二十七、消化不良
「申し訳ございません」
猫猫らは壬氏に深々と謝るしかなかった。雀に至っては、白装束を着て自刃する真似までする。
「あー、ここではそこまでしなくていい」
雀がほっとした顔で、早着替えをする。
結論として、林小人という男は存在しなかった。林大人に孫はいたが、似ても似つかぬ別人だった。
本物の孫曰く、ここ数日、林大人の世話をしていた人物は自称弟子という男だった。数年前からたまに通ってきて、祖父の介護もしっかりしていたので信用していたらしい。
今は本物の孫が林大人に付き添っている。もっとも、介護に近いことはもう一人連れてきた女性がやっている。嫁か娘かどちらかだろうか。
林大人は、変人軍師と将棋の続きをしていた。
(また、将棋やってるし)
猫猫は、呆れるほかない。でも、下手に話に加わっても、脱線してまともな話にならない場合もある。一度、壬氏に詳しく説明してから、変人軍師からも話を聞く予定だ。
(そもそもあのおっさんが最初から――)
などと考えたりもしたが、あのおっさんのやることなど想定できない。大体、あのおっさんがなぜ『小人』と認識したのか、その説明すら難しい。
それだけ、林小人は無害な男に見えた。
林大人の孫からもさらっと話を聞いたが、あまり聞き出せそうにない。それだけ、空気のように無害でかつ便利な男だったようだ。
(そりゃあ、あんなに甲斐甲斐しく世話するなんて、身内でもそうはないだろうなあ)
でなくては、こうも見事にだまされない。
猫猫や李白はともかく、まさか雀までだまされるとは思わなかった。
壬氏もそのことは想定外だったようだ。
「よもや雀もか」
「面目ございません。実家で折檻される失態です」
よよよっと、泣き真似をする雀。
「いや、終わったことは仕方ない。しかし、どんな人物だったんだ?」
壬氏が尋ねる。
「壬氏さまは見ていませんでしたか?」
「すぐさま帰ったからな。ちらりと顔を見た程度だ。軍師殿の副官が間に入った」
確かに、いきなり皇弟に一般人が直接話すことはあるまい。
「どういう男だったか端的に説明を頼む」
壬氏は、猫猫ではなく雀のほうに聞いてきた。
「はい、全く普通の男性でした。これといって何か訓練を受けたとかそういうものもないです。雰囲気としては、羅半兄に似た感じの、わかりますか?」
(あー)
猫猫は納得する。道理でするっと溶け込めたわけだ。羅半兄のように騒ぎ立てることはないが、そつなくでも目立つことなく行動する雰囲気がよく似ていた。
「とりあえず似顔絵描きます」
さっと筆と紙を取り出して描く雀。要所を捉えた似顔絵ができあがる。あとで、林大人の本物の孫にも見せるはずだ。
「私見でいい。どういう人物だと思う?」
今度は、猫猫と李白のほうを交互に向いて、壬氏が言った。
「じゃあ、俺から言います。ほぼ雀さんと同意見です。至って普通の男でした。ただ、林大人の世話に対してかなり手慣れている感じはしました」
「手慣れている? 数年前から時折顔を出していたのだろう?」
「いや、そうなんですけど。普通、余所の爺さんにあそこまで丁寧にできるもんかなって感じで。男って基本は年老いた両親の世話は自分ではなく嫁や姉妹がするもんだと考えるでしょう」
李白の言ったことに猫猫は頷く。茘という国は、男が女よりも上に立つのが基本だ。戌西州ではその空気がさらに顕著で、女は嫁入りの道具としか見られないことも多い。現に、今介護をしているのは孫のほうではなく、一緒に来ている女がやっている。
猫猫もまた林小人のことを、最初から親の世話のために育てられたのではないかと思ったのは、その点にある。
「猫猫はどうだ?」
「ほぼ同意見です。ただ数年前からというのが気になります」
以前から林大人を見張っていたということだ。
「こちらと同じく、古い資料の在処を探していたのでしょうか?」
「そう考えるのが妥当だろうな」
(積極的に探すというより、見つからないか監視しているような)
見つからなければそれでいい。でも見つかってはいけない。
「見つかってはまずいものがあったから取り去ったと考えてよろしいでしょうか?」
壬氏は頷く。
(見つかってはまずいもの)
一体、何なのだろうと悩む。
「見つかってはまずいもんかあ。どんなやばいもんがあったんだろうなあ」
「戌の一族の謀反について関係していることですかねえ」
李白と雀が話す。
(書庫をご丁寧に燃やすってことは、本当に見つかったら困るものがあったんだろうなあ)
その関連で林小人が林大人を監視していたとしたら矛盾が生じる。
(盗むのではなく、燃やしてしまえばよかったのに)
その場で燃やしてしまえば、猫猫たちも探しだそうなんて考えないのに、下手に持ち去られているだけだから追いかけたくなる。
(いや、まてよ)
見つかってはいけないものから、利用価値があるものへと変わったから持ち去ったのではないか。
考えているうちに頭がぐるぐるしてきた。
そんな中、ようやく対局が終わったのか変人軍師がやってくる。
猫猫は隣に座ろうとする変人軍師を避けて、雀の横に移動する。
「猫猫、勝ったよ!」
「あー、はいはい」
元はといえばこの男がちゃんと林小人のことを注意していれば――、などというのはもう遅い。
「どうして、あの男が偽物だとわかりましたか?」
たぶん、魚になぜ泳げるのか、鳥になぜ飛べるのか、聞いているくらいの愚問だと猫猫は思っている。
「面白い演劇を見る感じがした」
「……」
やはり意味がわからない。なにより劇など見たところで、この男にとっては碁石が並んでいるようにしか見えないだろう。
「役者の中にはたまに嘘がうまいやつがいる。舞台では皆嘘をついているが、その嘘が自然なほど劇は面白いと羅半は言っていた」
「嘘が自然、面白い……」
つまり、演劇という嘘をついている役者の嘘がうまい。嘘がうまいとは演劇がうまい。演劇がうまいから面白いにつながるのか、と猫猫なりにかみ砕く。
面白い劇を見ている感じがするから嘘つきで小人とは、変人軍師しかたどり着けないだろう。
「あー、なんとなくわかりましたー」
雀のほうが理解できたらしい。
「雀さん、説明お願いします」
「はいはい、雀さん、説明しますよ。演技しているのではなくなりきる人だったんでしょうね。たまにいますよ、詐欺師とか間諜なんかに」
「間諜?」
「ええ、他国に入るときとか、怪しまれないように現地の人と結婚しちゃうんですよう。でもって、旦那、もしくは奥さんには当たり前に接するんです。相手に対しては本当の夫婦として接します。もちろん、本物の夫婦です。ただ一つ違うといえば、伴侶より大切なものがあるだけで――。時に子どもが生まれることもあるでしょうね。間諜とばれない限り、その夫婦関係は変わらず、伴侶も子どもも何も知らずに生きていきます」
知らぬが仏というやつだ。
しかし、ずいぶん具体的に雀は話す。
「ところで猫猫や、夕食は一緒に食べないかい?」
ゆるんだ顔で話す変人軍師。
その後ろでは林大人の孫が、帰っていいかこちらをうかがっていた。
「羅漢さま。今日は、玉鶯さまとお食事の約束がありますのでやめてください。それと、林大人は帰りの馬車を用意させますのでしばしお待ちを」
音操が動く。
猫猫はしぶしぶ音操に連れて行かれる変人軍師を見る。
「一つだけ質問を」
「なんだい、爸爸になんでも言ってごらん?」
本当に眼鏡をかち割りたくなるが、我慢する猫猫。
「玉鶯さまはどのように見えますか?」
この答え一つで何もかもわかる気がした。
壬氏も固唾を飲んでいる。
しかし――。
「ぎょくおう?」
「だから、今日会食するかたです! いつも果実水もらっているじゃないですか!」
「ああ、あいつなあ」
ぽんと手を叩く変人軍師。
「役者になりたかったんだろうな、って人だね。武生を目指している最中って感じだ」
「はあ?」
猫猫は聞くだけ無駄だった気がした。武生とは、劇の男役で武将や侠客のことを言う。
疑問だけが増え、猫猫は消化不良で気持ち悪くなった。