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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
壬氏編2
225/389

二十一、船上生活その三

 

 日誌に書く。


 船酔い三名、怪我二名、体調不良一名。


「ああ、忙しいね」


 やぶ医者は簡単な問診と薬を渡す仕事にかいていない額の汗を拭く。


 船上生活も数日が過ぎた。揺れる船内にまだ慣れない者もいる。それでも船が風に乗ったことで揺れは少なくなっていた。


「そうですかね」


 猫猫マオマオとしては軍部が近い医局のほうが忙しかったが、常に閑古鳥が鳴いていた後宮の医局に勤務していたやぶ医者には大忙しだろう。


 あらかじめ船酔いの薬はたくさん用意していた。とはいえ、気休め程度の物なので、顔を真っ青にして医務室にやってくる者には、桶を渡して風当りが良い場所に誘導するほうが効果的とさえ考える。


羅半ラハンが来ないわけだ)


 あの守銭奴男は船酔いがひどい。変人軍師を連れてくるにあたって、あんな奴でもいたほうが便利なのだが、なにか理由をつけて断ったのだろう。あんなのでも一応次期当主になるので、家を空けるわけにはいかないだろうし。


 もしかして変人軍師が猫猫のことに気が付いて、こちらの船にやってくるかもしれないとか考えたが今のところ何もない。おそらく船酔いで潰れているのだろう。


「さあてと、ちょいと点心おやつにしようか。お嬢ちゃん、呼んできておくれ」


 やぶは患者がいなくなったところで、茶の準備をする。とはいえ、火はあんまり使えないので、湯は沸かせない。茶を水出しにしていた。


 器は三つ。菓子も三つ。菓子は船の上では高級品だが、昨日の壬氏の往診の際にもらったものである。あれから毎度菓子を用意され、毎回お土産に持たされている。


(ご機嫌取りのつもりかねえ)


 ふうっと息を吐きつつ、猫猫は医局の外を見る。


「どうした、嬢ちゃん?」


 猫猫より頭二つ分くらい大きい男が立っている。李白リハクだ。護衛につけると言っていた男だが、その手には大きな重しを二つ持っている。ただ立っているだけでは暇なので、訓練をしているらしい。


「点心の時間ですけど」

「そりゃありがたい」


 重しを置いて医務室の中に入る。大男が中に入ると少し狭く感じるが仕方ない。


「李白さんや、甘いものは大丈夫かい?」

「俺はなんでも食えるぞ」

「そうかい。お茶に砂糖入れるかい?」

「えっ? そんな飲み方あるのか?」

「南方ではあるらしいよ」

「面白そうだな! たっぷり入れてくれ!」


 どんな味なのだろうかとわくわくしながら、水出し茶に貴重な砂糖を入れようとしていたので、猫猫はすかさず砂糖を奪う。


「高級品なのでだめです」

「えー」


 やぶが口を膨らませる。


 この宦官、医局でも使わない薬をお茶に使っている延長で、何かやらかし始める。砂糖と蜂蜜は隠しておかなくてはいけない。


(茶が甘いとかありえんだろ)


 猫猫は辛いものも、酒も好きな辛党である。茶が甘いのは許せない。


「ちょっとくらいいいだろー?」


 李白も口を尖らせる。


 元々おしゃべり好きの宦官と、気の良い武官。見た目はちぐはぐだが、すぐさま仲良くなった。


 李白を選んだことは間違いなかろう。


 とはいえ、知らないうちにおやじの身代わりにさせられているやぶ医者。もし、真実を知ったらどう思うだろうか。


(黙っておくのが一番か)


 このタイプは下手な情報を教えると失敗する。猫猫はそう思う。


(いっそ、壬氏も私に対してそう扱ってくれたら)


 と思いつつ、猫猫は即座に否定する。


 壬氏は、猫猫が知っていたほうがいいと思って話したに違いない。猫猫も、情報を知っていたほうが選択肢を選びやすい。


 かの麗しき皇弟君は、できる部類の男だ。少なくとも、脊髄反射ではなく考えて行動する。


 ちゃんと考えているからこそ、完璧ではないまでも、おおよそ納得がいく形の答えにしているので猫猫も文句は言えない。


 やぶのことを囮に使おうとしたのが腹立たしいのか。


 それとも――。


「嬢ちゃん、食わねえの?」

「食べます」


 点心を掴む猫猫。


 餅の中に、漬物が入っている。保存がきくように味付けは少し濃いめで、茶で薄めるように食べるとちょうど良かった。


 けっ、と吐き捨てながら食べる。うまい。


「甘くないんだねえ」


 やぶの顔がしょぼしょぼしている。


「うめえなあ。素朴に見えるけど、これけっこういい菓子なんじゃねえか?」

「そりゃ、月の君からの御下がりだからね」


 ふふんとなぜか自慢げなやぶ。


 猫猫は水出し茶をおかわりしつつ、小さな窓の外を眺める。


「陸が見えてきましたね」

「おっ、そうなのかい?」


 やぶも窓をのぞき込む。


「予定では昼には港につくとか聞いてたけど、少し遅れてるな。まあ、誤差の範囲だろうけど」


 李白が帳面を確かめている。


「一晩休んで、朝にはまた出発だから大忙しだ」


 猫猫は怪訝な顔をする。


「あのおっさんは、どちらの船でしたか?」

「あのおっさんは先頭の船だ」


 あのおっさんで通じる李白。


(船酔いが無くなったらこっちにやってくるかもしれない)


 猫猫の表情が歪む。間違ってでも同じ船に乗ることになったら面倒そうだ。


「あのおっさんなら、船から降りたら会食に連れていかれるから安心していいと思うぞ。せっかく皇族が長旅しているのなら、外交に使わない手はないからな」

「会食の話は聞いているね。医官が一人ついていくことになっているけど、私は行かないからお嬢ちゃんも行く必要はないよ。ってか、あのおっさんって誰だい?」


 やぶ医者がきょとんとした顔で見ているが、猫猫は他の考えがよぎって無視してしまう。


「外交、そうか」

「そうだよ。ほれ、見るか?」


 李白が帳面の間から取り出したのは、簡単な地図だ。海岸線と船の経路を示している。


リーに属するが、一応他国だな」


 簡易地図にも国境線が書かれている。


「何年か前にこの国の姫さんが後宮にいたんだよな。下賜されたとは聞いたけど」


 大変聞き覚えがある話だ。


「それは芙蓉フヨウ妃だね。いや、今は妃じゃないけど」

「ああ、あの人ですか」


 やぶの言葉に猫猫は手を打つ。前に後宮の塀の上で踊っていた妃だ。属国の姫と聞いていたが。


「じゃあ芙蓉さんもいらっしゃるのかねえ」

「あー、そりゃねえと思うよ」


 李白がやぶの言葉を否定する。


「あれだろ、武官が勲功を立てて、その褒章にもらった姫さんだろ?」

「まあね。属国とはいえ他国の御姫様をほいほい差し上げるのはどうかと思うけどね」


(そこのところは、ちゃんと裏を取ってるんだろうな)


 武官が元々芙蓉姫の知り合いと聞けば、その親族とも知己である可能性は高い。


 芙蓉姫が妃としての役割を果たさないのであれば、さっさと後宮を出たほうが得と思うかもしれない。


「武勲をたてるような男をうちの軍が簡単に国に戻すわけがないからな」

「あーそうか」

「しかし、後宮から嫁さんねえ。俺は武勲を立ててもらえるなら、現金のほうがいいけどね」

「李白さんったら意外だねえ。金とかにはあまりがめつくなさそうなのに」

「色々あるんすよ、俺にも」


(超高級な妓女を身請けしたいとかね)


 李白の今の給金はどれくらいなのだろうか。順調に出世しているようだが、本当にそろそろ一山当ててしまわないと、白鈴パイリン小姐ねーちゃんがやり手婆になってしまう。


 猫猫はまた窓の外をのぞく。


(夕方に到着なら、もう店が閉まっているだろうなあ)


 都よりかなり南側だが、到着してすぐ船の外には出られないだろう。


 夜市でも開かれていればいいが、そんな店には猫猫が望む物はあまり売っていないだろう。


(焼き菓子とか、串焼きとか、果物とか)


 いや、それはそれで楽しいのだけど。


「誰か来たか?」


 医務室の外から足音が近づいてきて止まった。戸を叩く音が聞こえる。


「どうぞ」


 やぶが答えると、中に入ってきたのはチュエだった。


「失礼します」

「どうしたんだい? 月の君の具合が悪いのかい?」

「いえ、一つお願いがあってまいりました」


 小さな目は猫猫を見ている。


「今晩の会食の際、毒見として一人お借りしたいと」


 やぶと李白の目も猫猫に向けられる。


(いや、嫌いじゃないんですけどその仕事は)


 しかし、変人軍師がいるところに行くのは嫌である。どうにかして誤魔化せないものかと思っていたら、雀がちらちらと何かを見せている。


「……」


 ちらちらと見せるのは乾燥した茸、干し椎茸のようだ。


(んぐぐっ)


 壬氏ジンシの入れ知恵か、それとも水蓮スイレンだろうか。


 椎茸、茸としては高級品だ。自然に生えているものは滅多に見つからない。


(栽培できればすごく商売になるんだけど)


 香蕈こうしんと呼ばれ、貧血や高血圧に効く薬となる。


 薬にしてもいいし、水で戻して料理にしても美味い。


 雀という侍女は、猫猫をからかっているのだろうか。ちらっと見せた椎茸を隠したと思ったら、反対側の手でまたちらちらさせる。ぱっと両手に見えないと思ったら、今度は二つ三つ増やして見せる。まるで手品のような動きだ。


「どうされますか?」


 丁寧な言葉遣いだが有無を言わせない。


 申し訳なさそうな顔をする一方で、やることはやらせる。まさに壬氏のやり方と言える。


「……かしこまりました」

「それでは、これを」


 ささっと雀はまたどこから取り出したのかわからない服を猫猫に差し出す。


「服はこれにお着替えください。なんなら、化粧メイクも行いますが」


 雀の両手の指には、化粧に使う刷毛や紅用の筆などなどが挟まれていた。まるで劇に出てくるような悪役の暗器使いみたいな動きである。


(どうしよう、濃いーわ)


 馬良(馬閃の兄)の嫁という簡単な人物紹介で済ませられなくなる。


(ただでさえ周りに濃い人多いのに)


 雀は顔が地味だけに、中身を強化しているのだろうか。気が強い馬の女たちに対抗できるだけの精神メンタルはそれだけ必要なのだろうか。


(埋もれてしまうかもしれない)


 猫猫も何か負けないように個性付けをするべきかと思ったが、わざわざ目立つ理由はなかったなと思う。


「化粧は結構ですから、それください」


 猫猫は椎茸を指す。


「そうですか」


 普通に反応されて雀は少し寂しそうな顔をして干し椎茸をくれた。


(この様子だと、何種類、生薬を持ってきているのだろうか)


 そんなことを考えながら、猫猫は椎茸を眺めた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 知らなくて余計なことを言わないで済むのか、知らなければ身を守れないのか。その采配は本当に難しいですね。 何はともあれ、久しぶりに可愛くお化粧した猫猫は見たかったです。
[良い点] 釣られた(笑)
[良い点] 雀さん 良い味だしてる!!
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