十一、秋耕
念真は喉が渇いたらしく、山羊の乳を一気飲みした。
猫猫および馬閃、羅半兄もまた黙る。
(情報量が想像以上に多かった)
情報を整理しなければならない。
五十年くらい前に、大規模な蝗害が起きた。
念真たちの部族は、その数年前に風読みの部族を滅ぼした。
祭事が行われなくなったことで、大規模な蝗害が起きた。
念真は、風読みの部族の代わりに一生祭事をする羽目になった。
簡単にこんなところだろうか。
(祭事で、土を掘り返すか)
猫猫はまだよくわからないが、ぴんときた人物が一人。
「つまり念真さんだっけ? あんたがやっていることは、秋耕ってことだよな」
「しゅうこう?」
猫猫と馬閃が首を傾げる、聞きなれない言葉だ。
「秋に耕すと書いて秋耕だ。作物を収穫したあと、大体秋だな。その頃に畑を耕すことをいう」
「何か利点があるのか? 作物を植える直前に耕したほうが効率良いように思えるんだが」
馬閃の指摘に、猫猫も同意する。
「俺の知っている限りでは、土を掘り返して稲わらなんかをすきこんでよい土を作る準備と、地中に埋まった害虫の卵の駆除だな」
猫猫はぴくっと耳を動かし、無言で羅半兄の衿を掴んだ。
「もう一度言ってください」
「えっ、えっと稲わらをすきこんで――」
「そっちじゃなくて!」
「害虫駆除か?」
「それ!」
猫猫はぶんぶん羅半兄を揺らす。
「おい、やめろ。息ができないようだぞ」
馬閃が止めたので、手を離した。
「っつつ、何がそんなに珍しいんだ? 特に珍しくもない農法の一つだろ?」
知っていて当たり前という顔をする羅半兄。
「あなたほどしっかりした農家は、世の中そうそういません!」
「……あっ、うん。そ、なんだ?」
羅半兄はどうにも複雑そうな顔をしている。褒めているというのに、受け入れ難いらしい。
「その通りだな。この村を見ればわかる。たとえ知識を持っていても、実行する気がない奴はいる。そして、知識は使わねば消えてしまうってなもんだ」
猫猫は念真の言葉がしみわたる。羅半兄が言うには、村でちゃんと畑を作ろうとしているのは念真だけだと。
「質問いいですか? ここの人たちは麦をちゃんと育てようとしていますか? 手を抜いているような気がします」
羅半兄の受け売りをそのまま口にする。
「……やっぱよそ者から見てもわかるか?」
「わかりました。あなたの畑だけ他よりずっと綺麗でしたから」
(と玄人農民が言っていました)
「……別に綺麗にしているわけじゃない。収量を上げるために作ったらああなるわけだ。真面目にこつこつなんてものを自分がやる羽目になるとは思わなんだ」
「そうだろうな」
馬閃の当たりがきつい。生真面目なこの武官が、五十年も前のこととはいえ、畜生にも劣る所業を繰り返していた人物に冷たい態度をとる理由はわかる。何故、もっとひどい処罰を受けなかったのだろうとさえ考えていそうだ。
猫猫も、馬閃と同じことを考えないわけじゃない。ただ、処罰することによって何かが生み出されるわけではないことも知っている。少なくとも、念真が生きていたおかげでこうして話が聞けている。
(陸孫はどうやってこの爺さんのことを知ったのだろう?)
五十年も前に農地に押し込められた罪人。農奴としての身分もまたとうに解放されている。西都に派遣されて日が浅い陸孫が知っているとは思えない。
(西都の誰かに聞いたか、それとも――)
考えるより聞いたほうが早い。
「陸孫というかたは、祭事の存在を知ってこの村にやってきたのでしょうか?」
「そうだよ。いまだ、祭事の存在を知る奴がいるとは思わなんだ。ここの領主でさえ知らねえことなんだけどな。知り合いに聞いたとかなんとか言っていた」
念真は、飲み干した茶碗を置くと、固そうな寝台に座った。
「……領主も知らない? あの、それは玉袁さまですよね?」
念真は、昔語りで玉袁を成り上がりの領主と言っていた。
「ああ、言い方悪かったな。そっちじゃねえ。確かに戌西州全体を治めるのは、玉袁さまとやらだよ。でも、ここいらの管理は息子のほうだ」
「息子?」
「そうだな、名前はあれだ、玉鶯とかなんとか言ったか」
元盗賊で元農奴の男には、さほど領主を敬うという心はないらしい。別に猫猫は気にしないが、馬閃はその態度は気に食わないらしい。飛び掛からないだけましだと考えよう。
「玉鶯さまはこの村では、なんだか評価が高いように思えました。何かあるんでしょうか? 祭事と関係がありますか?」
「祭事は関係ねえよ。人気なわけだ。領主さまは不作でも農民を咎めたりしねえ。むしろ、食う物に困ったら、恵んでくださる心の広さを持ってるさ。下手すればまともに働くより貰えるわけだ」
「あっ、それ羨ましい」
思わずぼそりと羅半兄がもらす。
「慈悲深いね。農民になったほうがいいと、放牧を辞める連中も多い」
念真は言っていることとは裏腹に、吐き捨てるような口調だった。
「そんな慈悲深い領主ならちゃんと祭事やってくれそうだけどな」
羅半兄は、空の茶碗をこつんと叩く。
「さっきも言ったように、今の領主は祭事のことはわかっていねえ。戌の一族ですら、祭事の詳細についてはわからなかった。俺が今やらされているのは、わかる限りの祭事の真似事に過ぎない」
「……その祭事というのは、別に神頼みでもなんでもなく、本当は蝗害を防ぐための対策だったというわけですね」
「その通り。俺を含めた農奴たちは、命を奪われない代わりに与えられた仕事だった。やりたくなくてもやらされた。中には、やってられるかと逃げ出す奴ら、怠ける奴らもいたが、おこぼれで生かしてもらっていただけなので、容赦なく縛り首にされた。畑を耕さないと死ぬ、そう考えたら死に物狂いで働かなきゃいけねえだろ」
念真の過去は許されるものではないので当たり前だろう。
「十年もたつと、畑の収穫に応じて農奴にも銭がもらえるようになった。微々たるものだったが、蓄えができるというのは大きかった。ここいらは西都が近い。その分、恩赦が大きかったんだと思う。単純な話だ、そんなもんでやる気を出して、どうやったら作物が良く育つか、病気にならないか、虫害が減るか。考えるようになった。鶏を飼い始めたのも、掘り返した時、虫を食ってくれるからな」
「風読みの一族が使っていた鳥というのは鶏とは違うんですね?」
「違うよ。鶏じゃなかった。鶏は草原を旅する生活に向かない」
「鶏じゃない? では……」
馬閃が真面目な顔をする。
「家鴨か!」
「んなわけねえだろ!」
すかさず羅半兄が叫ぶ。間髪入れない突っ込みに、馬閃は眉間にしわを寄せた。
「家鴨は虫を食らうと聞いたぞ。鶏より大きいので、より虫を食らうのではないか?」
「家鴨は水を好む鳥だ。こんな乾いた土地で育てるわけがない」
「完全に否定するな。家鴨とて頑張れば育つかもしれないぞ」
「頑張る家鴨なんか見たことねえぞ!」
なぜか家鴨にこだわる馬閃。
「残念だけど家鴨でもねえ。俺には見慣れない鳥だった」
それ見ろ、と言わんばかりの顔をする羅半兄。その行動自体が、年相応の普通の青年っぽい。
「風読みの部族の神事に足りないのは鳥だ。鳥は虫を食べさせるためにいるのではなく、虫を探させるためにいたんだと思う。広大な草原のどこに虫がいるかなんて、わかるわけもねえ。その方法を知っていたからこそ、戌の一族も風読みの部族を保護していたんだろうな」
そして、その部族を迷信だと割り切り、滅ぼした部族の生き残り。
「おっと、そろそろ仕事に戻ってもいいか? まだ、全然終わらねえんだ」
念真は「よっこらせ」と立ち上がる。
「はい。できれば私たちも手伝わせていただけませんか?」
「西都からの客っていうのは物好きだねえ。例の陸孫とやらも、同じことを言ってたぞ。こっちは助かるけどな。元農奴は俺だけ、新しく村に入った連中は自分の畑しかしねえ。いなくなった奴らの分の土地を耕すのは年々、きつくなってくる……」
年齢はもう七十近いだろう。いつ死んでもおかしくない年齢なのに働き続ける。
(やった罪は許されないけれど)
歩く念真の足には、見えない枷がついているように見えた。