十、念真の昔話
今より五十年くれえ前、放牧の民は今の倍以上いた。
俺もまたその一人で、どちらかと言えば武闘派の部族の中に生まれた。武闘派と言えば聞こえはいいが、悪く言えば盗賊だ。普段は家畜を飼っているが、嫁が欲しくなれば他所の部族や定住している村から奪ってくることもしばしば。んでもってついでに、強奪だの人身売買だのなんて副業もやっていた。
ああっ、睨むんじゃねえ。悪かったと思ってる。その当時は、何の疑問も持ってなかったし、生きるってのはそういうもんだと思っていたんだよ。
じゃあ、話を続けるぞ。
俺はまだ十代の若造で、でも弓の腕は族長からも買われていた。強奪にも積極的に加わった。やられるほうが悪い、常に勝ち続けていた側の傲慢だった。
その傲慢は、部族全体に蔓延していた。
ある日、族長の息子が言い出した。「風読みの部族の娘が欲しい」ってな。
風読みの部族ってのは、あれだ。いわば草原全体の祭祀を任される神官みてえな存在だった。鳥を飼い、風を読んで草原を移動する。知恵者が多く、その年の天候をぴたりと当てる。
荒くれものが多い放牧の民でも、暗黙の了解があった。風読みの部族には手を出すな、とさ。
それを俺ら部族が破った。
次期族長の嫁取りのために、風読みの部族を襲った。ちょうど連中は祭事の途中で、弓や剣といった武器は持っていなかった。何を持っていたかって? おかしなことに、奴らの祭事に必要なのは、飼いならされた鳥と鍬。
女衆は鳥を従え、男衆は土を掘り返す。
意味がわからねえだろう。しかし、それが祭事って言うんだ。まるで農民じゃねえか、と族長の息子が言った。「討て」と奴は言った。
俺は、ぎちぎちと弓を引き絞った。ぱあんと矢が飛び、弧を描いて、風読みの部族の族長の頭へと命中した。
それが開戦の狼煙だった。
武器らしい武器を持たず、ただ土を掘り返していた奴らを殺すのに、何の技術もいらなかった。手負いの鹿を追い回すのに等しかった。
その時の略奪は、生涯で一番ひでぇもんだと何もかも終わったあとに気付いた。
神官として敬われていた連中を殺すのに躊躇いはなかった。むしろ普段やっていること以上のひどさがあった。なんだかんだでそれが神官を殺すってことに対する恐れだったんだろうな。生かしておけば神に告げ口されるとでも思ったのかもしれない。
成人した男はみんな殺した。女は若い奴だけ残した。餓鬼は奴隷として売り払い、奴らが飼っていた鳥は俺らの晩飯になった。
胸糞悪い話だろ。でも、それを俺はやっていた。一種の高揚感さえあった。
だから、あの時気づかなかったんだ。
鈍い鳥が一羽、略奪の最中地面を啄んでいた。俺は気にせず、一突きにした。あれは災厄の種を食らっていたんだとあとからわかった。
それから、俺たちの部族は前にも増して好き勝手にやった。族長の息子は、風読みの部族の娘を手籠めにし、娘は子を孕んだ。その娘が二人目の子を孕んだ頃にそれは来た。
平原を埋めつくす黒い影。ぐしゃぐしゃと木炭で塗りつぶしたかのような黒は、最初、季節外れの雨雲かと思った。
耳鳴りがする。家畜たちがざわめく。子どもたちは不安に肌を寄せ合い、女たちはそんな子どもを抱きしめる。
馬で様子を見てくると言った男は、しばらくして死に体の姿で帰ってきた。服だけでなく、肌や髪もぼろぼろだった。馬は興奮し、しばらく落ち着かせるのに苦労した。何かに噛み千切られた痕があり、何に襲われたのか聞いた。
あんたたち、なんかもう何が来たか目星がついていそうな顔だな。しかし、ちゃんと俺に話させておくれよ。こんな話、村の連中は全く信じねえんだ。
偵察の男に聞くまでもなかった。
それはすぐさま俺たちの野営地に追いついた。
虫だ。数えきれねえほど大量の虫。飛蝗だよ。
けたたましい羽音と、耳障りな咀嚼音。それが天幕を襲う。
草を食んでいた羊たちは驚き散り散りになり、犬どもはまさに負け犬のように鳴くしかなかった。
男たちは無様に刀を振り回した。そんなんで叩き落とすこともできねえってのに。だからといって、松明を振り回したのは完全に悪手さ。火が付いた飛蝗どもは、そのまま他の男衆に飛び掛かるものだから、さらなる惨事を招いた。
俺はわけがわからず、ただ地面にいた飛蝗を踏みつぶすしかできなかった。一匹一匹は二寸ほどの羽虫なのに、俺たちはそのとき、巨大な虫の腹の中で食われていたんだよ。
女子どもは天幕の中に隠したが、隙間からどんどん入ってくる。天幕の中から、餓鬼どもが泣き叫ぶ。母親もなだめることすらできず、叫び出す。飛蝗から家族を守れない男どもを罵りだした。さらわれて無理やり嫁にされてきた女たちが、本音をぶつけちまうほど切羽詰まっていた。
虫どもは、草だけでは飽き足らず、俺らの食糧を食らいつくした。
小麦、豆、いくらかの野菜は元より、干し肉まで噛り付いていた。天幕は各所に穴が空き、虫が去ったあとには叫び疲れた人間と無数の虫の死骸が残された。
何もかも食らいつくされた。家畜も逃げた。
なんとか馬を捕まえ、食料を手に入れるために村へと向かった。盗賊を生業としているので、顔の割れていない者を選んだ。選んだのだが――。
近づくなり、弓で射られた。まさか誰か確認もせずに、射られるとは思わなかった。逃げ遅れた仲間はそのまま置いていった。手を伸ばしすがる姿に何も出来ずに背中を見せた。
あとから振り返ると、村人は仲間と仲間が乗っていた馬を回収していた。
よく考えたらわかるだろう。何も飛蝗に襲われて飢えているのは、俺たちの部族だけじゃなかった。
見捨てた仲間が、せめて苦しまずに死ねたことを祈った。神官の部族を殺した俺たちが祈るには、分不相応なことだと思ったがね。
食う物が無くなった俺たちは残り少ない家畜を殺した。かさましに汁に草を入れて腹を壊すこともあった。腹が減った子どもは落ちていた飛蝗を食ったが、その内一人が死んだ。飛蝗に毒でもあったか、それとも脚を千切らずに食ったせいか。栄養が足りず、ずいぶんやせ細っていた。食糧が足りないと、弱い個体から死んでいくんだ。
ましてや、人一倍栄養が必要な妊婦なんてものが弱るのは当たり前だった。
痩せている身体に、腹だけが膨れている。次期族長の妻という立場であったが、あの惨劇のあとではまともに食事もとれないでいた。一人目の子どもは、母親に縋りつく。指をしゃぶり、餓えを誤魔化していた。
死産だったのは自明の理だった。
族長の息子は、自分の二人目の子に落胆した。さらに追い打ちをかけたのは、出産を終えて死に体の妻だった。
「おまえらが祭事の邪魔をした。風読みの祭事を行うものはもういない。草原の民は未来永劫、虫に脅かされ続けるだろう」
部族を惨殺され、攫われた数年間。ずっと溜め込んでいた言葉だった。女は高笑いし、死んだ赤子とやせ細った子どもを抱いて息絶えた。
女の言う通り、この災厄の元は祭事を邪魔した俺たちの部族のせいだという話になった。
俺たちの部族は、草原共通の敵として追われることになった。
自業自得としかいいようがないんだがね。それでも、俺たちは生きるのに執着したんだよ。
草を食み、虫を食らい、時に殺し、時に殺され逃げ続けた。
餓えたある男は、死んだ仲間の肉を食らった。それだけじゃ飽き足らず、生きている者まで殺そうとした。俺の左目は、俺を食おうとした奴が矢を放ったからだ。その場で矢を引き抜いて、返り討ちにしてやった。
俺は食うのも食われるのも嫌で逃げた。逃げたところで何にもなく、餓えて乾いていった。なんで、麦粥の匂いにつられて街中に入っちまったんだ。
領主さまの御恵みの炊き出し、塩気のない家畜の餌と勘違いしそうな粥が、何よりもうまかった。
涙と鼻水でべたべたになった汚らしい俺は、そのまま衛兵に捕まった。街の住人の誰かが、盗賊としての俺を知っていたらしい。もう抵抗も何もする気はなくて、いっそ牢で飯が食えるならいいとさえ思った。縛り首になるまでの間に何回飯が食えるか、それだけを楽しみにした。
けど、首に縄を回すことはなかったよ。
かわりに受けたのは、弓を引く指の切断。そして、俺は農奴にされたわけだ。やらかしたことを考えれば、ずいぶん甘い処罰だと今でも思う。
風読みの部族の祭事は、領主も知っていた。意味不明な祭事を続けて飯が食えた理由は、領主が風読みの部族を保護していたからだ。意味不明だとされていた祭事は、意味があったんだと。
えっ、領主っていうのは? 今は亡き戌の一族と言えばわかるか。玉袁とかいう成り上がりがまだ出てくる前の時代だ。
戌の一族は、風読みの部族の祭事について知っていた。だから、農奴を各地に置くことで、風読みの部族の代わりをさせることにしたんだ。
生憎、土を耕すことしかできない。戌の一族も鳥を操るというのはよくわからなかったみてえだ。俺の手元にいるのは、鶏くらいなもんさ。
あんたの言う通りさ。俺は、祭事をするためだけに生かされている。農奴という名前の生贄だ。
ここはその生贄たちが作った村というわけだ。家の隣の廟は、俺たちが殺した風読みの民を祀るためにある。神官を殺した代償に、災厄を呼んだ代償に、俺のちっぽけな一生を払ったわけだ。周りから見たら、どう考えても見合わねえだろうけどな。
まあそれも十七年前までの話。
戌の一族が無くなるとともに、農奴たちは好き勝手に消えた。中にはまた盗賊家業に戻った莫迦もいる。元は荒らくれ者だったからなあ。ふーん、その様子だと盗賊に出くわした感じか。
えっ、なんで俺が残ったか?
んなもん、もう二度と飛蝗に食われたくねえからだよ。
二度とごめんだ……。
さて、長え昔話はこんなもんだ。
何か質問はあるか?