三十四、日常、非日常
玉鶯という男については色々思うところはあった。
あったが、それとこれとは別と考えるのが大人だと猫猫は思う。
「周りから見たらすごいやり手ですよぅ」
ひょいと医局にやってきては、雑談していく雀が言う。暇というわけではなさそうだが、時間を作ってはやってきているようだ。今は、薬研でごりごり薬草を潰すのを手伝っている。蝗害の騒ぎで傷薬や化膿止めが足りなくなっているので、その補充だ。
(宦官時代の誰かみたいだ)
前はずっと暇人だと思っていたが、今、あの性格を知ってしまうとそうでもなかったのだな、と思う。
「足りない食糧の分散をあらかじめ予測していたかのように、素早い動きですねえ」
(それって)
陸孫が羅半に相談していたことではないだろうか。陸孫が玉鶯に色々報告したとして、それを利用したと考えてよいだろうか。
(まあ、陸孫が報告していたとしたら)
変に矜持を持たずに使えるものは使っていると考えるべきか。
陸孫に農村からすぐ帰るよう指示を出さなかったのもそこのところが関係しているかもしれない。
壬氏の一件を考えると、玉鶯の行動は、前向きにとらえきれない。
壬氏は玉鶯の自分に対する扱いについてどう思っているのだろうか。
(本人としては周りほど扱いの杜撰さを気にしていない感じはするけど)
客人扱いされて、動きたいのに動けないことは歯がゆく感じているように思える。でも、李白を猫猫に送ったり、変人軍師を誘導したりやれることはやっていた。水面下で彼のやっていることは大きい。
壬氏という人物は、正直あまり権力に固執していない気がする。立場として振る舞うことはあるが、壬氏が皇弟として大きく権力を利用したのは――。
(子の一族の反乱のときくらいじゃないか)
あの時、壬氏は皇族として動いていた。ある意味、原因は猫猫にあるので、なんともいえないが、皇弟たる姿が一番、民衆の目に映ったのは乱の制圧のときだろう。
その後、壬氏が皇弟として働いているのは知っている。宦官時代と劣らず、いやそれ以上に多忙だ。だが、どれも押し付けられた仕事が多く、壬氏から動いているものといえば――。
(蝗害の対策だったんだけどなあ)
周りから杞憂だと言われ、無駄に税を上げられると言われ、民に官僚に白い目で見られていたというのに。
(宦官の時のように、もっと表に出てしまえばいいのに)
皇弟に戻ってからは極力、その顔という武器を使っていないように思える。
(求婚者が増えるからやめているのかも)
宦官という防波堤が無くなり、皇弟という権威がついてきたとすれば、妃になりたいという女は数多といよう。
(求婚か)
猫猫は陸孫の冗談を思い出す。雀あたりが壬氏に報告しているだろうな、面倒だろうなと考えたりする。
「雀さん、報告しましたか?」
猫猫は雀がすりつぶした薬草を他の材料と混ぜ合わせる。
「報告ですか? 安心を。軍師さまには極秘事項です」
「……」
つまり壬氏には話したということだ。
「冗談なら別にいいんじゃないですかねえ」
「冗談ですもんねえ」
「冗談にしない人はいますけどねえ」
雀は確信犯だ。
猫猫は面倒くさい壬氏の姿を想像した。次に会う時が面倒臭そうだが、大丈夫だろうか。
「お嬢ちゃん、出来たよ」
やぶ医者が大きな平籠に丸薬を並べて見せる。丸薬は分量を揃えるため、木で作った型でまとめて作製する。最初、やぶ医者が手で丸めて形成していたのを見てびっくりした思い出がよみがえる。
「ありがとうございます。次はこちらをお願いします」
「よーし、がんばるよ!」
やぶ医者は張り切っているが、これではどっちが助手かわからない。
なお、天祐は楊医官に「暇だったら手伝え」と連行された。薬作製の仕事も楊医官が持ち込んだものだ。
別邸を間借りしている人員は壬氏の配下扱いだが、他の場所にいる人たちは別らしい。特に、変人軍師の配下は大忙しらしく、足りない人手を応援として連れていく。結果、別邸はいつもより人が少ない。
やぶ医者や雀がいるので気にならないが、人の声も少ない。
(街中、もう少し見たいけど)
今の状況では、外に出たいというのは我が儘だろうか。
そして我が儘と言えば――。
「……そろそろ点心の時間なんだけどねえ」
やぶ医者が、ぎゅっぎゅっと木の型を押しながら窓の外を見る。太陽の位置を確認していた。
点心の時間になるとやぶ医者は厨房に行くなりなんなりして、食材を得てくる。
「んー、今日も無理じゃないですかねえ」
雀が鼻をくんくんさせる。
「食糧庫の補充、主食を中心に入れますから、嗜好品の類は後回しですよう」
「だよねえ」
ここ数日、点心無しの生活に参っているやぶ医者。
(まだ、おやつ無しですんでいるなら)
まだいい方だろうと、猫猫は薬を混ぜ合わせる。