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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
西都編
259/387

三十一、用法用量


「よお、気がついたかい?」


 猫猫マオマオが目を覚ますと、明るい声とともに見慣れた顔がのぞき込んでいた。


「り、李白リハクさま?」


 おなじみの大型犬のような武官だ。


 猫猫はぼんやりとした頭で、周りを確認する。


 部屋ではなく天幕の中のようだ。左右を見渡すとチュエが鍋で何かを煮込んでいる。


 そこまではいいが――。


 視界の端っこに飛蝗バッタを見つけ、飛び上がった。


「蝗!」


 猫猫は、すかさず見つけた飛蝗を踏みつぶす。


「おい、嬢ちゃん、そんだけ殺しても意味ねーから。あと、急に動かないほうがいい」

「そうですよぅ、猫猫さん。ほら、これ食べてください」


 雀が猫猫を座らせる。そっと、器を差し出したので口にした。ほんのり塩味がする乳粥だった。


 温かい食事を口にしたところで、猫猫は思い出す。


「私はどのくらい気を失っていたのでしょうか?」


 蝗害が来て、そのあと雹が降ったのは覚えている。


「丸一日です。大きな雹が頭に当たっていました。下手に移動するのは危険と判断し、天幕で休ませました」


 雀の対応はおおむね正しいと猫猫は思う。そして、肝心な時に気を失っていたかと思うと、自分が情けなくなってくる。


(だいぶやられていたんだろうな)


 猫猫とて人間である。未曾有の事態に、おかしくなっても仕方ない。けれど、それで迷惑をかけたことに違いない。


「猫猫さんは落ち込む必要ないですよ。ちょっと混乱して虫を殺すことに特化しただけです。おかげで猫印の殺虫剤は、ちょっと毒性が強すぎて薄めないと土壌が汚れちゃうくらい効き目がありました。今は薄めて、残りの駆除をしています」

「残りの駆除?」

「簡単に言えば、山は過ぎました。雹が降り、その後急激に冷えたのが大きいですね。それでも、まだ生きていますので、現在、残りの駆除をしています」

「俺はその手伝いだ」


 李白が手を挙げる。


「西都にも大量の飛蝗が飛来してな。こっちほどじゃねえが、被害が出ている。壬氏ジンシの旦那はてんてこ舞いで、俺にすぐさま嬢ちゃんがいる農村へと向かうように命じたわけだ。ついたのは半日前だな」

「入れ替わりで愚弟が、月の君の元へと帰っています」


 壬氏としてはそれができる精一杯なのだろう。馬閃バセンならまだ力が余っていただろうが、誰かが壬氏に現状報告をしないといけない。


「大変そうだったなあ。西都の連中は蝗害なんて初めてだって顔してた。そりゃあ、俺も初めてだったけどよお、なんか来るかもしれねえって何度も言われていたからなあ」


 李白の肝は見た目通り太いようだ。人選としては間違っていない。


「そうそう、あのおっさんが『猫猫はー、猫猫はどこだー!』と暴れだしてから大変だったぞ。医官のおっちゃんが医務室に乗り込まれてびびってた」

「うわー」


 変人軍師については、想像がつきすぎる。


「壬氏の旦那が機転を利かせたのか知らねえけど、『猫猫は蝗害がない場所に隔離している』なんてめちゃくちゃな嘘つくもんだから」

「最前線なのに」


 いや、行くと言ったのは猫猫であるが――。だが、嘘も方便だ。


「おっさん、飛蝗討伐部隊編成してた。あと西都の暴徒も制圧していた」

「……」


 なんとなく、西都のほうは問題ない気がした。


 問題は、他の農村地帯だ。


(そういえば)


羅半ラハン兄、無事ですかねえ」

「あー、芋の兄ちゃんかあ」

「便りが無いのは無事なんじゃないですか?」

「いや、最後の便りが不穏過ぎて」


 ごく普通の優秀な農民なのに、強行軍強いたり、蝗害の最前線にぶち当たったり。


(ありがとう、羅半兄)


 猫猫は天幕の天井を眺めながら、羅半兄の笑顔を思い出そうとしたが、そもそも彼が笑っている顔を思い出せないでいた。大体、いつも誰かをつっこんでいた。


(ってか生きているのかな?)


 さすがに護衛はしっかりつけているので、生きていると信じたい。


「ところで被害はどれくらいでしょうか?」


 蝗害は起きた。仕方ない。これから大切なのは、その後の処理だ。


「麦畑の収穫は八割終えていました。刈り取られる前の麦は壊滅ですが、例年より豊作だったそうです。それも踏まえて、火事で焼けた一軒分の麦を差し引いて、収穫量は例年と比べると七割くらいでしょうか?」

「七割ですか」


 この被害を考えると奇跡的な数字だと猫猫は思う。よほど、羅半兄の指導の仕方が良かったのか。だが、麦だけで考えてはいけない。


「他の被害は?」

「わらがだいぶ食べられています。家畜の餌となる牧草も。あと芋畑は茎だけになってましたが、たぶんまた生えてくるんじゃないかと思います」


 雀は喋りは簡潔だが、どうにも深刻な状況というのが苦手らしく、手には花や旗をぽんぽんだしている。李白は何度見ても飽きることなく面白そうに眺めている。


「正直、他の農村は壊滅的なところも少なくないでしょう」

「壬氏の旦那は、羅半兄から手紙を受け取るなり、近隣の農村に早馬を飛ばしてたが、ここほどちゃんと対策できたとは思えねえな」

「そうですねえ。比較的、混乱せずに済みましたから」


(あれで混乱してないほうか)


 猫猫もそれなりに場慣れしていると思っていたが、雀はもっと慣れていたわけか。


 ただ、今回の件で一番活躍したのは誰かといえば――。


「陸孫はどうしました?」

「外にいると思いますよ。向かいますか?」


 陸孫は、慣れていた。ただ飛蝗を追い払うのではなく、極限に追い込まれた人間がどう動くのかまで頭に入れているようだった。


(でなければ、火事で燃える穀物がもっと増えていただろうに)


 猫猫があれだけ火を使うなと言っていたのに、火を使った。それだけ、密室で光がない状況、外は阿鼻叫喚の声ともなれば不安にならないわけがない。それぞれ、家々に声をかけるという行為はどれだけ重要だったか、今ならわかる。


(何者なのだろう?)


 猫猫は疑問を持ちつつ、天幕の外に出る。猫猫が心配なのか雀がついてきた。


 雹の影響はまだ残っているのか知らないが肌寒い気がした。地面には飛蝗が転がり、まだ飛んでいる虫を捕まえる者もいる。


 とりあえず飛蝗を集めているのか、村の中央には嫌な感じの黒い山ができていた。なんか動いているように見えるのであまり近づかないようにしたい。


 家に閉じこもっていた人たちは外に出て唖然としている。穂先だけでもと刈り取った麦畑だったが、麦わらは使い物にはならない。


 雀からあらかじめ被害状況は聞いていたが、改めて目の当たりにすると違う。茎だけになった芋畑を過ぎ、放牧地も確認する。


 麦わらほど顕著ではないが、草地が薄くなっている気がした。家畜は外に出されているが、なんだかいきり立っている。


 鶏が転がった飛蝗を突いている。


(うまいんかなあ?)


 猫猫は実食しているけれど、やはり不味そうに見えて仕方ない。


「猫猫さん、猫猫さん」

「なんですか、雀さん」

「一応、食べられるか作ってみました」


 さっとどこからともなく何かの炒め物を取り出した。唐突になにかやりだすのが雀らしいが、たぶん今猫猫が考えていることを読み取ったのだろう。


「……」

「消化に悪そうなので、頭と殻、足は取りました。ついでに何食べているかわからないので、はらわたもとりました」


 何のと、言われたら言わずもがなのあれである。見た目からは何の料理か全くわからなくなっている。


「はらわた取ったのは正しいですね。こいつら毒草も食うし、共食いもしてましたし。でも、とったらとったで、ほとんど何も残りませんね」

「ええ、可食部少なすぎですよぅ、どうぞ!」


 猫猫はしぶしぶ一口つまむ。


「どうです?」

「……食べれないことはないですけど」

「正直、手間を考えると違う料理すすめますねえ」

「そうです」


 雀の料理なので、ある程度いい調味料を使っているはずだ。使っていて、まあ食えないこともないかんじ、というのは、蝗に食らいつくされた畑の前で呆然とする者たちが作れるはずもなし。栄養価も与えられた損害に比べると微々たるものだ。


 被害を確認しながら歩いていくと、念真ネンジェンが手を振っていた。隻眼の爺さんが何の用だと近づいてみる猫猫。


「あの毒薬はもうないのか?」

「毒薬?」


 猫猫は首を傾げる。


「虫を殺すやつだよ、大鍋で煮込んでたの。いちいち潰すのは埒があかねえから、飛蝗どもに撒いて一掃してえんだ」

「ああ、殺虫剤ですね」


 朦朧としながら、ひたすら毒草を煮込んでいたのを思い出す。


「そう、その毒薬」

「毒薬……」


 いや、違うと訂正を入れたいが――。


「あっ、毒薬のねえちゃん。毒の追加」

「毒ちょうだい。薄めないと危なそうな毒」

「あの毒よく効くね。なに煮込んだらできるんだ?」


 他の村人が集まってくる。


(ど、毒じゃ……)


 ないと言い張りたい猫猫だが、雀がぽんと肩を叩く。悟った顔をして首を横に振る雀。


 猫猫はがくっと項垂れる。


「……用法用量を守って正しくお使いください」


 再び、毒草を集める羽目となった。



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― 新着の感想 ―
毒屋のひとりごとに改名しましょう。それにしても猫印の響きが可愛い♪
当人にしてれば作ったのは「薬」なんだよね。人に使ったら死ぬけど(^^;
李白がいるだけていつの間にかなんかホッとするようになってきた。私が
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