三十二、相場の倍
ともかく猫猫は材料となる毒草を引き抜いて、集めてもらうことにした。いちいち全部猫猫がやっていたら、やれることも限られる。
「こっちでーす」
猫猫は、雀が案内するほうへと進むと、ぼろぼろになった家屋から声がした。中をそっと覗いてみると、村人たちと陸孫が話し合っていた。
「わかりました、では、今回はなかったことに」
「すまない。口約束とはいえ反故にすることになるなんて」
「いえ、これからのことはわかりません。まだ被害がこれだけ防げただけよかったです」
何を話しているのか卓の上に置いてある袋を見てわかった。蝗害が来る前、緊張感がない村人を急かすために二倍で麦を買い取ると言ったことだ。
(この騒ぎはこの村だけじゃなさそうだし、下手に余剰分も売れないからなあ)
家から出ていく陸孫は猫猫たちに気付いた。
「気がつきましたか? 大丈夫ですか?」
猫猫は頭と手の平を見せる。頭は平気だが、まだ手は少しひりひりする。でも、気絶している間に雀が薬を塗ってさらしを巻いてくれたおかげでいくらかましだ。
「よくそんな大金持ってましたねえ。夜盗も出るような場所ですよぅ」
雀が陸孫が持っている袋をつつく。
「いえいえ。私はしがない中間管理職ですから、村一つ分の麦を買い取れるだけの金銭的余裕なんて」
陸孫はぺろっと舌を出して、袋の中身を見せてくれる。中に入っていたのは碁石だった。
「わぉ」
「前職の癖でつい持ち歩いてしまうんです」
とんだ詐欺師だと猫猫は思う。
「ところで、私に何かご用でしょうか?」
(用と言われても)
ただ、現状を確認したかっただけだとは言いにくい。
「いきなり気絶して申し訳ありませんでした。ご迷惑をかけたようです」
ついでに雀にも頭を下げる。
「いえ、大事がなければいいです」
「では――」
「えっ、もう終わりですか?」
(もうと言われても)
陸孫には他にいろいろ聞きたいこともあるが、彼なりにまだやるべきことは残している。飛蝗はまだまだたくさんいるし、邪魔しては悪いだろうと思ったのだが。
「……陸孫はずいぶん手慣れていましたが、なにか経験でもあったんですか?」
あの落ち着きようは、いくら変人軍師の副官をやっていたとしても不思議に思ってしまう。
陸孫は柔らかい笑みを浮かべる。
「母に教えられました。どんな状況であっても自分を見失ってはいけないと」
そして、一瞬表情をなくす陸孫。
「気が狂いたくなるときほど、冷静になれとの遺言です」
「遺言?」
「ええ、家を賊に襲われまして、母や姉は私を見つからないように隠して、目の前で殺されました」
すこぶる重い内容が来た。
「声を出したら殺されるとわかっていたので、叫びたくても叫べない。手首を噛み、声を殺し、母や姉を見殺しにして生き延びたわけです」
この場合、どう返せば良いのだろうかと悩むが、猫猫としてはこう返すしかない。
「そのおかげで、この村は助かりました」
過去に何があろうが、猫猫には関係ない。ただ、結果として村が助かったのであったなら、陸孫の過去の経験にも感謝するしかない。妙な肝の太さにも納得がいく。
「猫猫はいいですね、その考え方」
「そうですか」
別に感傷的に返しても、猫猫は陸孫ではないのでどう受け取るかわからない。面倒くさい年頃の娘じゃないのなら同情しなくていいだろう。
「猫猫と私、けっこう相性いいと思いますが、求婚してもいいですか?」
「ご冗談を」
即座に返す猫猫。
「ですよね」
陸孫はくすくす笑う。
(こういう冗談いう性格だったのか)
猫猫は、意外だなあと、思う。
「わお、雀さんは蚊帳の外ですか? この愛憎劇に交ぜてはくれまいか?」
雀がひょこひょこ顔を出す。
「雀さんは人妻ですので」
陸孫はやんわり拒否する。
「ええ、人妻子持ちです。見られませんが」
(全然、見えないよ)
子どもがいるとなんとなく知っているが、雀はその子どもの心配を全くしていない。というか、猫猫はその子どもの名前どころか男か女かもよく知らない。
義姉の麻美がしっかり面倒見ているとはいえ、かなり放任主義だ。
「では、私は飛蝗の駆除を手伝ってきます」
「私もちょっと殺虫剤を作ってきます」
「ええ、効き目のある毒でびっくりしました」
「毒……」
違うと言いたい猫猫だが、使っているのは毒草だ。
「猫猫さんのお守りがんばります」
雀はしばらく猫猫を監視するらしい。
「もう無理はされないでくださいね」
「今度は鎌を使って刈り取りますから」
猫猫は、さらしが巻かれた手のひらを見せると、毒草を集めている村人たちの元へと向かった。
殺虫剤を十分な量作り終えたところで、李白から呼ばれる。
「どうされました?」
「毒薬作りも終わったようだし、嬢ちゃんたち連れて一度西都に帰ろうと思ってな」
「……そうですねえ。殺虫剤です」
猫猫は村を見る。確かに猫猫だけができる、という特別なことはない。追加で武官たちが駆除を手伝っているというのなら、猫猫が抜けたところで問題ない。
「早めに帰らねえと、あのおっさんに嘘がばれる」
「……そういえば、よく嘘が通りましたねえ」
いくら混乱していたとはいえ、あの意味もわからぬ第六感でだいたいのことを言い当ててしまう変人軍師に嘘が通じるのは不思議に思う。
「壬氏の旦那も策士だよ。医官のおっちゃん使ったんだよ」
医官のおっちゃん、つまりやぶ医者だ。
「医官のおっちゃんにおまえさんのことを説明して、間接的にあのおっさんに知らせた」
「……」
うまいな、と猫猫は思う。おっちゃんに、おっさんとなんかややこしいが。
「嬢ちゃんは医官のおっちゃんにどっか甘いけど、おっさんもなんか毒気抜かれるっぽい」
やぶ医者は、中年の小太りなおっさんだが、分類としては子鼠とか栗鼠に分けられる気がする。
「騒ぎが一段落したところで、戻ってこないといけないだろ?」
「でも、これどうしますかねえ」
猫猫は手のひらを見る。
「服は着替えがありますよう」
雀はさっと服を用意する。
「別になんか失敗したでいいんでねえの? 左腕にもたくさんあるし」
李白は猫猫の左腕を指す。説明したわけではないが、見えていたらしい。
「そうですね」
今更、手に傷がつくくらいたいしたことなかったなあ、と思う猫猫だった。