三十六、時代にそぐわぬ者
二十日目。
盗賊が各所に現れている。農村に配置された武官たちが忙しいようだ。
二十五日目。
中央から支援物資が届く。予想よりずっと早い。
二十七日目。
店がちらほら開いているらしい。ただ品薄が続く、粗悪品が多い。
三十日目。
厨房が飛蝗料理に挑戦していた。うまくいかないらしい。
三十二日目。
「在庫が切れた」
「切れましたか」
「うん、切れたんだけど」
何か言いたいのか、天祐はじっと猫猫を見る。飄々とした雰囲気の軟派な男は、西都の太陽を浴びて日に焼けていた。楊医官に相変わらずこき使われているらしい。
「何が切れました?」
猫猫は薬棚を見る。
「血止め、化膿止め、傷薬に風邪薬、解熱剤に下痢止めに頭痛薬」
「全部ないんですか?」
猫猫はいぶかしむ。昨日、補充したものがほとんどだ。
「ないね。ろくでもない飯屋がいるのか、腹下す奴らが多くてね。んでもって頭痛薬は、頭が痛そうな上官さまに差し上げようかとね」
「胃薬のほうがいいかもしれないですね。ないですけど」
冗談めかしているが、正直冗談じゃない状況になりつつある。
「これで薬は最後です」
「追加作っといてくれよ」
「材料がないんですよ」
猫猫たちだって、作れるものは作っている。李白の手も借りているくらいだ。
「代用品は?」
「その代用品を使って、終わりなんですよ」
「えー、じゃあ、質落ちてんじゃねえのか?」
「……そこは諦めてください」
猫猫とて、もっとまともな薬を出したいがないものは仕方ない。違う似た薬用の物を作っている。
「西都では中央より、いい薬草が採れないんですよ」
気候が違うことが大きい。西都には西都の植生があり、それを踏まえた薬草もあるのだが、中央育ちの猫猫にはなじみが薄い。それでも、他国との流通が多い西都には手に入らない物はないと言われていたが――。
(薬類はもう少し優先して入れてくれてもいいんだけどな)
食糧問題で後回しにされているのだろうか。それとも、供給が猫猫のところまでまわってきていないだけだろうか。
「ふーん。この様子だといつ帰れるかわかんねえな」
「ですねえ」
「羅門さん、大丈夫かねえ」
いつのまにかやぶ医者が話に交じっていた。
(おやじかあ)
やぶ医者に代わって後宮に入っているらしいので特に問題ないと信じよう。それより、やぶ医者は自分のことを心配したほうがいいと猫猫は思う。
西都にいる期間は長くなると聞いたが、この様子だとまだまだ帰れそうにない。
壬氏だけでも帰っても良さそうだが、そんな風には見えなかった。
(当人が拒んでいる可能性もあるな)
西都の今の状況は正直まずいと思う。いくらか予測がついていたことで、対応はいくらかましだが、それでも天災だ。
(国が滅びるって言われるもんな)
小さな蝗害はあったかもしれないが、これだけ大きな蝗害は何十年ぶりなのだろうか。
壬氏が中央に支援を要請している。少なくとも壬氏がいることで、いくらか融通はつきやすくなっている。西都に残っていたら、余分に送ってくれるかもしれない。
猫猫の所見では、皇帝と壬氏は不仲には見えない。
(西都へと行かせた件については、いくらか疑問は残るけど)
そこは代わりがいなかったのだろうと考える。
「しかし、皇弟さまは今日もお部屋でお仕事ですかね?」
かなり嫌味っぽく天祐が口にする。
「仕方ないよぅ。月の君が外に出たら危ないよ」
やぶ医者が擁護する。
「そりゃわかるけど、あんまり印象よくないぜ」
「どういうことだい?」
「武官たちは右に左に、地方にやられてる。命令だけで安全なところで飯をたんまり食らってらっしゃると」
「らっしゃると?」
「芋がゆ喰らいながら下級武官が言ってたんだが」
否定に入る天祐。
「『じゃあ、その芋は誰が持ってきた?』って他の武官が否定してたな」
「ふーん」
つまり、壬氏の今の行動に不信感を抱く奴もいれば、どういう立場かわかっている武官もいるということだ。
ただ、武官でさえ不信感を持つ者がいるとしたら、民衆はどうだろうか。
その答えを天祐はくれる。
「しかし、人気取りがうまいねえ、ここの領主さまは」
玉鶯のことだ。
「人気取りというと、配給の手伝いをしてらっしゃるのでしょうか?」
「そういうわけじゃねえけど武官たちには人気だったなあ。んでもって、飯を配るのが武官だから、自動的に領主さまの手柄になるわけよ。あと、暴徒の制圧にかかっても隠れることなく率先して出て行くしさ」
「おー、それはすごいねえ」
やぶ医者はいつのまにか茶の準備を始めている。茶も少なくなってきているので、少し茶葉は薄い。
「すごいねえ。まるで劇役者みたいだな」
(また役者)
どうにも皆、同じ印象を持ってしまうのだろうか。変人軍師も言っていたことを思い出す。
「すみません。お二方は、玉鶯さまがどのように見えますか?」
別に聞くのは天祐だけでもいいが、やぶ医者も仲間に入れて欲しそうにこちらをうかがっていたので会話に加える。
「玉鶯さまはかっこいいよねえ。男前だし、はきはきしているよ。私はちらっと見ただけだけどね」
やぶ医者の意見はなんとなく予想がついていた。猫猫も人伝手が多く、実際目にしたわけじゃないので、はっきりとはいえないが、見た目だけならそんな印象を持ったかもしれない。
「俺はねえ」
天祐は用意された薄い茶を一口飲み、出された薬を箱に詰めていた。
「生まれる時代間違えた人だねえって思ったなあ」
「生まれる時代?」
「うん、生まれる時代。変わり者の軍師さまと一緒」
かなり不穏なことを言う天祐。
「どういう意味です、それ」
「日常じゃ生きづらいってことだよ。日常っていうか、平穏な日々だろうなあ。ちらっと街中で見たけど、こんな騒動の中、なんか生き生きしていたからな」
「天祐さんもなんか問題ごとの前では生き生きしているようですけど」
「じゃあ、俺と同類なんじゃないの?」
天祐は残りの茶を飲み干すと、薬を持って出て行ってしまった。
「同類ねえ」
あんまりろくなものじゃないように聞こえる。
よくわからないな、と思いつつ、猫猫は足りない薬をどうしようかと考える。
「薬草の栽培ねえ」
羅半兄は、野良着姿でいた。農民ではないと否定するが、格好といい、持っている鍬といい、どうみても一流農家だった。
「確かに長丁場を想定したら、薬草畑作るのはありだと思うけど、ここの土地じゃあ難しいんじゃないのか? 西都の周りは乾燥していて畑には向かねえし、草原まで足を伸ばすと遠いぞ」
「じゃあ野良着姿の羅半兄は何を耕しているんですか? 耕す土地あるんですか?」
むしろそこを突っ込みたい。
「俺にはな、ちゃんとした仕事あるの! いろんな場所に芋植えて来いって言われてるからな」
「誰に?」
また、壬氏にでも頼まれたのだろうか。
「親父に……。意味分かんねえだろ。この非常時に手紙くれたと思ったら『報告書待ってる!』だとよ……。こっちは死にかけたのに」
羅半兄がまともな農家だとすれば、羅半父はいかれた農家だった。
「そうですね。よく生きてましたね。どうやって帰ってきたんですか?」
護衛ともはぐれていたようだし、戌西州でもかなり端っこにいたと思うので、なみなみならぬ苦労があっただろう。
「ううっ。途中まで護衛もいたんだけど、馬車の馬は飛蝗の大群にびびって逃げ出すわ。野盗に襲われるわ、ではぐれちまうし。行く先々でなんとか干し芋でぶつぶつ交換して、そしたら干し芋を狙って強奪する奴らもでるし。途中、芋の生育で立ち寄った村について、そんとき蝗害が来るかもって注意してたから、被害が少なかったらしくて、いろいろ世話になったりしたけど、次の村では――」
これは困る。全部聞いたら、一冊本ができそうだ。
「あーはい、わかりました。わかりました。じゃあ、いい感じに薬草できる場所見つけたら教えてください」
「しかたねえな」
文句を言いつつ、ちゃんと仕事をこなしてくれる羅半兄は本当にいい人だろう。なので、使い潰されないことを祈る。
「そういや、おまえさんにも文が来てたみたいだぞ」
「へえ、誰からですかねえ?」
「さっき雀さんが来てたから、入れ違いだろ?」
「はい」
おやじである羅門か、それとも緑青館か。
猫猫は、医務室に戻ることにした。