二十三、摔跤(すもう)と優男
問、三十万人の人間の食糧は一年間にどれだけ必要か。
答、物による。
ふざけた回答を受けて、陸孫は怒りを通り越して呆れてしまう。
具体的な答えを知りたくて、数人の官に聞いてみたのだ。皆、流通に詳しい者ばかりで、もっと気が利いた答えを教えてくれると思っていたのに。
「はっきりとは断定できません。西都周辺は、華央州とは植生が違います。米は中央よりも高級品です」
理由を言われたらわかる。わかるが何度も聞いていた。
米が駄目なら小麦、小麦が駄目なら蕎麦、代替できる食糧を組み合わせて、それぞれどの程度確保できそうかという算出が欲しかったのだ。
しかし、西都の役人は正直そこまで陸孫のためにやってくれる者はいない。所詮はよそ者扱いで跳ね除けられるか、もしくは上層部から止められているか、もしくは忙しくて手が回らないのか。
「月の君はいつもこんな感じだったんだろうなあ」
息を吐きつつ、つい漏らしてしまう。
羅漢の妨害を何度も受けたあの貴人は、若い割に頑張っていた。しかし、ただ頑張っただけでは評価されない。誰よりも秀でた評価を受けなければ是とされないのが皇族というものだ。
足音が聞こえ、戸を叩く音が聞こえる。
「華央州からの文です」
陸孫は、箱を受け取る。正直、文とは言い難いものだった。箱は紐でくくられ、飾りのように組まれている。都ではよくこんな文書を受け取っていた。紐の組み方に一定の法則があり、解かれたら簡単には元に戻せないようになっている。
解き方にはこつがいるが、正直今の陸孫にはあまり気力が残っていなかった。小刀で紐を切り落とすと箱を開けた。
文書の束、一番上に『目糸隹』とある。『羅』の字を崩しただけというお遊び程度の暗号で、羅半が主にやりとりの際、好んで使う。
羅半は、羅漢の甥でその関係からよく行動を共にすることが多かった。陸孫としては同僚というより友人に近いと思っていたが、結局仕事の話ばかりしかしていなかったなと反省する。
「さすがですねえ」
数字に強い羅半は、明確に陸孫が欲しかった資料をくれる。
米の場合、一反で一石収穫され、それが一人分の米の消費量と考えられている。もちろん、米の割合は他の食材を入れても変わる。それが、小麦に、豆に、芋にと置き換わった場合、どれだけの量になるか事細かに書いてある。さらに、保存の良し悪し、流通のしやすさ、現在の時価まで書いてある。
「芋を推してくるかと思ったけど違うか」
羅半の実父が芋を栽培しているが、芋は米や麦に比べて保存しづらく長持ちしない。
もちろん、羅半はちゃんと調査しているのだろう。
つらつらと数字が羅列してあって、陸孫はくらくらしそうになった。羅半としてはちゃんと整理して書いているのだろうが、本来数字を見て物事を把握すると言う能力は希少なものだ。陸孫は必要に応じてできるようになったが、一般的に、数字など店先で買い物できればいいという程度の認識でしかない。
ぼんやりした眼でぺらぺらと文という名の資料を読む。最後の一枚になってようやく数字を説明する以外の文章が現れた。
月の君と羅漢が西都に来ることは聞いていた。日程が順調ならあと十日ほどだろうか。
皇族が乗る船ということで、帆船を三つ用意したらしい。そして、その後船は増えるという。
途中、主要な港によってやってくる。そのたびに船が増える。
西都への海路は海賊が発生することもある。皇族が乗った船は軍艦と変わらない。あとに続くことで、海賊除けに使おうというのだろう。
もちろん、何の許可もなく後ろについていくわけでもない。なにかしら許可をとり、その際に条件を加えているはずだ。もちろん、怪しい商船に許可など出すはずがない。
あえて海路をとった理由がわかる。
「誰の入れ知恵でしょうか」
陸孫は笑みを浮かべると、文を元通り箱に収めた。そして、先ほど切り取った紐を摘まむ。
「うーん」
自分で切っておきながら、切らなきゃよかったと後悔する。新しい紐はないか抽斗をあさり、麻ひもを手にすると箱に巻き付けた。
棚の下に置いてある行李に箱を収めると、大きく伸びをする。
「ちょっと散歩にでも行こうかな」
やはり独り言が多くなっている。
執務室を出て軽く中庭を一周しよう。今日は、四阿には玉鶯はいない。いたら気を使うので良かったが、代わりに表がうるさい気がした。
進路を変えて、声がするほうへと向かうと、屈強な男たちが大声で叫んでいた。
喧嘩だろうかと思った。男たちの中心で二人の男が取っ組み合いをしている。いや、違う。摔跤を取っているのだ。
騒ぐ男たちは楽しそうに笑っている。皆、武官だと陸孫は記憶していた。頭に巻いた巾の色は皆同じ、青い色をしている。
陸孫は顔を出そうとしてひっこめた。取っ組み合いの末、勝利したのははっきり見覚えがある顔だ。玉鶯である。
部下と笑い合い、汗をかく姿は到底西都を統べる者には見えない。周りにいる者たちにとっては、玉鶯は気さくな下の者を想う領主なのだろう。
ごくんと陸孫は唾を飲み込む。
玉鶯が点数稼ぎに下官と摔跤を取っているとは思えないし、なにより本人も楽しいのだろう。
「……ふう」
玉鶯に見つかっては困る。一緒に摔跤を取ろうなどと言われたら、身が持たない。
陸孫は執務室に戻ることにした。気分転換するより仕事に打ち込んだほうがよさそうだ。陸孫が西都にやってきたのは、玉鶯がやっていて足りない部分を補佐するためである。
陸孫の負担は大きいが、彼とて仕事をやっていないわけではない。今のお祭り騒ぎも、人の心をつかむという点では有効に働いているようだ。
もう一回、大きく息を吐く。
「あの人は、西都には必要なんでしょうね」
とつぶやきながら――。