二十一、茶の時間
優美な部屋には香しい茶の匂いがした。
こぽぽと、異国風の急須で入れる茶は、紅のような赤い色をしている。紅茶とはそのままの名前だと思いつつ、香りを楽しむ。砂糖と牛の乳を入れることもある茶葉だが、猫猫は茶が甘いのは許せないので断った。
「それで、どのような見解を持っている?」
匙で茶をかき混ぜる動作すら優雅に見える人物こと壬氏。牛の乳を入れているが、胃を痛めない方法としては正しい。猫猫は卓の反対側に座り、向かい合って茶を飲んでいた。
(いいんかなあ、こんな形で)
桃美に案内されるがまま壬氏の部屋に来たものの、どう見てもお茶会の体裁だ。水蓮も文句はなさそうなので問題ないだろうが――。
「さあ、どうぞ」
水蓮がにこやかに茶を勧めるので、断るほうが忍びなくなる。一口だけいただいて意見を述べることにした。
「あくまで、私の意見は――」
「推測であり、事実とは違う可能性もあると言いたいのだろう? 私は、その意見を鵜呑みにせず客観的に見極めれば問題ないか」
「はい」
猫猫は『是』というより他ない。そして、壬氏はちらりと桃美のほうを見ている。『私』というのは、桃美を配慮してのことだろうか。
「では何についての意見を言えばよいのでしょうか?」
「風読みの一族について。私がすでに知っていることでもいい。まとめるつもりで話してくれ」
「かしこまりました」
壬氏の言葉で、猫猫は話しやすくなる。話が重複してはならないと考えて、言葉を選ばなくて済む。
「風読みの一族については、視察に行った農村の元農奴の男、念真より話を聞きました。過去に花嫁狩り、奴隷狩りにあったために滅びたとのことです。風読みの一族は祭事を司り、戌の一族に保護されていると聞きました」
壬氏はすでに知っている内容だろう。茶を飲みつつ、焼き菓子を口にしている。茶に合わせたこれまた異国風の饼干だ。
「行われていた祭事とは、蝗害を事前に防ぐための方法だったと考えられます。秋耕と呼ばれ、畑を掘り起こすことで土をよくするほかに、害虫の卵の駆除にも効果があるようです。細かいことは羅半の兄が知っているかと思います」
「羅半兄だな。羅の一族は達者ばかりだな。農業の玄人が二人もいるのか」
ここでも羅半兄だ。
(羅半兄は仕方なく農作業を覚えた感じだけど)
あの妙な生真面目さなら、しっかり農業実習してくれるはずだ。普通の家に生まれたら、普通に優秀だっただろうに。
「羅半兄は?」
「明日には帰ると伝令が入っています。大まかな作業は教え終わったようです」
馬閃が報告する。今回は、母親に仕事を取られたりしなかったらしい。最近、仕事が少ないので暇ではないだろうか。
「では帰ったら呼んでくれ」
「はい」
(大丈夫かな?)
猫猫は少し不安になるが、今は置いておこう。
「風読みの一族は、鳥を使うということですが、元農奴の男の話ではどのように使うかわかりませんでした。ですが、今日捕まった不審者こと庫魯木の証言では、風読みの一族は滅びておらず、その子孫は鳥を育てる技術を持って生きていることがわかりました」
庫魯木は鳥を育てる技術について、金持ち相手の愛玩動物を売るくらいしか考えていなかったようだが違う。
「鳥は育て方によっては、虫を見つける手助けになると考えられますが、本題は別です。鳩またはそれに準ずる鳥も飼育していれば、伝達手段として大いに役に立つと考えられます」
猫猫は壬氏がすでに出しているであろう答えを口にする。
「風読みの一族の最大の強みは、鳥を使った伝達手段だったかと思われます。あくまで予想ですが、諜報部隊として働いていたとしてもおかしくありません」
壬氏の顔色は変わらない。
「では、生き残った風読みの一族はどうなのだ?」
「あくまで推測ですが――、彼等の技術を買った者が保護したように考えられます」
猫猫はゆっくりと言葉を選ぶように答えた。
「保護したのは誰だと思う?」
「……わかりません。戌の一族か、それとも別の勢力か」
「なぜ戌の一族だと考える?」
猫猫も、その答えは矛盾していると思う。
「先帝の母君、女帝という言葉をあえて使わせていただきます」
「かまわん」
「彼女が滅ぼしたからです」
「ふむ」
壬氏も納得がいく顔をした。先帝を傀儡として、国を操った女性は合理的な人だったと考えられる。拡大し続けた後宮や、森林の伐採禁止も何かしら理由があってのことだ。だが、戌の一族を族滅させたことについては不明な点が多い。
「つまり、本来、諜報部隊としての意味合いが強かった一族を皇族に秘密にし、囲い込んだことで罰せられたと言いたいのだな?」
「可能性の一つとしてです」
「わかった。では、戌の一族以外だった場合はどうだ?」
「……それについては」
猫猫にとって大変言いにくいが、すでに壬氏の耳に入っているだろう。猫猫はちらちらと周りを窺う。壬氏の部屋に限って、誰かが聞き耳を立てていないはずだ。
「庫魯木の証言では、玉袁さまの奥方、玉鶯さまの母君は風読みの一族の出身と考えられます」
「そうだ」
壬氏がはっきり答えた。
(もう調べがついてたか)
猫猫の推測を聞くまでもないではないか。後ろで猪牙を作る雀。彼女がとうに調べたようだ。
「玉袁殿の商売には、奥方の力が大いに役に立ったそうだ。だが、猫猫が思うようなものではない」
「ど、どういうことでしょうか?」
猫猫は、玉鶯の母の年齢を考える。いくら若くても、風読みの一族が奴隷狩りにあった頃には生まれていただろう。
「玉袁殿の元奥方は、奴隷だったそうだ。砂欧で売られて小間使いにされていたところを玉袁殿が買い取ったそうだ」
(親戚って)
同じ風読みの一族には違いない。だが、玉袁の妻は、滅ぼされた側だったとなると話が違う。
「故人の過去について色々調べて話すことは失礼だろうが……立場上な。以前より調べて知っていたことだ」
(事前調査ねって、知ってたんかい)
雀が調子に乗って、またどやっとした顔をしていたが、姑に気付かれ猛禽の目で固まった。
「このことについては、周りには漏らすようなことはしないでくれ」
「わかっております」
(砂欧で奴隷)
奴隷の息子が今後、西都の主になるとなれば問題が出てこよう。雀はどこからこんな極秘事項を調べてきたのだろうか。
「奥方の人柄については問題ない。温和で聡い女性だったという話を聞く」
「そうですか」
ならばこれ以上触れる必要はないかと思ったが、一つ確認しなくてはいけないことがあった。
「風読みの一族の話とは少しずれますがよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「偵察に行った村について、数日前に陸孫さまが訪問していた件についてです」
「……そのことか」
壬氏は斜め上を見た。少し思考を巡らせているようだ。
「陸孫についても調べている。農業視察に向かったこともわかっている。西都では、仕事が忙しく中々農村へと向かえなかったらしい。元々、中央から話があったことだ」
猫猫は首を傾げる。
「元々ですか?」
少し胡散臭いと思ってしまう。
「ああ。戌西州の報告では、大きな農業被害は見られなかった。だが、何かしら実物を見ないと安心できないだろう。というわけで、陸孫にお鉢が回ってきたわけだ」
「……本当でしょうか?」
「なぜ疑う?」
「いえ、なんとなく」
西都についたとき、あまり身なりが綺麗ではなかった。やましいことをしていたのでは、と考える猫猫の頭が疑い深いのだろうか。
「身なりが悪かった理由については雀さんが説明します」
ふんっと鼻息を荒くする雀。壬氏の前でも一人称は『雀さん』らしい。
「雀」
猛禽類が小鳥(図太さ極)を睨む。
「いい。発言しろ」
「わかりました。雀さんはすでに調べておりました。陸孫さんは帰りの道中、賊に追いかけられたようです。猫猫さんはご存知ですよね。あの賊です。馬閃さんにぽっきり腕を折られた可哀そうな賊さんたちです」
「ええ、覚えていますとも」
(雀さんが私を囮に使いましたねえ)
「はい。賊の数人は捕まり、数刻後連行されました。なお、賊の大元もその後捕まりましたとさ。情報提供者が吐いてくれました。なお、案内人の一人はその数日前にも陸孫さんを農村へと案内した人でありました」
雀の話をまとめると、案内人が客の情報を盗賊に渡し、盗賊は草原に不慣れな客を襲っていた。そして、猫猫たちと陸孫が盗賊に襲われたのは同じ案内人が手引きしたからだという。
「雀さんたちは本当に偶然襲われたのですが――」
(おい、嘘つくなよ)
「陸孫さんの案件は案内人がさらに誰かの手引きで襲撃されたみたいです」
「農村への視察を邪魔したかったということか?」
「その可能性もありますし、ただ脅しだったかもしれないです。それとも裏をかいて、あえて被害者を装うって形かもって、ここのところは雀さんが考えることではありません」
雀の妙に上手い所は、なんだかんだで線を引いている。事実は話しても意見を述べていない。
(囮には使うけどね)
少しだけ恨みを持っている猫猫。
「わかった」
壬氏は下がれ、と指示する。雀はしゃきんと姿勢を正して礼をした。
(この様子だと)
壬氏もまた陸孫がどんな人物かまだ完全につかめていない感じだ。少なくとも猫猫が聞く限りでは、職務に忠実な男のように思えるが。
壬氏は情報をまとめるように茶を飲む。猫猫も、だいぶ冷えた茶を口にした。
(甘い物が食べたくなる味だけど)
猫猫はしょっぱい物が食べたいと考えれば、そっと菓子桶が横に置かれた。水蓮が置いたようで、ちらりと目配せをする。中には、素朴な煎餅が入っていた。
「一人で点心を貪るのは味気ないから付き合え」
壬氏が菓子を持って言った。
「ならば失礼します」
猫猫はつい、ばりっと音を立てて食べてしまった。失礼かと思ったが、塩味がきいた煎餅は美味い。
(あとで包んでもらえるよな)
ついでにやぶ医者へのお土産に饼干も欲しい。
(でも、天祐がいるからなあ)
やぶ医者ならいくらでも誤魔化せるが、天祐はどう誤魔化すのか。一度確認しておいたほうがいいと猫猫は思った。
「一つ質問をよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
壬氏がちょっと顔をほころばせた。
「天祐という新人医官について、私の立ち位置はどうすればよいでしょうか? 頻繁にこちらに来ると、や……医官さまのように誤魔化しはできないと思いますが」
「……そうだな。それについては――」
壬氏の反応に間が空いた。
「行儀見習いとして働いていたので、以前から顔見知りだったと伝えているわ。安心してちょうだい」
にこやかに水蓮が答えた。
「行儀見習い……」
「ええ。概ね、嘘は言ってないわ」
「ええっと、そうですけど」
猫猫は正直、気持ち悪い呼び方だ。雅な人の元に仕える行儀見習いと言えば、大体、花嫁修業の一環とされる。
「嘘は言ってないわ」
笑顔のまま水蓮は二度言った。
猫猫は居心地が悪いと思いつつ、煎餅をもう一枚齧った。