25 李白
どうやら、くだんの毒殺騒ぎはけっこう大事らしい。
小蘭は猫猫に食ってかかるように聞いてくる。
洗濯小屋の裏は、下女たちの駄弁り場所となっている。そこで、木箱の上に座り、団子のように連なった山査子を食べる。
(まさか当事者だとは思うまい)
小蘭の山査子を頬張りながら足をぶらぶらさせる姿は、年齢よりも幼く見える。
「猫猫のところの侍女なんでしょ。毒食べたのって」
「そうだけど」
嘘は言ってない。
「何か知らないけど、何者だって話なんだけど。大丈夫なわけ?」
「そうだね」
なんだかとても居心地が悪いので何度もはぐらかすと、小蘭は仕方ないと口を尖らせた。
小蘭は一粒残った山査子の串をぶらぶらさせる。まるで血赤珊瑚の玉簪のようである。
「じゃあさあ。簪とかもらったりした?」
「一応」
義理を含む、計四つ。玉葉妃の首飾りもいれておく。
「いいなあ。じゃあ、こっから出られるんだね」
(ん?)
「今、なんて言った?」
「えっ?こっから出るんじゃないの」
桜花がしつこく言っていた。
それを聞き流していたのは自分だった。
失敗したと頭を抱える。
かぶりをふり自己嫌悪に陥る。
「どしたん?」
怪訝に眺める小蘭を見た。
「それ、詳しく教えて」
いつになくやる気のある猫猫を見て、小蘭は胸を張る。
「あい、わかった」
おしゃべり娘は簪の使い方について教えてくれた。
○●○
李白が呼び出されたのは、修練のあとのことだった。
汗を拭きつつ、刃びきした剣を部下に渡す。
なよなよしい宦官は、木簡と女物の簪を渡した。
桃色珊瑚の飾りのついたそれは、以前、幾多も配ったうちの一つに過ぎない。
義理とわかって本気にしないと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
恥をかかせるのも悪いが、本気にされるのも困りものである。
しかし、美人であればもったいない。
やんわり断る言葉を考えながら、木簡を見る。
『翡翠宮 猫猫』
そのように書かれていた。
翡翠宮の女官にはひとりしか渡していない。
あの無愛想な侍女にしか。
はてはてと、顎をさすりながら李白は着替えの準備をした。
後宮内は基本男子禁制である。
べつに切り落としたわけでもない李白は、当然禁断の園である。今後はいることもなかろうし、あったら困ることである。
そんな恐ろしい場所であるが、特別な許可を取れば、中の女官を呼ぶことができる。
その手段がこの簪だった。いくつかの手段のひとつである。
中央門の詰所を借り、呼び出し人を待つ。
さして広くない部屋には机と椅子が二人分、両側の扉の前には宦官がひとりずつ立っている。
後宮側の扉から、痩せた小柄な侍女が現れた。
鼻の周りにそばかすとしみがおおっていた。
「誰だ、おまえ?」
「よく言われます」
無愛想に淡々と話す侍女は、手のひらで鼻の周りを隠した。見たことある顔が現れる。
「化粧で化けるって言われないか?」
「よく言われます」
不機嫌な様子もなく事実として受け止めている。
なんとなく理解できる。
あの毒見役の侍女であると。
しかし、しみだらけの顔を見るとどうにもあの妖艶な妓女の笑みとつながらない。
まったくもって不思議なものだ。
「しかし、また俺を呼び出すなんて、どういう意味かわかっているのか?」
腕を組み、足も組む。
身体の大きな武官が偉そうに座る中、小柄な娘は物怖じもせず言ってくれる。
「実家に戻りたいと思いまして」
何の感慨もなく言うのである。
李白は頭をかきむしる。
「それで、俺に手伝えと?」
「ええ。身元を保証していただければ、一時帰宅は可能と聞きましたので」
とんでもないことを言い出すものである。
本来の意味をわかっているのか、と聞き出したい。
どうにもこの猫猫という娘は、自分を里帰りのために利用しようとしているらしい。武官をつかまえてやることではない。
豪胆というやら、命知らずというやら。
李白は頬杖をつき、鼻を鳴らす。
態度が悪いといわれようと、正す気もならない。
「なんだ?俺は嬢ちゃんにうまく利用されろってことか?」
李白は、好漢だといわれているが、睨み付けるとそれなりに恐ろしい顔である。
怠ける部下を叱りつけると、関係ないものまで謝ってくる程度に。
それなのに、眉一つ動かそうともしない。
感慨なく、眺めているだけである。
「いいえ、こちらもそれなりにお礼ができないかと」
猫猫は机の上に、束ねた木簡を置く。
紹介状のように見える。
「梅梅、白鈴、女華」
女の名だ、李白には聞き覚えがあった。いや、李白以外にも多くの男どもが知っているはずだ。
「緑青館で花見はいかがかと」
一晩で一年分の銀が尽く、高級妓楼の名前だった。先ほどの名前は、三姫と呼ばれる売れっ子たちだ。
「心配ならば、これを見せればわかります」
娘は唇を歪ませるだけの笑みを向けていた。
「冗談だろ?」
「お確かめを」
まったく信じられないことである。
たかだか、侍女程度に高級官僚もなかなか手を出せない妓楼に伝手があるとは考えにくい。
どういうことだ。
わけがわからないと頭をまたかきむしると、娘はふとため息をつき立ち上がった。
「どうしたんだ?」
「信じていないようですので。お手間をかけました」
すっと胸元から何かを取り出す。
二本の簪、紅水晶と銀製のものだ。
「申し訳ありませんでした。他を当たりますので」
「ちょ、ちょっ」
持っていこうとした木簡を押さえる。
表情のない猫猫の目が李白を見ていた。
「どうなさいますか?」
負けたと思った。
○●○
「よかったんでしょうか?玉葉さま」
紅娘は扉の隙間から、猫猫を見る。普段に比べ血色がよく、うきうきと荷造りをしている。
本人はあれでいつもどおりのつもりだから不思議なものだ。
「まあ、三日だけだしね」
「そうですけど」
侍女頭は自分につかまり立ちしようとする公主を抱き上げる。
「絶対、わかってないでしょうけど」
「そうね、絶対」
他の侍女たちは、猫猫に「おめでとう」と伝えているのだが本人はわかってないらしい。お土産買ってくると呑気な返事をしている。
玉葉妃は窓辺に立ち、外を眺める。
「まったく、可哀そうなのはあの子だわ」
ふうっと、ため息をつくが、そこに悪戯な笑みが浮かんでいた。
仕事を片付けてようやく暇人になった壬氏が翡翠宮をおとずれるのは、猫猫の出発した翌日のことである。
フラグクラッシャー