五、草原 前編
壬氏の長所は、決まったら行動が早いことだろう。
「お嬢ちゃん、薬の備蓄はもう少しあるからゆっくりしていてもいいんだよ。わざわざ慣れない土地のさらにはずれまでいかなくてもさあ」
やぶ医者は、適当な言い訳を真に受けて心配そうに猫猫を見る。
「大丈夫です。未知なる薬が見つかるかもしれないですし」
半分は嘘じゃない。華央州とは植生が違う。どんな植物、鉱物が、どんな薬効性、毒性を持っているかわからない。
少しどきどきする。
必要な荷物は用意すると聞いていたが、猫猫も最低限の荷をまとめて袋に詰めた。何かあった時の金については、砂金や銀粒を用意してもらっている。華央州で一般的に使われる貨幣でも使えるらしいが、他国との貿易が多い戌西州では地金のほうが好まれるらしい。
「ふーん。こういうのって、官女にやらせるもんなんだー」
疑いの視線を送るのは天祐だ。
「そうですね。でも、私は元々医術というより薬師としての技術を買われてきたので、元より話は聞いておりました」
(虫とか殺す薬作るために)
「ふーん、薬師ねえ。てっきり縁故関係だと思ってたけどなあ」
いちいち引っかかる言い方をする男だ。
「こらこら、だめだよぅ。そうして人を疑っちゃいけないよ」
(いや、やぶ。あんたはもっと疑え)
「おいちゃんが言うなら仕方ないねえ、いってらっさーい」
片付けたばかりの仮設医務室で横になる天祐。机や寝台が運び込まれて、かなりまともになっていた。
猫猫が帰ってくる頃にはしっかり新しい薬も入って、機能しているといい。
「じゃあ、行ってまいります」
「おう、留守中は任せとけ」
李白がいるので、やぶ医者のことは安心しておこう。
「遅かったな」
「時間通りです」
別邸の入口で待っていたのは、馬閃と雀だった。
(なんかすごい組み合わせだ)
関係だけで言えば、義弟と義姉になるのだろうか。
猫猫はきょろきょろする。
「ええっと、これだけですか? 共に、種芋を運ぶと伝令があったのですが」
他にいるとしたら、馬が二頭だけだ。
(たしか羅半兄と同行するはずでは?)
なぜこの二人がいるのだろう。
「ご説明いたしましょう。種芋は馬車で運ぶのですが、どうにも速度が遅いので先に行ってもらった次第なのです! なんか目立たない顔ですが、どうにも仕切っている人が言っておりました。そして、私がいる理由としては、猫猫さんはもう親友、いや心友。見知らぬ土地で心細くないように、雀さんが嘆願してついてきた次第なのです」
「つまり、面白そうだからついてきたということですね」
猫猫の問に、肯定の代わりにしゅるしゅると連なった旗を出す雀。
「それで、馬閃さまはどうしたのですか?」
「月の君の命だ。しっかり護衛するようとのことだ。西都で羅漢さまが暴走されては困る」
「……」
正直、李白のほうがよかったなどとは口にできない。
壬氏は壬氏で、西都には敵がいるかもしれないが、そうそう手出しされることはなかろう。
(遠征先で暗殺騒ぎが起きたら困るのは、その土地の領主だ)
玉鶯という人物がどんなものか知らないが、大事な客人を危険にさらす真似はすまいと信じよう。
「では早速出かけますか?」
雀がきりっとして馬の鐙に足をかけた。変わった組み合わせに面を食らったが、よく見ると胡服のような物を着ている。
「そうだな。村の場所はここから十里ほど。二時もあればつくだろう」
「馬車追い越しそうですねえ。途中、寄り道していきませんか?」
雀がのほほんと言ってくれる。
「……生憎、都と違い茶店は少ない。馬と一緒に、その辺の草を食らうなら止めはしない」
(おや?)
猫猫は、軽口を叩く雀に対して、馬閃がそれほど声を荒立ててないことに気付く。いや、荒立てないようにしているというのか。
(一応、兄嫁だからか)
馬閃なりの敬意を払っているようだが、雀と言ったら誰に対しても変わりないようだ。
「それで猫猫さんはどちらに乗りますか?」
「どちらと言われても」
馬は二頭。猫猫は馬に乗れないのでどちらかに乗せてもらわないといけない。どちらでもいいのだが。
「はい、猫猫さんは雀さんの後ろへ。馬閃さんの鞍は固く使いにくいです。対して雀さんの鞍はよくなめした革にほどよい衝撃吸収性を重視し、長時間乗り続けても鞍ずれがしにくい一品。さあ、どちらを選ぶ?」
猫猫は、言うまでもなく雀を指した。
「ちょっと待て。なぜ、そんな鞍がある? 馬は借り物だろう?」
「はい。月の君が気を利かせてくれました。たまにいい仕事します」
「おい、その言い方はなんだ!」
壬氏を上から目線で褒めたことが気に食わなかったらしく、馬閃が噛みつく。
「言い方も何も、月の君が馬閃さんを護衛にしたと聞いた時、私も行きますと言ったら目からうろこが落ちたような顔をしていましたよ。ええ、そうなのです。誰よりも気が利く雀さんが猫猫さんを支援する。猫猫さんの心は丸太より図太いですが、身体は殴られたら死にますから。加減を知らない馬閃さんだけに任せるのは駄目だと気づいて、雀さんに感謝しておりましたぞ」
(はい、殴られたら死にます)
猫猫は体育会系ではない。
「ということで、感謝して雀さん、もしくはお義姉さまと呼んでください」
「……っぐ」
どう考えても口では雀に勝てない馬閃。
勝者が決まったところで三人は出発した。
かといってこれと言ったことはない。
西都を出ると、何もない草原が続く。とはいえ、一応道らしき草の枯れた場所をたどっている。途中、隊商らしき集団とすれ違ったりした。
放牧の民の天幕の集まりも見えた。
(あれが地平線とかいうやつかな?)
おやじこと羅門が言っていた。世界は球体をしているという説があるらしい。その証拠に、広く拓けた土地では地平の線がかすかに曲線になっているという。実際に猫猫の目にはそう見える。
世界が球体だと、星が動くことに対して説明がつくとかあるらしいが、猫猫はほとんど忘れてしまった。今、思えば羅門が異国へ留学したときに得た知識の一つだったとわかるのに。惜しいことをしてしまった。
気温は春にしては寒い。日差しがある分いいが、風が体温を奪う。肌も乾燥している。標高もけっこう高いらしく少し空気も薄い。
猫猫は上に外套を羽織っている。雀が羽織ってくれと渡してくれたものだ。羊の毛皮が裏地に使われており、風を通さない。綺麗な刺繍が入っていて、都でも通用するような上物だった。
雀の外套は猫猫が羽織っているものより、幾分地味だが同じく温かそうだった。
(いつもなら派手なのをとりそうな気がするけど)
猫猫用にと準備されていたのかもしれない。
馬閃には地味だが実用的な外套。手綱を持つ手が冷えないようにか、珍しく籠手のようなものをつけている。
身体は温かいが露出部は、太陽と風が直に当たる。
(小姐の軟膏、役に立ったなあ)
日差しが強く乾燥しているとなれば、日焼けが心配だ。猫猫はしっかり日焼け止めの軟膏を塗っているが、雀はどうだろうか。肌は地黒のようだが、張り自体はぷるんとしている。
「雀さん、日焼け止めありますけど使いますか? 乾燥防止にもなりますけど」
一応聞いてみる。無くなったら、西都にある材料でなにか調合すればいい。
「おっ、いいんですか? 雀さん、普段から黒いので日焼け目立ちませんけど、いただけるものなら貰いますよ」
「だったら、休憩するときに渡しますね」
馬閃は寄り道するような場所はないと言ったが、馬を休ませる必要がある。餌はそこらへんにたくさん生えているが、水場が近くにあればなおよい。ちょうど、川が見えてきた。
「あそこで一度休むぞ」
馬閃が声をかける。
「はいはーい」
「わかりました」
たどり着いた川は、川というより大きな水たまりのようだった。水深は浅く、流れもほとんどない。大雨が降って一時的にできた川だろうか。
周りにはぽつぽつと木が生えていた。木陰には大きな岩があって、目印になっているようだ。
(柘榴の木かな?)
葉っぱの雰囲気が柘榴に見える。鳥でも枝にとまっているのか、かさかさと動いているのが見えた。
野生の馬が数頭水を飲みに来ている。あと鳥もいた。
「蛇とかもいそうですねえ」
「ええ、いますかねえ」
つい探してしまうがいなかった。巣穴っぽいものを掘ったら鼠みたいなのは出てきた。食事は持ってきたので、食べずに逃がした。
馬は水を飲むが、猫猫たちは持ってきた水を飲む。
(塩を少し入れてもよかったかな)
乾燥している分、汗もどんどん乾いていく。身体は思った以上に水とともに塩分を欲している。麺麭に挟んだ肉がしょっぱいのでそれでよしとしよう。
馬閃は地図を見つつ、懐から指南魚を取り出して水に浮かべていた。
猫猫と雀はその様子をのぞき込む。
「草原って地図は役に立つんですか?」
猫猫が率直な疑問を口にする。
「ないよりはましだと思いますが、目印がほとんどないですからねえ。磁石と太陽の位置を確認する限り、もう少し北よりに移動したほうがいいみたいですね。遮蔽物がない分、家が見えたらそこが目的地でしょうね」
雀はなんだかんだでできる人だ。地理もしっかりわかるらしい。対して馬閃はちょっと気まずそうに目をそらしている。
「……あともう一つ質問ですが」
「はいはい、何でしょう、猫猫さん」
「現地の案内役はいないのですか?」
正直、もっと早く口にすればよかったと猫猫は思った。
ちょっと近くの農村に出かけてくる。茘国内であれば、別に案内役などいなくても大丈夫だと思っていたが、どうにもそうではない。
あまりに植生が違いすぎる土地は、安全とは言い切れない。場所に精通した現地人が必要だろう。
「……その答えなんですけど」
雀がちらっと周りを見た。
馬閃が冷めた目線で周りを見ている。剣の柄を握っていた。
(嫌な予感するんですけど)
雀が猫猫の前に立つ。
いつの間にか周りには複数の男たちがいた。正直、清潔とは言い難い恰好をした殿方たちは、訛った茘語で話しかける。簡単に脅し文句で、金を出せということだ。ついでに女も置いていけと言っている。
どう見ても盗賊だ。
猫猫はだらだら汗をかき、ごくんと唾を飲み込む。
(なんでこうなる!)
ばくばくと動く心の臓をおさえつつ、ゆっくり息を吸って吐く。
「猫猫さん、目を瞑っていていいですよ。何かありましたら雀さんが人妻の色気を使い、賊を篭絡してみせます」
自信たっぷりに、低い鼻を高々にする雀。
猫猫は、だからといって目を瞑るのも癪だ。手荷物の中から、縫い針と虫よけの薬を取り出す。大した攻撃にはならないが、相手をひるませることはできよう。
だが、雀の色仕掛けも猫猫の縫い針も必要なさそうだ。
めきっと鈍い音がして、吹っ飛んでいく盗賊その一。
ごきっと嫌な音がして、腕をおさえつつのたうちまわる盗賊その二。
ばきっと砕ける音がして、唾液と血と歯を吐き出して地面に倒れる盗賊その三。
演劇の殺陣でももう少し長引かせるだろうに、そんな様子は微塵もなかった。描写としては呆気なさすぎて物足りないくらいだ。
馬閃は剣の柄に手をかけた。かけたが使うとは決まっていない。
(素手で全部倒しやがった……)
化け物じみた動きで猫猫は唖然となるしかない。
猫猫は、何呼吸かしたあとで、はっと我に返る。慌てて馬閃に駆け寄った。
「手を見せてください!」
「お、おう」
驚きつつ馬閃が手を差し出す。その拳が折れた様子はない。手首も大丈夫そうだ。
(どうしてだ?)
あれだけ嫌な音を連続させたら殴った本人の拳も痛むはずなのに。全然問題ないのには理由があった。
猫猫が慌てて外した籠手を見る。一見、羊毛を固めて作って柔らかそうだが、その中心が重い。
どうやら金属片が入っているらしい。
馬閃の莫迦力と金属片入りの籠手。
のびている賊が哀れになってくる。
その賊と言えば、雀がちょこまかと動き縛り上げていた。三人をひとまとめにして、足をかけてふうっと額の汗を拭っている。
「どうするんですか?」
「どうするも何も連れていくわけには行かないので放置しましょう。村についたら、引き取ってもらうように話をしましょうね」
雀はどうでも良さそうな顔をしている。
「しかし、少し不安だな」
「わかります」
珍しく馬閃と話が合ったと猫猫は思った。放置している間に狼にでも襲われるかもしれない。
馬閃は賊どもに近づくと、腕を持つ。また、ごきっめきっと鈍い音を立てた。
(……)
馬閃の言う不安というのは、賊が逃げ出さないかだったらしい。両腕を容赦なく折られて、失禁している賊もいた。
(私は優しいほうなんだなあ)
つくづく猫猫は思いつつ、ちらりと雀を見た。