二十六、林小人 後編
「将棋盤と駒はありますか?」
猫猫は音操から将棋盤と駒を受け取る。とりあえず意味がわからない時は、体を動かしてみる。
ぱちんと音を鳴らして、将棋の駒を並べる。
「ええっと五九銀と」
記帳書き通りに並べるが、やはり無意味なのだろうか。歩を並べようとして、手が止まる。
「……おかしいですねえ」
将棋盤をのぞき込み、雀がつっこんだ。
「二歩ですよぅ」
「あー、それ俺にもわかるぞ。やっちゃだめな手だよな」
李白も参加する。あんまり将棋には興味がなさそうな言い方だ。
「龍も三つありますねえ。同じ譜面のことを言っているわけじゃないのかもしれないですよ」
音操ものぞき見る。
「こういうとき、もう少し将棋のことに詳しかったらわかるんでしょうか?」
首をかしげる音操。
「将棋よくわからないんですか?」
「指せないわけじゃないですけど、配属先を見てください。趣味まで仕事にする気はなくなりますよ」
遠い目をする音操。
「それ、俺もわかるわー」
李白も同意する。
「李白さまはどうしてです? あまり関わりないと思いますけど」
李白は武官だが、音操ほど変人軍師に関わりはない。
「ほら、この形。都の地図を思い出さねえか?」
「都の地図?」
「きれいに区切られた街に、上には玉座。まんまでな」
「そういうことね」
要は碁盤目が街に見えて仕方ないということだ。
(将棋盤だから厳密には違うけど)
言おうとしていることはわからなくもない。
「とりあえず記帳分はすべて並べてみますね」
ぱちぱちと置いていくと、駒の配置にずいぶん偏りが出てきた。
「将棋の譜面としてどうでしょう?」
「全くわかりませんね」
林小人も話に加わる。
林大人と変人軍師、この二人が寝ている今、一番詳しそうなのはこの林小人だけだ。
「棋譜じゃないとすると、何を意味しているものでしょうか?」
さっぱりだ、と猫猫は手を上げる。
「そうだよなあ、王様の駒がすげー動いてるからなあ」
「雀さんも思いました。ずいぶん出しゃばりな王将ですねえ」
李白と雀の意見には、猫猫も同意する。玉将が真ん中のあたりまで出張っていた。
「……玉」
猫猫はじっと盤面を見る。もう一つの王将の位置は、北側の真ん中。他にところどころ偏りがある駒の位置。
「李白さま」
「なんだい?」
「この将棋盤を都に見立てるとどんな感じに見えます?」
猫猫は将棋盤を李白に向ける。
「ふーん。そりゃ、この王将は玉座に当たるよなあ。ってことを考えると――」
つつっと指を伸ばす。
「この駒が固まっているあたりは繁華街とか商店街、もしくは住宅街ってところか」
「じゃあ、この玉将は?」
「うーん、敵っつうか、政敵? もしくは、力が強い高官の家ってところ?」
李白はあまり自信がない言い方をした。
(そうか、そういうことか)
猫猫は目を見開くと、雀を見た。
「雀さん、西都の地図はお持ちですか?」
「ははっ、いきなり何を言うんだよ。そんなもん持っているわけ……」
「はい、お持ちです」
李白の笑いを無視して、雀はささっと地図を出す。厚めの羊皮紙に描かれた地図だ。
「なんで持ってるんだよ!」
「それは雀さんだからです」
きりっとする雀。
そんな雀だから聞いてみたが本当にあった。
猫猫は受け取った地図を開き、将棋盤と見比べる。
「この玉将の位置なんですけど、西都の配置に合わせるとちょうど、この別邸の位置になりませんか?」
『!?』
皆が将棋盤と地図を見比べる。
西都もまた、碁盤目状の区画に作られた都市だ。都ほどしっかり分けられていないので気づかなかった。
「じゃあ、この王将って」
「今は、公所として利用していますが、戌の一族が住んでいた屋敷の位置に当たります」
林小人が教えてくれる。現地の人間がいると、すぐわかるので心強い。
「そうなると、龍が多い意味もわかります。たしか龍がついた名前の店がありました」
龍の意匠は皇族しか使えないが、店の名前で『龍』の字を入れることは多い。
「じゃあ、歩はどうなるんでしょう?」
雀が二つ並んだ歩を指す。
「位置からして大通り沿いですね」
「書店や紙屋じゃないでしょうか? 行きつけの小物を買う店という意味で」
「……うーん、なんかそれらしい店はないなあ」
李白がうなる。
猫猫は違う駒がどの場所を示しているのか、確認する。
「雀さん気づいたんですけど、今の時代の地図だとだめじゃないですかねえ」
その通りだ。十七年もたてば、店は潰れることもあろうし、新しく建っていることもある。
「すみませんが、私、古い地図をとってきます! 祖父をしばらくお願いできますか?」
林小人が立ち上がった。
「わかりました」
猫猫たちは、将棋盤と現代の地図で照らし合わせるのに夢中だ。
だから、誰も気がつかなかった。
「大体、わかるところは埋めましたね」
猫猫は地図と重ね合わせたところを確認する。
「しかし、遅いなあ」
李白が帳をめくり、外を見る。日の落ち方を見ているのだろう。
「もう半時たっているぞ」
「十七年前の地図ってそう見つかるものではないんでしょうけど」
そう思っていたが、猫猫はここで少し自分の判断が間違っていたのではと、いやな予感がした。
「ふあああ」
いやな予感に追い打ちをかけるように、酒を盛られて居眠りかぶっていた片眼鏡のおっさんが起きてきた。
「おはよう。まだ夢かねえ。猫猫が見える」
ぽやぽやと寝ぼけている変人軍師。音操が目覚めの一杯を差し出す。たぶん、中身は果実水だ。
「……ん! やっぱり猫猫だ!」
「あぁ、うっせえ」
思わず声に出てしまう猫猫。
無視したいところだが、話が進まないので変人軍師との間に料理の皿を一直線に並べる。
「ここから先には入らないでください」
「わーお。麻美の姉貴がごとく」
雀の義姉も高順に対して似たようなことをしているらしい。
将棋盤を変人軍師の前に置いてもらう。
「一応、聞いてもどうかわかりませんが質問します。十七年前の西都についておたずねします。ここが元戌の一族の屋敷、その斜め下が玉袁さまの屋敷だとして、他の駒の位置はわかりますか? そうですね、わかりませんね」
「嬢ちゃん、おっさんまだ答え言ってない」
李白は本人の前でもおっさん扱いだった。
「この歩は、将棋道場。その下の歩は、将棋や碁を売っている店だ」
「羅漢さまは自分の趣味のことだけはしっかり覚えているんです」
「へえ、そーなんですねえ」
音操の説明を心底興味なさそうに返す猫猫。
「この龍は飯屋だ。将棋を指して店主に勝つと無料にしてもらえる」
すらすらと答えていく変人軍師。将棋関連の施設なら、林大人の示した場所と重なるのもわかる。
(こいつが最初からしっかりしていたら)
などと猫猫は身勝手なことを考える。
雀も「失敗したかなあ」と腕組みをしていた。
「この桂馬はよくわからん。あと成金」
二カ所だけ覚えがないという変人軍師。
「一つは廟のようですね。もう一カ所は住宅街に入っているようですから、最初に棋譜を見つけた場所かもしれないですね」
雀が地図に丸をつける。
「じゃあ、残った廟が怪しいわけか」
答えにたどり着きそうだったとき、急に変人軍師がきょろきょろ周りを見だした。
「どうしましたか?」
音操が聞く。
「林小人は?」
「古い地図を取りに行ってます」
「ふーん」
変人軍師が他人に興味を持つのは珍しい。
(林大人ならともかく小人のほう……)
猫猫はもう一度、心の中で反芻する。
(小人のほうって)
猫猫は大きく将棋盤を叩く。
皆がびっくりした顔で猫猫に注目した。
「どうしたんだい?」
李白が恐る恐る聞く。
猫猫は、ゆがんだ顔で変人軍師を見た。
世の中には類い稀な才能を持ちつつ、無駄にしている者がいる。
「林小人の小人とは――」
猫猫は変人軍師をにらみつけたままだ。
「悪人という意味でよろしいでしょうか?」
「そうだね。猫猫。悪い男だろ、なんか嘘つきっぽかったね」
「……」
顔をゆがめたまま、猫猫はそのまま膝をついた。
「なんで黙っていたんですか?」
「だって、儂らには関係ないだろう?」
そうだ、変人軍師はそういうやつだ。
その後、急いで怪しいとされる廟へと向かったが、何も見つからなかった。ただ、誰かが家捜しをして何かを持ち去っていた痕跡だけを残して。