二十二、亜南国
猫猫が船から降りると、魚臭さと人の活気が一度に漂ってきた。もう夕暮れ時なので、露店は店じまいをしているが、まだ駆け込みで夕飯の買い出しをしているのが見える。
「気を付けてねー」
やぶが船の甲板から手ぬぐいを振っている。
「俺がついてるから問題ねえよー」
猫猫のかわりに李白が返事する。
(こいつ、やぶの護衛じゃなかったのか?)
一応、猫猫も護衛対象になっているということだろう。
雀が用意した服は、生地は立派だが地味なものだった。毒見役としては妥当、麻のさらっとした肌触りは湿気の多いこの地方では気持ちいい。
(これ、明日から着よう)
下着以外はまともな服は用意していないのでちょうどよかった。洗濯してもすぐ乾きそうな生地がいい。医官手伝いの服はあるが、どうもむしむししていけない。
雀はその後何度か化粧をしに来たが、お断りさせていただいた。でもそのままでいくのも失礼なので、軽く白粉をはたいて紅は引いた。
「馬車を用意してるって言ってたなあ」
李白がきょろきょろする。
「あれじゃないですか?」
猫猫は他の船の前に止まった馬車を指した。
「あれかあ? もう先客乗っているし、乗れないんじゃねえか?」
どんどん人が乗り込んでいる。
(女の人?)
お偉いさんの侍女あたりだろうか。しかし、数が多い気がする。
李白とともにどうしようかと途方に暮れていると、ひょいと雀がやってきた。
「すみません」
「おわっ、いつの間に来たんだよ」
李白が驚く。気配をまったく感じなかった。
「あちらに馬車を用意していますのでどうぞ」
「ねえちゃん、あんたずいぶん動きが軽いな」
「はい。地味な割に良く動く。それが売りの雀さんです」
にこっと笑いながら、くるんと回転し、わけのわからない姿勢を取る。
(この人、お調子者だ)
猫猫の周りでいなかった型の明るさだ。雀はまたどこからともなく小さな旗が連なったものを懐から出していた。
(どう突っ込めばいいのかわからない)
猫猫は少し寂しそうな雀を無視して馬車に乗った。
茘の南に位置するこの国は亜南。もう百年以上前から茘の属国としてある国だ。亜南という名前も元からそうではなく、昔の皇帝が名付けたものである。
『亜』という字には『第二』や『次』や『下位』という意味がある。
茘の北にある国々を北亜連と呼ぶのも、そのままだ。北にある、下位の国の、集まりとする。
(名前つけた人は本当に尊大だよな)
いかにも莫迦にした名前をつけて、名付けてやったと偉そうにするわけだ。
(向こうの国も国で、こっちのこと勝手に呼んでるんだろうけどねえ)
西から来た異国人は、茘の人種より肌が白くて背が高い者が多い。なので、たまに茘の人々を『猿』と侮蔑していうことがある。母国語で話しているつもりだが、西方の言葉が片言だがわかる猫猫は相手が侮蔑していると気が付く。やり手婆は悪口に気が付くと、笑顔で宿代を値上げする。
(どちらもどっちでやってるんだよなあ)
言われたくなければ言わなきゃいい。でも言われる前に言うことで自分を守りたい。
国と国の関係も、所詮は人の集まり同士の関係と同じなのだ。
猫猫が馬車から降りて案内された部屋は、大きな宮だった。
赤塗の色彩は茘と同じだが、屋根の形が少し変わっている。ちょっと丸っこく、提灯がずらりと並んで輝いている。
真っ白な通路が宮の真ん中に通っており、庭には棕櫚が対称に植えられていた。
「こちらにどぅぞ」
少しなまりはあるものの、茘と同じ言語を使う。
(いや、毒見役ですしお気遣いなく)
と言いたいところだが、雀がどんどん前に出ている。誘導してくれていると言えばしてくれているのだろう。
猫猫と李白は大人しくついていく。
「ここをお使ぃください」
部屋に案内される。雀はさっさと中に入って確認する。手慣れた様子だ。
「変な物でもあるのか?」
李白も一緒になって家探しする。
「いえ。南方ではたまに蛇や虫が入っているもので」
「蛇ですか」
猫猫は目をきらりと輝かせて家探しを始める。
「毒は?」
「ありますね」
「蠍はいませんよね?」
「蠍はいないですね」
あらかた確認したあとで何も出なくてがっかりする二人。
「嬢ちゃんだけじゃなく、ねえちゃんまでなんでがっかりするんだよ」
李白が冷静に突っ込む。
「あったほうが面白いじゃないですか」
目立ちたがり屋なだけではなく、なにか騒ぎがあれば面白がる性格らしい。なるほど、個性豊かな者が集まる高順の家に嫁いだ理由もわかる。
雀は茶を用意し始めた。茶は最初から準備してあった。結露がついていることから、冷やしたものを直前に用意していたようだ。
「自分で準備するのでご心配なく」
「いえ、私のぶんも含まれますので。今夜は猫猫さんにご一緒させていただきます」
素早い動きで部屋の茶器を準備する雀。
「水蓮さまから、護衛とはいえ未婚の娘が殿方と二人で過ごすのはどうかと言われましたので、赴きました」
猫猫と李白は顔を見合わせて、
『あー、ないない』
と揃えて言った。
「はい。私もそう思いますが、大姑みたいな人に言われたら、実行するしかありません。あと本物の姑がいますでしょ。うまくやっているつもりですがやはり四六時中一緒にいると疲れるんですよ。旦那があれなので、まったく間に入りませんしね。旦那の扱いについては姑にまかせて、たまには息抜きでもしたいと思いまして」
と、長椅子に座って茶を飲み始めた。大変くつろいでいる。
ここまでされると、猫猫も李白も勝手にすることにした。李白はやることが思いつかなかったらしく、部屋の柱を掴み懸垂を始める。
(脳筋だ)
猫猫は椅子に座って茶を飲み始めた。
「あと、会食の流れについて説明をしたいと思います」
「お願いします」
雀はまるで実家でくつろぐような体勢で話し始める。
「毒見役としては猫猫さんと私がやる予定です。月の君と漢太尉ですね。他にもなんか偉い人がいますけど、そちらは別に用意します」
「月の君のほうでお願いします」
「はい、太尉のほうが面白そうなのでわかりました」
理由はともかくやってくれるのであれば嬉しい。
「大体、毒見のやりかたとしては、園遊会等と同じ流れでやります。あまり説明する必要はないと思いますが、外交の場ということもあって少し後ろの席で隠れながらやります」
「そうですね」
「なので、その場でなんとなくで察してやってください」
(適当だ、いや適当というよりおおざっぱだ)
あんまりきちっとしているよりは楽だが。
最初、燕燕に似た雰囲気をしていると思ったが、どちらかといえば猫猫よりな気がしてきた。
「あと、ちょっと今から月の君の部屋へと向かいます」
「月の君のところへ?」
「はい、行けばわかります」
雀はにぃっと笑うと、茶器を置いた。
壬氏の部屋は猫猫が案内された部屋から廊下でまっすぐ行ったところの突き当たりだった。お偉いさんだけあって護衛がついている。雀の顔で通過できた。
中に入ると壬氏、馬閃、水蓮、桃美と馬良らしき何かが隠れていそうな帳がはられた一画があった。
猫猫が案内された部屋の数倍広く、外には露台がついていた。
(名前を憶えていた、私は偉い)
猫猫は無駄に自分をほめていた。雀というやたら個性が強い侍女の登場で桃美の名前を忘れかけていたが、ちゃんと覚えていた。偉い。
李白は部屋の外で待機だ。
「何か御用でしょうか?」
「いや、用というか」
壬氏は、またもどこか気まずそうな顔をしている。
「猫猫」
水蓮が猫猫の肩に手をかける。
「お客様がいらっしゃるの。ちょっと後ろに下がりなさい」
「……はい」
何がやりたいんだ、と後ろに下がっていると、部屋に入ってきたのは大柄の男性とそれに従う女性だった。女性の体を敬うように男性が支えている。
(あれ、あの人?)
猫猫は女性の顔に見覚えがある気がした。
「芙蓉殿。此度は懐妊、めでたく思います。別の船に乗り込み、挨拶が遅れてすまない」
(芙蓉!)
あれだ。塀の上で踊っていた妃だ。
ということは隣に付き添っている男性が、下賜してもらった武官だろうか。
「月の君、いつぞやの恩は忘れることはありません。こうして国に帰れたことも、月の君のおかげでございます」
芙蓉はゆっくり腰を曲げる。ふんわりした衣装を着ているが、体がどこか重たそうだ。
男性が口を開かないのは、この場では夫より妻のほうが、位が高いためだろうか。
(もしかして)
猫猫とは別に馬車に乗っていた人たちは芙蓉たちだったのかもしれない。
李白は優秀な武官を茘が手放さないとは言っていたが、懐妊を理由に芙蓉を戻したのだろう。
(夫はどうなるのだろうか?)
まだ茘に残るのか、それとも亜南に戻るのか。
そこのところまで話はわからないが、出産を母国でできるというのは大きいだろう。
(そういうことね)
芙蓉たちは慇懃な態度で壬氏に接し、そして退室した。
(仲睦まじい夫婦のようだな)
見ていて気恥ずかしくなるくらい武官は芙蓉を気遣っていた。
芙蓉が下賜されたのは武官の功績だが、その後、国に戻れるようになったのは壬氏のおかげだろう。また、芙蓉は壬氏が後宮で何をしていたか知っているはずだ。
(どっかお人好しというか、なんというか)
情が捨てきれない性格だ。
人としては美点だが、権力者としては弱点。
ここのところ猫猫がもやもやしている原因でもある。
「さてと、もう前に出ていいわよ」
背中を押すのは水蓮だ。どこか含みがある物言いなのがちょっと気に食わないが仕方ない。
「壬氏さま。ありがとうございます」
猫猫は頭を下げる。
「別に。芙蓉殿については、前に依頼したことがあった手前知っておいたほうがよかったと思ってな」
「ええ、ちょっとすっきりしました」
猫猫はちらっと周りを見る。
「この部屋は立派なようで、露台もついているのですね」
「気になるなら見てもいいぞ」
「では遠慮なく」
猫猫はつかつかと露台へと向かう。
「こ、こら!」
馬閃が何か言ってきたが、すぐに誰かに止められたようだ。やってくる気配はない。
(ほうほう)
弓もしくは飛発であれば、暗殺するのにちょうどいい場所かと思ったが――。
(木陰に隠れて狙いづらい、狙撃する場所も周りにはないな)
安全面は考慮されているのだと思う。
なので、猫猫を追って壬氏が一人やってきてもあとからついてくる者はいなかった。
芙蓉の件も踏まえ、亜南とは良好な関係なのだろう。
(良好なら良好で、夜這いをかけられる可能性もあるけどね)
「壬氏さま、今夜はお気を付けくださいね」
「いきなり何を言うかと思えば」
壬氏は従者の視界から外れたことで、壁にもたれかかっていた。
「後宮時代の夜を思い出せば、なんとなく察しがつくのではないでしょうか?」
「んっ」
壬氏は思い当たるふしがあったのか、怪訝な顔をする。
そして、何か言いたそうだがはっきり言えなそうな表情をする。
「ええっと、こういうわけで芙蓉殿は里帰りをする。代わりと言ってはなんだが、亜南王の姪が後宮入りすることになるそうだ」
「大変ですねえ」
「ああ、玉葉后の姪も入内する」
「そうなのですか」
聞いたような聞いてないような話だ。
「壬氏さまはもう壬氏さまではないので、いつまでも後宮の管理に首を突っ込まず、自分の仕事をやればいいと思いますけど」
「だと思うが、完全に切ることもできない」
猫猫は冷めた目で壬氏を見る。
壬氏はその目を不安そうに見返す。
また猫猫はいらっとした。
「壬氏さま。あなたは権力者ですので、もっと大きな顔をしてください」
「……わかっている」
「使えるものは使ったほうがいいです」
「……やっている」
「ならば……」
猫猫は壬氏に近づく。
にいっと笑い、壬氏を見上げた。右手で壁をどんと叩いて、壬氏を挟み込む。
目を丸くする壬氏。
「私は誰かに利用されるのは不愉快です。でも――」
壬氏にしか聞こえない声の大きさでささやく。
「誰かのお荷物になるくらいなら、道具のように使われるほうがまだましです。あなたの迷いはそのまま国の迷い。一時の迷いが数万の民を殺すこともありましょう。どうせ後悔するのです、躊躇わずまっすぐ道を選んでください」
猫猫は壬氏から顔を離す。
「使うというならはっきり使う。薬は使ってなんぼのものですから」
猫猫は目を瞑り、ふうっと息を吐く。
ここ数日たまったことが言えた。
もっと言いたいことはあるが、これが限度だろう。
(壬氏なら、これくらいは許してくれる……よね?)
目を開ける。相手が怒っていないか確認する。
(怒って……ない?)
壬氏の顔は真っ赤だった。だが怒りとは違う。どちらかと言えば――。
「ま、猫猫」
「なんですか」
壬氏は猫猫の袖をつかんでいた。
視線は猫猫よりも上にあるはずなのに、どこか上目遣いをされているような。
「抱いてくれないか?」
「……なんで受け身なんですか」
もちろん断った。
ω・`)ノ(゜.゜*)壁ドンッ