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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
壬氏編2
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十四、安置所

解体するよ。


 空気がだいぶ温かくなり、ふきがまさにとうがたって食べられなくなる頃、猫猫は陰気な場所に案内されていた。


「とうとう本番かな」


 軽口を叩くのは天祐テンユウだ。余裕があるのは彼くらいで、周りの見習い医官たちは青ざめた顔をしている。たまに猫猫のほうを見ながら「なんでおまえがいるんだ?」と不思議そうな顔をするが、口には出さない。


「どこの特別扱いだろうねえ」


 天祐をのぞいて。


 軽薄そうな男であるが、肝はすわっていた。家畜の解体に関して、一番落ち着いていたのは彼だろう。座学は他の見習い医官より劣るが、実技に関しては落ち着きがあるぶん他の者たちよりましだった。


「特別扱いですかねえ」


 特に話す理由はないのだが、おしゃべりなこの男はとりあえず誰かに話しかけていないと落ち着かないらしい。緊張してぴりぴりした他の医官たちに比べて猫猫に話しかけることが多かった。


「どうせ特別扱いなら、私にもその白い医官服をいただけませんかねえ」

「それは無理じゃないのかねえ、娘娘ニャンニャン


(いや猫猫ですよ)


 わざとなのかあえて名前を間違えてくる天祐。


 修正するのも面倒なのでそのままにしている。


 しかし、天祐の言うこともわからなくもない。


(特別扱いねえ。言われても仕方ないわな)


 本来なら猫猫がこうして医官たちにまじり、薄暗い回廊を歩くことはない。どこへ続くかと言えば、死罪となった罪人たちが安置されている部屋だ。医官が連れ立って遺体安置所に向かうところを見られぬよう、特別な通路を通る。


 壬氏は猫猫に何をさせたいのだろうか。


(何か考えでもあるのか?)


 なんとなく猫猫の医療技術の幅が広がったら便利だから、という理由かもしれないし、そうでないのかもしれない。


 あの顔だけは天に愛された最高傑作の男は、その中身が伴っていない。いや、語弊がある言い方だ。中身がその外見に対して劣等感を持っていて釣り合っていないというほうが正しいだろうか。


 だからだろうか。意外なほどえげつない行動をとることがある。後宮にいた頃は、自分の容姿で妃や女官たちをまとめていた。最近では変人軍師に対する囲碁の勝負などある。


(あれはえげつなかった)


 目的のためなら手段を選ばないところがある。


 今回の猫猫を医官扱いしようとする動きも同じものだろうか。


(元々、都合のいい道具として扱われていたもんだからな)


 今更どうとも思わないし、何より猫猫としては願ったり叶ったりだ。


 そうこう考えているうちに安置所についた。じめじめした空気が肌にまとわりついてくる。


「こっちだ」


 リュウ医官が薄暗い奥の扉を指す。ぎぎぎっと重い戸を開くと、さらに湿り気が強くなる。


酒精アルコールの匂いがする)


 酒好きの猫猫にとっては好ましいはずの匂いだが、どうにも飲みたい気分にはならなかった。部屋の中心には寝台が一つ、上に真っ裸の男が寝そべっている。その首にはくっきりと縄の痕が残っていた。


 絞首刑になった罪人の遺体だ。


 酒の匂いは、罪人の体を拭ったものだろう。


「前掛けをかけるができるだけ汚すなよ」


 猫猫は、渡された前掛けを着ける。白い三角巾も渡された。髪を包むものではなく、目から下を覆うものらしい。


「私が切っていく。どの部位か確認しながらしっかり目に焼き付けるように」


 劉医官の手には、切開用の小刀が握られている。


「絶対忘れるんじゃねえぞ」


 脅すような口ぶり。


 あらかじめ記帳メモすることは禁じられている。というより、今こうして劉医官が教えようとしていることは、あってはならないこととなっている。この場で覚えて帰るしかない。


(倫理か医術の発展か)


 おおっぴらにしないことが医官たちの妥協点なのだろう。


 切れ味のいい小刀は遺体のでっぷりとした腹にすうっと入る。血は噴き出すほど出ないが、だからといって肉が硬いわけでもない。死後硬直が抜けたものを選んでいるのだろう。


 ゆっくり切り裂かれて広げられる内臓は、と殺したばかりの家畜に比べるとずいぶん見やすいものだ。しかし、本物の人間の死体ということで、生々しさは半端ない。他の動物で慣れている者も一人二人口をおさえている。


「これは心の臓、間違えてもここにつながる大きな血管を切るなよ」

「胃袋、小腸、大腸。消化器官だ。腸は何度も肉詰めに加工したろ」


 家畜を有効活用しろと作らされた。


「生殖器官。女の罪人が出たらすぐに呼び出す。言うまでもなく形が違うからな」


 今更、男性の生殖器を見たくらいで驚く猫猫でもない。


「こいつは生前、何の病だったかわかるか?」


 劉医官が質問を投げかけてきた。


(何の病気とか言われても)


 遺体は死後数日経っている。いまさら肌の色を見て判別しづらい。ところどころまだら模様になっている気がするが。


 内臓も直に見るのは初めてだ。


 あえて言うならば。


「肝臓でしょうか?」


 誰も答えないので、猫猫が口にした。あまり出しゃばるのは良くないが、質問に答えないと話が進まない。


「どうしてだ?」

「他の動物と比べると肝の色形が悪い気がします。また、肌がまだらのように黄色くなっています。黄疸であれば、肝臓を悪くしている可能性が高いかと」


 ヤオと同じ症状だ。


「及第点をやろう。こいつは、酒の飲みすぎで暴れていた。店で大騒ぎになり他の客ともめごとをおこし殺している。さらに止めに入った自分の母親も殺している」


 縛り首になるわけだ。


「健康な肝と並べるとよくわかるが、これは炎症を起こしている。酒が原因と考えられるが、時に血によって感染する。ゆえに、手を怪我したりしないように。傷口から毒が入り、病になるぞ」


 いちいち脅すような口調なので、天祐も軽口すら叩けない。


 猫猫は厳しい医官の声を聞き逃さないように、食い入るように切り刻まれる遺体を見ていた。






 特別授業が終わると、さっさと着替えて向かう先は風呂屋だった。


「ふうっ」


 時刻は昼過ぎ。まだお天道さまはにこにこと笑っている時間である。


 湯はちと熱いが、客はまばらで猫猫としては至福の時だ。


 今日はこのまま帰っていいとのことなので、しっかり髪も洗う。しみついた陰気な空気を洗い流す。


 ぼんやりと湯舟につかりながら何も考えずにいられる時間というのは大切だ。


(記録できなかったのは惜しいけど)


 書にすればそれこそ禁書になってしまう。


(そういや)


 猫猫は羅門ルォメンが隠していた禁書を思い出す。


(おやじ、別に書き記さなくても忘れんだろうに)


 特別出来のいい養父を思い出す猫猫。禁書として誰にも見せられないのであれば、わざわざ残す必要はなかろう。


(西でなにかあったのかな?)


 ふと好奇心がよぎる。


 おやじは何年も留学し、国一番といってもいい有能な医者だが、あまり過去の話はしたがらない。


(急に故郷に呼び戻されたと思ったら宦官にされたらそりゃいい思い出はないだろうけどさ)


 ふうっと息を吐いていたら、湯舟に若い娘たちが入ってきた。


「ねえ、やっぱり受ける?」

「うん。受けとかないと」


 何の話だ、と猫猫は聞き耳を立てる。


「しかし最近なかったんじゃない? 後宮女官の募集って」

「だからよ。人数が減っている今が狙いよ」


(後宮女官の募集?)


 猫猫はむむっと顔をしかめる。


 子の一族の一件から、後宮は縮小傾向にある。もし、女官が新たに募集されるとしたら、新しい妃が入内するときくらいだろうか。


「東宮だなんだと言われているけど、今の主上の御子、男児はお二人。まだまだ狙える位置にあるわ」


 ものすごく向上心がある娘さんだ。


(夢はでっかく持つがいい)


 猫猫が頷くと濡れた前髪から雫がぽたりと落ちた。


(そういや)


 後宮を仕切っていたのは壬氏だが、今もやっているのだろうか。


(だったら大変だ)


 猫猫はざばんと立ち上がると、脱衣所へと向かった。

 


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