一、西都
照りつく太陽はまだ春だというのに、都の真夏を超えるものだった。移動の馬車ですら地獄だったので、徒歩でついてきた者は、まさに灼熱地獄だっただろう。
西都につくなり、雀が言った通り、医官たちが集められた。
「まあだいたいこんなところだ。それぞれ、三つに分かれて待機してもらう」
楊医官は、また医官をそれぞれ分けて宮に配置すると言った。また、船と同じ分け方をすると思いきや――。
「えっ、俺はこっちですか?」
首を傾げるのは天祐だ。楊医官に、もう一人の中級医官。そして残りの医官に分けられている。つまり、やぶと猫猫と一緒ということだ。
「てっきり、李医官と一緒かと思ってたんですけど」
猫猫も同感だ。もう一人の中級医官は『李』というらしいが、これまたありふれた名前だ。ありふれすぎて、区別がつかず下の名前と一緒に呼んでもらうことが多い。李白がいい例だろう。
「総合的判断だ。李医官とともにいてもいいが、おまえにまともな言葉遣いができればいいぞ。船旅の途中、何度かやらかしたらしいな」
どうやら、医務室に来た高官に粗相をしたらしい。猫猫たちが受け持つ宮には、下っ端ばかりらしいので人は多いものの気が楽だ。
「技術的にはちょうどいいだろう。おまえは、調薬は苦手だが、外科技術だけは新人の中で群を抜く。苦手な部分は、教えてもらうように」
「……」
猫猫はそっとやぶ医者を見る。
「教えるだなんて、私にできるかな?」
もじもじしている。
「ではよろしく」
猫猫の肩をぱしっと叩く天祐。
「よろしくお願いします、ですよ」
猫猫はやぶ医者を前に立てる。やぶは恥ずかしそうに顔を赤らめると、猫猫の後ろに隠れた。
「おじさん、よろしくお願いします」
「ええっと、よろしくね」
完全に舐められているやぶだが、はにかみつつ受け答えする。
「場所は変わるが仕事は変わらない。医者の仕事は、患者を診ることだ、以上! 何かあれば、伝達用にそれぞれ下官を付けている。連絡するように」
すごくわかりやすい上司だ。場所が変わるので臨機応変に対応できる人が選ばれたと思ったが、まさに現場の人間といった雰囲気だろうか。
「ということで移動しますか」
天祐が荷物を持つ。猫猫たちが待機する場所は、玉袁の別邸とのことだ。あと玉袁の本邸と、公所がある。三つのうち、二つが玉袁の家というのは、それだけ彼の力が西都では強いというべきだろうか。公所と本邸は隣り合っており、別邸だけは徒歩五分ほどの距離にある。
今、猫猫たちがいるのは本邸の一室だ。趣味の良い、客間の一室を医務室として使わせてもらうことにしたらしい。
どちらにしても西都の中心部であり、大通りに面している。今、それほど外の騒がしさを感じないのは、本邸の広さのためだろう。ざわめきを遮断するように外壁と樹木がめぐらされている。
猫猫たち三人に加え、伝令用の官が一人。合わせて四人が現地人らしい男に案内される。
「わくわくするねえ」
もしやぶの髭が健在なら、ひょこひょこと揺れて踊っていただろう。小心者の宦官だが、今は西都の騒がしさで心躍っているようだ。
天祐も天祐で目線を忙しく動かしている。ただ、表情は変わらず、楽しんでいるというより値踏みしているように思えた。
(なんとなくつかみにくいんだよな、こいつ)
何を考えているのかわからない。ただ、面白そうなことには食いつくような性格なのはわかる。天祐の面白いがなにかわかれば、まだどんな行動をするのか想像がつくが、その面白いが何かというのがわからなかった。
「おや?」
本邸の玄関のところで、天祐が首を傾げた。
どうしたかと思いきや、玄関のところに見覚えがある顔があった。向こうも気づいたらしく、猫猫たちのほうへと近づいていく。
「お久しぶりです」
恭しく頭を下げるのは陸孫、変人軍師の元副官だった。相変わらずの優男っぷりだが、以前より少し日焼けしている。西都の日差しが強いためだろう。二人ほどお付がいて、その手には書類らしきものがある。
「お久しぶりです」
「久しぶりですねえ」
猫猫とともに返事をするのは、天祐だ。やぶだけは、「誰、この人?」と猫猫の顔を窺っている。
(天祐は面識あるのか)
医官見習いだが、猫猫よりも前から勤めている。医務室も軍部に近いこともあって、面識があってもおかしくはない。
猫猫はちらっと天祐を見る。挨拶はしたものの、別に興味はないらしい。やぶも面識がない上に、人見知りを発揮している。このまま通過するわけにもいかないので、猫猫が話をするしかない。
「こちらは医官さまです。今回、私はこのかたの手伝いとして西都に来ております」
「医官さま?」
やぶを見て陸孫が首を傾げる。
(ええっと、やぶの名前は……)
また忘れかけていた。たしか虞淵、虞淵と言ったはずだと思いだす。
「ぐ……」
声に出そうとしたら、天祐が前に出た。
「有名なかたですよ。後宮に長くいた上級医官さまと言ったらわかりますでしょう」
「ああ、このかたが」
陸孫がぽんと手を打つ。
猫猫は一瞬何かと思ったが、すぐに天祐の意図がわかった。
(やぶはおやじの身代わり)
そんな扱いをされていた。
天祐も猫猫と同じ考えに至ったのだろうか。その場合、宦官の医官は虞淵ではなく羅門と思われていたほうが好ましい。
そして、陸孫も変人軍師の叔父である羅門を知らないわけがない。天祐の思わせぶりな言い方で、やぶが後宮に現在一人だけいる医官というのは理解できただろう。
(どこに目や耳があるかわからない)
同じ国内とは言え、西都は異郷の地と言える。何より、陸孫のお付はどちらも西都の人間のようだ。発言は気を付けなければ。
猫猫が自分のぼろに気が付いたところで、天祐は口を出す気はないらしい。
猫猫も特に話をすることがないので、さっさと退散することにした。
「陸孫さまはお忙しそうですね。時間をとって申し訳ありません」
「いえ、こちらは外回りの帰りです。ずっと執務室にいると気が滅入りますから、たまには外出しているのですよ」
にこにこと笑うが、服の裾に泥がはねていた。乾いているが元は黒っぽい、肥沃な色をしている。
(畑にでも向かったのか?)
西都は乾燥しており、水たまりは道端にない。たとえあったとしても、もっと白っぽい栄養がない色をしているはずだ。肥沃な黒い泥が付着するとしたら、潅水した畑くらいだろう。
となると、遠方から戻ってきた帰りというわけだ。偶然居合わせたというわけではなく、おそらく都からやってきた猫猫たちに合わせて帰ってきたと考えたほうがいい。
「では、また。あまり話し込むと、元上司に目を付けられますゆえ」
まだ何か話したりなさそうだったが、陸孫も忙しいのだろう。元上司という言葉が誰を指しているのかわかる天祐はくすくすと笑っている。
やぶだけは話に入れないので、終始寂しそうだった。しかたないので、道すがら陸孫という男の説明をしなくてはいけない。
色々考えることも多いが猫猫は、楊医官の言葉を思い出す。
(医者は医者の仕事をするだけ)
薬屋は薬屋の仕事をするだけだ。