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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
西都編
256/391

二十八、災禍 前編


 しばしの間、猫猫マオマオは平穏な日々が続いた。平穏といえど、時折変人軍師がやってきたり、妙な噂話をやぶ医者が持ち込んだり、壬氏ジンシの相談にのったりした。


「今のところ順調らしい」


 壬氏の手には、しわくちゃの手紙がある。開いて見ると農地について事細やかに書かれてあった。


「羅半兄ですか」

「そうだ。これは便利だな」


 壬氏が鳥かごを見て、目を細める。くるるっと鳴くのは鳩だ。


「一方通行だが、情報伝達が早いのはいい」


 羅半兄に訓練した鳩を持たせていたらしい。


 生憎、鳩につけるだけの手紙なので現状を書くのがやっとだ、羅半兄は自分のその名を記載する空欄スペースすらない。最後に今どこにいるのか、村の名前が書かれてあってそこで終わっている。


(涙ながら、書いたんだろうな)


 いつの日か、彼の名前がわかる時が来るのか、それは誰にもわからない。


「鳩は何羽持たせているんですか?」


 猫猫はなんとなく聞いてみた。


「三羽持たせている。世話も得意そうだったからな。鳩の追加は、最後の村を辿って早馬を走らせている」


 壬氏は戌西州の地図を開く。水蓮スイレンがやってきて、手紙に書かれてあった村に印をつける。羅半兄が旅立ってもう一月以上経っていた。


(かなり頑張ってる)


 二月で全部終わらせろと壬氏に無茶ぶりされたが、折り返しに向かっていた。


(なんだかんだでやれる子、羅半兄)


 そして、やれるからこそ周りが仕事を押しつけることに本人は気づいていないだろう。


「猫猫」

「なんでしょうか?」


 用事が済んだのでさっさと帰ろうとすると、壬氏に呼び止められた。


「いや、なんだな。今のところ、仕事が一段落していて」

「そうですねえ」

「少し、他のことに目をやっても」

「あっ」


 猫猫は思い出したように手を叩いた。


「そういえば、もうすぐ麦の収穫なんですけど、私もその手伝いにいってよろしいですか?」

「……麦の収穫、何か意味があるのか?」

「はい。最初に向かった農村で昨年の麦について聞いたところ、どうやら麦角が発生していたらしいので気になりました」

「ばっかく?」


 壬氏には聞き慣れない言葉だったらしい。


「麦が黒くなる病です。簡単に言えば食べると毒です」

「うむ、わかりやすい」

「粉にされてはわからないのであらかじめ見ておこうと思いまして」


 麦角は堕胎にも使われる。粗悪な小麦粉には、混ざっていることが多いので、確認しておきたい。ついでに収穫量も見ておきたいところだ。


「そうか。ならわかった。馬車を手配しよう」

「いえ、ちょうど陸孫リクソンさまが偵察に向かうと耳に挟んだもので、ご同行できないかと思いまして」


 どこからともなくやぶ医者が教えてくれた。雀に確認したところ、本当らしい。


「陸孫……」

「はい。いろいろ話をしたいことがあったのでちょうどいい機会かと」


 結局、西都に来た初日以来、陸孫とは顔を合わせないままだ。直接話したいことがあった。


 壬氏は一瞬、複雑な顔をした。


「わかった。陸孫のほうには伝えておく」

「ありがとうございます」


 ついでに、途中の草原で薬草があったら採取していきたい。それでは早速、採取かごの準備をせねばならない。


「では、壬氏さま、失礼いたします!」

「あっ」


 何か言いかけた壬氏を尻目に、猫猫は遠足へ行くがごとくうきうきと準備を楽しむことにした。






「いやあ、いい天気ですねえ」


 雀が大きく伸びをする。


「雨が降らないか心配する必要もなかったですねえ」


 馬車から乗り出して見る、空には雲一つない天気だ。


 猫猫も風に草の匂いを感じつつ、がたがた揺れる馬車に身を任せる。


「雨はもうしばらくは降りませんよ。戌西州では雨期以外、まとまった雨は降りませんので」


 説明するのは向かい側に座った陸孫だ。今日は動きやすい格好をしている。


「なら麦の収穫にはいいですね」


 麦は収穫期に雨が降ると、発芽して品質が落ちることがある。また、ちゃんと乾燥させないとそのまま腐ってしまう。


「はい。でも、天候は気まぐれで、収穫間近でひょうが降ることもあるとか」

「雹は予測しづらいですねえ」


 猫猫は農業専門ではないので月並みな返事しかできない。ここで羅半兄なら、こぶしをぎゅっと握り、収穫期の忙しさと苦労を語ってくれるだろうに。


 猫猫はちらりと御者台を見る。手綱を握っているのは、馬閃バセンだ。護衛は李白でも良かったが、前回も馬閃だったので彼に来てもらった。


 猫猫の隣には雀がにこにこしている。


(問題ないかな)


 猫猫はすうっと息を吐いた。


「陸孫は、なぜ農村の調査などしているのですか?」


 直接聞かなければいけないと思っていた疑問を口にする。おそらく壬氏あたりから、間接的に聞かれたことはあっただろう。でも、しっかり自分の耳で聞いておきたいと猫猫は思った。


 陸孫はちらりと周りを見た。特に馬車の後ろについてくる部下を見ているようだった。


「いくつか理由はあります」

「全部お願いします」


 猫猫ははっきり伝える。


「一つ目は、蝗害についてです。私は、たまに羅半殿と連絡をとっており、彼の知恵をたびたび借りています。茘で蝗害が起きるとすれば、北部か西部の穀倉地帯が怪しいと言われていました」


 実際、北西部の穀倉地帯で小規模の蝗害が発生している。蝗害の恐ろしいところは、放置すればどんどん被害を大きくするのだ。


「私は、どういうわけかご指名を受け、西都で文官の扱いを受けております。総括と言えば聞こえは良いのですが、悪く言えば雑務。その中に、作物関連の資料も混じってくるのですよ。なので仮定として、現在の食料の備蓄などを調べていたわけです」

「でも、現地まで行く必要はあったのですか?」

「それは二つ目の理由ですね」


 どんな理由だ、と猫猫は目を見開く。


 陸孫は、困ったように笑みを浮かべる。


「おそらくもう知っているのではないでしょうか? 文書の数字と、実際の量が違うことなんてままあることかもしれません」


 生産量のかさましのことを言っているのだろうか。


「では、三つ目は?」

「三つ目ですか? 昔、聞いたことがありました。蝗害を減らすための耕作があったと」

「秋耕ですね。それで、念真ネンジェンさんを訪ねたわけですね」

「はい。ご理解いただけましたか?」


 柔らかい笑みを浮かべる陸孫。ちょっと前見たときより痩せた感じがする。


「その、秋耕については、誰に聞いて知りましたか?」

「母です。母は広く商売をやっておりました。私も幼少の頃はいろいろ教えてもらいました」

「そうなのですね」


 陸孫が少し遠い目をしながら、馬車の外を眺める。


(他に聞くことは――)


「猫猫さん、猫猫さん」


 雀がひょいと似顔絵を差し出す。先日、猫猫たちを出し抜いてくれた林小人の似顔絵だ。


「さすが雀さん」

「いえいえ、失態をどうにかしないとはらきりなので」


 雀は少しへこんでいるようだ。珍しい。


(あの場に陸孫がいたら、良かったのに)


 人の顔を一度見たら忘れないという特技があれば、すぐ林小人は見つかる気がする。


「このような人は見たことがありませんか?」

「ふむ」


 陸孫は林小人の似顔絵をまじまじ見る。


「肌色は?」

「少し浅黒かったです。髪は黒く少し癖があり、目ははしばみ色をしていました」

「榛色、こんな色ですか?」


 陸孫は手元にあった布袋を指す。


「いえ、もう少し赤みがかって暗い感じです」

「じゃあ、こんな感じでしょうか?」


 陸孫は手のひらで影を作る。


「少し近づきました」


 ただ、室内で見た姿なので、光の加減でだいぶ違う。


「肌の色は、外の誰に一番近いですか?」


 馬車の外を見る陸孫。


 皆、日に焼けていて、浅黒い肌をしていた。黒すぎもせず、日に焼けた肌だった印象なので、一番薄い肌色を指す。


「では、そばかすはありましたか?」

「そばかす、ですか? なかったと思います」

「肌は脂ぎってましたか?」

「そんな感じはなかったですね」


 他にも、頭髪の多さ、耳の大きさや、えらの張り方、筋肉の付き方など事細かに聞く。


(人の顔を忘れないというが)


 陸孫は全身の至る特徴を頭に入れているのだろう。なんとなく、彼の人の顔を忘れないという特技は、才能ではなく努力で培われているのではと思った。


「私の記憶では、西都で似たような人を数人覚えがあります。ただ、決定的にこの人だと言い切れませんね」

「そうですか。念のため、わかるだけ教えていただけますか?」

「わかりました。村についてからでよろしいですか?」


 そうこうしているうちに、村についた。


 黄金色に輝く麦は、豊作といってもいいのではないだろうか。


 芋も植えているようで、緑の葉が見える。


(さて、しばらく農作業にいそしむか)


 薬草の採取云々は、帰り道にやることにした。陸孫とは帰りは別行動だ。


 馬車からひょいと元気に飛び降りた時だった。


 猫猫は後ろから早馬がかけてくるのが見えた。ただそれだけならまだいいが、どうにも様子がおかしい。


(野盗にでも襲われて逃げてきたのか?)


 いや、違う。


 馬は猫猫たちの前で止まる。舌をだらんと出し、横に倒れ込む馬。乗っていた人間は、武官服を着ていた。


(見たことがある)


 壬氏がよく小間使いに使っている武官だ。それなりに地位がある男だと思うが、なぜこんなに息を切らしているのだろうか。


「どうしましたか?」


 猫猫は水を差し出すが、武官は首を振る。ただ、口をぱくぱくさせて、紙切れを渡す。


(なんだ?)


 細かく折り曲げられた紙切れは、羅半兄の手紙のようだった。


「月の、君が……、見ればわかると――」


(見ればわかる?)


 どういうことだろうか、と開いて見ると――。


 一本の線が引いてあった。筆すら使っていない、木炭のかけらを筆記用具に使ったような乱雑さ。


 それだけならまだいい。


 その線の上に、ぐしゃぐしゃと塗りつぶしてあった。


 どこなのかも書かれていない、だが誰が送ったのかなんて一人しかいない。羅半兄は、何かを伝えるために混乱の中、ようやく鳩を飛ばしたのだろう。


(これは――)


 猫猫には見覚えがあった。


 昨年、砂欧シャオウの巫女が来た際のこと。最後にじゃずぐるという少女が描いた不気味な絵をもらった。


 あのときは何のことかわからなかった。


(今ならわかる)


 一本の線は、目の前に広がる地平線。


 そして、ぐしゃぐしゃと塗りつぶされた黒い塊。


「蝗害が来る」


 猫猫はまだ何もない青い空を見た。



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― 新着の感想 ―
牧野富太郎博士と猫猫を比較するのは間違いだろうか? 前向きで何事も生真面目な彼女は、環境さえあれば博士のように研究成果を残していけるのではないかと考える。皇弟への配慮は必要だが、彼女自身どうありたいの…
[一言] いろいろ詰まってた回。 羅半兄いいな。 壬氏様せつない笑 穏やかな前半に対してラスト一気に緊迫!
[一言] 隕石じゃなかったんだ。
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