かそこらで寿命が来ることが多い平民で、四十代以上ともなれば数はさほど多くない。
なにより、西都の顔は玉袁の一族になっている。若者にとって、楊といえば玉袁か玉鶯だろう。
「そっか、そういうもんか」
「意外と新しいですね、てっきり昔から代々いたのかと」
「商売の拠点として立ち寄る場所ではあったみたいだけど、ちゃんと住み着いたのはその頃だよ。戸籍見ればちゃんとした時期わかるんだけど」
「戸籍は無理ですねえ。もう焼かれちゃってます」
雀が山羊乳を飲みながら返す。
「そりゃ残念だな」
「ということで、ちゃんと月の君の配下である旨は患者に伝えてください」
本題を馬閃に代わりしっかり伝える雀。
「……しなきゃだめかあ」
大のおっさんが眉を下げる。
「楊医官、物怖じしないのになんでそんなところで恥ずかしがるのかわかんないんですけど」
「うるせえ、天祐」
実力はあるのに、自分をよく見せるのは恥ずかしがる性格らしい。実力主義の劉医官の下だったからこそ上級医官になれたのかもしれない。
「あのー」
猫猫たちをじとっと見る目があった。
「食事終わったのなら、早くかわっていただけませんかね?」
恨みがましい李医官が、扉の隙間からのぞいていた。
∧_∧
(`・ω・) 。・゜・⌒)
/ o━ヽニニフ))
しーJ