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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
西都編
263/389

三十五、兄帰る


「なかなか面白いことになっているようだな」


(なーんか久しぶりな感じする、この嫌味)


 猫猫マオマオは、やぶ医者を帰したあとの定期検診の居残りをさせられていた。表向きは水蓮スイレン桃美タオメイの健康診断だが、実質壬氏との質疑応答だ。


陸孫リクソンというのは、ずいぶん親しいのだな?」

「別に親しいというほどではありません」

「本当にそうか?」


(いや、本当だって)


 じっと猫猫を見る壬氏。


 チュエがぺろっと舌を出し、右手で額をこつんと叩いている。


(うん、腹立つよ、君)


 雀も仕事だとわかっている、わかっているのだが。


「わざわざ農村に同行しようとしていたのは?」

「平民は乗り合い馬車のほうが安くつくと知っているからです」

「うむ」


 壬氏はどうにも煮え切らない顔だ。


「では帰ってもよろしいですか?」


 あれから、血止め薬と擦り傷の軟膏を追加して作るように楊医官に言われて、せっせと作っている最中なのだ。


 ずん、と高い壁が前に現れる。座っていた壬氏が目の前に立っていた。


「なにか?」


 案の定、お気に召さぬ様子だ。


「別に親しい仲でもないのに、最近は求婚などされるのだな」


 単刀直入に来た。


「冗談だそうですよ」

「冗談で言うことか?」

「李白さまの簪と同じ、社交辞令かと思われます」


 李白のときも何かしつこかったのを思い出す。堂々とはっきりと言っておけば問題ないと信じる猫猫。


「……」


 壬氏は周りを見る。


 雀に水蓮に桃美が同じ部屋にいる。見えないが馬良バリョウも近くにいるし、馬閃は護衛としてそう離れていないはずだ。


 何か言いたいことがあるが観客が多いらしい。人払いしておけばよかったという顔だが、現在の状況ではそれは叶わぬものだろう。


(亜南とは違って、ここは外に出ると丸見えだからな)


 外に呼び出すこともできないし、追い出すこともできない。


「……」


 無言が続く。壬氏自身もどうしようか考えているようだ。


「あの」


 帰っていいのか聞こうとした時だった。


 左手に触れられたかと思ったら壬氏の手があった。猫猫の左手は壬氏の右手に持ち上げられ、指を組まれた。ぎゅっと長い指が猫猫の手の甲をおさえ、手のひらには壬氏の手のひらが密着する。


 どくんどくんと血流を感じた。爪は綺麗に整えられているが手のひらに固くできた胼胝たこの感触。墨で指先が少し汚れていて、やや汗ばんでいた。


(結構時間長いぞ)


 猫猫も手汗をかき始めていた。その前に外したくて、口を開く。


「何をしているんですか?」

「……補充くらいいいだろ」


 壬氏はすねたような声を上げると、ようやく外してくれた。手の甲にはうっすら赤い痕がついている。


「補充」 

「補充ですか?」

「そうだ。客人なりにやることはたくさんある。疲れもする」


 猫猫は壬氏の机を見る。書きかけの文があった。反古ほごにされた紙が屑籠に重なっている。指先も汚れていることから、だいぶ書いたに違いない。


(中央への手紙か)


 状況を伝え、どの程度の被害があり、いくら支援物資が必要か。西都の主が玉鶯ギョクオウであったとしても、壬氏から連絡したほうが円滑なこともある。また、手柄が横取りにされることもあるかもしれない。


「壬氏さまは、自分の手柄を取られて悔しくないのですか? 西都の民には、配給を玉鶯さまからの物だと思われているはずですよ」


 猫猫の発言に、水蓮は無言で穏やかに笑い、桃美と雀は「うんうん」頷いている。やはり侍女として思うところはあるようだ。


「別に私が西都でどう思われようが関係ない。どういう形であれ、玉鶯殿に任せたほうが、円滑に物資はいきわたるだろう。それに――」

「それに?」


 やはり壬氏は自分が目立とうとは思っていないし、民衆が助かればそれでいいようだ。


「幾人に認められるかでなく、誰に認められるかのほうが大切だ」


 壬氏は猫猫を見る。


(誰に認められるか、か)


 それはそうとして。


「帰っていいですか?」

「勝手にしろ!」


 わかりました、と猫猫は部屋を出る。


 侍女たちの視線が妙に生ぬるかった。


 部屋を出て、猫猫は扉を背にして手のひらを見る。


「……いや、ちょっと」


 周りの目があったからといって、もっと違う何かがあろうに。


(いやいやいやいや)


 なんとも言えなくなって、扉にずるずると寄りかかる。


「こっちのほうがよっぽど恥ずかしくないか?」


 猫猫が思わず漏らしてしまったところで。


「何がだ?」

「⁉」


 外で護衛をしていた馬閃に声をかけられ、猫猫は軽く飛び上がってしまった。






 蝗害第一波が来てから十日目。

 第二波らしい蝗の大群がやってくる。初回に比べて数は少なく、対処は出来ているようだ。


 十三日目。

 不審火が起きる。食糧強奪のためにやったらしく、火付け犯はすぐに捕まる。


 十五日目。

 食糧問題。随所で買い占めが起きている。住民の小競り合いが各所で起きている。


 十六日目。

 他の被害にあった地方から来たものが西都にやってくる。その中には、皇弟を出せという者もいるという。


 十八日目。

 

「生きていたんですね」


 猫猫はぼんやりとその浮浪者を見た。浮浪者という言い方は悪いが、どう見てもそれにしか見えない恰好だった。


「生きてるよ!」


 髭を生やし、ぼさぼさの髪、ところどころ食いちぎられた着物を着た男。だいぶ印象は変わっているが、遠い地に旅立った羅半ラハン兄だった。


 難民の一人が猫猫の名前を出すというので、役人に呼びつけられたのだ。そして、来てみればぼろぼろの羅半兄がいたわけだ。少し暴れたらしく、牢屋とは言わないまでも、狭い個室に閉じ込められていた。ここのところ暴徒が多く、役人もぴりぴりしている。


 あまりにみすぼらしい恰好なので、雀に着替えを用意してもらう。その間、どういう状況だったのか聞くことにした。


 雀は猫猫が出かけるときには常についてくるのが普通になった。なお、護衛には李白がついている。


「しかし無事でよかったです。皆心配しておりました」

「あー、うん、心配してた」


 李白と共に猫猫は、社交辞令を言っておく。なんとなくしぶとそうな感じがして、皆羅半兄のことはそれほど心配していなかったとは言えない。むしろねたにされていたとは、口が裂けても言えない。


「なんだよ、畜生。予想よりずっと早いじゃねえか! 蝗害の発生はよ。こちとら急いでやったんだぞ!」

「はい。順調だと皆話していました。さすが玄人プロだと」

「玄人とかいいから! あー、本当に死ぬかと思ったし、実際死にかけたし、実は死んでるかもしれない」

「生きてます、大丈夫です」


 猫猫はぺしぺしと羅半兄を触る。実体はちゃんとあった。


「頭もだいぶ齧られてんな」


 李白はぼろぼろの頭に、櫛を入れてやっている。護衛がすることではないが、羅半兄に対する申し訳なさの表れだろうか。ただ、大男の仕事だけにすこし杜撰で力が強く、羅半兄の顔は引きつっている。


「いてえよ、いてえ」

「あれ、なんですかこれ?」


 猫猫が触っている中、背中のあたりに何かがある気がした。


「あっ、これはな」


 羅半兄がぼろ布みたいな上着を脱ぐ。背中に密着して、手ぬぐいの包みがあった。中を開けると麦の穂が入っている。


「麦ですね?」

「麦だな」


 猫猫と李白はのぞき込む。


「そうだ」

「後生大事になぜ麦を?」


 いくら飛蝗から麦を守るためとはいえ、たったこれだけの麦を肌身離さず持つ理由は思いつかない。


「それがな、蝗害が起こる直前な――」


 羅半兄は、村の話を始める。小麦を多く作る村だが、村長がある話をしたのだという。


「とある家の小麦がな。いつも他の家よりも収量が多かったんだよ」

「ほう」

「それでその家の育て方とか、畑とか見てまわって調べてくれって頼まれたんだ」


 その家の住人はこれといって特別な育て方はしていないし、畑の土も日当たりも他の家と変わらないものだったという。


 ただ違ったのは――。


「小麦は一つ前に作った小麦を残してそれを種に作るんだけど、偶然にもその家の小麦はある種のものが多かったんだよ」

「ある種?」


 猫猫は小麦をよく観察する。特に変わったところはない気がした。


 雀が帰ってきて着替えを持ってきたので、羅半兄はそのままぼろの上着を脱ぎすてて着替え始める。


「おっ、いい身体してますねえ」


 雀が茶々を入れる。


「まじまじ見られるとやりにくいから」


 しっしと雀を追い払う羅半兄。


「いや、いい肉付きしてるぞ。武官にでもなれそうだ」

「武官? そうか?」


 武官と言われて満更でもなさそうな羅半兄。普段、農民扱いしかされていないので新鮮なのだろう。


「すみません、話を続けてください」

「……わかったよ」


 ちょっと残念そうに羅半兄は説明を続ける。


「その小麦は他の小麦に比べて背丈がかなり低かったんだ。たぶん、畑で何度も作っているうちに、短い小麦ができて、そればかり増えるようになったんだろうな」

「短いとどうなんです?」


 雀が質問する。


「麦に限らず稲もだけど、背が高くなると風にあおられる。倒れやすくなる。倒れてそのまま茎が折れたり、腐ったりしたら終わりだ」

「ほうほう」


 なるほど、だからその畑に偶然背の低い小麦が出来て、そのまま増えていったということか。


「あともう一つ、仮定なんだけど」


 羅半兄は着替えて少しはまともな姿になった。髪紐を貰い、ぼろぼろの頭をくくり始める。


「他の小麦に比べて粒がしっかりくっ付いているみたいだ」

「くっ付いている?」

「収穫の際、小麦の穂にどれだけ粒が残っているか。これはかなり収量に影響するんだ。収穫する前に穂から小麦の粒が落ちたらどうなる? 農民は忙しくて、地面に落ちた粒まで拾えないだろ。収穫前に一割落ちれば一割減り、二割落ちれば二割減る」


 そのままの計算だ。


「そうだな。これは残っている粒が多い。もし、この種を育てて、短い丈でなおかつ粒が落ちにくい小麦が育てば、収量増が期待できる」

「それでわざわざ持ってきたと」


 猫猫だけでなく雀も李白も感心する。


 きっと二人とも猫猫と同じことを考えているに違いない。


(生粋の農家だ)


 そういえば、蝗害を最初に知らせたのは羅半兄の手紙だ。


(功労者としてちゃんと労わないとなあ)


 食糧が少なくなっているが、今日はちょっとご馳走を作ってもらわねばと猫猫は思うのだった。



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― 新着の感想 ―
そして、その「ご馳走」の相伴に預かる、と。
別に壬氏さまは猫猫の彼氏でも婚約者でも何でもないんだからあーだこーだいう権利はないのでは?気持ちを猫猫が知っていてもそれを受け取ってもらえてないのならただのウザい男なだけ。ストーカーとも言える。なのに…
[気になる点] フィクションだからあまり真面目にとらえすぎるのもどうかと思うが、名前はその人を表す一番大事な物だと思うので、名前に思い入れがないとかならともかく名乗ろうとしてた人をいつまでも名無し扱い…
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