十二、西都の主
壬氏は執務室にて文を受け取っていた。
木簡でもなければ紙でもない。羊皮紙に蜜蝋で封がしてある。地方によって文を送る文化は違うが、こちらは西方に多い様式だ。
「西都からですか?」
仕切りの向こうから馬良がのぞき込んでいる。
「その通り。玉鶯殿からだ」
「……玉袁さまのご長男でしたか」
「ああ」
つまり玉葉后の兄にあたる。后とは年が離れているので、腹違いだろう。柔和な玉袁殿にはあまり似ていなかった記憶がある。
「どのような内容でしょうか?」
部屋には壬氏と馬良しかいないとはいえ、文の内容をいきなり聞き出すのは少々不躾だ。馬良もわかっているだろうが、あえて聞いたのだろう。
「後宮に娘を入れたいと。前々から匂わせていた話だが、直接切り込んできた」
「それはまた玉袁さまはわかっていらっしゃるのでしょうか?」
後宮に娘を入れたい。高官なら誰しもやろうとすることだが、すでに主上の正室には玉葉后がおさまっている。さらに結びつきを深めたいと言うのだろうか。
それとも、あわよくば東宮の伯父ではなく、東宮の祖父になろうと言いたいのか。
玉葉后は複雑な気分であろう。
「玉袁殿はああ見えて食えないお方だ。わかっていて、放置しているのかもしれない」
見た目の好々爺に騙されそうになるが、帝の舅に成りあがった人物だ。
「十七年前でしたか、戌の一族が消えたのは」
西都は茘の中で一番重視すべき地方になっている。過去に、戌西州と呼ばれた地域だが、名前の由来となる戌の一族は女帝、先の皇太后によって族滅させられている。謀反の疑いということで処理されているが、壬氏は当時数え四つ。覚えているわけがない。
「ああ。その後、玉袁殿が大きく力をつけたのだったな」
中央に玉袁が滞在している。このまま帰る様子はない。ということは、このまま中央の要職に就くのが妥当だ。
玉袁が中央にやってくる際、条件として中央の人材を息子に派遣している。
変人軍師付きだった武官、陸孫だ。
玉袁は、政に対してまだ慣れぬ息子を支えて欲しいと指名した。
本来ならおかしな話だ。確かに陸孫は武官だが、事務処理は得意である。机仕事が嫌いな変人軍師にかわって色々やっていたはずだ。
でも、他にもっといい人材はいたはずだ。
いや、それとも変人軍師の元から離したかったのだろうか。
「馬良、陸孫という男について知っているか?」
「……羅漢さまの副官だった人ですね」
ちょっと考えるだけで、すらっと正解を当てる。人間関係を構築するのは苦手だが、役職と名前はしっかり覚えている。
「羅漢さまは人を覚えるのが苦手なので、人の顔を覚えるのが得意と聞き、文官だった彼を引き抜いたと聞きました」
「文官、そっちのほうがしっくりくるな」
線の細い男だ。剣や棍を持つより書を携えているほうが似合う。
「詳しいことは姉に聞いたほうがよろしいかと」
「麻美か。おまえの情報源はそこか」
なるほど。麻美なら情報通なのもうなずける。
「はい。姉のほうがうちの嫁とよく話していますので」
「……嫁。そういえば、妻帯していたな」
けっこう前に高順が、孫が生まれたと言っていたが、あれは馬良の子だったか。まるで青瓢箪のような、身内以外の女子に触るだけで失神しそうな顔をしていて。――と、妙な敗北感を味わいながら壬氏は馬良を見る。
「一応聞いていいか?」
「なんですか?」
「なれそめは?」
思わず唾を飲み込む壬氏。あくまでちょっとした興味本位だ。
「……麻美姉と母が共謀しまして。馬閃と私を比べた上で、確実に跡継ぎを残せる方法を選んだそうです」
「……」
両極端な馬兄弟。確かに特異体質な馬閃に比べると、虚弱体質な馬良のほうがまだましなのかもしれない。
「いつまで生きるかわからないので、さっさと子作りしろと。科挙より優先させられました」
科挙に合格したのが一昨年と聞くから、時系列的には子どもができてから試験を受けに行ったのだろう。
「……どんな嫁、いや前に聞いたことがあったな」
忙しくて忘れていたが、耳に挟んだことがあった。
「巳の一族の流れを汲む者です」
納得がいく答えだ。馬の一族が皇族の護衛を主とするのに対し、巳の一族は皇族直属の諜報機関だ。
馬と巳の一族は表と裏で皇族を守る。結びつきを強めるため、時に政略結婚として互いの子を結婚させることもあるだろう。
「大変だな。おまえも」
「いえ、見た目的にも、立場的にも壬氏さまほど複雑なものはありません。それに、夜は黙って横になっていれば、嫁がなんとかするからと姉に言われましたので」
「……」
さらっと壬氏に対して失礼なことを言ってくれる上、何か聞いてはいけないことを聞いてしまった感が強い。
これだけ淡泊に政略結婚を受け入れることが出来れば、世の中楽だろうに。
駄弁っているところ、廊下から足音が聞こえてきた。壬氏の執務室の前の廊下は、あえて足音が響きやすく作られている。
「ちょうど姉が帰ってきたようですので、あとは姉に聞いてください」
女物の履音だ。面倒ごとを減らすために官女はできるだけ遠ざけているので、自然と麻美のものだとわかる。
「わかった」
戸を叩く音とともに、予想通り麻美が戻ってきた。手には書類と茶器がある。
「ただいま、戻りましたって……二人ともどうされたのですか?」
じっと見てくる壬氏と馬良に対し、首を傾げる麻美。
「羅漢殿の元副官で、現在西都にいる陸孫について何か知っていることはないか?」
ようやく話が戻る。
「陸孫さまですか。そうですね。私が知っていることはあくまで聞き伝手なので」
麻美は書類を置いて、持ってきた茶器で茶の準備をしながら話す。
「羅漢さまの直属の前は、文官をしていたというのですが、科挙合格生ではなく伝手で入ったと聞きました。親元は商家とか」
「誰の伝手だ?」
「そこまではわかりませんが、すぐに調べましょうか?」
「別に急いでいるわけではない」
ただちょっと引っかかった。それだけのはずだが――。
賢い麻美は、茶と茶菓子を壬氏の前に置くと、さらさらと文を書き始める。早速、陸孫について確認するのだろう。文を書き終えると、さっと乾かして懐に入れる。
「今日の書類はこれが最後です」
「わかった」
ずいぶん以前より量が減った。ここで一服しても問題なさそうだ。
「だいぶ楽になりましたけど、また忙しくなりそうですね」
麻美がふうっと息を吐く。目線の先には、壬氏が先ほど読んでいた羊皮紙の文がある。
「本気ですか? 一度、西都へ向かうというのは」
「必要だろう。玉袁殿は西都がどうなっているのか気にしている。主上も気にかけてらっしゃった」
なにより、砂欧に近い地域だ。一度しっかり見ておきたい。
「何も壬氏さまが直接向かわれる必要はないのでは?」
馬閃からも言われている。奴は今日、他の武官に混じって鍛錬をする日なのでいない。いたらもっとうるさかっただろう。
役割としては壬氏じゃなくてもいい。だが、昨年からずっと西の動きを気にかけつつ、蝗害対策をしていたのは壬氏だ。壬氏がすすめた対策について、他の官たちは、杞憂だと笑う者さえいる。
ここで物見遊山の高官を西に送ったら、意味がない。
なにより敵は他国や自然災害だけではない。
「もし、遠く離れた西の地でお命を狙われたらどうされるのですか?」
麻美にとって一番不安な要素はそこだろう。
「そのために、医官も武官も精鋭を連れていく予定だ」
「劉医官に、使える医官を増やせと言っていた話ですね。では武官はどうするんです?」
「武官については……」
壬氏は髪をかきむしる。麻美がはしたないと言わんばかりの顔をしている。
壬氏としては色々考えた結果。
「羅漢殿に来てもらおうと思う」
「はああ?」
麻美の顔が、ありえないくらい歪んだ。たとえ彼女とて、ここまであからさまに嫌な顔をするのはそうそうないだろう。
「何を考えているのです? 暴走しますよ。大問題ですよ」
「わかっている。わかっている」
「大体、誰が手綱を取るのですか? 羅半さまを連れてきたとして到底無理。いや、医官といえば羅門さまがいらっしゃいますけど」
さすが麻美。わかっている。
「羅門殿は駄目だ。もう年齢的に長旅はきつかろう。なにより足が悪い。あったとしても最終手段になる」
「では誰を……ってまさか」
勘がいいので説明するのは省ける。羅半、羅門は駄目とくれば、あとは限られる。
「……猫猫さんでしょうか?」
顔をぴきぴきとさせながら麻美が言った。
壬氏は、苦笑いを浮かべつつ麻美から目をそらした。