二十四、林大人
帳が幾重にも張られた部屋の奥に、宴席が設けられていた。茶会というより宴席、猫猫にはそう見えた。
(亜南っぽいな)
絨毯が敷かれ上には、菓子や茶が置かれている。
中心には将棋盤が置かれ、盤上を小汚いおっさんと見知らぬこれまたあまりきれいそうでない爺さんが睨んでいた。小汚いおっさんは言うまでもなく変人軍師だ。もう一人は――。
(あれが将棋の相手のじいさんか)
八十という年齢でご存命というのは希有だ。昔はそれなりに偉かったであろう男は、現在腰は曲がり、全身もふるふる震えている。右手側には丈夫そうな杖を持っていて、その背後には心配そうに中年の男が見ていた。
「連れてきましたー」
雀が元気よく手を上げる。護衛に李白もついてきている。
雀の声に、将棋盤から目を離すのは、小汚いおっさんのほうだ。
「ま、まおま――」
変人軍師が言いかけた。しかし、途中で遮られる。
老人が杖を持っていた。その杖は床に打ち付けられている。分厚い絨毯がなければ杖が折れていたのではないかという勢いだった。
「試合中!」
呆けたじいさんから出た声とは思えないくらい、芯があった。呂律が回らないと聞いていたが、単語ならしっかり聞き取れそうだ。老人は駒を持ち、気持ちよい音を立てて指した。
片眼鏡の変人も、目も細めつつ将棋盤に視線を戻す。手だけ猫猫に振りつつ盤面に集中する。
「なかなかいい一手ですね」
きりっとした顔でかっこつける雀。
「俺にはさっぱり意味がわからんが、ねえちゃんにはわかるのか?」
はははと好漢らしく笑う李白。
「なんとなく空気的に」
雀は意味もわからず言ってみたいことを言っているだけだった。いつも通りの雀だ。
「さあさあ、猫猫さんもお茶しましょう。でなくては、雀さんが点心を食べられません」
昼間は暑い西都でも、風通りをよくしていれば過ごしやすい。湿気がないからだろうか。
(しかし金持ちだよなあ)
元々豪商というだけあって、絨毯が立派だ。さらりとした質感は、絹のようである。表面には微細な模様が織り込まれ、さらに刺繍が施されている。
(どうせ食べこぼされるのに)
将棋を指しながら、変人軍師が饅頭を食べている。具なしかそれとも餡入りか、餡は甘いのか辛いのか気になるところだ。
変人軍師が食べている菓子を補充するのは、気苦労が多そうな副官だ。いつもながら猫猫は名前を知らないし、聞いたとしても忘れている。
「あはは、大変そうだな、音操さんは」
他人事として扱う李白。同じ武官なので顔見知りらしい。
音操とやらは猫猫に気づくと、近くにいた使用人に食事を用意させる。
「申し訳ありません。やって来られたというのに」
謝り慣れているのか、きれいな角度で頭を下げる音操。
(これはいい人材)
やり手婆が欲しがりそうな謝り方をする。若造というほど若くなく、でも腰が低く、だからといって無能には見えなさそうで、不慣れな妓女が客を怒らせたときに使える。
なお、本物の苦情客であれば、男衆が有無を言わさず店の外に投げ捨てる。
(転職する気があるなら、紹介しよう)
妓楼の謝罪役は大抵胃を患うが、変人軍師の元にいるより気楽なはずだ。
茶会の席にはまだ壬氏は来ていない。もしくは来ないのかもしれない。
(変に集まっていたら、またやっかみを買いそうだ)
来なかったら来なかったで、猫猫たちで情報収集をしなくてはいけない。
ともかく将棋が終わるまで何もできなさそうなので、食事をとることにした。
「猫猫さん、この焼き菓子最高ですよ」
「もう食べているんですねえ。雀さん」
「毒味です」
「自分でできます」
本当に茶会というより宴だ。料理がどんどん運ばれてくる。悲しきかな酒の類いは一切ない。
ちびちびと饅頭をつまんでいると、また音操がやってきた。
「よかったらこれをどうぞ」
「なんでしょうか?」
音操が持ってきたのは書物だ。羊皮紙で作られたもので、中身は短い物語集だった。できれば薬草図鑑や、医学書が良かったが趣味は悪くない。
「他に必要な本があれば持ってきます。それとも、盤遊戯や紙牌のほうがいいでしょうか?」
妙に気遣うので猫猫は変に思う。
「お気遣いいただかなくとも、大丈夫ですけど」
「いえ、その……」
音操は、なんだか妙に歯切れが悪い。
「羅漢さまと林大人は一時ほど前から指し始めたのですが――」
「ですが?」
「お二人が指す時間は少なくとも二時はかかるかと思われます」
「二時・・・・・・」
「なお、月の君は猫猫さまの少し前に来られて、帰って行きました。仕事が多いので、終わったらお呼びする手はずになっています」
壬氏に暇な時間はない。妥当な話だと思うが、ならばなぜ猫猫も帰してくれないのだろうか。こちらとて、薬草を愛でたり、練ったり、やぶと茶をしばいたりと忙しいのだ。
「今から帰っていいですか? 時間になったら呼んでください」
お持ち帰り用に果物と饅頭の皿を持つ。やぶ医者が喜んで食べるだろう。
「だめです。ここで帰ったら、羅漢さまの集中力が切れます。変な将棋を指せば、林大人も疲れて寝てしまいます」
(いや、面倒くせえ)
そもそも八十にもなって二時も将棋を指し続けていたら、そのまま倒れ込むんじゃないだろうかと猫猫は心配する。
(別の意味で帰れなくなってきたなあ)
猫猫は老人が倒れないか見守ることにした。