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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
壬氏編2
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十一、医官と薬師


 宮廷内、文官たちが働く区画の一つに医務室がある。文官の仮眠室も併設されており、その中で猫猫マオマオ羅門ルォメンリュウ医官が顔を突き合わせていた。


 久しぶりに会う養父はいつにもまして悲壮な顔をしていた。


 同じ外廷勤務だが、違う医務室にそれぞれ配属されているため、仕事で会うことはたまにしかない。猫猫が羅門とともに仕事をするのを、あえて避けているようにも感じられる。なぜなら、ヤオ燕燕エンエンは比較的、同じ仕事をさせてもらっているからだ。


 劉医官の計らいであると猫猫は思う。


「ってことだ。おまえさんはどうする、羅門?」


 悲壮な顔のおやじに対して、劉医官は呆れも混じった表情をしている。


「猫猫や……」


(やめてくれ)


 別におやじを困らせたいわけではない。だが、猫猫にもやりたいことはある。


 おやじが猫猫を医者にしたくなかった理由。わからなくもない。


 羅門としては、猫猫をできるだけ幸せにしてやりたいのだろう。


 その中で猫猫が生きにくくなる選択肢を外そうとしている。


(排除までしないのがおやじらしい)


「どうしても医官になりたいのかい?」

「医官にこだわっているわけではありません。ただ、医官と同じ技術を持ちたいと思っています」


 劉医官の手前、口調は丁寧さを心がける。


 おやじはゆっくり首を横に振る。


「どうしてもというのなら私は止めたりできない。何よりこうして劉医官が連れてきたということは、何をやるのかあらかた予想はついているだろうね」

「大体は覚悟できております」

「おや、羅門よお。そんなに簡単に『はい』と言っていいものかね?」


 劉医官が今更煽ってくる。


「医官ともなれば、それなりに箔がつく。そりゃあ人の命を預かる役目だ。ある程度尊敬される地位におかねばやっていけない。でも、その地位が無ければどうだ? 人間ってものは、死を恐れる。死に一番近い職業は、寺の坊主か、墓穴堀りか、それとも医者といったところか」


 流暢な話しぶりだ。


「いくら知識があろうとも、それを行使できる立場にならなければ人は信じない。たとえ助けようと尽力したとして、怪我人、病人が死んだらどうなる?」

「それは薬師とて同じことではありませんか?」


 猫猫も反論する。ここで反対されたとして、引くに引けない。


「薬師と医師は違うよ。薬師は薬を与えるだけ、せいぜい簡単な怪我の手当までしかしないだろう? 骨を折る、切り傷を縫うくらいまでならできるかもしれない。でも、臓腑に矢が突き刺さり、引き抜けば死に至るとわかっていれば薬師に頼るだろうか?」

「……」


 答えられない。猫猫はそんな状況に陥ったことはない。


「そこまで重症なら誰もが薬師のせいにはしない。薬師の治療は薬を与えること。薬というのは投与を続けるだけの体力がなければ意味がないと人はわかっているからな。でも医官は違うんだよ」


 劉医官の声が低くなる。


「心の臓のすれすれで矢が突き刺さった兵がいる。薬師なら手を上げて降参すればいい場面を、医官なら仕事として全うしなければならない。血管を傷つけぬよう皮膚と肉を割き、矢を抜き、また元通りに縫い直す。言うのは簡単だが、そこに医者と薬師の差があるんだ。患者が一寸でも動いたら何もかも終わり。麻酔は使うが気休め程度。寝台に括り付け、さらに数人がかりで動かぬように押さえつける。よだれと涙と失禁混じりで胸を割かれる恐怖の顔に凝視されながら、ほんの少しの小刀メスのずれも許されない。矢を抜かねばいずれ死ぬ、でも抜く作業が失敗すればすぐに死ぬ」


 わかっている。薬師と医者では、扱う命の危険度が違う。


「まだ医官ならいい。それ相応の技術を持っている、資格を持っているということは失敗したとしても『仕方がなかった』と言い訳がつく。でも、資格がない者が同じ処置をして、失敗したらどうなる?」


 ただでは済まないだろう。場合によっては遺族によって、殺されることも視野にいれないといけない。


「医官なら、国の肩書がつく。まだ、国が失敗を保護してくれる。でもおまえは」

「私は医官になれません。今のままでは」


 猫猫は素直に認める。


 女は医官にはなれない。


 法を変えるのは難しい。そして、今はまだその時期ではなくいつになるかわからない。変わることがないままの可能性のほうが高い。


「それでも、医官と同じ技能が欲しいか?」


 猫猫は一瞬おやじのほうを見ようとして、やめた。どんな表情をしているのか想像がつく。気持ちが揺らいでしまうと思った。


「はい」

「……だそうだ。羅門」


 劉医官はさらに呆れた声。


「あんたの育てた子にしては、本当に頑固にできている。あんたと違った意味で、苦労する性格だ」


 劉医官の声には親しみさえ感じた。


「本当に仕方ない子だよ」


 おやじがゆっくり立ち上がり、猫猫の頭を優しく叩く。


(おやじは私のことを考えてくれている)


 だからこそ申し訳なさがある。でも、知っていればやれたことが、知らないことでできなくなるのは嫌だった。







 最初に用意されたのは鶏だった。まだじわっと温かく硬直しきっていない。羽を毟ったのは胸と腹の部分だけで、血抜きもしていない。よく研いだ小刀を刺すと血が飛んだ。


「内臓を綺麗に取り出せ。一筋も傷をつけるな。あとで飯になるから雑に扱うなよ」 


(きれいに血抜きしてないと食べるとき臭いんだけど)


 それは技術の向上を優先しているのだろう。


 猫猫の他に五、六人。知っている顔を確認する限り、見習い医官ばかりだった。


 薬の買い付けについてこいと言われて連れて来られた先が養鶏を営んでいる農家の一画。都から少し離れた場所にある。


 放し飼いになっていた鶏を捕まえるところから始めるので、医官服を着たままでは無理だ。野良着のような薄汚い恰好に革の前掛けをかけて作業を始める。外で鶏を捕まえて絞めたら、掘立小屋の中で切り刻む。


「生きたまま切り刻めとは言ってない。ありがたく思え」


 劉医官はどこかしら楽しそうでもある。偉そうに指示するだけ指示すると、養鶏農家と取引を始めた。鶏内金や鶏肝、鶏由来の生薬の品定めをしている。


 鶏を捕まえてさばくことに関して猫猫は他の見習い医官より得意だと自負していた。しかし、鶏を最初につかまえたのは見習い医官の天祐テンユウだったので、なんか悔しくなった。


「実家が農家でもやっているのですか?」


 悔しくて思わず口にする。


「いや、この研修、三回目だからさすがに慣れるから。にしても、気持ちのいいもんじゃあないよな」


 やはり数日前の時は、しらばっくれていた。


 天祐は口が軽く全般的に駄目そうな男だが、手先は器用らしい。ぬるっと滑る鶏の表皮を上手く刻んでいく。


「どの内臓が人間のどの部分に当たるのか考えながらやれ」


 もちろん人間と鶏では構造が違う。


 ここは一番最初の入門地点なのだろう。


 逃げ回る鶏の一羽くらい捕まえられないと人間相手に出来るわけがない。


 生きた鶏を絞める度胸が無ければ人間を切り刻むことは出来ない。


 絞めた鶏を切り分ける器用さが無ければ人間の体もわけることが出来ない。


 入門中の入門だが、最初の段階で手こずる見習い医官もいる。


「鶏の次は?」

「豚。でかいからこれは三人で一頭。牛になると五人で。慣れたら医官服着て、血しぶきが掛らないようにやれってなる。そして、次の段階に進むんだけど」

「まだ進んでいないと?」

「いや、最初からやり直し食らった。まだ手元がおぼつかないとさ」


 他の見習い医官に比べると涼しい顔をしているので、つい天祐に声をかけてしまう。


「やり直すだけならまだいい。適性が全くないと取られたらもう出世の道はない」


(適性がないか)


 異動になった見習い医官を思い出す。


「見習い医官の賃金じゃあ、燕燕エンエンちゃんに楽させてあげられないからねえ」


(燕燕がんばれ)


 この男は本当にしつこいようだ。 


 鶏を切り刻むと血の匂いが充満する。我慢できない見習い医官が手ぬぐいで鼻と口を覆ってやっていたが、戻ってきた劉医官にはぎとられた。


「病人の治療に布面マスクするのは正解だ。でも今ははずしておけ」


 布面をとられた見習い医官の顔は真っ青だった。気持ちが悪くて走って小屋の外に出て行った。


「あー。何回目だろ。もう適性なしってされるわな」


 まさに他人事として天祐が言った。


 猫猫は皿の上に内臓を並べる。心臓、肝、腸、胃……。


(腸は傷みやすいけど美味いんだよな。今なら食えるけど)


 鶏の腸は細いので丁寧に洗うのが少し面倒だが。


(砂肝、串焼きにして塩をぱらっと振りたい)


 血抜きしていれば美味かっただろう。


(胆のうは潰れていない、よし)


 胆汁がこぼれるとそれでもう台無しだ。


 そっと置いていく。全部置いたところで劉医官。


「じゃあ、元に戻して縫おうな」


 せっかく料理毎にわけていたというのに。


「食べる気満々なのはわかるが、その様子でずっとやるんじゃないぞ。患者が肉に見えてくる」

「さすがにそれはないです」


 猫猫の考えが筒抜けだったようだ。


 内臓の位置も元通りにしておく。胆のうは潰れぬように特に気を付けた。


「使い方わかるか?」


 ほいっと猫猫の前に出されたのは、丁寧に布に包まれた釣り針のような物だ。糸もある。


「はい」


 糸は絹製だろうか、つるんとした独特の光沢がある。釣り針の穴に糸を通し、指でつかんで縫い合わせる。


(縫うこと自体はやったことあるからな)


 いつもはまっすぐした針しか使ったことがなかったが、釣り針型は思ったより使いやすかった。


(官営になるといい道具使わせてくれるもんだ)


 感心して縫う。贅沢を言えば、持つところが短いのでしっかりつかめる道具があればもっと簡単にできるのに。


鑷子ピンセットじゃあつかめないなあ。もう少ししっかり握れる道具があれば欲しい)


 考えつつやり終えた。


 横を見ると、すでに天祐が仕事を終えた顔をしていたので悔しかった。


「どれ、見せてみろ」


 劉医官が縫い口を見る。


「……ふん、あとは好きにしていいぞ」


 及第点をいただいたらしい。


「針はちゃんと洗っとけ。あとで煮沸する。高いから無くすな」


 形といい、細さといい、余程腕がいい職人が作らないとできないだろう。こっそり持って帰ろうなんて無理だなと諦める。


 猫猫は縫い付けた糸を切ると、内臓を全部ばらして洗うことにした。



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[良い点] 劉医官が思った以上にちゃんと、猫猫の将来や無資格で医官の技術を身につける事の危険について考えて危惧してて、ちょっと感動
[一言] 羅門の愛情が泣ける。猫猫のこと、本当に娘として大事にしてると伝わる。自分の子どもが似たような選択肢を選んだとき、私も両手を上げて賛成なんてきっとできない。現代の医者ですら報われない仕事なのに…
[一言] 猫猫がんばれー!って思ったけど、なかなかやっぱりキツい壁 尊敬しかない
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