三十三、主役と脇役
(あー、確かにこっちの方が大変だわ)
猫猫は他人事のように、西都の様子を見る。
道ばたや建物の壁には飛蝗がまだ残っている。なにかところどころ黒い塊が見える気がするが凝視するのはやめておこう。
飛蝗の数自体はおそらく農村ほど多くないだろう。ただ、人通りはほとんどない。
ぼろぼろにかじられた露店や、半端にかじられて転がる果実が見える。
(都会人は虫がお嫌い)
農村より、飛蝗の大群に対する心持ちがだいぶ違っただろうに。外に出ている者はまばらだ。
「混乱の様子はどうでしたか?」
御者台の李白に聞く猫猫。
陸孫はあと数日残るらしい。村としては助かるかもしれないが、この非常事態に一度戻らなくていいのか不思議だが、そういう連絡が来たらしい。
「阿鼻叫喚。雨あられだよ」
「蝗害が来ると、誰も言わなかったのでしょうか?」
猫猫の元に知らせが来るぐらいなので、壬氏なら何か対策していてもおかしくない。
ただ――。
「ここは、西都だ。何事にも順序がいるだろ?」
「……そうですね」
壬氏が大声を張り上げるわけにもいかない。猫猫と違い、立場がある人間なのだ。
「ただ、何もしていないわけじゃなさそうだな」
広場の中央では、炊き出しのようなものをやっていた。蝗の襲来が来て数日、と思うが、数日である。どこのご家庭にも備蓄があるとは限らない。
(貧しい家庭ほどその日暮らしだから)
日雇いで稼いだ金で飯を食らうというのも珍しくない。
飯屋はちらほら開いているが、この騒ぎで流通が止まる。あまり、まともなものは出せていないようだ。
炊き出しの粥の匂いが漂ってきた。そして、ふと思い出す。
(羅半兄)
甘藷の匂いだった。おそらく、猫猫たちとともに船で運ばれてきた大量の芋たち。それが、調理され飢えた西都民の腹へとおさまっている。
「惜しい人を亡くしましたね」
雀が目に涙を浮かべていた。
死人になっている。
「へえ、持ってきたもんが役に立っているなら良かったじゃねえか。芋の兄ちゃんも喜んでるはずだな」
李白は生きているのか死んでいるのかわからない言い方をする。
馬車が別邸についた。馬の嘶きを聞いてか、入り口に人が集まっている。誰かと思ったらやぶ医者と天祐がいた。
「おじょーちゃーん」
ちょっと疲れた顔のおっさんが走ってきた。猫猫にぶつかりそうになる前に、李白が首根っこを捕まえる。小さいおじさんはじたばたする。
「医官さま、ご無事でしたか?」
猫猫はやぶ医者に頭を下げる。やぶ医者は李白に下ろされた。
「お嬢ちゃん、は大丈夫なんだよね? 安全な場所っていっても怖かったろ? 私はすごく怖かったさ、なにあれ? 世界の終わりじゃないのかと思ったね」
「医官さまは油虫でも気絶しますからね」
何度か掃除の時出くわして真っ白になっていたやぶ医者。
「娘娘だけずるくないか、そうだよねえ。いいよねえ縁故ってさあ」
天祐はいつも通り嫌みたっぷりだが、壬氏の言い分をどこまで知っているかわからない。
「医務室は空にしていて良いのでしょうか?」
正直な感想を述べる猫猫。
「うーん、俺たちはあんまり忙しくないな。月の君担当だからかねえ。楊医官たちは大忙しらしい」
(壬氏の担当だから暇?)
なんか変な感じだ。
「そうそう、お嬢ちゃん。羅漢さまがお嬢ちゃんのこと本当に心配していたよ」
「そうですか」
あまり有益じゃない情報だ。
「甘い物がお好きみたいだからさ、甘藷の金団でも持って一度挨拶に行きなよ」
無視したいところだが、勝手に向こうから来るだろう。
「って、お嬢ちゃん、けがしているじゃないか! どうしたんだい、その手は?」
「あっ、大丈夫です。虫殺しの薬を作っていて、その実験です」
「実験? お嬢ちゃんは虫なのかい?」
やぶ医者は不思議そうに首をかしげる。
「猫が殺せるなら虫ぐらい余裕でしょう?」
天祐が茶々を入れる。
「はいはい、お二人さん。お話はそのくらいにしていただけませんかねえ」
雀が間に入る。
「ちょっと、いろいろ報告したいことがあるんですよぅ」
「報告?」
「虫殺しの薬についてです」
「ああ、そうなんだね。悪かったねえ」
やぶ医者がどうぞと道をあける。天祐はただ茶化しに来ただけなので、邪魔するつもりはないらしい。
玉袁の別邸は無駄に広いが、壬氏の部屋はその一番奥のほうにある。客人として敬われているのはわかるが、正直遠い。
「はい、服装の乱れはありません。大丈夫です」
雀が猫猫と李白の服装を確認する。猫猫は雀の髪の毛がはねていたので、そっとおさえてやる。
「失礼いたしま――」
入ると同時にがたっという音がした。
壬氏が少々、姿勢を崩した形で座っていた。
いつも通り水蓮、桃美が待機していて、馬閃が仏頂面で立っていた。
「ただいま戻りました」
報告は李白に任せるべきかと考えつつ、その李白が後ろに下がったので猫猫が第一声を発した。
「ごくろうだった」
部屋にいる面子を見ると、どう対応したらよいだろうか。とりあえず、月の君に対するものでいいだろうか。
「して、どうだったか?」
どうと言われてもとりあえず雀から聞いた話を報告しておこう。
「作物の被害はひどいですが、壊滅的ではありませんでした。小麦自体なら収穫量は例年の七割ほど残っているかと思われます」
「では、羅半兄の報告は役にたったようだな」
(公式でも羅半兄かあ)
壬氏もまだ本名を知らないのだろう。このまま帰ってこなければ、墓にはなんて書こうかと考えてしまう。
「他の村にも伝令は出したが、どう考えても作物は半分を下回るようだ。そして、まだ伝令が戻ってきていない地方になるともっとひどかろう」
羅半兄がいくらがんばっても間に合わなかった。いや、いくらかはしのげたかもしれないが、周りから見たら『上は何もしてくれなかった』という印象しか残らない。
「李白。一つの村にどれくらい人員を回せば良さそうだ?」
「最低十人くらいは必要でしょうね。虫の処理、家屋の再建もありますが、一番怖いのは――」
「暴徒か? それとも盗賊か?」
「どちらもです」
天災が起きれば人々の生活は荒れる。生活が荒れれば心が荒む。荒んだ心は、盗みや暴力へと突き動かされる。
雀は壬氏が自分にも聞いてくれるのでは、とはねた髪をぴこんと動かしていたが、その出番はなかった。
「わかった、李白はご苦労であった。また、持ち場に戻っていい」
「はっ」
李白が退室するので、猫猫も続こうとするが、さっと出口で水蓮が立ち塞がった。
「なんでしょうか?」
「ふふ、もうちょっとあなたは付き合いなさい」
そう言われるとまわれ右するしかない。
座っている壬氏は、月の君の仮面がはがれかけていた。
「頭は大丈夫か?」
どうやら、馬閃は猫猫が雹にぶつかり気絶したことを報告したらしい。
「わかりません。数日後に、倒れるという事例もあります」
頭部の傷で、外傷はないが、中で出血し死に至ることもあるらしい。
「なら、おとなしくしておけ!」
「いえ。おとなしくしていても倒れるときは倒れますし、その処置ができるのは我が養父くらいなものです」
劉医官ならできるかもしれないが、西都にはいない。
「ならやれることをやっておきたいです」
「では、その右手は何だ?」
猫猫のさらしに気づいたらしい。
「……実験あとです」
「利き手は実験には使わないと思っていたが?」
壬氏に、じとっとした目をされる。いつもと逆だ。
「ふう。まあ、いい。それより、……無事で何よりだ」
(あっ)
月の君が完全に壬氏になったと思った。手のひらをぎゅっと結んだり開いたりしている。どこか子どもじみて人間臭さがにじみ出た。
「疲れただろう。部屋に戻って休むといい」
猫猫にとってはかなりありがたい言葉だ。雀も手をあげて喜びかけて姑の視線に気づいてやめる。
部屋に戻りたいところだが、一つ確認しておきたい。
「壬氏さまは、何もされないのですか?」
失礼に聞こえる言葉かもしれない。ただ、あれだけ蝗害に対して対抗策を考えてきた壬氏が、今客室でゆっくりくつろげるわけがない。
「今、この未曾有の事態なら、まだまだ壬氏さまがやるべきこと、やれることはたくさんあるのではないでしょうか?」
猫猫が言いたいことは伝わったらしい。
「このとおり、私は客人だからな。そのために手土産を用意してきたんだ」
市井で配られていた甘藷入りの粥。
「ちゃんと利用してくれているようだな」
「利用ということは」
用意してきた食料は、すでに西都に渡している。そして、それを配っているのは西都の主ということになる。つまり、住人にとっては、恩人は配ってくれた人だ。
(手柄の横取りじゃないか)
つまり壬氏はいいところだけ玉鶯に奪われたのだ。
「自由にしてくれた理由もわかる。私の行動と性格をある程度読んでいたようだ」
壬氏は見た目によらず実直な性格だ。そして、派閥など考えずに国のことを考える。
うまく利用すれば、大変便利に違いない。
そして、都合良く蝗害なる大災害が起きた。
「あらかじめ想定していた。まだ、軍師殿が率先して表に出てくれただけ、ましだろう」
「で、でも」
そのことについては、猫猫よりも悔しい人はいる。馬閃は仏頂面のままで、水蓮も桃美も明るい表情ではない。
「今回、私が西都に呼ばれた理由は、そういうことだ。どうやら引き立て役として存在してもらいたいらしい」
西都の主、玉鶯はあろうことか皇弟を脇役にしたいらしい。
(武生を目指してるって)
そういうことか、と猫猫は拳を握った。