三十七、三通の手紙
猫猫は、手紙をもらい、与えられた自室で開く。部屋の内装は猫猫らしい薬草がぶら下がった簡素なものに改装していた。
手紙は三通。それぞれ、羅半、姚、燕燕からだった。
(そういえば)
旅立つ前に姚に手紙書きなさいよ、と言われていたような気がする。
(まったく書いてなかったな)
三通の文を見て、どうしようかと考え、とりあえず羅半のものは後回しにする。姚と燕燕の文を見て、どちらにしようかと指を振りつつ姚のほうをとる。長旅でも破れにくいように、丈夫な油紙が裏に貼られていてごわごわしている。普段なら、燕燕が香や紙、花を添えてくれるところだろうが、機能性を優先したらしい。
(手紙なんてまともにつくかわからない距離だものなあ)
内容は、いつも通りのつんとしていて途中、でれっときたものだった。
手紙が全然来ないから、どうしているのか。西で蝗害が起きたと聞いたので仕方なく書いている。それで、そっちは問題ないか、などなど。
丁寧な綺麗な字で、時々、感情が入ると力強くなる。わかりやすい姚の字だ。
(返事書くから)
問題は、文を出したとしていつ届くのかだが、そこは仕方ない。
次に燕燕の文を開く。姚と同じく、油紙で補強した手紙だ。
「……」
猫猫は一度、燕燕の手紙を裏返して、天井を仰いで大きく息を吐いた。目元を親指と人差し指で押さえる。
もう一度、手紙を見る。紙の大きさは姚の手紙と同じ。だが、燕燕は米粒大の字で、経のごとく書き連ねていた。内容は九割が姚だ。これは手紙ではなく、姚の観察記録を見せられているのではと思うくらいだ。
もしかしたら、何か大切なことを言いたかったかもしれない。でも、読めば読むほど、『お嬢様かわいい』としか読めない。
ただ、燕燕は姚がまだ医官と同じ仕事をすることを諦めていないことが気がかりなことがわかる。それと、もう一つ何やら悩みを抱えているようだ。ただ、書いている文が匂わせ、で終わっているので困る。
(ごめん、察するだけの余裕ないわ)
ということで、燕燕の手紙を横に置く。
(最後はこいつか)
羅半からの手紙は意外だった。送るなら、壬氏あたりにやったほうがいいと思う。猫猫であれば、下手すればそのまま捨てるとは思わなかったのだろうか。
とりあえず無事届いたので、届けてくれた人たちのために開いてやる。
「えっ?」
思わず声を上げてしまった。
何かと言えば、手紙は油紙に貼り付けられていた。姚と燕燕と同じ仕様である。二人はともかく、羅半まで同じとなると変に思うが、遠くに手紙を出すために元々そういう仕様の紙もあるのかもしれない。
とりあえず開くと――。
『姚さんたちがまだうちにいるんだが、どうすればいいんだろうか?』
戸惑いが文面に表れていた。あとは西都にいる人たちが元気かどうかとかあるが、これが主題な気がした。
(いや、知らんて)
猫猫はそっと手紙を閉じる。三通の文は、とりあえず何か入れ物に入れておこう。やぶ医者が饅頭を入れていた空箱をもらっていたので、その箱に入れる。空き箱が捨てられない猫猫はつくづく庶民である。
○●○
陸孫の執務室にはまた膨大な書類がたまっていた。連日この有様だが、必要なことなので仕方ない。
ひたすら、地道に中身を確認する。文官が足りないので、その分まで陸孫にまわってきている。
大規模な蝗害があってから一月。何度か、飛蝗の襲来はあったものの、その後落ち着いている。ただ、落ち着いているのは飛蝗だけだ。あの憎い虫たちは、たらふく餌を喰らい、次の世代を残そうとしている。
そして、被害のあとだけが人の目に映るから困る。
被害にあった農作物の補填にばかり気を遣い、次の蝗害に向けての駆除を怠れば自然とより大きな蝗害が起きる。
陸孫は、頭が痛くなる被害報告書と、食糧の嘆願書を前にしている。すべての民を救えるだけの力があればいいが、陸孫は所詮中間管理職だ。できることは限られる。
被害にあった地域と、その周辺の人口、見合った支援をしなくてはいけない。分配を見誤ってはいけない。
陸孫は頭をかきむしりたくなった。資料と照らし合わせ、食糧の在庫と分配を考えなくてはいけない。算術はできないわけじゃないが、大量の、しかもやたら重い責任がのしかかってくる。
「羅半殿がいれば楽なのに」
この手の仕事はお手の物だろう。そろばん片手に持ちながら、暗算で算出してくれるはずだ。数字として見るなら、一番公平な割り振りをやってくれるだろう。
そういえば、ここのところ、羅半からの手紙が来ていない。陸孫は出て行こうとする文官を呼び止める。
「私宛に手紙は来ていないだろうか?」
「陸孫さま宛では何も来ていません」
素っ気なく言い返す文官。陸孫が西都に配置されてからずっと顔を合わせている男だ。手紙も何度も持ってきているので、ないというならないのだろうが。
おかしいと思うのは陸孫だけだろうか。
羅半のことなので、この一月で戌西州の蝗害のことを知らないわけがないだろう。そして、好奇心も人並みにある男だ。陸孫に文で探ってくると思ったのだが。
中央でも忙しいのだろうか。
いや――。
羅半は他の誰かに文を送っていないだろうか。
ふと思った時、羅半曰く妹の存在が浮かぶ。
羅半から何か文が届いたのではないか、聞くべきだろうかと思ったがやめておこう。
今後、陸孫は彼女には近づかないほうがいい。今後、彼女も近づかない、近づけないだろう。
その方が双方のためだ。
陸孫は、そのために冗談めかして求婚などしたのだ。過保護な周りは冗談でも敏感に反応する。
とりあえず確認し終えた書類を提出することにした。廊下にでて文官を呼び止めようとすると、中庭を挟んだ反対側に玉鶯が見えた。周りには幾人もの武官がいる。
なんとなく出づらくなった陸孫はまた執務机に向かって、嘆願書をとる。
「……」
農村からの嘆願書だった。作物がとれなかったので食糧支援をして欲しい旨とともに、徴兵について書かれていた。本来なら、陸孫の目には映ることなく、処分されていた物であろう。大量の書類に文官たちが間違えて入れてしまったらしい。
嘆願書には農民なりの誠意の言葉が連ねられていた。過去にも数度、私財を使って補填してくれた内容もあった。
嘆願書の内容は、良き為政者に甘えた愚民の愚かな願いのようにも読み取れた。
優しき領主が貧しき農民を救ってくれた、美談に思える。民衆はどう思うだろうか。愚民は兵を差し出すことは当然と思うだろう。
「徴兵」
武官を連れた玉鶯。一体なにをする気だろうか。
陸孫は、ふうっと息を吐く。
民衆に人気がある玉鶯。
未曾有の蝗害。
中央からやってきた皇弟と軍師。
何かしらの因子が集まり、舞台が整えられようとしている。
だが、陸孫にはまだ確信を持てずにいた。
心の底ではこう思っているからだろう。
玉鶯は、いい領主であって欲しいと。