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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
後宮編
22/387

22 祭りの後

クールダウン。

「随分とまあ、元気な毒見役だことだ」


口をゆすぎ終わりぼんやりとしていた中、神出鬼没の暇人宦官が現れた。

宴席からずいぶん離れた場所にいるのによく見つけたものだ。


「ごきげんよう、壬氏ジンシさま」


いつもどおり無表情で返そうとするが、毒の余韻よいんか幾分頬がゆるい。

笑顔で返したようで少し腹立たしい。


「むしろご機嫌はそっちだろ」


いきなり腕を掴まれた。


「なにするのですか」

「医務室に向かうにきまってるだろ。毒食らってぴんぴんしているなんて洒落にならないぞ」


実際、元気そのものである。


吐き出さずに飲み込んでいたらどうなっただろうか。

好奇心が身体をめぐる。

今頃、しびれが体をめぐっていることだろう。


(吐き出さなきゃよかった)


せめて残りのあつものをいただけないだろうか。

壬氏にたずねてみる。


「おまえ、ばかだろ」

「向上心が高いと言ってください」


まあ、ふつう、そんな向上心は願い下げである。


普段、無駄にきらきらしい壬氏だが、今はなんだか違う気がする。


頭には新しい簪が挿してあるが、先ほどと変わらぬ上等の衣をつけているのに。

いや、少し襟元が乱れている。乱れることがあったということか。なるほど、そういうことか、この不埒ものめ。


甘露の声は幾分かすれ、柔和な笑みもそこにはなかった。


(きらきらしいのは調整できるものなのか)


それとも情事のあとで、疲弊しているのだろうか。

宴席にいなかったのは、女官か文官か武官か宦官を連れ込んだり、連れ込まれたりしていたのだろう。

そういうことにしておこう。

まったくお盛んなことである。


(こちらのほうがまだいいな)


確かに美形であるが、これなら年相応の青年に見えなくもない。いや、むしろ幾分幼く見える。

今度から来る前は、いかがわしい運動のあとにしてもらえるよう高順ガオシュンに頼んでおくか。

聞いてもらえるかは別として。


「おまえがあんまり元気そうに出ていくもんだから、ほんとに毒かって食べた奴がいたんだよ」

「誰ですか、その莫迦は」


使われたのは河豚毒だった。

食べてしばらくしないと毒の効き目は表れない。


「大臣がしびれてる。あっちはそれで大騒ぎだ」


なるほど、これでは国の未来も危ないことだ。


「せっかくなので、これ使ってもらったらよかったのに」


胸元からごそごそと布袋を取り出す。胸の上げ底に入れていた嘔吐薬だった。


「胃がひっくり返るほど、よく吐けるように作ったのに」

「いや、それは毒だろ?」


呆れた口調で壬氏はいった。


「こっちにも医官はいる。任せておけば問題ない」


猫猫マオマオはふと思い出し、足を止める。


「どうした?」

「お願いがあります。一緒に連れてきてもらいたいかたがいらっしゃるのですが」

「だれなんだ?一体」


眉をひそめ、首を傾げる。


「徳妃、里樹リーシュさまを呼んではくれませんか」


猫猫は凛とした口調で言った。






呼び出された里樹妃は、壬氏には春のような嬉しげな笑みを、猫猫にはなんだこいつという白けた顔を見せてくれた。落ち着かないのか、右手で左手をさすっている。


幼くとも女という生き物である。


医務室に向かおうとしたが、お莫迦なお偉いさんのせいで人だかりができており、仕方なく使われていない執務室を使うことにした。

こうして比べてみると、建物にも後宮とそれ以外とで造りに違いがある。簡素で無骨な大部屋に里樹妃は少し不貞腐れた顔をした。


ぞろぞろ連れたお付は、高順に頼んで一人だけにしてもらっている。


猫猫は湯冷ましで解毒剤を飲む。飲まなくても平気だが、念のためと言われ、他人の調合した薬に興味があったので飲んだ。


やぶ医者と違い、ここの医官は優秀そうである。

河豚毒と知っていれば、解毒の意味がないことはわかっただろうが。


湯冷ましを置き、里樹妃に一礼する。


「失礼します」

「!?」


妃の左手をとり、長い袖をめくった。白いたおやかな腕が現れる。


「やっぱり」


本来、すべらかな感触のはずの肌に、赤い発疹ができていた。


「食べられないものがあるんですね、魚介の中に」


里樹妃はうつむいたままだった。


「どういうことなんだ?」


壬氏が腕組みをしたまま、聞いてくる。

いつのまにか、また天女のたおやかさを漂わせていた。

しかし、いつもの笑みはない。


「人によっては、食べられない食物がそれぞれある場合があるんです。魚介の他に、卵、小麦、乳製品などもありますね。かくいう、私も蕎麦が食べられません」


明らかに驚愕の顔を見せるのは、壬氏と高順である。毒は平気で食らうのにといわんばかりだ。


(ほっといてくれ)


一応、食べられるように努力したが、気管支が狭まり呼吸困難になった。そもそも、食べて腹から吸収されて発疹ができるので、量の調整が難しく治りも遅い。だから、慣らすのをあきらめた。

そのうち、もう一度挑戦してみたいと思うのだが、やぶ医者しかいない後宮では試すことはできないだろう。


「なんでそれがわかったの?」


恐る恐る妃が口を開く。


「その前に、お腹の調子は大丈夫ですか。吐き気や痙攣けいれんはないように見えますけど」


よかったら、下剤調合しますよ、という言葉にぶんぶん頭を振った。

憧れの天上人の前でそれをいうのはなかなかひどい話である。ちょっと仕返しした。


「では、腰掛けて聞いてください」


見た目によらずまめな男の高順は、椅子をひいている。それに、里樹妃は座る。


「玉葉さまのお食事と入れ替わっていたからです。玉葉さまは好き嫌いがないので、ほとんど主上と同じものを召し上がりますから」


それなのに、一品目も二品目も具材が違った。


「鯖とあわびですか。食べられないのは」


妃がこくりと頷く。

後ろで侍女が動揺を見せたのを猫猫は見逃さなかった。


「これは食べられない人間にしかわからないものですが、好き嫌い以前の問題なのです。今回は、蕁麻疹じんましん程度で済みましたが、時に呼吸困難、心不全を引き起こします。いわば、知っていて与えたなら、毒を盛ったことと同じことです」


毒という言葉に過敏に反応する。


「里樹さまは、場の雰囲気もあって言い出せないことだったでしょうが、非常に危険な行為でございます」


猫猫は、視線をぼんやりと妃と侍女のあいだに定めた。


「ゆめゆめ、忘れないようにしてください」


どちらにというわけでもなく忠告した。


しばらく間をおいて、


「常食の配膳係にもお伝えください」


と言ったが、妃と侍女は頭にはいっていないようだ。


猫猫はお付の侍女に、詳しく危険性を説明し、もしもの場合の対処方法を書にしたためて渡した。

侍女は青白い顔のまま、小刻みに首を振っていた。


(脅しはこんなもんか)


侍女は毒見の女だった。

あの笑っていた女である。






里樹妃が退出したあと、後方からねっとりとした空気と、肩に触れてくる手に気が付いた。

干からびた蚯蚓みみずを見るほうがましだという冷めた目をする。


「下賤のものゆえ、お手を触れないでくださりますか」


べたべたするな、この野郎を婉曲に伝える。


「そんなこと言うのはおまえくらいだぞ」

「では、皆、気を使ってるのですね」


すたすたと離れる。

胸やけがしそうな声にため息をつき、清涼剤の高順を探すが主に忠実な従者は「頼む、耐えてくれ」と目で訴えていた。


「では、玉葉さまのもとに報告にいきますので」

「なんで、わざわざ毒見の侍女を同室させたんだ?」


いきなり核心をついてくる、だからやりにくい。


「なんのことでしょう。わかりかねますが」


無表情のまま答える。


「では、配膳のものが間違えたというのか?」

「それもわかりません」


あくまでしらを切る。


「これくらいは答えてくれ。狙われたのは徳妃だということだな」

「他の皿に毒が入ってなければ」


そういうことになる。


壬氏が考え込むのを見て、猫猫は部屋を退出すると、壁にもたれて深く息をするのだった。


毒が決まりましたので、変更しました。

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― 新着の感想 ―
[一言] >憧れの天上人の前でそれをいうのはなかなかひどい話である 里樹は先帝の妃であった時期があり、その頃は現帝を父親のように、阿多を母親のように、慕っていました。 だとしたら・・・壬氏や高順とも…
[気になる点] 大臣は別件で毒を盛られたんでしょうか?
[一言] いや、蕎麦って(;^ω^) それ慣れないし、下手に慣らそうとすると死ぬから。ちなみに軽度ですら体調が悪いと蕎麦枕で救急車が呼べます。てか呼ばれた、出先の宿泊施設で。 アレルギー、甘く見ると…
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