八、麦畑 中編
どういう意味だろうか。
猫猫は首を傾げつつ、村の中を散策する。一言で言えば、のどかで何もない村だ。商店の類はなく、ほぼ自給自足。十日に一度ほど、行商人がやってくるらしい。
村人は親切だ。何か悪いことをしているようには見えない。
(子どもの勘違いで、私たちの思い過ごしかもしれない)
けれど、猫猫以上に歯切れが悪そうな男がここに一名。
「哥哥、険しい顔ですよー、笑顔笑顔」
雀が羅半兄に突っかかっている。
羅半兄は目を細めつつ、村の畑を見て回っていた。手には布袋が一つ。種芋が入っている。
偵察と言ったものの、あわよくば新しい作物を普及させるために羅半兄は来ているのだ。新しい作物を育てる人間は多少なりともやる気がある人材が好ましいのだろう。
農民であることを否定するのに、農業に対して真摯であるという矛盾を抱えた普通の人だ。
いや、普通といえば普通だろう。
(家業を継ぎたくない長男なんてどこにでもいるし)
ただ、それを指摘したら、怒られそうだ。
正直、猫猫としては羅半兄とは別行動して色々聞き込みをしたほうが、効率がよかったが、勝手にやるわけには行かない。男尊女卑の精神はこの戌西州でも強く、よそ者の女が偉そうに独り歩きするのは好まれない。護衛をつけていたとしても、主体で動くのは猫猫になるので駄目だろう。
(とは言え、雀さんは勝手に動いてらっしゃるけどね)
あの自由人は、他に仕事があるとどこかへ行ってしまった。性格に癖はあるが水蓮が認めている人物なので、へまはしないと思うが。
猫猫は上手い具合、羅半兄や馬閃を誘導して聞き込みをしたほうがいい。
別に猫猫が誘導しなくても、羅半兄は猫猫がやってもらいたいことを勝手にやってくれる。
「虫の害ねえ」
「ああ。去年とかひどくなかったか?」
「うーん、そりゃ毎年虫の害はあるさ。去年ももちろんあったし被害も多かったが、なんとかなったしねえ。こうして飢えずに食っていけるのも領主さま、さまさまだよ」
領主さま、玉袁のことだろうか。
虫害は大きかったが、蝗害までひどくなかったということか。
「ほーん。っで、もう一つ聞きたい。あそこの畑って、誰が作ってる?」
「あそこの? ああ、あれは念真って奴の畑だよ。あそこの村の端っこの家にいる爺さんだ。隣に廟があるからすぐわかるだろ」
「ありがとう、わかった」
「いや、教えたけど、あんたら念真に会う気かい?」
「そのつもりだが」
「うーん、ならいいが。ただ、ちっとあの爺さんには面食らうと思うぞ。まあ、悪い人じゃねえし、あんたらが気にしないならいいが」
妙に引っかかる言い方だった。
猫猫たちは言われた場所へと向かう。
「すみません」
猫猫は羅半兄の服を摘まんだ。
「どうした?」
「なんで、あの畑が気になるんですか?」
「見てわからないか? あそこの畑だけ綺麗なんだ」
「綺麗とな?」
おそらく畑ではなくもっと違うものに使ったほうが喜ばれる形容だが、羅半兄の顔は真面目だ。
「他は手抜きなのに、あそこの畑は綺麗に区画されている。麦踏みもしっかりしていて、強そうな苗をしている」
「そうですか」
言われてみればそのように見えるが、残念なことに猫猫は麦にはさほど興味ない。
(麦門冬はここら辺には生えてないよなあ)
麦繋がりで生薬を思い出す。なお、麦とはまったく関係なく、蛇の髭と呼ばれる植物の根っこのことだ。
(ここら辺、ろくな植物生えてねえ)
猫猫としては慢性的な生薬不足に陥りそうだ。医官付きの官女になってから、大量の薬を見てきただけに、その反動は大きい。
(薬、薬が見たい……)
考えていたら急に発作が起きてきた。はあはあと息遣いが荒くなる。
「お、おい、大丈夫か? なんか顔色悪いぞ」
羅半兄が猫猫を心配する。
「す、すみません。大したことでは――」
しかし、薬を見たい。嗅ぎたい。この際、毒でもよい。
近場に生薬があるとすれば、そこらへんをのんきに歩いている羊だろうか。
(角は生薬に使えたっけ?)
たしか羚羊角だ。しかし、羊の種類が違うのか、猫猫が前に見た生薬の角とは形が違う。
(同じ羊とつくのだ、似たような効用が……)
幽鬼のような手つきで柵の向こうにいる羊に手を伸ばす。
「おい、やっぱおかしいぞ。こいつ!」
羅半兄が猫猫を羽交い絞めにする。
猫猫とて、自分が異常行動をしているのはわかっているが、どうにも手が止まらなくなった。なにか、なにか薬が欲しくて仕方ない。
「く、薬を……」
「薬? 病気なのか?」
羅半兄、なんでもいいから薬を持ってきてくれと願う猫猫。
「薬か。そういえば、水蓮殿から預かってきたものがあった」
馬閃が、懐から布包みを取り出す。
「猫が変な動きをしたらこれを見せるようにと」
そっと出された物は、『乙』の形をした奇妙な干物だった。
「か、海馬!」
別名、竜の落とし子と言えばわかるだろうか。魚とも虫とも言えない、なんとも奇妙な海中生物だ。
馬閃は布包みをさっと猫猫の前から隠す。
「あっ!」
「ええっと何々?」
馬閃は布包みに一緒に入っていた紙切れを読んでいる。
『猫猫の動きが悪かったら、包みの中身を見せるように。あとすぐに渡しては駄目なので、一個仕事が解決したら一つだけ渡すように』
馬閃が話しているはずなのに、水蓮の声で聞こえてきた。
(さすが、やり手な婆や)
緑青館の婆とはまた違った猫猫の扱いを心得ている。とはいえ、今まで散々壬氏に餌で釣られてきた姿を見たら、水蓮もわかるのだろう。
壬氏ではなく水蓮が渡したということは、ばあやにとってまだ馬閃が青二才扱いを受けているように思える。
「と言うことだが、なんか発作のようなものは治っただろうか?」
「はい! 元気です」
「いや、元気じゃねえだろ? 見ただけで治る薬ってあるのかよ!」
羅半兄が突っ込みを忘れない。
「病は気からと申しますし、気にしないでください。それよりも、早く仕事を終わらせましょう」
(海馬のために)
大体、強壮剤などに使われる生薬である。
「いや、納得いかねえんだけど。おかしくね? おかしくね?」
「なんか、同じことを二回繰り返して話すのは誰かを思い起こさせますね。羅半兄」
主にもじゃっとした眼鏡だ。
「いやだから羅半兄じゃ――」
「早く行こうか。さほど時間があるわけじゃない」
お約束通り名前は遮られたが、そろそろくどくなってきた気がする。
農夫の小父さんは、廟と言っていたが猫猫が見慣れた廟とは少し違っていた。煉瓦でつくられており窓はない。中は、布がびらびらとぶら下がり、像の代わりに神仏を描いた壁掛けがはってある。
「じゃあ、行きますよ」
納得がいかない様子で、羅半兄は廟の隣の家の戸を叩く。
「……」
反応がない。
「留守か?」
「留守じゃないですかね? 羊や畑の世話とか」
時間的にそろそろ昼飯に戻ってきても良さそうだが。
「なんか用か?」
低い、かすれた声が聞こえた。
振り返ると浅黒い肌の老人が立っていた。手には鍬を持ち、首に手ぬぐいをかけている姿はまさに農夫に違いない。服は黒い土で汚れ、何度も継ぎが当てられている。農夫には、違いないのだが――。
「⁉」
馬閃が剣に手を伸ばし、止まる。思わず構える理由は猫猫にもわかった。
「おいおい、農夫相手に何身構えているんだよ」
浅黒い肌は色素斑がたくさんついている。加齢とともに、太陽の光を浴び続けてきた証拠だろう。だが、馬閃が反応したのはそこではない。
老人の左目はなかった。ぼこりとくぼんでいることから眼球がないのだろう。鍬を持つ右手は人差し指が無く、身体の露出した部分にいくつも刀傷や矢傷の痕が見える。
農夫が面食らうと言った理由が分かった。
「従軍の経験はありますか?」
敬意を払った物言いで馬閃が聞いた。
「そんな大層なもんじゃない。草原を荒らす蝗だっただけだよ」
(蝗……)
気になる物言いだ。それに猫猫も気になることがあった。
「畑仕事をしていたのですか?」
猫猫はつい口を出してしまった。鍬を持って泥を付けている。その服の汚れ方に見覚えがあったのだ。
「他に何をやっているって言うんだ?」
老人は、特に気にしたようでもなく返す。
確かに当たり前すぎることを聞いた。けれど、猫猫は村の畑を見ていて気付いたことがある。
「普通に畑仕事をしていたらそんなに汚れないのではと思いました」
今の時期、麦の世話をしていてもこんなに汚れないはずだ。畑の土は乾燥しており、湿った土を耕さない限り、べったり土がつくことはない。
「もしかして、陸孫というかたがこちらに来たことがあるのではありませんか?」
「……ふーん」
老人は、片方しかない目をぱちくりさせると、小屋というにふさわしい家の戸を開けた。
「あんたら、中に入りな。山羊の乳くらいなら出してやる」
老人は鍬を立てかけると、猫猫たちを誘った。