十三、祭り
念真の家の後ろには大きな穴が掘ってあった。普段、ごみを燃やしたりしているのだろう。黒い焦げ跡が残っている。
「普段はここで飛蝗の卵を燃やしているのですか?」
猫猫は、念真に確認する。
「そうだな。燃えにくいから燃料をかけてやっている」
燃料と言うと、油や羊の糞だろう。猫猫たちが当たり前に使っている薪や炭は、この地方では高級品だ。
「……せっかくなので、たまには違う方法で燃やしたいのですが……」
猫猫の申し出に、念真はいぶかしんだ顔をする。
「別にいいけど、どうする気だ?」
「とりあえず、あそこにある鍋を借りますね」
猫猫は大きな鍋に触れる。古いがしっかりした作りで錆びを落としたらまだまだ使えそうだ。かなりの間放置していたようで、中には枯草や死んだ虫が入っている。
ひっくり返して藁製のたわしでこする。
「どうぞ、猫猫さん」
雀が川から水を汲んできたのでありがたく使わせてもらう。
「大きな釜ですねえ。青椒肉絲が三十人前くらい一度に作れそうです」
「炊き出しにでも使っていたんですかね?」
猫猫と雀は向き合いながら釜を洗う。雀といるとつい口調がうつってしまう。
「それは、農奴用の飯炊き鍋だ。一日分の飯をそれで作っていた」
「ほうほう、たくさん、農奴さんいたのですねえ」
雀には、念真から聞いた内容を大体話している。変わり者の侍女は、相手が元盗賊だろうが、殺人者だろうが、元農奴だろうがあまり関係ないようだ。
(村人はどこまで知っているんだろうか?)
変わり者扱いしていたが、さほど毛嫌いしている雰囲気ではなかった。蝗害に対してもあまり心配していないところも含めてのほほんとした性格をしているのだろうか。
「この村、盗賊とか襲われたりしたら大丈夫なんだろうか?」
思わずぽつりと漏らす猫猫。
「そこは大丈夫だと思いますよー」
ひとりごとのつもりが、雀から返事が返ってくる。
「今は定住していますが、元々放牧の民ですし、納屋の中にはちゃんと手入れが行き届いた弓や剣がありましたよ。地の利がある分、強いですし、盗賊も襲うのに勇気がいるでしょうね」
治安の面では、いくらか都のほうが良いようだ。
「だから旅人を狙うわけですね」
猫猫は納得した。
(あの案内人はどうなったんだろう?)
考えちゃいけないような気がしたが、一つ確認したいことがあった。
「雀さんはどうして囮になるような真似をしたんですか? 馬閃さまは知っている感じではないですし、月の君はそんなことをするとは思わないんですけど」
壬氏は、今のところ猫猫の安全に対して敏感になっているはずだ。護衛に馬閃を付けたのも、壬氏なりの配慮だと考えている。
雀は小さな目を細める。
「私の命は、いかに弊害を減らすかということなのです。いつ襲われるかわからないよりも、いつ襲うか指定できたほうが安全だと思いませんか?」
雀なりの安全策なのだろう。
「普通は、危険なことを知らせないように安心させる方だと思いますけどねえ」
「猫猫さんは、肝がすわってますし、合理的な方法を選んだほうが好きかなーって」
「一応、言っておきますけど、私って殴ったら死にますよ」
「はい、わかってます。耐毒性については、期待しております」
割り切りのよいおねえさんだ。
駄弁っているうちに、鍋の汚れは落ちた。
「どうするんですか? この鍋」
「さっきの飛蝗の卵を入れます」
「⁉」
雀がすごい勢いで後退った。
「……猫猫さん」
「雀さん、安心してください。食べません、食べませんから」
「本当にですか?」
疑いの眼差しだ。
「はい。美味しくなさそうですし、集めておいてなんですが、気持ち悪いですよね」
成虫は食べたことがあれど、卵となるとかなりきつい。
「これは油をかけて――」
「炒めるんです?」
「燃やします」
「燃やす?」
猫猫は鍋を持って廟へと向かう。質素な煉瓦造りの廟。
「ここで、火を焚けば祭事っぽくなりませんか?」
「ほほう」
「そして、祭りにはご馳走が必要ですよね?」
猫猫はちらっと、まだうろうろしている村の子どもたちを見る。
雀の顔がにやりとする。何がしたいのか理解してくれたらしい。
「なるほど。では、飾り付けは任せてください」
襟から赤い飾りがしゅるしゅると出てきた。
「お鍋を飾る台も必要ですし、義弟と羅半兄にも手伝っていただきましょう」
雀にも羅半兄で定着していた。
雀が率先して舞台を作ってくれるので、猫猫がやることはご馳走作りだった。
燕燕が玄人の料理人並の腕前なのでかすみがちだったが、猫猫だって料理は得意な方だ。
(料理は調薬と同じ)
素材の組み合わせ次第で有効になる。
「何をするんだ?」
念真が残った片目を細める。
「祭りなら楽しくやらないといけないでしょう。そのためのご馳走です」
「……そりゃそうだが」
念真が不安そうに視線を移動させる。その先にいるのは、羅半兄だ。
「おい! 全部使うなよ! 持ってきた量は限られているんだからな!」
「わかってますわかってます。それより、早く蒸してください」
「人使い荒い!」
ぶつぶつ文句を言いながら竈に燃料を入れる羅半兄。乾いているとはいえ、羊の糞を素手でつかむのに抵抗があるのか、棒で挟んで入れている。
「うちにある道具は好きに使ってくれ。食糧を使うなら、あとで銭を払ってくれると嬉しい。こちとら生活はぎりぎりなもんでな」
「ありがとうございます」
「じゃ、俺は寝てる」
念真は粗末な寝台に横になった。元気そうに見えるが、もう爺さんなので連日の畑仕事はきつかったのだろう。
「甘藷ってゆっくり加熱したほうが甘くなるんですよね?」
「そうだよ。だから強火で焼けばいいってもんじゃねえ」
(農業だけじゃなく芋料理にも詳しそうだ)
どうせ、羅半あたりが甘藷の利用法を考えるにあたって、羅半兄を使っているに違いない。弟に対して、あたりが強く見える羅半兄だが、基本的にお人好しすぎる。それでもって、表向き反発しているようにふるまうので、ごく普通の遅すぎる反抗期に見えてきた。
「私、あんまり料理の種類がわからないんですけど、ここにある材料でできる料理知りませんか?」
「なんで俺に聞く!」
「雀さんは基本食べる専門だと言っていましたし、馬閃さまでは当てになりませんから」
雀は粥位なら作れるようだが、複雑な料理は食べるほうに集中したいらしい。
「……知らねえ」
わかりやすい嘘をつく羅半兄。
「そうですか。……ごめんね、美味しいお料理をたくさん食べさせたかったんだけど」
猫猫はちらっと後ろを見た。家の入口の隙間から、子どもたちが見ている。例の兄妹だけでなく、なんだか数が増えていた。
「お友だちもいるんだねえ。美味しい、珍しいもの食べたかったねえ」
猫猫は自分らしからぬと思いつつ、子どもたちに話しかける。
「えっ、お芋、食べられないの?」
悲しそうな妹の声。
「食べられるけど、ごめんね。私ではあまり美味しいものが作れないんだ」
「おりょうりへたなの?」
違う子どもが首を傾げる。
「お芋、食べたいな。僕らのはないんだ……」
悲しそうな子どもの声。
「……」
羅半兄が気まずそうな顔をする。
むっとしつつ、背中を向けたと思ったら、はあっと息を吐いた。そして、振り向き、びしっと指を立てた。
「おい、餓鬼ども。飯が食いたきゃ手伝え。何よりうめえもん食わせてやる!」
子どもたちが歓声を上がる。
羅半兄は大変長男気質であったようだ。
(ちょろい)
猫猫はそう思いながら、蒸し器の蓋を開けて芋が柔らかくなったか、箸を刺した。
猫猫たちが料理を終えた頃、廟の飾りつけも終わっていた。
廟の中心には飛蝗の卵を入れた鍋。上手い具合に煉瓦を組んで、即席の台を作っていた。
粗末な煉瓦造りの廟は、赤い旗が各所にぶら下がり、獣脂の灯りがてらてらと輝いている。しゃらんと音がなるかと思えば、金属片を紐で連ねて鳴子にしていた。風が吹くと音がなり、ひらりと赤い旗が舞う。
樽に羊毛布を張っただけの粗末な椅子が並んでテーブルがわりになっている。猫猫たちはできた料理を並べた。
日は地平線すれすれに落ちていた。
「なんだ、一体?」
子どもだけでなく大人たちもやってきた。
皆が集まったところで、猫猫は大鍋に油を注ぐ。枯草を着火剤に火を放つ。
ぼわんと、香ばしいのか気持ち悪いのかよくわからない匂いがする。薄暗くなった中で、大鍋は鍋には見えず、立派なかがり火になっていた。
「お客さんがた。何をやっているんでしょうか?」
村長が首を傾げている。
「それについては私が説明する」
前に出たのは馬閃だ。その横には、雀がいてちらちらと紙切れを馬閃に見せている。
(指示用紙だ)
「この村は、その昔、ある祭事を行うために作られた」
「……はい、聞き覚えがあります。あの地面をひたすら掘り返すという意味のわからないものでしょう?」
村人の一人が返す。
「そうだ。意味が分からないだろう。今回、我々が来た理由としては、半端な形でしか伝わっていない祭を正しい形で伝えるためだ」
(つらつらと)
馬閃は棒読みだが、かがり火が後光になっているので妙に神秘性が高い。雀も準備がよく、何枚も書いた用紙の中から、村人の反応にあわせたものを選んで読ませているようだ。
(義弟の使い方が上手い)
羅半兄は猫猫を突く。
「おい、あれ、本当か?」
小声で猫猫に聞いてきた。舞台設定がいいので、ここでも騙される男が一人。
「そういう設定になりました。がんばって合わせてください」
「えっ、うそ」
本気かよ、という顔をする羅半兄。
「……左様ですか? ここで祭をすることはわかりました。でも一つ、確認をしてよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「この祭事というのを任されているのは、念真だけですよね? 私どもは、そんな話を聞かず、移住の地として当時の領主さまに呼ばれました」
ばちっと鍋の中で爆ぜる音がする。
つまり祭事をするのは結構だが、自分たちは祭事をするつもりはないということだ。
雀はちょっと動きを止めて、考えつつ用紙を見せる。
「わかっている。別に祭事をするのはお前たちでなくてもよい」
馬閃は猫猫の方を見た。雀が馬閃の後ろでぱちりと片目を瞑っている。
(投げられた)
あとはお任せするということだ。
猫猫は仕方なく前にでる。
一歩一歩ゆっくり歩き、大鍋に近づく。
(なんかあったか、なんか?)
ゆっくり歩きつつ、即席の脚本を考える。大鍋の前に立ち、頭を下げる。
「この火は、神へ供物を送る火です。その昔、人を贄にしていた時代もありましたが、神はそれを求めぬとお告げがあったそうです」
後宮で流行っていた小説のなんかにあった台詞を借用する。
「土地神は鳥の化身であり、その好物を代わりに供物としてささげることにしました」
小屋の中で眠りにつく鶏が目に入った。
「鳥の土地神とか言われても、俺たちは放牧の神を――」
「へえ、すでに定住しているのに、いまだ前の神様を信仰しているのですかー?」
雀がわざとらしく言ってくれる。
「だからでしょうかねえ。ここら辺の麦の育ちが悪いのは。年々、悪くなっていません? 土地神の信仰もなく居座っているのが原因じゃないでしょうかねえ?」
村人たちはぼそぼそと話し始める。
麦の収穫が減っているのは本当だろう。あれだけ手を抜いて育てていれば悪くなってくる。米と違い、麦はちゃんと土壌を作らないと痩せていくのだ。
(いい感じか?)
しかし――。
「ただ土地がやせただけじゃないのか? 大体、神っていうけど、本当にいるのかよ」
若い村人の反撃。
(もっと信心深くなろう!)
猫猫は他人のことは言えないのに、思ってしまう。
「いまさら、神と言われてもなあ」
「そうだよな、別に収穫が無くても領主さまは寛大な心をお持ちだし」
「そうだよ。いるかわかんねえ神さんより、心優しい領主さまだ」
そうだそうだ、と声が上がる。
(うん、そうだよな。見えるものしか信じないね)
わかっていたことだ、仕方ない。
「ふふっ」
猫猫は笑う。
「何かおかしいのか?」
「いえ、さっきから勘違いされているようなので、もう一度言いますね。『別に祭事をするのはお前たちでなくてもよい』」
馬閃の台詞を繰り返した。
猫猫は村人たちに背中を向けたまま、懐を漁る。
(ええっと、ここに)
そして、大きく手を振り上げた。
ぼわっと大鍋の炎が舞う。
「火、火が!」
「なんだ、色が変わったぞ!」
(懐かしいねただなあ)
猫猫の懐には、いつも持ち歩いている消毒用酒精。それと、さっき料理に使った塩の欠片がある。塩は高級品だと雀が言っていたので、一応持っていたのだ。
(銅があればよかったのに)
炎は緑色に変わり、もっと驚いただろう。
猫猫は、振り返るとにこりと営業用の笑みを浮かべる。
「さて、祭事には参加しないということですが」
樽椅子の上に置いた料理を見る。
「今宵は少し食事を作りすぎたようです。冷えないうちにみなさまいただきましょうか?」
「やったー」
大きく手を挙げるのは子どもたちだ。手伝わせるだけ手伝わせて食わせないのは駄目だろう。
皆が料理に目がいったところで、猫猫は雀を突く。
「無茶ぶりはやめてください」
猫猫はふうっと息を吐く。正直、冷や汗をかいた。
「猫猫さんならいけると信じておりました」
何食わぬ顔で言ってのける雀は、にいっと笑うとご馳走の争奪戦に加わった。
(うまくいくといいけど)
猫猫はどっと疲れて、先に天幕で休むことにした。